第七話 悪役令嬢、聖女マリアを演じる(2)
ビーフシチューが一瞬で消えた。
獣人の食欲は凄まじく、二百人分が一度に作れる巨大な大釜の底が尽きた。
私は最後の一杯を渡した。
空になった大釜の底を見せると、おかわりを待っていた獣人の子供たちの耳がしょぼんとうなだれる。
私が「材料はたくさん残っているので作り直しましょう」と言うと、男も女も一斉に動き出した。
男は肉を切り出し、女は野菜を切り始める。
私はデミグラスソースもどきが入った寸胴鍋をいくつか取り出し、空の寸胴鍋に水を注いでおいた。
「次は自分たちで作ってみて」
そう言い残し、粥と野菜汁のある別の大釜の方へ移動した。
竈の火は消され、長老、クンクの母親、弱っている獣人らがお粥と野菜汁を食していた。
しかし、まだ三分の一も減っていない。
クンクや子供たちはちゃっかりビーフシチューをゲットしていたようで、私が近づいてくるのを見ると、クンクは急いで食べきって駆け寄ってきた。
クンクを見習うように数人の子供をシチューを食べ切って寄ってきた。
「マリア、おいしかった!」
「すごく美味いぞ」
「おいちかったぁ」
「次のおかわりができるまで、お手伝いをしてくれるかしら?」
「おう、俺はマリアを手伝う!」
「俺も!」
「あたちも!」
子供たちの口の周りは、ビーフシチューの脂でベタベタである。
小屋やテントには、まだ起き上がれない人も多い。
私は子供たちに、手分けしてお粥と野菜汁を病人の元へ届けて欲しいと頼んだ。
クンクらが「やるぞ!」と元気に声を掛け合って配り出す。
大人らも手伝ってくれるみたいだ。
クンクらを見送ると私は難民キャンプに隣接する場所に移動した。
これにするか。
無限収納庫から雨天用の炊事場(屋根)を取り出し、その下にパン釜と竈を一セットずつ設置した。
「マリア様、これは……」
「これで雨や雪の日でも調理できるでしょう?」
「ありがとうございます!」
「長老、あの大聖堂の向こうに止まっている黒い馬車に見覚えはありますか?」
「いいえ、初めて見ますな」
炊き出しを始めた直後にはなかった馬車が三台ほど止まっていた。
一台は豪華な貴族の馬車であり、黒塗りの残り二台の中からなにやら嫌な気配が漂ってくる。
「数は……二十人くらいかしら」
「何がですか?」
「気にしないでください。大聖堂の向こう側から人が歩いてくる気配がしただけですから」
「誰もいませんぞ?」
「もうすぐに見えてきますわ」
大聖堂の裏手から移動してきた気配があった。
一団は角を曲がって大聖堂を横切って広場へ近づいてきた。
先頭を歩くのは肥満体の男であり、白い神官服を纏っていた。
この教会で白い神官服を身に纏えるのは司祭のみだ。
その司祭の後ろに黒と小麦色の服を着た神官が付き添っている。
司祭の横を歩く太った男は雨蛙のような顔をしている。
派手な服装と護衛が付き従っているので貴族だろう。
司祭はこちらを見て、「何だ、あれは!」と叫んだ。
黒の神官が「獣人らの炊き出しをしていると報告を受けております」と説明すると、「あのような者らに炊き出しなど不要だ」と司祭が吐き捨てる。
声は聞こえずとも、口の動きでわかる。
仕草から感情を読み取る『読心術』や、口の動きで会話を読み取る『読唇術』といったスキルを持っていないが、悪役令嬢は独自の努力でそんな技法を身に付けていた。
便利な技能だが、いいことばかりではない。
私はレプス村の皆から愛されていると信じていたのに、皆の仕草から「面倒くさい領主のお嬢様」と思われていたと知った。
あの時のショックを忘れられない。
司祭の登場に焦ったのは私だけではなかった。
私の動向を大聖堂の覗き穴から窺っていたカリユ特級神官が司祭も司祭を見つけた。
慌てて裏戸から出てくると司祭に歩み寄った。
「これは司祭様。このような場所にどうされましたか」
「おお、カリユか。良いところへ。あの害虫共をすぐに退かせい」
「害虫とは、難民の方々のことでしょうか」
「他に誰がおる」
「どのような理由でございましょうか」
「こちらのハラグロ子爵に客人が来られる。その客人をもてなすために広場を借りたいと言ってこられたのだ。害虫がいては景観が悪い。わかったな」
「承知いたしました。しかし、難民を受け入れ、場所を貸してほしいと仰ったのは辺境伯様です。まずは辺境伯様へ連絡を入れ、良い返事を頂いてから……」
「すでに辺境伯殿の顔は立てた。すぐに立ち退かせよ!」
「そのようなことをすれば、辺境伯様のお怒りを買います。どうかお考え直しを」
「その件は、子爵殿がなんとかすると申しておる。そうでしたな、子爵殿?」
「お任せください。問題ございませんよ」
カリユ特級神官が眉間に皺を寄せた。
特級神官は貴族と同格であるが、貴族に意見することはできない。
また、司祭が決めたことを覆す権限もない。
ハラグロ子爵が辺境伯を説得できる保証もないが、辺境伯は教会との関係悪化を避けたいため、名指しで司祭を責めることはしないだろう。
しかし、教会の運営への協力を拒むはずだ。
そうなって困るのは、実務を動かしている助祭や特級神官である。
司祭が直接許可を出しているという状況はまずい。
私はさりげなく、かつ高速でカリユ特級神官の背後へ移動した。
背後に到着したところで気配隠蔽を解く。
カチャッと、靴で石畳を踏む音を鳴らして私の存在を教えた。
司祭の目が私を捉えると、私はさっと跪き、騎士のように胸に手を当てて司祭へ頭を下げた。
「……誰だ」
「Ⅴ級冒険者のマリアと申します」
「Ⅴ級風情が儂の前に立つか」
「これは申し訳ございません。司祭様のご尊顔を拝見し、心が急いてしまいました。まずは、つまらないものですが心付けをお受け取りください」
そう言うと、ポーチから大きめの袋を取り出して前へ差し出した。
中には金貨百枚が入っている。
差し出された袋を黒の神官が受け取り、司祭の前へ持っていった。
司祭は中を確かめ、重さを量るように一度袋を持ち上げると「百枚くらいか」と呟いた。
「マリアとか申したな。……無礼を許そう」
「ありがとうございます」
「で、何が望みだ?」
えっ、前置きなしで目的を聞いてくるの?
私は少し焦った。
もちろん、それを悟らせるような素振りは見せない。
悪役令嬢の世界では、長たらしい前置きの末に、さりげなく目的を尋ねるのが礼儀である。
単刀直入すぎる。
ちらの常識なのか、この司祭が短気なだけなのかはわからない。
だが、短気な相手に回りくどい言い回しは不要だ。
「私はあの獣人らと親しくさせていただいております」
「獣人と……?」
「難民となった彼らに一時的な安住の地を与えていただいたことに、深く感謝しております」
「うむ。儂が与えた」
「ありがとうございます。ただ、先ほど立ち退きというお言葉が聞こえましたので、慌てて拝謁した次第でございます」
「なるほど。だが、出て行ってもらうことになったのだ」
司祭はちらりとハラグロ子爵を見ると、私にはっきりと「出て行ってもらう」と言い切った。
ハラグロ子爵がニヤリと笑う。
どうやら、ハラグロ子爵は金貨百枚以上の献金をしたらしい。
私は確認のために、もう一押しした。
「今お渡ししたのは、あくまで司祭様個人へのご挨拶。お願いしたき儀には、別途ふさわしい品を用意しております。もちろん、子爵様のご迷惑になるような真似はいたしません」
司祭は「別途」というフレーズに露骨に反応した。
わかりやすい。
これでは交渉の駆け引きも必要ない。
私は少し横に移動すると、石畳の外側に大きな魔物の死体を取り出した。
そして再び跪き、司祭に告げる。
「こちらの魔物素材は、ルベーア商会に持ち込めば金貨二百枚で引き取ってくれます。この素材を、司祭様に献上させていただきます」
「野蛮な冒険者らしいのぉ。このような素材のまま渡すか」
「司祭様は多くの方々を従えておいでだと聞き及んでおります。完成品よりも素材のまま献上した方が、司祭様にとっての『実利』が多いと考えました。腕の良い職人も抱えておられましょうし」
私がそう言うと、司祭はハッとした顔をした。
私は魔物素材をルベーア商会に金貨二百枚で売った。
しかし税金として六十枚引かれ、手元に残ったのは百四十枚だ。
だが、金貨二百枚相当の「現物」を献上すれば税金はかからない。
冒険者ギルドが教会の影響下にあるならば、素材を買い取る職人の伝手などいくらでもある。
職人に直接売るもよし、商品を作らせてから売るもよし。
しかも、完成品を「贈り物」として使えば、贈与時の税も消える。
司祭という立場を利用した合法的な税逃れだ。
ふほほほぉ、と司祭が卑しい声を漏らした。
「司祭様、どうか立ち退きを少しだけ延ばしていただけませんか」
「むぅ……しかしな、子爵殿に約束したのだ。一度交わした約束を反故にはできんぞ」
「当然でございます。子爵様を訪ねる方は、やんごとないお方なのでしょう。それほどのお方であれば、一月前には先触れが来るはず。急な場合でも十日前には知らせが届くでしょう。では、十日前に知らせていただければ、二日で撤収できるよう今から準備させます。そして、何の知らせがなくとも秋の収穫が始まる前には必ず立ち退かせましょう」
「うむ……十日前に知らせればよいのだな?」
「はい」
私が答えると、司祭はもう一度ハラグロ子爵を見た。
(金貨二百枚以上の献金を追加で出せるか?)
司祭は無言でそう尋ね、返事を待った。
ハラグロ子爵は何かを言おうとしたが、結局、私を激しく睨みつけるしかなかった。
私はトドメを刺す。
「司祭様。この献上品は今年の分にございます。私が冒険者を続ける限り、毎年同程度の量を献上いたしましょう」
「そ、そうか! それは殊勝な心がけである。このラガン・ノーヴ・ブライトン司祭、其方を気に入ったぞ!」
「ありがとうございます」
「十日前に知らせを届けさせよう。よいな、二日で撤収するのだぞ」
「必ず実行いたします」
「よい話ができた。子爵殿の願いも(形の上では)聞き届けられた。骨を折った甲斐があったわい」
司祭は「願いを聞き遂げた」と言い切ることで、すでに受け取ったハラグロ子爵からの献金を返す気がないことを示した。
ハラグロ子爵は苦虫を噛み潰したような顔で私を睨むと、子爵の後ろで控えていた秘書らしき者に合図を送る。
その者が後ろの馬車にサインを送ると、黒い馬車から二十人の黒ずくめの傭兵が降りてきた。
交渉が思い通りにいかなければ、力尽くというわけだ。
大聖堂の広場を横切り、不穏な集団が近づいてくる。
「司祭様、当初の約束通り、獣人共を追い払わせていただきますぞ」
「子爵殿! 儂の言葉を聞いておらぬのか!」
「最初に『追い払ってもよい』と仰ったではありませんか」
「それは儂の命に従わぬならば、という話だった。!」
「司祭様、あの方に逆らうつもりでございますか」
「逆らっておらん。其方の願いは叶えたであろう」
「ご安心を。この娘が持つ収納袋の中身は、すべて司祭様に献上いたしましょう。そのような小娘が手に入れられるものでありません」
「そのような話はしておらん!」
「その素材をどう手に入れたかも吐かせましょう。手に入れた利権もすべて司祭様に……」
「子爵……貴様……」
「あの方には司祭様の協力をご報告させて頂きます。しかし、邪魔をするならば、司祭様でも容赦致しませんぞ」
「…………」
司祭から笑みが消えた。
「やんごとないお方」の威光を傘に着る子爵に対し、司祭も強くは出られないようだ。
さて、どうしようか。
黒ずくめの二十人くらいなら問題ないが、ここで暴力を振るって解決するだろうか。
平民である今のマリアが貴族に剣を向けるのは、法的にまずい。
しかも領主邸の前で身を潜めている騎士団が見張っている、
出てくるのを待つしか……出てきた騎士団が味方なのだろうか?
その時、騎士団が動いた。
邸内の奥から五頭の馬に乗った騎士たちが飛び出してきた。
もうスピードで近づいてくる。
そして、傭兵たちと司祭の間へ割り込んで馬を翻した。
「騎士団長シツア・ノーヴ・ユシッアである! これは何の騒ぎだ。領主様への催し事の報告は受けておらんぞ」
「おお、シツア! 良いところへ来てくれた!」
「これはインケィ様(ハラグロ子爵)、ご無沙汰しております」
「この娘が獣人の撤去を邪魔しておるのだ。すぐに捕らえよ!」
やはり騎士団が出てきても、即解決とはいかないようだ。
ハラグロ子爵は騎士団長と顔見知りらしく、居丈高に私を捕らえろと命じている。
騎士団長は馬を降り、私に近づくと子爵の方へ振り返った。
「詳しい事情は存じ上げませんが、獣人の撤去とはいかなる件でしょうか」
「司祭様から許可は得ている! この汚らわしい獣人共を追い出せ、これは儂の命令だ!」
「インケィ様から受けた恩は忘れておりません。しかし、私は辺境伯様の騎士団長です。難民の保護を命じられた主君の命に背くことはできません。まずは、辺境伯様から直接ご許可を頂いてきてください」
「儂の命が聞けぬと申すのか! 幼いお前に目をかけ、支援してやった恩を忘れたか!」
「……忘れてはおりません。ですが、私は今、辺境伯様より名誉男爵を賜った騎士。主の命を覆すことはできかねます。お引き取りを」
「シツア、後悔することになるぞ!」
「ご随意に」
ハラグロ子爵は捨て台詞を残して去っていった。
私も騎士から事情聴取を受けたが、正当性が認められ、すぐに解放された。
炊き出し会場では、緊張していた獣人たちも炊き出しパーティーを再開し、心ゆくまでビーフシチューを作り直した。
広場に広げた魔物素材を片付けに来た神官たちは、さぞ大変だっただろう。
巨大な魔物の死体を倉庫まで、何度も往復して運んだらしい。
作業中、ずっとビーフシチューの良い香りが漂っていた。
聞いた話では、片付けが終わると彼らも獣人たちと一緒にパーティーに加わったとか。
皆、楽しくお腹いっぱいになるまで食べ続けたそうだ。
いろいろあったけれど、めでたしめでたし。
もっとも、私は事情聴取が終わるとすぐにその場を後にしたので、詳しいことは知らないのだけれど。
あまり遅くなると、お父様が心配するから。




