第一話 悪役令嬢、目覚める(1)
それは暖かな日差しが零れる小春日和の一日であった。
小春日和は冬を示す季語でその日は一月の半ばを過ぎており、暦的に春なのだが、北の果ての大地ではまだ真っ白な銀世界が広がっていた。そして、乏しくなった食料を求めて村人が総出で山菜摘みに出掛けた日のことであった。
はじめて村の外に出た私は浮かれた。
雪をかき分け、黒い土に埋もれるユリネのような芋を取って、川で泥を落とすと口に放り込む。噛むと微かに甘い蜜のような味わいに感動していた。
そんな私に姉レルーイが怒った。
「イルター、サボっていないで山菜を摘みなさい」
「ねぇねぇ、すごく甘い。一緒に食べよう」
「あのね、芋掘りは男衆の仕事よ。私達は山菜を採りにきているの。仕事が終わってからにしなさい」
「食べてからする」
「あんたねぇ~。私より何でも上手くできるって言ってお父さんに駄々を捏ねて許可を貰ったのよ。言った事に責任を持ちなさい」
「ねぇねぇのケチ」
「わかった。お母さんに報告するわ」
「ま、待って、ごめん。すぐに籠一杯にするから止めて」
「晩ご飯が抜きになるかも」
「止めて、ねぇねぇの意地悪ぅ」
父は私に甘々だった。村人は親切でいつも私の望みを叶えてくれる。甘芋を教えてくれたのもお姉さんらであった。兵士も村人もみんな私に親切だった。
私を叱るのは姉か母だけであった。
今思えば、姉は正論を言っているだけで、我が儘な私を叱っていただけなのだ。
春の山菜採りは大人の仕事だった。
毎年、私と姉は村人達がたくさんの食料を持って帰ってくるのを待ちわびた。だが、その年は姉も参加すると聞いて、私は駄々を捏ねた。
姉は今年十歳になり、もう少ししたら『洗礼』を受ける。
洗礼は大人になる準備であり、貴族としての礼儀や大人の仕事を覚えさせられる。山菜摘みへ参加できるのも大人になる為の準備なのだが、そんな事は私には関係ない。
姉が行くなら私も行くと、父に駄々を捏ねて参加を捥ぎ取った。
「イルター、早くしなさい。天候はいつ変わるかわからないのよ」
「今日は暖かいから大丈夫だよ」
「暖かい日と寒い日を繰り返して春になるの。春になるまで油断しちゃ駄目よ」
「ねぇねぇは心配性だね」
「あんたが楽観的過ぎるのよ。早くしないと、本当に母さんにいうわよ」
「わかった」
私が生まれたレプスはラトリア王国の北の果てだ。
判り易く説明すると、ノルウェーの首都オスロに似た環境と言えばわかるだろうか。つまり、冬は日照時間が短く、夏は長い。一年の半分近い十一月から三月まで雪と氷に覆われる。私が生まれたレプスはそんな土地だった。
そして、一月になる頃に食料が枯渇する。
眉毛も凍る極寒の中で、長い道のりを歩いて食料を取りに行くのは命懸けであった。しかし、一月半ばになると小春日和の暖かい日が混じってくる。そんな日に食料を求めて、村人が総出で山の麓まで足を運ぶのだ。
山の麓の岩肌の裂け目から湧き水が流れ出し、その周辺は一足先に春の若草が生えていた。また、山と森の境に山芋がたくさん埋まっていた。若草摘みは岩がゴロゴロとした足場が悪い所にあり、姉は慎重に近づいて若草を摘んでいた。
私は岩の上をひょいひょいと跳ぶと、通常の三倍の速度で若草を次々と摘んだ。
「イルター、危ないわ。もっと慎重に足元を見なさい」
「大丈夫、大丈夫、こんなの楽ちん」
「足元を見て、転がり落ちたら大怪我するわ」
「ねぇねぇは心配性だな~」
「危ないって」
「わぁ~、あしがすべった」
「イルター!?」
「なんて、嘘。はい、これで終わり」
「イルターの馬鹿ぁ」
私は転ぶ振りをして最後の若草を摘み終えた。
心配した姉が立ち上がると金髪がばっと広がり、その髪が太陽の光にキラキラと輝いて綺麗だった。姉の髪は母と同じネオンイエロー色で凄く綺麗だ。対して私の髪は青みがかった黒である。母は私のツヤのある青みの黒髪を綺麗だと言ってくれる。
でも、私は母と姉と同じ金髪がよかった。
「ねぇねぇ、これで甘芋掘りに行ってもいいでしょう」
「私も終わったから一緒に行きましょう」
「やっぱり、ねぇねぇも甘芋を食べたかったんだ」
「当たり前でしょう。長い雪道を歩いて来たのよ。少しくらいはご褒美がないとやる気が起きないわよ」
「さっきはあんなに怒ったのに」
「当たり前でしょう。仕事が終わっていないのに、イルターが遊ぶからよ」
「でも、今日からお腹一杯食べられるね」
「今日だけよ」
「えっ、そうだった?」
「そうよ。明日から春の準備が始まるから食料は節約しないとって・・・・・・そう言えば、あんたはお父さんの芋を分けて貰っていたわね。ほんと、イルターは狡い。イルターばっかり可愛がって」
「私が可愛いから」
「言ってなさい」
姉は掘った甘芋を川で洗うと、皮を剥いて口に放り込んだ。
コリコリっと噛みながら甘味を楽しむ。
私もたくさん取って食べた。そして、私達はお腹一杯に食べるとお土産の分も掘り出した。
「ねぇねぇ、どうして甘芋はしばらくすると苦くて生で食べられなくなるの?」
「知らない」
「ずっと甘ければいいのに」
「でも、湯がけば食べられるようになるわ」
「茹でた甘芋は食べられるけど甘くない」
「イルターはお父さんの分を貰ってお腹が膨れるだけでもマシでしょう。私なんかお腹一杯になったことなんてないわよ。でもいいわ、今年の私は違うんだから」
「何かあるの?」
「私、イルターが芋で腹を膨らませている頃、私は領都で豪勢な料理を頂くの」
「ねぇねぇだけ、ズルい。私も領都に行く」
「残念でした。洗礼を受ける私しか行けません。イルターは弟と二人でお留守番よ」
「私も行く、お父さんに頼むもん」
「お父さんに駄々を捏ねても無理よ。だって、領都まで一ヵ月近く掛かるのですもの。一人分の旅費がいくら掛かると思う。お父さんがどんなに頼んでも、執事のクィリッィエが認めないわ」
「そんな、ねぇねぇだけズルい」
「あんたは七歳。あと三年待ちなさい」
「ねぇねぇ、ズルい」
私が悔しがるのを見て、姉が楽しそうに笑った。
私と姉は仲が良いとは言えなかった。だって、姉の真似をして姉より上手って自慢する妹だよ。姉からすれば憎たらしくてしかたなかったと思う。でも、レプス村の子供はわずか四人しかいない。姉、私、弟、従者の家の子が一人だけだった。遊び相手として、互いに互いが必要だった。
だから、姉は私を愛してくれたし、私も姉が大好きだった。
姉だけではない。お父さんも、お母さんも、弟も、執事も、従者も、村人も、みんな大好きだった。
みんな、私のことが大好きと信じていた。
私は何も知らない。気付かない。気付こうともしない。
我が儘で、身勝手で、無邪気で、鈍感な娘だった。
でも、そんな私を父は猫可愛がりしてくれた。
父は平民の出だったが、槍の腕を見込まれて辺境伯が跡継ぎだった頃に従僕となった。そして、はぐれワイバーンが領内を襲ったときに、跡継ぎが軍を率いて退治に向かった。兵も騎士も次々と倒され、跡継ぎに危機が迫ったところを、父は騎士の槍を拾ってワイバーンに手傷を負わせて撃退した。その褒美で騎士になり、跡継ぎが辺境伯を継いだときに男爵に引き上げられ、レプス領を任せられた。
父はお酒が入るといつもその自慢話になる。
今日も私達を守るために周辺の森の中を警戒していた。
その父が急に森から飛び出してくると、私らに向けて叫んだ。
「全員、川向こうに移動しろ」
「お父さん」
「イルター、レルーイ、急いで避難しなさい」
「どうしたの?」
「いいから避難しろ。ぐずぐずするな」
父がはじめて私を怒鳴った。
そんな怖い顔をする父をはじめて見た。私は震えて逆に足が止まった。
逃げ出していた姉が立ち尽くしている私に気付いて戻ってくると、私の手を取って走り出した。私はされるがままに川の浅瀬を渡ってゆく。山芋を掘っていた村人も集まり、兵が一箇所に集め始めた。しかし、父らは川向こうに留まった。
父は槍を構え、従者らは盾や剣を構え、ずっと奥の森を見据えていた。
ようやく私は森の異変に気付いた。
森の奥の木々が倒れる音が聞こえ、森の木々が一本、また一本と倒れてゆく。何かが迫ってきているのを肌で感じた。
「ねぇねぇ、お父さん。大丈夫だよね」
「当たり前でしょう。お父さんはワイバーンを撃退した英雄なんだから」
「そうだよね」
「お父さんは強いんだから、どんな魔物が出ても一発よ」
「うん」
私と姉は無条件に大丈夫と信じた。
倒れる森の木々がどんどん近づき、遂に赤い目をした恐ろしい大きな魔物が現れた。
嘘ぉ、あんなの無理だよ。
赤い眼をした巨大な熊“ナウムウルシ”だ。
赤い眼は魔物の証拠であり、巨大な熊が魔物化したのがすぐにわかった。獣の巨大な熊を父は何度も狩っていたのを覚えていた。だから、私は大丈夫だ。大丈夫だ。私は絶対に大丈夫だと何度も言い聞かせた。
ナウムウルシが最後の大きな大木を片手ではじき飛ばすと、父らを見つけて天に雄叫びを上げた。
やっぱり無理だ。
父が狩ってきた巨大な熊より何倍も大きな魔物だ。
ナウムウルシが前足を付くと、大きな体を揺らし猛スピードで父らに近づく。
「エンニー、奴を止めろ。絶対に近づけるな」
「おぅ」
「トラウト、奴が止まったら、横から威嚇だ。奴の注意を引き付けろ」
「わかった」
「奴が立ち上がったら弱点の首元を俺が仕留める。呼吸を合わせろ。二度目はないと思え」
父は三人で巨大な熊を仕留めると聞き取れた。
父は辺境伯から賜った聖装の槍を持ち、一番従者のトラウトは大きなバスターソードを構え、二番従者のエンニーは大きく丈夫な大盾を前に出していた。
父の後ろにまだ三人の従者が控えていた。でも彼らは皮の鎧に貧弱な武器を持ち、その装備を見れば、力の差は歴然であった。
巨大な熊が突進してくると、エンニーが父の前に大盾を魔物に向けて立ち塞がった。魔物は頭から大盾にぶつかると、エンニーの巨体が吹き飛ばされ、河の中程に落下する。トラウトはそんなエンニーを気にも留めずに、横に回ると“うりゃぁぁぁ”と吠えてバスターソードを振り翳した。
巨大な熊が咄嗟に立ち上がると、体を捻って右爪でバスターソードを弾き飛ばすと、今度は左爪がトラウトの皮の鎧を引き裂いた。
振り回した左爪が地面へ向くと、父の前に巨大な熊の正面が向き、その喉元に向けて父の槍先が鋭く伸びたが、巨大な熊はそれを察していたかのように、右爪を喉元の前に出して庇った。
ぐさりっと槍先が右爪の根元の甲を貫いた。しかし、その槍先が喉元を貫くまで至らない。
ぶぁぼう、巨大な熊が吠える。
槍を引いた父がもう一度突き出そうとした瞬間、左爪が頭上より振り下ろされ、父は槍を縦にして爪を防ぐが、その勢いの儘に背中から地面に叩き付けられた。
私には見えた。
背中を打って、父の口から赤い血が飛び散ったのを・・・・・・手の甲を貫かれた巨大な熊も怒りを露わにして、父を睨み付けて左爪を高く上げた。その左爪が振り下ろされると、父はぐちゃりと潰される未来が見える。
やだぁ、やだぁ、やだぁ、絶対に嫌だ。
胸の奥から湧き上がる感情が溢れ、全身が熱くなると、頭の中から“手を前に翳せ”と声が聞こえ、私は言われるままに手を前へ出した。そして、その声が強くなる。
救いたいなら願え、感情のままに祈れ、そして、“ウインドカッター”と叫べ!
私はその声を復唱した。
「ウインドカッター」〔風の刃〕
私が発した声は聞いたこともない言葉だったが、不思議とその意味は理解できた。
私の手の先から放たれた無形の何かが父の横を過ぎると、巨大な熊を肩から胴に斜めにずっぽりと引き割いて、ゆっくりと巨大な熊の上半身が崩れ落ちていった。
何が起こっているかもわからない。
頭の中にたくさんの記憶が流れ込むのを感じ、頭が割れそうに痛い。目の前も霞みが掛かったようにぼやけ出し、その場に倒れたい。
薄れる視界の先に倒れているトラウトが映る。
皮の鎧が裂かれ、裂けた胸から血が溢れており、このままだと死んじゃう。
よくわからないが、そう直感が告げる。
トラウトの回りに血の海が広がって見た目だけならば即死だ。息もしているように見えない。
でも、もう一人の私が叫ぶ。
まだ助かる。今なら大丈夫だと・・・・・・急がないと、ト、トラウトが死んじゃう。
夢遊病者のようなフラフラとした足つきで河を渡り、私はトラウトへ向かう。
痛っ、私を止めようとした姉の手が魔力の渦に弾かれ、指先が赤く腫れた。心配した父が私を見上げ、何とか起き上がろうとするが、背中を打って立ち上がれない。
私はトラウトのそばまでひざまずいて祈った。
上級の回復魔法は無詠唱では使えないから復唱しろと謎の声が言った。
「世界を造り給えし、混沌の神々よ。すべてを創造されし方よ。我は願い奉る。汝に従順なる者へ救いの手を捧らん。天上にいわす、光の神よ。汝の清浄と癒しの力を貸したまえ。この者に再生の奇跡を願い奉らん。“メガ・アーク・ハイヒール”」
トラウトが光り繭に包まれると、光の輪が全身を覆い尽くす。
うねうねと細胞が増殖して再生を果たしてゆく。
一瞬のような永遠のような感覚が私の体を通り過ぎていった。
トラウトの顔に血の気が戻るのを確認すると、“よ、よかった”と私は微笑んだ。
すると、さっきまで忘れていた頭を割るような頭痛が蘇ってきた。
私は意識が遠くなってゆくのを感じた。




