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『骨法探偵 草薙仁』 〜真実は歪みの中にある〜  作者: やはぎ・エリンギ


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最終話 真実は歪みの中にある

 雨だった。


 草薙流骨法合気道場の縁側へ、細い雨音が流れ込んでいる。


 ちひろは、湯呑みを両手で持ちながら、静かな道場を見回した。


「……なんか、静かですわ」


「雨だからね」


 草薙は縁側に座ったまま答える。


 最近は依頼も減っていた。


 整える者。


 絵を描く誰か。


 半年かけて人を壊し、事件へ仕立てる存在。


 結局、最後まで輪郭は掴めなかった。


 捕まった人間たちは、みんな、自分の意思でやったと言った。


 脅されてもいない。


 命令もされていない。


 ただ、少しだけ背中を押されていた。


 ほんの少し。


 それだけだった。


「草薙さん」


「うん」


「結局、あの人、誰やったんですかね」


「分からない」


「珍しく、はっきり言いますね」


「分からないものは、分からない」


 ちひろは、少しだけ笑った。


 最初の頃なら、草薙はもっと曖昧に誤魔化していた気がした。


 今は違う。


 分からないことを、分からないまま置くようになっていた。


 それが、少しだけ大人に見えた。


「でも」


 草薙が空を見たまま言う。


「一つだけ、分かったことはある」


「何です?」


「人は、壊れる前に、必ず歪む」


 雨音。


 風鈴が揺れる。


「怒りとか」


「孤独とか」


「金とか」


「見栄とか」


「そういう小さい歪みを、誰かが利用する」


 草薙は、静かに続けた。


「整える者っていうのは、多分、悪を作る人間じゃない」


「……」


「もう歪み始めてる人間を、少し押すだけなんだと思う」


 ちひろは黙った。


 今まで見てきた犯人たちの顔が浮かぶ。


 生活費。


 奨学金。


 離婚。


 孤独。


 承認欲求。


 全部、どこにでもあるものだった。


「嫌な話ですわ」


「うん」


「普通の人が、普通に壊れていく」


「そういう時代なんだろうね」


 しばらく沈黙が落ちる。


 雨はまだ止まない。


 ちひろが、小さく息を吐いた。


「草薙さん」


「うん」


「うち、最初はもっと、派手な探偵想像してました」


「例えば?」


「名推理で全部解決して、最後に犯人が『まさか貴様だったとは!』って言う感じ」


「昭和だね」


「でも実際は、違いましたわ」


「どう違った」


「ずっと、人間の嫌な部分見続ける仕事やった」


 草薙は少し笑った。


「探偵って、そういう仕事だよ」


「夢ないです」


「最初から無い」


 ちひろは膝を抱えた。


「けど」


「うん?」


「嫌いではなかったです」


 草薙は返事をしない。


 代わりに、少しだけ目を細めた。


「草薙さん」


「うん」


「うち、強くなりました?」


「なったよ」


「最初より?」


「かなり」


「もっと早く褒めてください」


「毎回言ってる」


「足りません」


 ちひろが抗議する。


 草薙は少し笑った。


 その時だった。


 インターホンが鳴る。


 ピンポーン。


 二人が止まる。


 顔を見合わせる。


「……依頼ですかね」


「かもね」


「終わる空気やったのに」


「現実は空気読まない」


 ちひろが立ち上がる。


「はいはい、出ますよ」


 玄関へ向かう。


 引き戸を開ける。


 そこには、小学生くらいの男の子が立っていた。


「……あの」


「はい?」


「猫、探してくれませんか」


 ちひろが数秒止まる。


 後ろで草薙が吹き出した。


「草薙さん、笑わんといてください!」


「いや」


「依頼が猫探しって」


「平和でいい」


「平和ですね」


 男の子が不安そうに見上げる。


「だ、だめですか」


 ちひろが慌ててしゃがみ込んだ。


「だめちゃいます! 全然だめちゃいます!」


「探す?」


 草薙が奥から聞く。


 ちひろは振り返る。


 少しだけ笑った。


「……行きますか」


 草薙はゆっくり立ち上がった。


 雨は、いつの間にか止み始めていた。


 人は歪む。


 けれど、全部が壊れるわけじゃない。


 誰かが少し手を伸ばせば、戻れる人間もいる。


 だから今日も。


 草薙仁は、違和感を追う。


 その歪みの中に、人間を探すために。


                     完

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