7話
『母よ・・・・・・どうかこの手をとって・・・・・・』
肌にしっとり張り付く滑らかで高価そうな祭壇とおぼしき台に載せられる。
一歩下がった場所には母と父と兄が揃っている。
そちらに行きたいのに座り込んでしまい身体が動かない。喉が震えて上手く声も出ない。
情けない声を懸命に絞り出しながらなんとか左手を持ち上げ、あの人へと伸ばす。
暖かい日が続いている。春が近づいてきたのか。ただの気まぐれなのか。
早朝から階下で騒がしい声と気配がする。
ああ。憂鬱な雨の日を思い出すので兄よ、静かにしてほしい。
まだ微睡んでいていい時間のはず。あの人が来るまで決して起きるつもりはない。目を開けて一番に見るのはあの甘い視線と蕩けるような微笑みでなければならない。一番に身体に触れるのもあの白く柔らかな手でなければならない。
我の至福の目覚めを邪魔するものはたとえ・・・・・・
起きているわけでもなく布団に沈み込んでいるというのに、声も掛けずいきなり両脇の下に手が差しこまれ持ち上げられた。
再び甘い夢の中に溺れていたというのに・・・・・・
おかげで身体に力が入らず、目も開けられない。開けたくない。開けるものか。降ろして。
がっしりと回された腕に抜群の安定感。
ああ。憂鬱なあの夜を思い出すので父よ、せめて一声下さい。
希望は何も叶えられず黙々と軽々と抱えられたまま、階下へと運ばれてゆく。
「起きた?あらあら、じゃあ抱っこしていきましょうか。」
母よぉぉぉぉぉぉ。
暖かく柔らかい腕にそっと抱き上げられ、たまらなくご満悦である。
両手でぎゅうっと肩にしがみつき額をぐりぐりと押し付ける。甘いあの人の匂いをくらくらするまで吸い込む。頭を撫でられ、背中をぽんぽんと叩かれれば先ほどの一件は不問に処すとしよう。
耳の後ろを優しくくすぐられ、うなじにかけて滑るように触れられる。
耳元に顔を寄せ囁くようにいい子ねと褒められ、軽く唇が触れた。うむ。寛大な処置であろう。
ちゅっ。小さく音を立てて離れていく。
うっとりと目を閉じたまま胸元に顔をうずめ温もりと柔らかさを堪能する。ゆっくりと揺れる振動にトクントクンと心臓の音。暖かくふわりと香る甘い匂いに全身を包まれ脳が蕩けそうだ。
甘やかすな。ずるい。贔屓だ。
遠くから色々ヤジが聞こえる気がするが、我今最強!
聞きなれない重い扉が開く低く堅い音。多くの人の気配。ざわめき。鼻をつく匂い。
室内は明るいが不穏な気配はそこら中から漂ってくる。笑い声も聞こえるがそれに混じる不安気な声。
背筋が震える。安心できる母の腕の中にいるはずなのに急に不安が押し寄せてきた。
足元に広がる不穏な気配の隙間を止まることなく進んでゆく。こちらに向けられるいくつもの好奇の視線を感じながらも、怖くて顔を上げることができない。
奥へ進みもう一つ扉の開く少し高い音。部屋に入り立ち止まるとすぐに後ろの扉が閉められ、視線と気配、ざわめきが途切れる。
部屋の中央にキラキラと輝く祭壇。頭が痛くなりそうな、いやな匂いがきつくなる。
そっと祭壇に載せられ気を逸らす様に、頭を撫でられ耳をくすぐるように触れ頬から顎を辿りあの人の白い手が、我から離れてゆく。
祭壇奥にある扉から誰かが入ってきた。父より少し若そうな男は白い布で全身を覆い、あのいやな匂いを纏っている。こちらからは見えないが同じ匂いがもう一人。
「元気そうですね。」
父とその男が和やかに会話をしている。頭の上で交わされていて顔は見えないが全身をくまなく見られているのは感じる。
なんとか身体をずらしあの人に手を伸ばす。
後ろから身体を掴まれ引きずり戻された。少し困った表情の母と目が合うも救いの手は伸びてこない。
胴体を抑えられ骨に沿うように手が這い回る。手足を突っ張りイヤイヤとしても容赦なく押さえつけられた。
ああ。いやな記憶がよみがえる。
以前にもこんなことが。この匂いの中で行われたおぞましい・・・・・・記憶。
「兄は鳴かなかったぞ。尻尾は足の間に巻き込んでいたがな。」
尻尾を巻き込むなど我の矜持が許さぬ。母に可愛いと褒められた自慢のカギ尻尾。
しかしあの人の、あの人の目の前で気にしている腹を中心に全身を弄られ検温という名の辱めを受けワクチン接種注射の拷問をうけ背中に激痛がはしる。情けない声が漏れた。
ついでとばかりに全身を拘束され爪切りまで始まる。耳に棒を突っ込み、牙を剥かれ口の中まで覗かれる始末。
もはや抵抗する気力などない。されるがままだ。なんて辱めだ。解放せよ。
もうお婿に行けない。いや、行く気は全くこれっぽちもない。あの人から離れるなどありえない。
大人しくていい子だと匂いのきつい男に褒められても、全くもって嬉しくなどない。
ごつい手で抱えられても撫でられても全くもって癒されない。ますます惨めな気分になる。その上、少しぽっちゃりだと暴露される。ひどい。情けはないのか。
まだ許容範囲内だと後から言われても今更だ。フォローにはならない。おのれ。
生温かい視線をいくつも感じる。
『母よ・・・・・・ちがうのです・・・・・・』
我はいわゆる末っ子なのです・・・・・・