67.白か黒か。
エディットはショックを受けていた。
いや、薄々分かっていた。気付いていたのだ。だが、とうとう目を逸らせなくなってしまった。これが一年前だったなら、途方に暮れていたかもしれない。だが、もうエディットは一人ではなかった。ちゃんと頼れる友人がいるのだ。だから意を決して、その頼れる友人ことクレマンスに切り出したのだった。
「クレマンス殿、お願いがあるのですが」
聞いたクレマンスは、割とこの娘頼みごとをしてくるな、と、他人事のように思っていた。でも別に悪い気はしないのだ。クレマンスはエディットに頼られるのが嫌ではなかった。寧ろ、友人でありながら何処か姉のような気持ちすら抱いていたのだ。
「聞くわ」
「買い物に付き合っては貰えないでしょうか!」
クレマンスは目を丸くした。
単純に驚いたのだ。共に過ごすようになって二年目である。今までは、完全に己が誘うばかりであった買い物に、とうとうエディットの方から誘いかけてきたのである。何という前進。途端に嬉しくなり、詳細を聞く事無くクレマンスは言った。
「行くわ」
「ありがとうございます」
「さあ、用意して頂戴」
「今は無理ですよ。もうすぐ夜です」
気分が上がったクレマンスは、現状を見る事無くエディットを連れ出す気であった。無理である。教会にも規則はあるのだ。何より未だ見習いである。休日以外にほぼ自由などなかった。
結局、出掛けたのは次の休みである。当然であった。
特に待ち遠しくはなかった。行かなければいけないので行くだけであって、心底行きたいわけではなかったからである。クレマンスが聞いたら気を悪くしただろう。だが、事実である。エディットは余り出歩きたくないのだ。クレマンスと外に出ると金が減るからである。例え端から買い物が目的であっても、想定より多く減るのが常だった。
吹き抜けていく風の冷たさは、如何にも杪秋を思わせた。水を被っても平気だった季節から、随分と寒くなった。今エディットは神官服ではなく、長袖のワンピースを着て歩いている。そろそろ新しい服もいるな、と、そう思うだけで気分が重くなった。何時でも何処でも神官服では駄目だろうか。いや、別にいいのだ。ただ、共に歩くクレマンスが嫌がるだけである。此方は衣装持ちなのだ。喜ばしい事に、エディットもちゃんと成長している。だがその都度、服が入用になるのは、辛い所であった。
「今日は何が欲しいの」
ただ買い物に付き合ってくれとしか言われていないクレマンスが問うた。遅すぎるくらいだった。いや、別に何だっていいのだ。クレマンスは買い物が好きなので、エディットが望まずとも連れ回すくらいである。だからこれは唯の興味本位だった。何処へだって付き合うくらいの気持ちで、今クレマンスはエディットの隣にいるのだ。だがそこまで大袈裟な話では当然ない。その筈なのに、エディットは表情を曇らせたのだ。
問われ、はあ、と、溜息混じりに答えた。
「靴です」
言われると、つい視線が下に向く。今日エディットが履いているのは白い靴だ。神官見習いとなって直ぐ、神殿騎士であるレモンドに貰った物である。あの時は十分すぎるくらい余裕があったのに、とうとう足が痛みを訴え出したのだ。一生履くつもりだったのに。内心でエディットは零した。無理である。
「新しい靴いいじゃない。どうしてそんなに憂鬱そうなの」
「だって、勿体ないじゃないですか」
「じゃあ、魔法の靴にしたらどう? 足に合わせてサイズが変わるわよ」
「えっ!?」
エディットの口から大きな声が飛び出した。それ程驚いたのだ。何なら立ち止った。確かにこの世界、魔法の道具がある。幾つもある。ランプだって浴槽だって、その他諸々色々ある。知っていた。知っていた筈なのだ。だがまさか、衣類にもあるとは思っていなかったのだ。しかも靴である。
「え、ちょっと待って下さい、それって私の足が大きくなったら、一緒に靴も大きくなるという事ですか」
「そうね」
「最高じゃないですか!」
エディットのテンションが上がる。嫌でも上がった。声が弾む。何て素晴らしい。究極の節約ではないだろうか。いや、と、冷静にエディットは考えた。それが本当なら服もある筈だ、と。ちっとも冷静ではなかった。もし、魔法の服と靴を揃えたなら、今後一生服を買い足さなくても済むのではないだろうか。
逸る気持ちを抑え、エディットは落ち着いて息を吸った。
此処へ来て、絶対に聞かねばならぬことがある事に思い至ったのだ。
「い、幾らくらいするんでしょうか……」
「あなたの一年分のお給金より高いんじゃない?」
「えっ……」
余りにも平然と答えられ、即座にトーンダウンする羽目になった。一年分の給与より高いと聞き、突然現実が襲い掛かってきたのだ。
結論、無理。
エディットの金は、靴の為にあるわけではないのだ。
やはり、便利な物は高いのだ。分かり切っていた事である。やはり当初の予定通り、普通に足に合う普通の靴を買おう。どう考えても都度買う方が安い。
こうしてクレマンスに連れられ、エディットは靴屋へと向かったのだった。尚、上流階級向けではあるが、普通の靴屋である。とは言え、クレマンスに同行を頼むと言う事は、つまりエディット向けではないのだ。いい加減気付くべきである。
「どう言う靴が欲しいの?」
店に入るなり、クレマンスが問うた。放って置いたら、エディットが動かない事を見越したのかもしれない。広い店舗だった。整然と靴が並べられている。勿論、サイズも様々で、女性用も男性用もあった。子供用の靴は何処だろうか、と、視線を彷徨わせながらエディットは答えた。
「神官服にも普段着にも合う汚れが目立たない物がいいです」
聞いたクレマンスが呆れた顔を隠そうともせず、アミシーを呼んだ。クレマンスが出掛ける時、必ず傍には侍女がいる。二人の会話を背後で聞いていた彼女は、すぐさま店員を呼んだのだった。余りにもスムーズな流れである。だがエディットは思ったのだ。此処からが、辛い。クレマンスが丁重に扱われるのは分かる。だが、何故か自分もそうされる。それが辛かった。居心地が悪いのだ。
此方が女性三人だからか、伺いに来た店員も女性だった。配慮したのかもしれない。
「どうぞ、此方へ」
エディットは訝しんだ。未だ何も伝えていないのに、案内されたのだ。いや、単に子供用の靴の展示棚を示しているだけかもしれない。きっとそう。
「此方に掛けてお待ちください」
違った。用意されていたのは椅子だった。完全に貴族の扱いだった。いえあの、自分の足で探しますけど。その一言が言いたいのに口を突いて出ない。隣にクレマンスがいるからである。当然の顔をして座っている。それは勿論、彼女にとっては当然なのだろうが。
直ぐに店員が、靴を何足か持ってきた。色もデザインもバラバラだ。だがサイズだけは統一感があった。もしや、と、思い店員の頭上を見れば、対象の履物の大きさを的確に選び抜くの文字が浮かんでいた。成程、靴屋にはいるのだ。いや、靴屋以外で見かける方が驚くだろうが。
「ご希望のお色はありますか?」
「そうね、白だったからしらエディット殿」
「一言も言ってないですね」
即座にエディットは否定した。何せ、汚れが目立たない靴がいいと言ったのだ。白など論外である。
「でもエディット殿、神官服には白が一番合うわよ」
「神官服以外の事も考えて欲しいんですよ」
「いいえ、あなた神官服以外も、割と明るめの色が多いから白がいいわよ」
「でも白って汚れが目立つでしょう」
「汚さなければいいのでは?」
「そんな無茶な……」
思わず顔を顰めた。尚、二人のやり取りを耳にした大人二人は笑いを堪えていた。息の合った掛け合いは、まるでそう言う芸のようにも見えたのだ。即ち傍から見れば、対等な存在であった。少なくとも店員の目には、身分の隔たりなど感じられなかっただろう。
重苦しい息を吐きながら、エディットは店員が並べた靴を見た。この中から一つ選ぶ。やりにくい。黒がいいと分かっている。だが、クレマンスの言葉も無視できない。神官服は白なのだ。レモンドがくれた靴も白だった。つまり、白が正解なのではないだろうか。うんうん、と、無言で悩むエディットを見て、クレマンスが溜息を吐いた。
「黒と白、何方も買えばいいじゃないの」
「えっ!?」
意図せずして大声が出た。同時に胸を撫で下ろした。咄嗟に口から突いて出そうになったのだ。
馬鹿なんですか!?
これである。危ない。もし口走っていたら叱られるでは済まなかったかもしれない。幾ら神官に身分はないとはいえ、相手は貴族である。今この場では許されても溝が出来るかもしれない。クレマンスではなく、侍女であるアミシーとの間に。彼女がエディットを認めているのは、何も神官だからと言うそれだけの理由ではない。彼女の主人であるクレマンスを蔑ろにしないからである。それを踏まえ、エディットにも丁寧に接してくれるのだ。危ない所だった。恐ろしい真似をするところだった。だが元はと言えば、クレマンスの所為である。平然と二足も勧めてきたからだ。信じられない言葉であった。咄嗟に貴族の令嬢の正気を疑うほどには、エディットは節約して生きているのだ。靴二足など論外である。しかも、また買い替えなければいけないのだ。エディットだってまだ成長するつもりなのだから。
一先ず口を閉じた事によって、危機は免れた。問題は解決していないが。尤も難を逃れたと思っているのはエディットだけである。
己では気付いていないのだ。
あのクレマンスの軽い発言を聞いた時の表情。これでもかと驚愕を示すかのよう、目を見開いたのだ。まるで目の前で大事件が起こったかのような様相だった。只事ではなかった。
沈黙が降りた。
何とも気まずい空気の中、最初に口を開いたのは、接客のプロだった。
「そう言えばこんな話をご存じですか」
話し始めれば、誰もが彼女の顔を見た。にこやかな表情だった。どうやら場を和ませるために、無関係の世間話をするつもりらしい。確かに意識が別の方向へと向けば、意見も変わるかもしれない。
「昨年、王立劇場が謎の崩壊を起こした事は有名な話ですが」
気が紛れるかと思ったが、全くそんな事はなかった。黙って聞いているエディットの表情が曇った。この話絡みで貴族に言いがかりをつけられたのは、先日の話である。
「再建しようにも、造った傍からまた崩れていってしまうそうです」
「まあ!」
驚きの声を上げたのは、クレマンスだった。尚その隣でエディットは渋い顔をしていた。知っている話だったからである。そうして、巷では有名な話なんだな、と、他人事のように思ったのだった。神官見習いには中々入ってこない情報である。
「劇場の崩壊といい、再建もうまくいかない事から、劇場関係者の恨みや亡霊の仕業なのではないかと憶測が広がっているみたいです」
いや、経年劣化ですよ。と、言おうとして、だが、再建の方は違うな、と、気付いた。造った傍から崩れていく、その現象については全く分からない。本当に恨みだの亡霊だのの仕業なのだろうか。
「なら今は原因究明の最中なのね」
「恐らく……」
「エディット殿はこの話、知ってた?」
「えっ」
急に話を振られ、見事にエディットは動揺した。つまりそれが答えであった。正に知っていましたと、態度で自白したわけである。クレマンスの視線が冷たくなった。どうして教えてくれなかったの、と、そう告げている。何とも居心地が悪くなった。別に、悪意を持って黙っていたわけではないのだ。貴族相手の話だったので、そうおいそれと伝えてよいものかどうか判断できなかったのである。その言い分が、クレマンスに通じるかどうかは別として。
疚しい事があると言わんばかりのエディットを見て、クレマンスは溜息を吐いた。
「後で話してもらいますからね」
「アッハイ」
完敗であった。
結局靴は白を買った。クレマンスの押し、いや、態度に負けた。お揃いにしましょうねの圧に負けたのだ。黒はまた来年買えばいいじゃない。この言葉にも負けた。そう、エディットは成長するのだ。それに白が悪いわけでもない。汚さなければいいだけの話である。全てクレマンスの言う通りだった。エディットは何もかもを諦め、
「お買い上げありがとうございました」
にこやかな店員の声に見送られ、店を後にしたのだった。尚、手ぶらである。貴族は物を持ち歩かないのだ。クレマンスと一緒にいると、自然と同じ扱いを受けるわけである。帰路につきながら、エディットはずっと死んだ目をしていた。貴族のお嬢さんに勝てない。そもそも今回の場合、切り出したのはエディットである。己が買い物に付き合う事を頼んだ結果なのだ。受け入れる外なかった。始終流され続けて、終わったのだった。




