05.隣の村に着いた。
どの程度の距離を稼いだのか全く分からないながら、次に鳥が足を止めた頃には辺りは暗くなっていた。エディットは母のスキルを思い浮かべていた。光である。夜道に最適過ぎる。今魔物に遭遇しても気付く自信はなかった。エディットは夜目が利く方ではない。ケヴィンがどうかは分からないが、頼れるのは鳥だけである。尤もその鳥にしろ、夜行性ではなさそうである。光のスキルが欲しくなった。危険から遠ざかりたいのだ。
鳥の進みはゆっくりで、進行方向にはぼんやりと薄暗い中、立派な門が佇んでいる。魔物の侵入を許さないと主張しているように見えた。しかも、門番がいるのだ。エディットは初めて門番を見た。急に別世界に来てしまったよう。そうして自然と身構えたのである。エディットの中の門番は、厳しいイメージだったからだ。何処から来たのか、目的は何か、名前は、と、矢継ぎ早に質問し、更には通行税を取る。完全にそのイメージだった。
だが現実は全く違っていたのである。
なんとケヴィンは、挨拶一つで通ってしまったのだ。エディットは混乱した。寧ろエディットの事等見えていないかのようだった。別に追及されたかったわけではないが、では一体何のための門番か、と、言う疑問は残る。
「さてエディちゃん、着いたぜ」
「わあ……」
自然と口から感嘆の声が漏れた。門を潜ると、余りにもエディットが住む村と違い、賑わっていたのだ。
とうとう着いたのだ。
感動が湧き上がってくる。
辺りはもう暗かったが、エディットの母が持つ光のスキルのようにあちらこちらに灯りが浮いている。エディットが知るものとは全く違うが、街灯の役割をしているのだろう。辺りはずっと仄かに明るいのだ。これもまた、誰かのスキルなのだろうか。いや、苦行では? 自分の家程度なら未だしも、往来の明かりを点け続けるのは大変なのでは?
「ケヴィンさん、ここがアグロレーの街ですか?」
「いや、違うな」
まさかの否定だった。絶対に肯定されると思っていたエディットは、ポカンと口を開けた。だったらここは一体何処なのか。周囲を見ても、ちゃんとした建物ばかりである。道も石畳で、絶対に領主がいる街だと確信していたが故に驚きも一入だった。
よもやこれ以上の驚きが待ち受けているとも知らずに。
「ここは、隣村だよ」
「村!? これが!?」
まさかの、村。
口を突いて出た声は大きかったが、それを恥じ入る余裕がなかった。何故なら、違い過ぎたからである。エディットが住む村と。いや、これが村と言うならば、エディットが住むところは、村未満である。村ですらない。エディットは正直に思った。
移住すべきでは?
「エディちゃんが何を思ってるかは、大体分かるぜ。でもな、そりゃあ無理な話なんだ」
「えっ」
この男、斧の他に思考を読むスキルを持っているのでは。そのような疑念を抱いたが、誰だって移住すべきと考える所だった。わざわざ生活レベルを落とす意味がない。だが男は無理だと言った。つまり、何か理由があってあの村に住んでいるのである。だがエディットには分からない。思い当たる節もない。もしかすると、前科持ちであるだとか、差別される理由があるだとか、経済的な理由だとか、そう言ったものがあるのかもしれない。エディットは考えた。だが当然答えは出ない。確証足り得るものが何一つとしてないのだ。
周囲を見る。賑わっていた。強烈な違和感が襲い掛かる。エディットは何も知らない。それでも、自らの暮らしとの差を感じずにはいられなかった。別文明と言われても今なら納得する。
鳥の足が止まった。
「さ、今日はここに泊まるぞ」
「宿、ですか?」
「おう、宿だ。飯も食えるぞ」
ケヴィンは、エディットを鳥の背から降ろしながら言った。
エディットは建物を見た。村には無い物である。そもそも、人が来ないので必要がないとも言う。訪れるのは商人位のもので、泊まるのは村長の家である。宿屋は、一階が食堂、二階が宿泊所になっていた。大きな鳥も預かってくれると言う。前世でいう所の、車と同じ扱いだろうか、と、エディットは思った。但しこちらは世話が必要なわけであるが。中に入れば、少女が想像するよりずっと賑わっていた。もしかするとこの宿にいる人間だけで、村の人口を超えているのではないかと錯覚するほどに。
「エディちゃん、お任せでいいかい」
「はい、大丈夫です」
空いている席に座ると、ケヴィンが問うた。気を遣ってくれたのだろうと分かる。何を食べるかと聞かれても、エディットには答えられない。生まれてこの方、まともな食事を取ってこなかったからである。この世界の食事など、ほぼ知らないのだ。
「沢山、人がいるんですね」
「ああ、冒険者だよ」
「冒険者?」
「この辺りは、魔物がそれなりに出るからな」
初めて遭遇する職業である。前世にはいなかった。冒険者、と、言う肩書はあれども、魔物を退治する仕事はなかったからである。大体、魔物なるものがいなかった。異世界特有の危険生物である。失礼にならない程度にエディットは周囲を見た。確かに、普通の村人とは違う。エディットの両親や、村に住む普通の人とは違う。だが、と、隣を見れば、この男は何処となく其方の雰囲気だった。それでも、現役とは違う。どこか、ぎらついたような空気を感じ取っていた。
「ここで食い止めてくれるから、うちの村は平和なのさ」
「なるほど。じゃあ感謝しないといけませんね」
「そうだな」
道理で、と、納得していた。不思議に思っていたのだ。幾ら聖水があるからと言って、それだけで防ぐことが出来るものだろうかと。だが、此処で食い止めているから、と、言われれば納得してしまう。確かにエディットの住む村は、此処よりもっと奥なのだ。これからも是非とも食い止め続けて下さい。内心で手を合わせた。
「はい、お待ち!」
恰幅のいい女性が、威勢よく料理を運んできたことで、一先ず会話は終了となった。
エディットは、まじまじと目の前に置かれた皿を覗き込んだ。この世界に生まれ、初めて見る品々だった。但し、前世の記憶に近いものはある。恐らく鶏肉、の、ソテーらしきもの。野菜を炒めたもの。見た目はコンソメのようなスープ。そうして、自宅で食べているものとは別物のようなパン。このパンだけでも、何かに包んで家まで持って帰る事が出来ないだろうか。ふと、そのような事を思った。そのような考えが浮かぶほどに、家が貧しいのだ。湯気が上がる美味しそうな料理を前に悲しい気分を味わっている事に、理不尽にも似た思いを抱く。この場に送り出してくれた両親の事を考えると、二人が粗末な食事をしている時に、自分だけ贅沢をしていいものかと、悩んでしまう。だが、食べないのも失礼である。
エディットは意を決して、カトラリーを手にした。
「いただきます!」
先ずソテーを口に運び、美味しい以外の感想が浮かばなかった。
エディットとしての人生の美味しいものランキングの一位を易々と塗り替えた。美味いは特別。美味しい。味がある。贅沢。咀嚼する度感動の言葉が脳裏に浮かび、何だかスキルの事すらどうでもよくなってしまった。最早、この思い出だけを胸に家に帰ってもいい気すらしたのだ。涙が零れないのが不思議な程であった。
「美味しいかい、エディちゃん」
「はい」
エディットにしてみれば、イエス以外答えようがない問いであった。よって、食い気味に答えたのである。今まで己が食べていたものは食事ではなかった。しかしそこまで言うと母親を否定してしまうので、決して母親の所為ではなく、貧しさが問題であると内心で言い訳する。若しくは村長の所為である。よくよく考えずとも、鳥の足の速度が尋常ではないにしろ、あの村から一日進んだところにこんなにも立派な村が存在しているのである。おかしい。不当搾取にも程があるのでは? エディットは思った。誰か、監査をしに来るべきではないか、と。税を納めているなら猶更である。お役人はいないのかこの世界。いるに決まっている。領主がいるのだ。だったらどんな僻地にある村にも、年に一度くらいは誰か見に来るべきではないかと。絶対に来ていないに決まっているのだ。そうして隣を見て、何故この男は甘んじているのだろうか、と、疑問に思った。先ず大人が声を上げるべきでは? エディットは十歳である。何ができる年でもない。
やはり言えないだけで前科持ちの可能性が……。
いやいや、と、首を振る。憶測で物を考えるのは止めよう。そもそも村長とて、悪い事をしているとは限らない。辺鄙な村である。悪人などいない。信じる者は救われる。美味しいは正義。最後はパンの美味しさに負けたのだった。
それでも、一口食べるごとに思わず漏れそうになる溜息を堪えた。
美味しくて満たされたにも関わらず、村との落差に心が締め付けられてしまう。こんな事で、現実の厳しさを痛感したくはなかった。
もしかせずとも、これが最初で最後のまともな食事かもしれない。だが食事の時間は永遠には続かない。寝て、明日に備えなければならないのだ。
二階に上がれば、沢山部屋があった。その中の一つに、ケヴィンと入る。勿論同部屋である。十歳児と何かの間違いなど起こるはずがないので。例え部屋の中で体を拭いても無問題である。そのような事よりエディットは、お湯が用意された事に驚いていた。宿のレベルが高いのか、それともこれが世の普通なのか。初めて村から出た少女には分からない事だらけである。
ベッドにしても、家で使っている粗末なものとは大違いだった。本来であれば、家族と離れ初めて村の外に出た不安を抱え眠れない所であろうが、エディットは即寝入ったのだった。寝床の快適さに負けたのである。食事と睡眠の大切さをしみじみと実感していた。
結局いつ眠りに落ちたかも分からないまま、気付けば朝だったのである。