20.スマートな騎士は対応もスマート。
人を癒す方法は、分かっているようで、よく分かっていない。それを言えば、神官が振るう力の大半を理解などしていないのだ。だが、一つ確かなことがある。それは、祈ることだ。祈りが、神官の力になる。それだけは確かだった。だからエディットは、祈るのだ。
治れ、治れ、治れ、と、呪文の如く内心で唱える。その後、言うのだ。お願いします神様、と。言わばこれは初仕事のようなものである。この後の神官としての人生にも影響を及ぼすかも知れない。なので是非ともお願いいたします、と、最終的には願望全開で祈ると言うよりも、願ったのだった。
果たして、祈りは通じたと言えるだろうか。
女が右目を細めた。エディットの手から光が漏れたのだ。癒しの光である。癒しの力は発動したのだ。だが、女は布を取って、確認したりはしなかったのである。
「終わりかな?」
静かな声で問う。余りにも平然としているものだから、エディットの方が呆気に取られてしまった。
「あ、はい」
多分、と、心の中で付け足す。実際治ったかどうか分からないので。何せ、確認しないし、させてもらえそうにもないのだ。付け入る隙を与えまいとするかのように、女は次の行動へと移っていた。
「千トリオレだったかな?」
料金の支払いである。重そうな皮の袋を取り出したのだ。一度に大金を見た覚えがこの世界で生まれてから一度もないので、エディットは呆けてしまった。他人事ながら、こんなものを持ち歩いて大丈夫かと心配になったのである。治安が、良さそうでもないので。だが、防衛する自信があることの裏返しかも知れない。何せこの女性は一般人ではないのである。エディットとはそもそも元が違うのだ。
「支払いは、ギルドの方へお願いします」
料金についての取り決めなど、した覚えはなかった。金額を聞いたくらいである。しかしエディットは、自己判断でそう言ったのだった。
「お嬢ちゃんに払うんじゃないのかい?」
「見習いなので、預かれません」
尤もらしいことを言う。本音は、預かりたくない、である。エディットの返答に、面白そうな顔で女が右の片眉を上げた。
「二人しか見てないんだから、懐に入れたってバレやしないよ」
「二人しか見ていないので、もし後でお姉さんが払ってないと言い出したら、争う術がありません」
この冒険者ギルドという場所で、自分に全く信用がないことをエディットは分かっていたのだ。それに、二人しか見てない、と、言ったがそれは嘘である。エディットには分かっている。もう一人、いや、人ではないが見ている存在がいることを。
神である。
神の目と言うものが、一体どこまで届くものなのか、エディットには分からない。だが、見られていると感じていた。そう、常に、である。あの、神の園へと招かれたあの日から。だからエディットは、神の気持ちに背いてはならないのだ。悪いことをせず、大望を抱かず、身の丈にあった生き方をしなければいけないのだ。
エディットが折れないことを理解したのか、女は軽く礼を言うと離れていった。すぐ隣にも受付の女性はいるのに、わざわざ逆の一番端へと向かったのだ。クレームでもつける気かしら。そのようなことを思いながら、目で追うのは止めたのだった。見習いの治療費は、治っても治らなくても千トリオレ。きちんと説明したのだ。それで払わないと言ったとて、別にエディットが損をする訳ではない。だから、どうでも良かった。
クレームでもつける気か、と、エディットは邪推したが、別にそうではなかった。女はただ単に、空いている受付の元へ行っただけだったのだ。
「あのお嬢ちゃんへ料金を支払いたいんだけど」
エディットの方を見ながら女が申し出ると、受付の男性は目を丸くした。
「治してもらったんですか?」
「治ったかどうかは分からないけどね」
あっけらかんという。しかも確認もしない。治っても治らなくても何方でもいいと、言わんばかりだった。いや、ただ単に諦めているのかも知れない。治るわけがないと、そう、思っているのかも知れない。
「治っても治らなくても、千トリオレですよ?」
「知ってるよ。嫌ってほど、念押された」
笑いながら言う。相手は十歳の子供である。どこか必死に訴える様は、微笑ましくもあった。また、善良さを感じ取り、嫌な気持ちもしなかったのだ。
「物好きですねえ」
声には呆れが見てとれた。その男の前に、女は硬貨を一枚置いた。千トリオレである。それをきっちりと男は受け取った。これで、エディットの仕事は成立したのだ。受け取らない、と、言う選択肢は正解だったわけである。
「あんなところに一人で座ってんだ。可哀想だろ? それに、教会には恩もあるしね」
エディットが予想したような好奇心ではなく、善意というか、同情からくる行動だった。だが仕方がない。十歳の小柄な少女が、一人でポツンと座っている様は、どこかもの寂しく見えたのだ。女は更に恩と言った。恐らくは、目の傷のことである。教会で癒してもらったに違いないのだ。だが、完治はしなかったのだろう。傷を癒す力の具合は、神官の信仰心の度合いによる。祈りを捧げる力が強ければ強いほど、傷も癒すことができるのだ。ただ、誰しも万能ではない。そう言うことである。それこそ人は、神ではないのだ。
エディットはまた暇になってしまった。
今更ながら、いつまで座っていなければいけないのだろうと思い始める。一日中だろうか。流石に、気が滅入る。隣を見れば、座っていた筈の受付の女性はいなかった。どうやら、交代で休憩を取っているらしいと知る。だがエディットは一人である。代わってくれる人間が、いないのだ。元より交代したところで、座っているだけだが。求められていないのだ。
冒険者ギルドは、割と引っ切り無しに人が訪れる。だから自然とエディットはそちらを見ていた。色々な人を見ているだけで、退屈には違いないがそれでも時間を潰すことが出来たのだ。だからこそ、知っている人間が入ってきたことに、いち早く気付く事が出来たのである。エディットは胸を撫で下ろした。
「御機嫌よう、エディット殿」
「レモンド殿」
この場へとエディットを連れてきた張本人、神殿騎士のレモンド・フォン・マレである。人好きのしそうな笑みを浮かべている。因みにエディットの御機嫌はそう麗しくない。許可した手前文句は言えないが、初めて来た場所に一人で放っておかれたのは中々堪えたのだ。
「さて、そろそろ帰りましょうか」
「えっ?」
「おや、まだいたいんですか?」
「いえ、そうではなく、帰ってもいいんですか?」
「見習いのあなたを長時間働かせるわけにはいかないので」
確かに、尤もらしい理由ではある。ただ、働く以前に求められておらず、エディットの体感で言えば、二時間いたかどうかである。だが、大人がいいと言っているのだ。だったら、いいか。すんなりとエディットは立ち上がった。ただ座っているのにも、重々飽きた所である。本来であれば挨拶くらいした方がいいのかもしれないが、隣は不在だ。レモンドがさっさと歩きだしてしまったので、急いで後を追ったのだった。冒険者ギルドの立派な扉を潜る。そうして喧騒と別れたのである。
外には、今朝乗った馬車が停まっていた。勿論、御者は不在だ。盗もうと思えば盗めるのでは? そのような事をエディットは思ったが、現実として誰もそのような真似はしない。恐らく、この大人しい六本足の生き物が怖いのだ。一見大人しく見えるが、その正体は魔物である。迂闊に近づかないに越したことはないのだろう。レモンドが、エディットに手を差し出した。これに慣れる日がくるのだろうか。そのような事を思いながら、手を重ねたのだった。多分、自分をレディとして扱ってくれるのは、この女性騎士だけだ。そんな風に思う。
馬車が静かに動き出した。人間が乗った事が分かるのだろう。賢いのだ。
「エディット殿、これを」
回る車輪の音に加え、隣の麗人の声が耳を擽った。見れば、レモンドは何かを差し出している。
「靴、ですか」
小さな、白い革靴だった。現世でエディットが数えるほどしか目にしたことが無いようなものだった。
「ええ、あなたに差し上げたいと思って」
「えっ」
「今朝、揶揄ってしまったお詫びです。どうか受け取って貰えませんか」
「えっ」
エディットは目を丸くして、呆けてしまった。何なら口も開けた。大層な間抜け面である。レモンドが目を細める。笑いを堪えている顔だった。
どうすべきなのか、エディットには分からなくなった。
貰っていいものか、辞退すべきか。
「もし、お断りしましたら、」
「捨てます」
「頂戴します」
即答だった。レモンドが声を上げて笑った。だって、捨てるくらいなら、貰うだろう。これは贅沢ではない。好意だ。好意なんです、神様。内心で神に許しを請う。贅沢はするなと、注意された身である。出来る程の財力がないわけだが。
それにしても、と、エディットは隣に座る、女性でありながら大層男前の騎士を見た。余りにもスマートである。行動すべてが。こうなると、今朝揶揄ったことも計画の内のような気すらするのだ。エディットが履いている靴は、布製の、それこそ実家から履いてきたものである。ずっとこれだ。履ける内は、新調しよう等と言う頭がなかったし、する気もなかった。これで大事に履いているつもりである。だが、みすぼらしいと言われれば、反論の余地はない。貧しさ大全開である。エディットは思う。この新しい革靴に、自分が負けている。田舎者の自覚があった。このピカピカの靴は、生活水準の差、そのものである。値段の想像もつかない。思ったより高いのか、それとも、安いのか。恐らく、靴を作るスキルを持った人間がいる。そして、もしかすると、革を染めるスキルを持った人もいるのかもしれない。エディットにも薄々分かってきていた。この世界のスキルとは、エディットが思っているよりずっと細分化されているのだと。その中で、エディットが持つ、水と光、と、言う、スキルは大きい方だった。使い方が、指定されていないのだ。つまりそれ程、便利だった。
「レモンド殿、ありがとうございます」
「言ったでしょう、お詫びだと」
深々と頭を下げれば、困ったように笑った。エディットは思った。この騎士殿が女性で良かったと。エディットの恋愛対象は、異性である。もしこの騎士が男性だったなら、間違いなく惚れていた。断言出来た。それ程、レモンド・フォン・マレは、エディットの心を擽る天才だった。そのように思われているとは、露程も想像していないだろうが。
馬車が教会へと辿り着く。たった半日ほど外へ出ていただけで、懐かしく感じてしまった。本当にエディットはこの大聖堂へ来て以来、外へ出ていなかったのだ。レモンドと別れる前、もう一度礼を言って頭を下げた。この王都で、しかも来たばかりで、これ程自分に心を砕いてくれる人間が一体何人いるだろうか。その有難さを、理解しているつもりだった。
「あら、エディット殿、何処へ行っていたの?」
自室へと戻る途中、クレマンスと出会った。恐らく、あちらはあちらで、癒しの力を磨いていたのだろう。場所は別でも、基本見習いがすることは同じなのだ。一緒な時間割である。
「ちょっと冒険者ギルドまで」
「あらあなた、神官辞めて冒険者になるの?」
「冒険者登録が出来るのは、十三歳からですよ」
「知ってるわよ」
どうやら、常識らしい。知っていてエディットを揶揄いに来たのに、真面目に返されたものだから、つまらない顔をしている。悪い事をしたな、と、エディットは反省した。己は物知らずだが、このお嬢さんは、世間を知っているのだ。現状、箱入りに負けていた。
「エディット殿、靴ってね、履くものよ」
すると次は、手にしたままの靴を見て言った。
「履いたら汚れるじゃないですか」
成程、今日は機嫌がいいらしい。だから、エディットは話に乗ることにした。今度大丈夫だろう、と。何せ自分の中身は子供ではない。しかし相手は十歳である。冗談に冗談で返すくらい、わけない。その筈である。
「でもあなたが履いている靴はもっと汚れてるわよ」
「仰る通りなんですよね……」
会話終了である。続くどころかこれまた速攻で終わってしまったのだった。エディットは思った。もしかすると、会話の才能が無いのかもしれない。寧ろないのは才能ではなく、経験である。村社会で生きてきた弊害である。
「買ったの?」
「まさか、頂いたんですよ」
「冒険者ギルドって、靴をくれるの?」
「いえ、ギルドじゃなくて、神殿騎士の方が下さったんですよ」
「神殿騎士って、靴をくれるの?」
「多分、あの方が、変わってるだけですね……」
神殿に籍を置いている以上、例え神官の力は無くとも、神の意志に沿って生きているのかもしれない。分かりやすく言えば、弱者を助けよだとか、そう言う事である。エディットは、弱者だった。神官としての力は兎も角として、見た目がそうである。だから、レモンドが手を差し伸べたのかもしれない。だが、全ての神殿騎士がそうであるとは、流石に言いきれない。他を知らないのだ。
考える素振りを見せるエディットを、何処か呆れた顔でクレマンスは見ていた。直ぐに考え込むんだから、等と、そんな事を思っているのかもしれない。別に真面目な答えなど、此方は求めていないのだ。ただの、世間話である。
「よかったわね」
「うん」
それでも、エディットが喜んでいる事は分かる。だからクレマンスは、軽い調子で言ったのだ。するとつられたよう、エディットも素直に頷いたのだった。珍しく、子供らしい返答だった。




