神道
前回は大地母神の本質と比売神に付いて書いたので、今回は神道に付いて解説する。
現代の日本人は神道に関しての知識が殆どない。
比売神が処女の隔離と政略結婚だと言っても信じないだろう。
だから証拠となる物を提示しよう。
提示する証拠とは『言葉』だ。
自分では釣り合いのとれない女性の事を『高嶺の花』と言う。
『億劫』と言う言葉があるが『奥宮』と同じ読みだ、『奥宮』とは山の奥に神社を建てていたが山に登るのが面倒になったので麓にも神社を建てて集会所として利用し始めた事から出来た言葉だ。
当然、大奥も処女隔離所であって将軍の性奴隷収容所では無い。
女性に関する言葉では、『奥様』や『女将さん』も奥宮と神と同じ読みが使われている。
『天』『尼』『海女』これらの読みが全て『あま』だ。
『寺』も『てら』と読み、『照らす』から来た言葉だと分かる。支那人から文明を恵んで貰ったのなら、『寺』の読みが支那と同一でないのは明らかにおかしい。英語の『テラス』が丘として使われている事と、山の上に処女隔離所を作った事の関係性もある。
『天皇』も女神崇拝が行われていた事を示す証拠だ。皇は皇帝に使われている漢字で元ネタは三皇五帝である。三皇五帝と言う言葉を知った上で天照と素戔嗚の盟約を読むと、三人の女神と五人の男神が誕生している事が分かる。この事から三人の女神に注目すると、世界中の神話で三人の処女の神が見つかる。そしてそれを決定的に示しているのが百人一首だ。『百敷や古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり』百人一首の百首目で順徳院こと順徳天皇の作った和歌だが、これの意味は『百人一首には隠そうとしても隠し切れない素晴らしい過去への思いを書いた歌を集めた』だ。天皇家を名乗る一族が私たちは天皇ではありませんと言い証拠を子孫に託している。
更に日本では『王』を『おう』と読むが、『黄』の事も『おう』と読む、更に『金』は『aurum・オーラム』と言う。本当に紀元前の日本は海外との交易をしていなかったのだろうか?
『皇』『昴』『統べる』と『シュメール』の音がほぼ同じなのも偶然で済ませられるのか?
サイコロを一回振って一が出る確率は六分の一だ、だがN回振って全部一が出る確率は六分の一のN乗だ。
『皇』『王』『照らす』『三人の処女神』、偶然にそうなるとすると一体何分の一の確立になるんだ?
断言しよう、これらが偶然そうなる確率など存在しない。