04.村から出た。
「ケヴィンさん、娘をよろしくお願いします」
村唯一の出入り口で、父親が頭を下げた。
相手は、エディットを街まで連れて行ってくれる人間である。村の中では若い方で、エディットの父親とそう変わらない年齢に見えた。但し体つきはがっしりとしていて、如何にも強そうではある。何故こんな人が、こんな辺鄙な村に一人で住んでいるのか、エディットは常々疑問に思っていた。只、声に出して聞かないだけの分別はあった。大体、エディットは感謝していたのだ。今回だけの事ではない。時々、食卓に肉が上がる事がある。そういう時は決まって、彼からのお裾分けだったのだ。
エディットの父親からの言葉を受け、男は快活に笑ってみせた。
「おう、任せな、ジョセフ。ちゃんと送ってくし、連れて帰ってくるからよ」
「よろしくお願いします! なるべくご迷惑をおかけしないようにします!」
こういうのは、最初が肝心だと分かっていた。だから勢いよくエディットは頭を下げたのだ。声の大きさに驚いてか、男は一瞬目を丸くし、しかしすぐに破顔すると、大きな手で少女の頭を撫でたのだった。
「いい子だな、エディちゃんは。大丈夫、なんも心配することはねえ。おじさんに任せときな」
父親と同年代だと分かっていながら、胸の高鳴りを感じた。エディットは、十歳でありながら十歳ではないのである。決して年上が好きだとかそう言う事ではなく。
知り合い、それも割と親しい部類の人間が同行してくれると分かり、エディットは安心していた。これなら大変な道中であっても、乗り切れそうだと。精神面の安寧は大事である。村から街までは徒歩だろう。大人の足にどれだけ付いて行けるかは分からない。ただ、足腰には多少自信があった。一応、農民の子である。無いのは体力だ。食事事情が尾を引いている。きっとロドリグは馬車か何かで行ったのだろう。そんな事を思いながら、初めて村の外に出たのである。
一歩外に出て見ても、特に何も変わりはなかった。
それはそうである。突然景色が変わるわけでも何でもない。歩いていけば途中から何某かの変化はあるかもしれないが。さて、気を張って歩こう。そうエディットが決意した時だった。
「きゅいー」
何とも変わった鳴き声の生き物と遭遇したのである。しかもこの生き物、近くの木に括り付けられていた。足を止め、エディットはまじまじと眺めてしまった。見た目は大きな鳥である。随分と足が立派な鳥である。色は緑だ。前世でいう所の、ダチョウだとかエミューとかああいう類の鳥に似ている。その背中の部分には鞍がついていて、ああ、あそこに座るんだな、と、エディットは理解した。理解したところで、冷静になった。
鳥に、乗る……?
「エディちゃんは初めてか。こいつは、キュアッドってんだ」
「きゅあっど……」
呟いてみたが、果たしてそれは種族名なのか個体名なのか。
「この鳥? に、乗るんですか?」
「そうだよ。速いからあっという間に着いちまうぜ、っと」
言いながらケヴィンは、ひょいとエディットを抱き上げると軽々と鳥の背に座らせた。少女が動揺している間に、後ろに座る。人間を二人乗せてもビクともしない事に、エディットは驚いている。随分と強靭な鳥である。そうして、もしかしてこれは、魔物と呼ばれる生き物の一種なのでは、と、思い始めた。不安になったが、今更どうにかできるわけでもない。エディットに出来ることは、大人しく指示に従う事だけだ。
ケヴィンが手綱らしきものを手にしたのを見て、鳥の場合はやはり嘴に付けるのだな、と、現実逃避気味な感想を抱いたのだった。鬱陶しくはないのだろうか。暴れたりしないのだから、良いのだろうが。
しかしエディットが冷静だったのは、此処までだったのである。
何の合図もなかった。
少なくとも、エディットには分からなかった。なのに突然鳥が猛スピードで駆け始めたのである。準備運動だの前段階だの一切なく、即トップスピードである。
こわい。
既にエディットの顔は引き攣っていたが、口を開ける余裕すらもなかった。それ程のスピードだったのだ。前を見ているだけが精一杯で景色を堪能する余裕などなく、言うなれば何の説明もなく絶叫マシンに放り込まれたような気持だった。顔に風が襲い掛かってくる。目を開けることすら困難。鳥が走り出すまでは、もしもの時の事を考え、道程を覚えようかとすら思っていたのだが、まずもって無理である。
ケヴィンさんに、裏切られた。
とうとう内心で、恨み言を吐き出したのだった。エディットの常識内の鳥は人を二人も乗せて走ったりしないし、こんなに速くもないのだ。前もって教えて欲しかったところである。心の準備が必要な話だった。絶対そう。期せずして異世界を思い知ったのだった。
果たしてどの程度乗っていたのか。時間の感覚もよく分からないまま、気づけば鳥は止まっていた。
「ちょっと休憩しようか」
出発前と変わらぬ男の声に、無言で頷いた。声が出なかったのだ。乗った時と同じよう、ひょい、と、下ろす。地面に立つと、足が縺れて座り込んだ。只乗っていただけなのに、一気に体力を消耗していた。
十歳児には、辛い道程だった。しかも終わってない。
「ほら」
無言で座り込むエディットに、重そうな皮の袋を差し出す。
「ジョセフが沢山入れてくれたからなあ。水には困らねえぞ」
中身は水だった。両手で受け取ると、直ぐに口を付けたのだ。五臓六腑に染みわたるとはこのことだろうか。どうにも子供らしくない感想を抱きながら飲んだのである。そうして、スキルは水に限ると強く思ったのだった。現金である。
「速くて驚いたろ?」
何処か楽しそうな顔で言った男を見て、エディットは理解した。
どうやら態と言わなかったらしい、と。
エディットが驚く様を見たかったのだろう。驚いた。確かに驚いた。でも御免である。じと、と、半眼で見れば、きまり悪げに遠くを指さしたのだ。
「見てみな、エディちゃん。あれ、見えるか?」
言われ険しい表情のまま、それでも素直にエディットは男の指が差す方を見た。其処には何か、黒いものがいた。遠くてよく見えないが、地面を這っている。動物だろうか。いや、虫のようにも見える。ただ気持ち悪いものであるのは確かだった。
「あれが、魔物だよ」
目を細めるのも忘れ、見開き、口まで開けた。
魔物。
魔物!?
話には聞いていたものの、出来れば一生お目に掛かりたくなかった存在を前にし、完全に動揺していた。エディット・マルカン、人生初遭遇である。但し距離は遠い。しかし安心はできない。何故なら、鳥があんなに速く移動できるのだ。あの生き物だってどんな特性があるか分からない。
「ケヴィンさん、襲ってこない?」
心配の余り、口から零れた。少女の不安をかき消すよう、男は笑った。
「大丈夫だ。アレくらいなら俺でも何とかなるさ」
魔物を倒せる一村人とは。凄いと思う反面、疑問に思ってしまった。アレくらいなら、と、ケヴィンは言うが、その程度すらエディットには分からないのだ。ただ、今この人とはぐれたら詰む、と、そう自分を戒めたのだった。
「ケヴィンさんは戦う人なんですか?」
「俺は、斧のスキルを持ってるんだよ」
思わず尋ね、成程、と、納得した。
斧と聞いてもエディットの脳裏に、戦いの文字は浮かばない。それは木を切るものだからである。だが、木を切る事が出来るなら、生き物を傷つけることも出来るのだ。だからきっと、戦う事も出来るのだろう。確かに今更ながら見てみれば、乗ってきた鳥の横には斧が付いていた。剣さながらに武器として、何時でも抜けるようにしてあるのだろう。エディットは、戦斧と言うものを初めて見た。勿論前世にも縁がなかったものである。
「ただ、斧は斧でも戦うより木を切る方が性に合ってるって気付いちまってな」
何処か自嘲するように続けられた言葉に、エディットはどう応えていいか分からなかった。エディットが先ず木を切る方を連想したように、斧の使い道も色々ある。もしかすると斧のスキルと一言でいっても、木こり用と戦闘用とで分かれているのかもしれない。きっとケヴィンは、木こり向きだったのだろう。でも本人の希望は逆だった。エディットは思う。木を切る人も必要で、皆が皆、戦えればいいと言うものではないと。でもそれは、世の大局的な話であって本人の気持ちとは無関係である。誰だって、人生自分の思うようにはいかないものだ。戦う事を諦めて、でも諦めきれずに、時折野生動物を狩っているのではないだろうか。
「ケヴィンさん、いつもおいしいお肉有難うございます」
そんな事を想像しながら、礼を言った。実際、とても有難く思っていたのだ。この男がいなければ、マルカン家の食卓はもっと侘しかっただろうと。村に来る商人とて、そうそう肉など持ってこない。傷むからだ。
「ジョセフには、水で世話になってるからな。また獲れたら持ってくな」
少女の労いに対し、水の入った袋を揺らしながら男は笑った。エディットは思った。やはり、水が一番では? と。体術や斧等、どう考えても自分には向いていない。水が良い。若しくは平和的で楽に暮らせる何か。食べ物を無限に生み出せるとか、と、考えたところで、スキルの範囲を超えている事に気付いたのだった。それこそ神の御業である。
何処か難しい顔をして黙り込んだ少女の気分を変えようと、男は明るく言った。
「それに、もし倒せない程強いのが出てきてもこいつがいるからな」
大人しく佇んでいる鳥を指す。
「強いんですか、この鳥?」
「いや、飛んで逃げてもらうのさ」
「飛べるんですかこの鳥!?」
思わず声が大きくなった。
まさかまさかである。
勝手にダチョウのように飛べない鳥だとばかり思っていたのだ。脚力に特化しているのだとばかり。しかし、鳥である。確かに鳥と言えば、空を飛べるものが大半ではある。だがこの巨大な鳥が飛ぶと言われても、上手く想像できなかった。何だか翼も短そうである。
「ああ、ただ、飛ぶより走った方が速い」
続けて告げられた一言に、エディットは肩を落とした。
結局そう言うオチである。
だが、地に足がついているタイプの危険生物からは逃げられると言う事である。そうやって、いい所を探さなければ、不安が勝ってしまう。エディットは臆病なのだ。自分が如何に弱い生き物か、分かっているのだ。村の外に一人放り出されたら、きっと一溜まりもないであろうことが。
「さて、そろそろ行くとするか」
ケヴィンが立ち上がったので、つられてエディットも立った。この後の事は分かっていた。やはりケヴィンはひょいと少女を抱き上げて、鳥の上に座らせたのである。エディットは覚悟した。もう、この後どうなるかは分かっている。このキュアッドなる鳥が、想像以上に速い事は身をもって知った。だから先ずは薄目である。そして口は堅く閉じるのだ。風の抵抗が馬鹿にならないからである。
普通初めて村の外に出た時と言うのは、もっと感動を覚えるものではないのだろうか。そのような事を思いながら、エディットは真正面からの風に耐え続けていた。そう、耐えるだけで精一杯だったのである。その上で、早く安全な所へ行きたいと願っていた。風も酷いが、魔物はもっと嫌である。今更ながら、気付いたのだ。例え遠目であれ確認できてしまったと言う事は、決して安全ではないと言う事に。よくよく考えれば、非常に恐ろしい。例えケヴィンが戦えるとして、この鳥が飛べるとしても絶対はない。だったらもう、魔物が入ってこられない安全な所へ行くしかないのである。
改めて異世界の恐ろしさを痛感していた。




