73.贈り物。
別段人が好いつもりではなかった。
ただ単にエディットは、神様に見放されたくないだけなのだ。困っている人がいれば、出来る範囲で手を貸す。それだけの事である。善人でもないし、打算があってやっているのである。だが、言わなければ、お人好しそのものである。ただそれだけの事だ。
「エディットさん、他に御所望の品はありますか?」
未だ硬い表情を浮かべるエディットを安心させようとしてか、柔らかくレイナウトが尋ねた。
「平民向けの店に行きたいです」
力強くエディットは答えた。暗にこの、上流階級向けの通りから抜け出したいと言っている。隣でクレマンスが溜息を吐き、真剣な眼差しにレイナウトは声を上げて笑った。
ストランド商会は、この市で複数出店しているようである。その中には当然、貴族向けではない店もある。好意か打算か、商会の代表自らが案内を買って出てくれたものだから、大人しくエディットとクレマンスは付いて行った。段々と人通りが増えていく。その事にエディットは安堵し、息を吐いた。もうあんな堅苦しい通りは御免である。本当に平民お断りの立て札はなかっただろうか。まだ怪しんでいる。勿論、ない。
「此方はいかがでしょうか」
レイナウトが立ち止った。勿論その前には店がある。だが今度こそ本当に露天であった。品物が床に直接並べられているわけでは勿論ないが、それでも、万人向けであったのだ。何より、店に奥がない。貴族を迎え入れるスペースなどないのだ。
「随分と華やかですね」
「ええ、女性向けの小物の店です」
レイナウトの言う通り、店の作りも綺麗で、並んだ商品も明るい色合いのものが多かった。二人ともまだ十一歳の娘である。エディットもクレマンスも目を輝かせたのだ。
「ありがとうございます、レイナウトさん」
「いえいえ。どうぞ、今後とも御贔屓に」
それだけ言うと、今度こそレイナウトは場を離れたのだった。また、貴族向けの店に戻るのかもしれない。売り上げのメインは彼方だろう。或いは、他の店の様子を見に行ったのかもしれない。
陳列棚の前に立って、眺めてみる。女性の店員が、いらっしゃいませ、と、声をかけてくれた。どうぞご自由にご覧下さいとも。言葉に甘え、エディットは気になったものに手を伸ばしてみた。鳥の絵が描いてある、二つ折りの布製品である。只、柔らかくはない。まるで手帳のようにも見える。いや、大きさからすると、カードケースだろうか。この世界にもカードはあるのだろうか。もしかすると、鏡かも知れない。中を開いてみる。
ピピッ、ピピピッ。
咄嗟にエディットは閉じた。
急に不思議な音が聞こえたからである。しかし、閉じたら止んだという事は、この謎の代物から流れてきたのだ。マジマジと眺めながら、もう一度開いてみた。
ピピッ、ピピピッ。
「鳥の鳴き声ですよ」
エディットの様子を見ていたのか、おかしそうに店員が言った。
「もしかして、この鳥の?」
二つ折りの品物の表には、鳥の絵が描いてあった。淡い水色の羽毛の小さな鳥である。
「はい。此方の商品は、開くと動物の鳴き声がするのです」
動物。そう言われ他の物を見てみれば、確かに鳥以外もある。犬や猫、見た事のない生き物の絵もあった。だがどれも鳴くのだろう。興味から、エディットは色々な動物の鳴き声を聞いてみた。聞き覚えのある声から、ないものまで、ついつい耳を澄ましてしまう。開くと声がする仕組みはとても不思議で、直ぐに夢中になったのだ。
「あなたって、変わったものが好きなのね」
「わっ」
急に動物以外の声が聞こえたものだから、素直にエディットは驚いたのだ。見ればクレマンスが、呆れた眼差しを向けていた。
「いやだって、凄くないですか」
「そう?」
「そうですよ。面白い」
今一つ、クレマンスの琴線には触れなかったようである。目を輝かせるエディットとは裏腹に、ふうん、と、冷めた声が返ってきただけだったのだ。こんなに凄いのに、と、エディットは内心で呟いた。全く原理が分からない。これも魔法の類なのだろうか。それとも技術なのだろうか。何にせよ、生き物の声を録音する何かがあると言う事である。いや、或いは造ったのだろうか。声を。マジマジとエディットは品物を見た。やはり、只の薄い二つ折りのカードケースに見える。勿論、そういうものを入れるスペースはない。どうして開くと音が聞こえるのだろうか。不思議だった。
「あら、買うの?」
「はい」
自分で欲した物を買うのは久しぶりのような気がする。大抵の物は貴族のお嬢さんに流されて購入しているからである。何だか明るい気分になって、買い物って悪くない、と、そんな事を思ったのだった。口には出さなかった。言ったが最後、クレマンスからの誘いが増える事は目に見えていたからである。購入した物を大事にポシェットに仕舞った。
正直もう帰ってもいいな、と、思った。
これ以上の長居は、財布が軽くなるだけだと分かっているからである。しかし共に歩いている相手は貴族のお嬢さんだ。つまり、休憩が必要なのである。昨年と同じだ。エディット曰くのフードコートへと向かう。勿論ただついていくだけである。明確な場所など覚えていないのだ。相変わらず賑わっているが、空いている席を直ぐに見つけることが出来た。内心で神様に礼を言う。きっと今年も苦笑しているだろう。だが導かれているように感じるのだ。
席に着く前に、先ずハンカチを広げる。昨年、侍女から習ったのだ。勝手に。勿論クレマンスの席は、今年もその侍女が整えているわけである。そうして昨年同様、沢山の注意をして場を離れたのだった。乾いた空気と時折冷たい風が吹く中で食べる温かいパイの美味しさを、既にエディットは知っていた。湯気の上がったスープも素晴らしい。しかも支払いは自分ではないのだ。最高である。密かに胸を弾ませながら待っていると、食事ではなく別の物が自身の前に現れた。
コトン、と、物音がして見てみれば、そこにあったのは櫛だった。
淡い蜂蜜色の木で作られていて、細かな歯が等間隔に並び、絵の部分には小さな野花が丁寧に彫られている。思わず見惚れてしまい、ふとそのまま顔を上げれば、何やら難しい顔をしているクレマンスと目が合った。
「あなた、碌に櫛も持っていないでしょ」
少し早口にで告げられたそれは、まるで照れ隠しにも見えた。エディットは内心で首を傾げた。クレマンスがそのような態度を取る理由が、よく分からなかったのだ。何故なら彼女から物を貰うのが初めてではなかったからである。現に今着ているコートだって貰い物である。
「ありがとうございます」
素直にエディットは礼を言って、ふと、あることに気付いた。
「もしかして、クレマンス殿が買って下さったのですか?」
「そうよ。わたくしのお金で買ったのよ」
そうして、クレマンスの態度の理由を、少し理解したのである。確かに今までも色々な物をエディットは彼女から恵んで貰っていた。でもそれは全て、クレマンスの家の物であって、彼女自身が購入した物ではなかったのだ。きっと初めて、自分が働いて得た金で人に物を贈った。その事が照れ臭く、しかし、誇らしくもあったのだ。だから妙な態度になった。
クレマンスの言動に、何だかエディットは擽ったい気持ちになって笑みを零した。
「ありがとうございます、クレマンス殿。凄く嬉しいです。私本当に櫛を持ってなくて」
もう一度改めて礼を言えば、安堵したようクレマンスが息を吐いた。本当は少し不安だったのかもしれない。喜んでもらえなかったらどうしよう、と。貴族と平民の差はあれども、彼女もまた、人付き合いが不慣れな十一歳の娘であった。不図した部分で、二人はよく似ていたのだ。
「大事に使わせてもらいますね」
「ええ。……あの、本当に不思議なんだけれど、あなた、櫛がないのに普段どうしているの?」
笑顔のエディットに対し、少し声を潜めてクレマンスが尋ねた。本当に聞いて良いのかどうか、迷うかのように。だが、あっけらかんとエディットは答えたのだ。
「大浴場の脱衣所に誰でも使えるように置いてあるんですよ。それをお借りしています。洗面所にもありますし」
「だったら、髪はどうやって切っているの? いえ、本当は分かっているのよ。でもね、念のために聞きたいの」
「教会が鋏を貸してくれるので、自分で」
「やっぱり!」
「えっ」
事も無げに発した一言に、クレマンスが顔を覆って嘆くかのように俯いたので、エディットは呆気に取られてしまった。何にショックを受けているのか分からなかったのだ。
「あの、エディット殿」
「はい」
「街にはね、装髪館ってところがあってね」
「えっ、髪結い処じゃないんですか?」
「えっ」
「えっ」
二人は顔を見合わせて、唖然とした。まさか違う呼び名が出てくるとは思わなかったのだ。因みに言っている事は同じなのである。何方も髪を切ったり結ったり、整えたりしてくれる場である。何故呼び名が違うかと言えば、それは平民向けと貴族向けの差であった。クレマンスが言う装髪館は貴族向け、エディットが言う髪結い処は万人向けである。別に平民しか入れないわけではないが、利用者はほぼ平民であった。
「兎に角、自分で切る必要はないのよ」
「でも、お金かかるじゃないですか。自分で切ればタダですよ」
「あなた、長さが揃ってないのよ!」
「伸びれば一緒ですよ。後誰も気にしてないですし」
「わたくしが気にするわ」
「クレマンス殿だけじゃないですか」
厳密に言えば、誰も気にしていないわけではなかった。エディットの髪を見れば、誰でも自分で切っているだろうと察しがつくほどで、ただ、子供だから誰も何も言わないだけであったのだ。今初めてクレマンスが先手を切って告げたわけである。見ての通り、何も響いていないが。
「分かったわ。わたくしが、切ってあげる」
「御遠慮申し上げます」
クレマンスの申し出を即答でエディットは断った。何故なら、クレマンスの方が自分より下手だという自信があったからである。絶対に人の髪など切った事がないに決まっていた。寧ろある方が怖い。任せたが最後、髪が無くなるとまで思っていた。あら、短くし過ぎたわ、こっちも切りましょう、あら、また合わないわ、もう少し切るわね、あら、あら……こんな風に、気付いたら目も当てられない状態になっているに違いないのだ。安易に想像できる事態である。
この事態に陥らない為には、一刻も早く話題を変えなければいけない。
エディットはポシェットの蓋を開けた。中からあるものを取り出すために。
「クレマンス殿! これは私からです!」
そうして勢いよく、クレマンスへと差し出したのだった。
「まあ」
思わず、と、言った体でクレマンスは受け取り、驚きの声を小さく上げた。目を丸くする彼女の目に映ったのは、鳥である。黒い鳥。嘴まで黒く、目は琥珀色。勿論本物ではなく、絵である。先程エディットが購入した、不思議な小物だった。二つ折りになっているそれを、クレマンスがそっと開く。
「クルル……クルル……」
存外静かな鳴き声だった。微かに響いたのだ。見た事も無い鳥が鳴く姿が、不思議と脳裏に浮かんだ。
「知ってる鳥?」
クレマンスが問う。
「いいえ。でも、この黒い羽毛がクレマンス殿みたいで綺麗だと思って」
エディットはこの世界の事など殆ど知らない。だから、この鳥の名も何処に生息しているのかも何も知らないのだ。だが、目の前の貴族のお嬢さんの事なら割と知っている。とても美しい黒髪の持ち主だという事も。長い黒髪を、いつも綺麗に結わいているのだ。だからこの黒い鳥の絵を見た時、クレマンスにあげたいと、そう強く思ったのだった。
「ありがとう」
大事そうに表の絵を撫でると、クレマンスは微笑んだ。何やら余りにも綺麗に笑うものだから、エディットは見惚れてしまった。自分が異性だったら、恋に落ちる瞬間此処かも知れない、等と思いながら。それくらい、美しかったのだ。
「お待たせしました」
丁度話が途切れたのを見計らったかのように、侍女が戻って来た。勿論手ぶらではない。そうしてこの瞬間、エディットの意識は全て食べ物に向いたのだった。現金である。尤もそれはエディットの話であって、クレマンスはそうではなかった。
「見て、アミシー。エディット殿がくれたのよ」
早速、貰ったばかりの小物を自慢したのだ。こうなるとエディットも手をつけるわけにはいかない。大人しく湯気を浴びるだけにしたのだった。
小物の表に描かれた黒い鳥を見て、アミシーが微笑んだ。
「ロフィンですね」
「ロフィン? 知っているの?」
「ええ。この辺りにはいませんが、導き鳥とも言われていて、森で迷うと案内してくれるそうですよ。一見真っ黒ですが、翼の内側には、夜空に浮かぶ星のように小さな銀色の斑点が散らばっているそうです」
「まあ……」
何とも物知りな侍女である。
クレマンスだけでなく、エディットも感心してしまった。そんなに凄い鳥がいるとは。流石異世界である。エディットは想像した。この黒い鳥が羽ばたく姿である。きっと、下から見上げたら美しいに違いない。恐らく直に見る事は一生無いが、それは素晴らしいものだろう。脳裏に、先程聞いた鳴き声が微かに響いた。
「これは一度エディット殿と一緒に森で迷わないといけないわ」
「勘弁してください」
空想に浸ったのも束の間、すぐさま現実に引き戻されたのだった。傍では侍女も呆れた息を吐いていた。貴族のお嬢さんはこれだから。全てなかった事にして、漸くエディットはスープに口を付けたのだった。鳥の事はもう忘れた。
こうして特に問題らしい問題に遭遇する事なく、無事市での一日を終えたのであった。
翌日エディットは一人で朝食を取るために食堂を訪れていた。貴族のお嬢さんは食堂には来ないのだ。何時もなら一人隅で過ごすところだが、恐らく初めて自ら一際光を放っている席へと近付いた。
座っているのは勿論、ルシアン神官だ。こんなに光を放っている神官は珍しいのである。
「おはようございます、ルシアン殿」
「おはようございます、エディット殿」
声をかけられ、珍しいな、と、思いながらルシアンも返した。余り彼方からは寄ってこない事を知っていたのだ。別にエディットとて、避けているわけではない。ただ、遠くから見ているのが一番幸せだというだけである。理解されるわけがなかった。
「昨日、クレマンス殿と市へ行きまして」
「そうですか。楽しかったですか?」
問題はありませんでしたか、と、聞きそうになるのを寸での所で堪えた。この見習い神官は何かと問題に巻き込まれやすいのだ。ただ、もし何かあったなら、自分の耳に既に入っているだろう。
「はい。それでこれ、お土産です」
「えっ」
珍しく素でルシアンは驚いた。気付いていないのか、エディットはポケットから小物を取り出す。勿論、あの女性向けの店で買ったものだ。表にはやはり鳥の絵が描かれていた。他の動物ではなく、どうにも鳥が気に入ったようで、それしか買わなかったのだ。
「ありがとうございます……」
不思議そうな顔でルシアンは受け取り、訝しげに見た。どうやら、知らないらしい。余り一般的なものではないのかもしれない。観察するような視線の先では、何やら、神々しい一羽の鳥が鎮座していた。勿論、描かれたものである。銀白色の羽毛に、金の瞳、先端へ向かうほど透き通る長い三本の尾羽。ついでとばかりに、頭部には一対の羽飾り。兎に角派手な鳥であった。二つ折りのそれを、そっとルシアンは開いたのだ。
「フィィ……チュルル……」
刹那、食堂内が静まり返った。咄嗟にルシアンは小物を閉じた。急に鳥の声が響いたとあらば、誰とて口を閉ざすだろう。神官たちは不思議そうに天井を見上げる。何処からともなく鳥が飛んできた、と、そんな風に思ったのだろう。勿論、そうではない。音の出所は、ルシアン神官である。
音が止み、息を吐いて、ルシアンは対面に座る見習い神官を見た。見て、目を丸くした。驚いたのだ。
エディットが、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべていたからである。してやった、と、言う声が聞こえてきそうだった。余りにも年相応な顔を見て、つられてルシアンも笑みを浮かべた。此方は、してやられた、と、言う顔だった。
このエディットの様子を見て、ルシアンは心底安堵していた。
昨年の事は本当に吹っ切れたのだと、そう思ったのだ。今年の市は、本当に楽しかったに違いない。ルシアンは、人の多い所が苦手だ。それでも、ふと、来年は市に行ってみようか、と、そんな気になったのだった。苦手だと避けるばかりでは、何も得る物はないのだ。この見習い神官をこそ、己は見習うべきなのではないか。
この小物は、それを自分に伝えるために買ってきたのかもしれない。
ルシアンはそんな風に思ったが、勿論エディットはそのような事は考えていなかった。ただ描かれている鳥が余りにも美しかったので、ただ単にルシアンを連想しただけである。大人が思う程、子供は何も考えていないのだ。




