86.再発
「リリーさん、声が」
アンネマリーは驚きつつも、彼女の声が戻った事に喜び、声を弾ませる。リリーの傍にいる侍女は感動しているのか両手で口を押さえ目に涙を溜めていた。
何がきっかけか分からないが、快方に向かっているのだろう。アンネマリーは明るい顔でリリーに呼びかけた。
「リリーさん、本当に良かった」
あの事件がきっかけだった。リリーの自業自得といえばそうだろう。だが、ペンダントの贈り主に仕組まれた事だとすればリリーは被害者になる。
アンネマリーは立ち上がり、リリーの横へと移動した。そして顔を覗き込むようにしゃがむ。おめでとう、良かった、そんな気持ちでリリーを見たのだが、視界に入って来たリリーの顔を見てアンネマリーは表情を無くした。
「え」
わなわなと震えるリリーの唇、歪んだ目元。
「どうして」
困惑、いや困惑という言葉では良い表せない程の強い衝撃。アンネマリーは食い入るようにリリーの瞳を見た。
白目がじわじわと黒くなってきている。それはいつかのあの日のように。
「違う……」
そう口にしたのはリリーだった。ぽつりと落ちた声は震えていた。だが次の瞬間、泣きそうな顔でリリーは自分を覗き込んでいるアンネマリーを蹴り倒す。
ヒールがアンネマリーの肩に抉り込み、アンネマリーは呻き声をあげながらその場に倒れ込んだ。
何が起こっているのか理解が出来ない。
普通に話していただけだった筈。筆談で、嫌味も混ぜつつ。
(なんで、一体……どうして)
アンネマリーは現状を理解出来ぬまま、それでも立ちあがろうとじくじくと痛む肩を押さえ、両足を床に付けた。
困惑したまま、アンネマリーはリリーの名を呼ぶ。
「リリーさん」
黒に侵食されているリリーはその声に激しく頭を振ると再び『違う!』と叫び出した。
何故そんな事を言うのかもアンネマリーには分からない。
アンネマリーはふと侍女の存在を思い出し、視線を彷徨わせる。リリーの後ろに簡素なワンピースが見え、それが床に広がっていた。よく見えないが恐らく床に倒れているのだろう。何があったのかは分からない。だがピクリとも動かぬ様子を見て、意識はないだろう事が分かった。
「リリーさん、あなた」
目が黒く、黒く変わっていく。それが進むにつれリリーの錯乱も激しくなっていった。
止めようにも『違う!違う!』と繰り返すリリーにはもうアンネマリーの事も見えていないようで、何度声を掛けても何も反応を返さない。ただ激しく頭を掻き乱し、違うと言うだけだった。
「え、これは」
アンネマリーは気付いた。リリーが錯乱するにつれ、魔力が周囲に漏れている事を。そしてそれはリリーから出ているのは間違いないが、リリーの魔力とは別のものだという事も。
アンネマリーはこのままではいけないと倒れている侍女の元へ駆け出す。錯乱してこちらを認識していなかった筈のリリーの瞳が動いたアンネマリーを目で追いかけた。
「何でアンタが!!!」
その言葉はいつぞや聞いた事がある言葉。リリーが言葉を発した瞬間、リリーから漏れる魔力が一気に膨らんだ。それは風船のように限界値まで部屋を覆い尽くす。
アンネマリーは咄嗟に自分と侍女へ結界を張った。それも一重ではない、三重のものだ。
アンネマリーが指を鳴らしたのとほぼ同時に部屋に充満した魔力が轟音を立て、爆発する。暴風と吹き飛ぶ瓦礫の中、アンネマリーは結界の中で苦しそうにもがくリリーを見た。
(リリーさん)
アンネマリーはまだリリーに自我がある気がしていた。酷く狼狽しているが、あの時のように人形の様になってはいない。力に振り回されそうになるのを必死に拒否しているのかも知れない。
どうしたらこれを止められる?アンネマリーは結界の中でリリーを止める術を考えた。しかし、これが何なのかも分からない状態では答えなど出るはずも無く、自分の無知さに怒りが湧く。
暴風が止むのを待つ中、アンネマリーは自分の中の知識をひっくり返し、これからの事を考えていた。
―――カサ
思考を途切れさせたのは紙だった。紙の擦れる音がし、アンネマリーは視線を落とす。見覚えのある紙にアンネマリーは脳が命令するよりも早く、それに手を伸ばした。
それはリリーが最後に書いていた、あの紙である。
アンネマリーはそれを手に取り、癖の強い文字をひとつひとつ丁寧に読むと苦しそうに顔を歪めた。
『私達、友』
最後まで書かれなかった文字は何を伝えようとしていたのか。分かりたいが分かりたくない言葉にアンネマリーは下唇を噛んだ。
「リリー」
漏らした声は涙に濡れているかのように震えていた。
次回更新は明日16時頃になります。
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