22.他人は見えても自分は見えない(光りながら)
随分と気遣われている。
エディットの感想だ。でもそれに対して、どの程度礼を言っていいのかどうか分からない。考えてみればエディットには、同年代の同性の友達などいなかったのだ。しかも相手は貴族の令嬢である。生まれも育ちも何もかもが違っていた。だからこれが、施しなのか好意なのか、分からないのだ。今エディットは、クレマンスと共に、アミシーを待っている。理由は簡単だ。クレマンスが、何か食べたいわ、と、そう軽く言ったのである。するとアミシーは二人を残し、絶対に動くなと言明してではあるが、買いに行ったのだった。エディットは困った。買って来られても、払うお金がないのだ。どうしたものか、と、思案するエディットを見透かしたよう、クレマンスが言った。
「三年後に、何か買ってね」
何とも敵わない一言である。前世で言うところの出世払いと同じだろうか。しかもどうにも、一度では終わりそうもない。このまま休みの度に出かけたら、大変な事になるだろう。想像してエディットは身を震わせた。出掛けるのは、程々にしようと心に決めた。色々と、追いつかない。
休日はきっと人によってバラバラなのだろう。流石王都だけあって人通りは多いものの、溢れるほどではなかった。時折馬車も走っている。勿論、六本足ではなく四本足の馬が引いている、御者付きの馬車だ。その一台が、丁度二人の近くで止まったものだから、つい、見てしまった。止めたのではない。止まったのだ。突然馬が足を止め、座り込んだのである。これに焦ったのは御者である。御者台から降りると、すぐさま馬に駆け寄った。しかし、馬は動かない。二頭仕立てだが、一頭で引くには心許なく、また、馬を置いていける筈もない。すると車体の方からも人が降りてきた。主人だろうか。同じく馬を見るも、どうにもならないと悟ったのか、首を横に振っている。馬はじっとしている。諦めたのか、主人は一度車体へと戻ると、荷物を手にして離れて行った。急ぎの用事があるのかもしれない。御者も御者で、このまま待っていても埒が明かないと思ったのか、それとも人を呼んでくるためか、場を離れたのだ。先ず、直ぐ傍の店に入って行った。恐らく、言伝るためだろう。此処に馬車を置いていくと、一応許可を取りに行ったに違いないのだ。その上で、片手間で良いから見張っていて欲しいと。それでもエディットは驚いたのだ。見張り一つ立てずに場を離れた事をである。盗まれるとは考えないのだろうか。何を? 馬車をである。無理がある。しかもこれだけの人通りだ。更に言えば、店の前である。普通に考えれば、リスクを冒してまで盗むようなものではないに違いない。
「エディット殿?」
残された車体と馬を見て、何を思ったかエディットは近寄って行ったのだ。あれ程盗まれたらどうするのだろうと心配していた癖に、自分が今怪しまれる行動をとっているのである。いや、エディットが興味を持ったのは馬車ではない。馬の方である。どうして、急にしゃがみ込んだのかと不思議に思ったのだ。きっと、具合が悪くなったに違いない、と、そんな風に思ったのだ。
エディットは神官である。見習いではあるが。神官には癒しの力がある。だがそれは、怪我にしか対応していない。病気を癒すことは出来ないのだ。馬はじっとしている。本当に具合が悪いのか、或いはただ休んでいるようにも見える。エディットは動物と言葉を通わせる術を持っていない。きっと、触ったら怒られるだろうな。捕まるのは御免である。例え疚しいことが無くとも、そう見える行動をとった方が悪くなる。だから、離れたところから手を伸ばしたのだ。そうして、触れずに、治れ、と、祈ったのである。
「知らないんだから」
クレマンスの呆れた声が耳に届いた。エディットの手から光が漏れた。しかしそれはほんの一瞬の事で、見間違いと言えばそうかも知れなかった。現に馬は、立ち上がらない。
「別に癒そうと思ったわけじゃありません」
「光ったじゃない」
「でも、治ってないでしょう」
馬はじっとしている。そうして、まるで探るよう二人の少女を見ているのだ。二人はお互いを見て、そうして、何事もなかったよう場を離れたのだった。実際何もなかったに違いないのだ。馬車は止まっていて、馬は臥せっている。
「お嬢様」
そこで、アミシーの声が届いた。手に二つ、見慣れぬものを持っている。紙に包まれた、細長い薄茶色の物だった。しかも、温かい。エディットは思った。これは、チュロスでは? 礼を言って齧ってみれば、揚げたての感触がした。でも、甘くはなかった。砂糖は塗されていない。それでも十分、贅沢に感じたのだ。この手の物を躊躇せずに買える日が自分にも来るだろうか。今は未だ、想像すら出来ない。寧ろ今、このような上等な服を着て、外を歩いていること自体、現実味がない程だった。
明日からまた、頑張ろう。
そう決意して、また一口齧ったのだった。きっとこの味と感触を一生忘れない。大袈裟にも思ったのである。
それからもふらふらと、クレマンスに連れられあちらこちらを覗き歩いた。貴族のお嬢さんはもっと贅沢に買い物をするかと思ったが、そうではなかった。見るだけで済ます事が殆どだったのだ。此方は此方で、無駄遣いはしないようにと言われているのかもしれない。まだ子供である。きっとそれを見張るためにも、侍女が一緒なのだ。彼方は彼方で大変そうだな、と、エディットは他人事のように思っていた。
王都は広い。今日歩いたのは、本当にほんの一部だろう。それでもエディットは都会を垣間見たのだ。広くて、人が沢山いて、色んなものがあって、思ったより治安がいい。そう、それである。危険な場所もあるのかもしれないが、今日エディットが見た場所には、そう言った影は全くなかった。一生、縁がない事を祈る。エディットは神官として、平穏無事に生きたいのだ。最早それしか願わないくらいである。
「今日はありがとうございました」
教会に戻り、先ずエディットは頭を下げた。服を用意してもらったところから全部、世話になりっぱなしである。しかも今は、礼を言うくらいしか出来ないのだ。
「また行きましょうね」
簡単にクレマンスは言う。例え社交辞令であったとしても、返事に困った。しかも、服は返さなくていいと言うのだ。確かに、お下がりと言うだけであって、クレマンスには小さい。同い年だが、二人のサイズは大きく違っていたのだ。単純に、生活水準の差である。
「おや、出掛けられていたのですか」
「ひっ」
急に第三者の声がして、咄嗟にエディットは慄いた。最早癖にも等しい。声がした方には、エディットの推しである、ルシアン神官がいたのだ。顔を引き攣らせたエディットを、不思議そうにクレマンスが見ている。
「街へ散策に出かけました」
「そうですか、よくお似合いですよ」
「ありがとうございますくれまんすどのにいただきました」
見事なまでの棒読みである。急に感情が死んでしまったかのよう。クレマンスは眉根を寄せたが、ルシアンは常通りだった。何故なら、いつもエディットの感じがこれだからである。だから、エディットと言う見習いはこういう人間だと思っているのだ。まさか自分が原因だ等とは微塵も思っていなかったのである。
「明日からまた、頑張って下さいね」
「はいいのちにかえましても」
「エディット殿は熱心ですね」
いや、熱心とか言う問題ではないのでは。クレマンスが内心でツッコんだ。命に代える程頑張るのは遣り過ぎではないだろうか。大体エディットも、いつもはもう少し余裕があるのだ。しかし今日は、休日である。神官服ではなく、身の丈に合っていないワンピースなど身に付けていたものだから混乱の度合いが大きかったのである。単純に、恥ずかしがっていたのだ。これで中々、乙女だった。
「あなた、ルシアン殿が苦手なの?」
ルシアンが去った後、クレマンスが問うた。当然エディットは首を横に振ったのだ。
「まさか、いや、苦手、そう、ある意味では苦手なのかもしれません……」
だが、否定しきれなかった。見てくれは好きなのだ。寧ろ、見ていたいのだ。そう、鑑賞対象だと思っているのである。だから、コミュニケーションは取りたくないのだった。推しに話しかけられたくないのである。出来れば、推しの部屋の壁になりたいタイプの人間だった。
「ルシアン殿って、光ってるじゃないですか。眩しすぎませんか」
「エディット殿と変わらないけど」
平然とクレマンスは答えた。何と言っても光る人間には、慣れ始めていた。同時期に入った同立場の人間が、これである。嫌という程輝いているのだ。感覚も麻痺すると言うものである。だが違うのだ。エディットが言う眩しいは、違うのである。顔だ。顔が眩しいのだ。美しすぎると思っているのである。それこそ二次元から飛び出してきたみたいに、整った顔の持ち主であるから、エディットは挙動不審になるのだ。見て話して大丈夫? こんな具合である。だが、クレマンスには理解されないのである。顔の美醜は気にしないタイプなのかもしれない。勝手な想像である。
次着る機会がないといい。部屋に戻り、直ぐにエディットはワンピースを脱いだ。そうして、ハンガーに吊るしたのだ。余りにもこの部屋に不似合いだった。ここだけ、価値が違う。馴染んだ部屋着を身に付けて、日記を書くことにした。初めて王都を散策したのだ。この感動を記しておこうと思い立つ。ワンピースを貰った事、初めて入った店で、母親が作ったかもしれないお守りを見つけた事、甘くないチュロスを食べた事、ルシアン神父に話しかけられた事。馬の事は忘れていた。手は翳したものの、何も起こらなかったからである。最後に、神に祈りを捧げた。
これだけは何があろうとなかろうと、例え休みだろうと、絶対に忘れてはいけないのだ。
エディットは神官である。見習いだろうが、神を見た神官である。だからこそ、祈りを捧げる事は絶対だった。何せ、大神官のスキルは消える、と、脅しを受けた事はそう昔の話ではないのである。




