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白鷺山殺人事件  作者: 斗斗斗 斗斗斗


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2/2

第一章 集合

登場人物


足立千春 旅行会社勤務

榊原理人 弁護士

黒崎征一 株式会社東奥電力 代表取締役社長

水野修平 株式会社東奥電力 勤務

片桐美緒 



 一


 改札を抜けると、思った以上に空気が冷たかった。十一月になったばかりだが、駅前の道路に雪はなく、濡れたアスファルトの脇に、茶色くなった落ち葉が張りついている。

 けれど、その向こうに連なる山々は違った。麓にはまだ紅葉の名残があるのに、標高が上がるにつれて、木々の間に白いものが増え、稜線近くは薄く雪に覆われていた。山頂が灰色の雲に覆われているのを確認すると、私は空を見上げた。

「天気、大丈夫かな」

 スマホで時間を確認すると集合時間より四十分早かった。心配性で昔から予定時間より早く現地に到着するのが、私のデフォルトだ。

「もう一本遅い電車でよかったかな」

 ベンチと自販機、三人も入れば窮屈になりそうな待合室を見て、私はそう思った。ベンチに腰掛け、スマホを見て時間を潰していると、実際、スマホに熱中していて時間の感覚を失っていたのだが、電車が到着した。降りてくる人物を観察していると、明らかに登山の準備をしている人がいることに気がついた。年齢は四、五十代くらいだろう。二人はいかにも上司と部下といった感じだ。周囲を見渡している。私と目が合うと、迷う様子もなくこちらに歩いてきた。短く整えた髪に所々白髪が混じっていた。その姿は静かながら自信に満ち溢れていて、焦ったり狼狽(うろた)えたりする姿が想像できなかった。

「黒崎です。今日はよろしく」

「足立です。こちらこそ、よろしくお願いします」

 黒崎さんの少し後ろを歩いてきたのは細いフレームの眼鏡をかけた男性だった。

「水野と申します。よろしくお願いします」柔らかな声でそう言って、頭を下げた。

「よろしくお願いします」私も頭を下げた。

 威圧感はなく、むしろ初対面でも話しかけやすそうな雰囲気だった。眼鏡の奥の目元も穏やかで、口調に角がない。けれど、不思議と隙のない人にも見えた。

 バスの出発時間が気になって、私は停留所の時刻表へ目を向けた。

「八時三十五分発ですね。まだ少し時間があります」

 水野さんがそう言った。今確認したと言うより、ここへ来た時点ですでに頭に入っているような口ぶりだった。物腰は柔らかいのに、必要なことは先に済ませている。二人はきっとこんな感じで仕事をしているのだろうことは容易に想像できた。スマホを見ると、八時を少し回ったところだった。集合時間まではまだ二十分近くある。流石に私ほどではないけれど、この二人もずいぶん早い。そんなことを考えていると、遠くから再び電車の音が聞こえてきた。しばらくするとホームに列車が滑り込む。何人かの乗客が改札を抜けてくる中で、見慣れた顔を見つけた。

「おはよう」

 榊原理人《さかきばらりひと》は、こちらに気づくと軽く手を上げた。

「遅いんじゃない」

「まだ集合時間前だけど」

「私は四十分前に着いてる」

「それは千春が早すぎるだけだろ」

 大学時代から変わらない調子だった。同じサークルにいた頃は、もっと頻繁に顔を合わせていた。卒業してからは、私も理人も仕事や勉強に追われるようになり、たまに食事へ行くくらいの付き合いになった。それでも、久しぶりに会った気がしないのはそのためだろう。理人が私の隣まで来ると、黒崎さんと水野さんへ視線を移した。

「榊原理人です。本日はよろしくお願いします」

 声の調子が少し変わった。背筋を伸ばし、相手の目を見て、名乗った後にほんのわずか間をおく。こういう時だけ理人が弁護士だということを思い出す。話を遮らず、言葉を選んで返す。大学時代には気づかなかったけれど、今ではそれがすっかり身についているらしい。

 黒崎さんが短く挨拶を返すと、理人は続けて尋ねた。

「黒崎さんと水野さんは普段から一緒にお仕事されているんですか?」

「まぁ、こいつには色々と任せている」

 黒崎さんがそう答えると、水野さんは困ったように笑った。

「任せられているというより、振られているだけですよ」

 その返しに黒崎さんが鼻で笑った。短いやりとりだったが二人の信頼度の高さは十分伝わった。そんな世間話をしていると、改札の方から小走りでこちらへ向かってくる女性が見えた。年齢は私より少し下だろうか。肩にかかる髪を揺らしながら、私たちの前まで来ると、申し訳なさそうに頭を下げた。

「すみません。遅くなりました。片桐美緒(かたぎりみお)です」それぞれ挨拶を交わした。

「まだバスの出発時刻前だから大丈夫ですよ」

 私がそう言うと、美緒さんはホッとしたように小さく笑った。

「ありがとうございます。乗り換えで少し迷ってしまって」

 そう言って、もう一度頭を下げる。控えめで、年上の人には自然と一歩引くようなところがあるらしい。ただ、弱々しい印象はなかった。話す声は穏やかなのに、目線はまっすぐで、どこか自分の考えをしっかり持っていそうに見えた。

「思ったより白いですね」

 灰色の雲に覆われた山頂を見て美緒さんがそう言った。

「ですよね。駅前には全然雪ないのに」

 さっきより雲が低くなっているような気がした。スマホを確認すると、八時二十分を少しすぎている。これで全員揃った。


 二


「そろそろバス停の方へ行きましょうか」

 水野さんの一言で、それぞれ荷物を持ち直す。ちょうどその時、山あいの道の方から低いエンジン音が聞こえてきた。

 しばらくすると、白い車体の路線バスがロータリーへ入ってきた。行き先には、これから私たちが向かう登山口の名前が表示されている。

「思ったより人がいるんだね」

 前に並んでいる理人なら何か分かるのではないかとそんなことを口走った。

「休日だからな、紅葉を見にきた人がいるんじゃないか。まぁほとんどが観光で日帰り。俺たちの行く山小屋に行く人はいないんじゃないか」

 質問するとたいてい、解像度の高い返答が返ってくるので理人にはつい何でも聞いてしまう。まるで最近流行りの言語生成AIだ。確かに、周囲には大きなリュックを持った人より小さなバッグを持った人たちが目立った。年配の夫婦やカメラを首から下げた人もいた。バスが停まると、私たちはリュックを背負い直し、順番に乗り込んだ。

 車内は暖房が効いていて、冷えた頬がじんわりと温まる。黒崎さんと水野さんはすでに前方の席に座っていた。美緒さんは少し離れた窓際に座った。理人はその通路を挟んだ反対側の席へ向かい、私もつられるように隣に腰を下ろした。席に座るとホッとした。忘れ物がないか今更気になり始めたが、そんなことはお構いなしにバスが出発した。動き出してしばらくすると駅前の建物が後ろに流れていき景色が変わった。

「理人と会うの久しぶりだね」

「半年くらいか」

「やっぱり仕事忙しい?」

「忙しい。先週なんて何してただろう。一週間ずっと仕事してたな。やば」

「丸々?一週間休みなし?」

「土曜日に依頼人との面談が入って、日曜は書類作ってた」

「弁護士って休みないんだ」

「毎週じゃないけどな。裁判の日は動かせないし、依頼人は平日に時間取れない人もいるから」

 理人はそう言って、疲れたように首を回した。

「依頼人から話を聞いて、相手から出てきた資料を確認して、それを踏まえて裁判所に出す書面を作って――っていうのをずっと繰り返してる」

「なんか地味だね」

「離婚や交通事故、金銭トラブルとかばっかさ」

「ドラマみたいに法廷でしゃべっているより、机で資料読んでいる時間の方が長いよ」

 弁護士の仕事の内容を聞けるのは何だか得した気分になった。

「千春はどうなの?」

「私は……転職しようかなと思ってる」

 本気で転職しようとは思っていなかったが、今の環境が物足りなく感じていたので、こんな表現になったことに自分でも驚いた。大学を卒業後、大手の旅行会社に就職した。正直やりたいことはなかったが、元々旅行は好きな方だったのと、大手という響きが良かったので迷いはなかった。待遇は悪くなく、仕事内容も好きになれた。だが、三十近くなりこのままでいいのかという漠然とした不安が頭から離れないのも無視できない。

「いいじゃん。他にやりたいこととかある感じ?」

「……特にない」

 考えてみたが、思ったより何も出てこなかった。

「いろんなことを経験するのって楽しいよな。千春は人に夢を与える仕事が向いてると思うよ。優しいし、周りをよくみてるよな」

「その点、俺は接客やサービスは向いてないな。絶対相手と口論になっちゃうよ。まぁ弁護士としてならいくらでも話せるけど」

 理人はそう言って笑った。転職したいなんて口にするつもりはなかった。まして、その先に何があるのかさえ自分でもわかっていない。それでも、さっきまで胸の奥にぼんやりと居座っていたものが、少しだけ形を持った気がした。辞めたいわけじゃない。今の仕事が嫌いなわけでもない。ただ、このままでいいのか分からない。たぶん、それだけなのだ。

「まぁ、そのうち行動するでしょう」

「そのうちっていつなんだか」

 背中を押すでも、引き止めるでもない。その距離感が、今の私にはありがたかった。ふと通路の向こうを見ると、美緒さんは窓の外を眺めていた。さっきまで駅前では申し訳なさそうにしていた彼女も、今は静かに流れていく景色を目で追っている。集合した時は気づかなかったが、こうして横から見ると整った顔立ちをしている。すっと通った鼻筋に、細い顎。身長は百六十センチくらいだろうか。私より少し小さく、厚手の上着を着ていても細身なのがわかった。可愛らしいというより、静かで綺麗な人、という表現の方が似合う。

 美緒さんの視線を追うように、私も窓の外へ目を向けた。いつの間にか、駅前に並んでいた建物は見えなくなっていた。道路の両側を木々が覆い、バスは緩やかな坂道を登っていく。さっきまで地面を埋めていた茶色い落ち葉の間に、ところどころ白いものが乗っている。窓の向こうに見える山は、駅から眺めていた時よりずっと近かった。天気は相変わらず曇っていた。

「天気やっぱり怪しいね」

「そうだな。登山口に着いたら、もう一度予報を確認しよう。今は大丈夫でも山の天候は変化が激しいからな」

 私は足元のリュックに目を落とした。防寒具も雨具も入っている。手袋も替えを用意したし、念のため軽アイゼンも持ってきた。大学時代登山サークルに所属していたので、登山は慣れている。理人も同じサークルだった。それでも、装備があるから登れるという話ではない。山では行けるかどうかを決めるのも自分たちだ。理人は、私が不安を口にしてもそれを大袈裟だとは言わない。かといって、根拠もなく大丈夫だということもない。

「途中で悪くなったら怖いね」

「その時は状況を見て判断するしかないよな」

 迷いのない答えだった。理人は昔から、分からないことを分かったふりで埋めようとしない。いま分かっていることと、まだ分からないことを分けて、その間に余計な想像を挟まない。大学にいた頃は理屈っぽく感じたが、弁護士になった今の姿を見ていると、それは彼の強みなのだとわかる。状況が複雑になるほど理人は焦らない。私には想像することしかできないが、たぶん理人には他の人には絡まって見える事実を一本ずつ紐解いていくような力があるのだろう。まだこの時には知らなかった。これから起こる出来事の中で、その力に何度も助けられることになるなんて。

 自販機で買ったホットレモンティーに手を伸ばす。これから山に登る私たちにとっては、この甘酸っぱさが贅沢に感じた。


 

 

 

 

 

 

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