88.見抜く
リリーだった黒い少女は何も写していない瞳をアンネマリーへ向けた。そして次の瞬間、閉じていた翼を勢い良く広げる。
嫌な予感を察知したアンネマリーは咄嗟に身を守る結界を張ったが、判断が僅かに遅かった。
大きな翼が全てを巻き込む様に限界まで広げられる。それは助走のようなものだったのかも知れない、そこから作り出された暴風がアンネマリー目掛け飛んできたのだ。
避ける事も結界を完全に張る事も出来ず、アンネマリーの体はいとも簡単に吹っ飛んだ。外への境界を無くした部屋から勢いよく体が投げ出される。
アンネマリーが与えられた部屋は2階だ。少し身構えれば骨折くらいで抑えられるかもしれないが、今回は勢いが凄い。
アンネマリーは感情のせいで制御し辛い魔力を無理矢理発動し、下から風を吹かせる。勢いを殺そうと思った行為だったが、それはほんの僅か緩んだだけでほぼ無意味だった。
勢いがほぼ死んでいない速さで屋敷の木に背中から強く打ち付けられた。
「んぁッ」
中途半端だが結界を張っていたので、衝撃は恐らく少しは緩んでいたのだろう。それでもやはり脳が揺れる程の強い衝撃にアンネマリーは短く呻く。
体は痛いが蹲っている時間はない。アンネマリーは直ぐに立ち上がり、自分が投げ出された部屋を見る。
「リリー……!」
部屋には遠目からでも分かる黒い小柄な人物が居た。それは間違いなくあの嫉妬深く、自分に素直なリリーである。
とにかく傍に戻らなければとアンネマリーは地面を蹴り上げ、空へ飛び上がろうとした。しかしその行為は正面から掛けられた声によって遮られる。
「ヘルマン侯爵令嬢!」
そこに居たのはカーティスとゲオルグだった。
2人とも焦った顔でこちらへ向かってくる。よく見れば使用人達やバルト子爵らも外への出て来ており、何事かと崩れた部屋を見上げていた。
「これは」
ゲオルグ達も崩れかかっている部屋を見上げる。そこに黒い人物を見つけ、息を呑んだ。
「何が起こってんだ」
そんなのこちらだって聞きたい。アンネマリーは今すぐにでもリリーの近くへ行きたい気持ちを抑え、大きく深呼吸をする。
「リリーが、あの演習の時のようになってしまいました」
「ていうとあれがそれかぁ……?」
「……そうです」
声は冷静だが、アンネマリーの視線は忙しない。2人を相手にしつつもリリーの事も気にしている。
カーティスもゲオルグも呆然とリリーを見ていた。ただ、本当に呆然と。何が起こっているのか分からないという顔で。
会話が途切れたところでアンネマリーはもう一度飛翔しようと足に魔力を纏わせた。しかしこれも不発となる。リリーが翼を大きく動かし始めたからだ。
「うわあ!」
誰かの悲鳴が聞こえたのとほぼ同時であったと思う。部屋にいたリリーであったものが、外へと出て来た。黒い翼を羽ばたかせ、ゆったりとこちらへ向かってくる。瞳は何も映していないように真っ黒だ。その瞳で上空からアンネマリー達を見ていた。
それは誰が見ても異様な姿であった。過程を知っているアンネマリーはそれがリリーだと分かっているが、他の人らは分かっていないのだろう。悲鳴を上げ、リリーから見えない場所を求め逃げ惑っている。
「あれがバルト子爵令嬢ですか……?」
肯定はしたくない。だがそれが事実だ。アンネマリーは顔をくしゃくしゃに歪めながら頷いた。
「演習の続きかぁ?」
カーティスの言葉は軽いが、顔から笑みは消えている。現実を受け入れたく無いという様に口元がピクついていた。
「リリー!!」
鼓膜を引き裂く様に聞こえて来たのは悲壮な声。その声の正体に気付いたアンネマリーは苦しさから目元に力を入れた。そして、短く息を吸い声の方へ視線を向ける。
視線の先に居たのはリリーの両親、バルト子爵とその夫人であった。2人はリリーがどんな姿になったとしても、それが娘と分かった様で驚愕の表情で空を見上げている。
「リリー!! どうして!!」
「いやぁぁぁ!!!」
青くなった顔で叫ぶのは異形な姿をしていても娘は娘だからなのかも知れない。リリーの面影など遠目では分からないだろうに、それでも気付いたのは2人が本当にリリーを愛していたからなのだろう。
リリーは真っ黒な瞳をこちらへ向けているだけで無表情、無反応で空中に佇んでいる。だが、何もしない訳はない。先程だってアンネマリーを吹き飛ばしたのだ。今動かなくても直に動き出す。
アンネマリーは念の為に、とかバルト子爵やカーティス達を包む様に広範囲な結界を張った。一枚で足りるか心配だった為、二重で張る。
「駄目だ!此処から出してくれ!」
子爵は結界が邪魔だという様に突然出来た膜を叩いた。だが、人間の叩く力で破れるような簡単な結界は作っていない。ガンガンという音だけが鳴るだけだった。
アンネマリーはバルト子爵と夫人の元へ向かう。子爵の言っている事はよく分かる。アンネマリーだって突然結界を張られ出られなくなったら『やめてくれ』と叫ぶだろう。
しかし、現実的な事を考えるならば避けられる危険は避けた方が良い。
アンネマリーは下唇を噛み、眉根に力を入れた。
その時である。
空に佇んでいたリリーが手のひらをこちらへ向けた。キュインキュインという耳慣れない異音。そしてその音と共に手のひらに渦を巻く何かが作られている。
「何だぁ、アレ」
カーティスの言葉は皆が思っていた事。カーティス以外が口を開けなかったのは衝撃で声が出なかったから。
次の瞬間、それが手のひらから放たれる。轟音と共に辺りが真っ白となった。
次回更新は明日16時頃になります。
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