第16話 死んだ父の署名
依頼人は四十代の男性で、スーツを着ていたが上着の袖口が少しほつれており、疲れた目をして草薙の前に座った。
「父の遺書が偽物だと思っています」
依頼人の名は永井浩二で、父の永井義雄は二ヶ月前に他界しており、遺書には全財産を義雄の再婚相手の梅田涼子に譲ると書かれていた。浩二への相続は一切なかった。
「遺書を見せてもらえますか」
浩二がコピーを出して草薙はそれを確認した。
「署名の筆圧が均一すぎるよ。本来、手書きの署名は最後の方で力が抜けるか逆に入るかどちらかになる。慎重にゆっくり書いた痕跡だ」
「お父さんが亡くなる直前、手が震えていたと言いましたよね」
「はい。病気で。字を書くのが難しかったはずです」
「手が震えていたのに、署名が均一ということは整合しないよ」
草薙は現場を確認して、翌日梅田の自宅に向かった。三十代の女性が出てきて愛想よく対応したが、草薙が「遺書の署名について確認させてください」と言った瞬間に目が動いた。梅田が「弁護士を呼びます」と言おうとした瞬間、部屋の奥から大柄な男が出てきた。
「帰ってください」
男が一歩前に出て草薙を押そうとした瞬間、草薙は押してくる力の方向に半歩だけ体を開いた。男の重心が前に流れた瞬間に草薙が足を軸にして低く体を沈め、男の前に出た足を外側から足払いで引っかけた。体重が乗ったまま足だけ流れて男が前に倒れた。
ちひろが倒れた男の肩を押さえた。
「倒れたままでいいですよ。話があるなら聞きますから」草薙が言った。
梅田が立ったまま動けなくなり、草薙は「落ち着いて話しましょう」と言って男から離れた。
後日、筆跡鑑定で遺書の署名は義雄の字ではないと判明して、梅田は遺書の偽造を認めた。
帰り道、ちひろが言った。
「草薙さん、さっきの足払い、相手の重心が流れたところに足を入れただけですか?」
「相手が押してくる力を利用して、実戦的な柔道の 出足払みたいな感じかな。自分の力は要らない」
「なるほど」
ちひろはメモ帳に書きながら草薙の隣を歩いた。




