55.王太子とは
朝食と夕食は家族で取る決まりのあるヘルマン侯爵家。今は夜、夕食の時間である。アンネマリーは既に着席していたヘルムートの隣である定位置に腰掛けた。
ヘルムートと父ギュンターがちょっとした仕事の話をしているのに耳を傾ける。内容は城内で起きた同僚同士の小競り合いの様だった。どうやら同じ女性を好きになってしまった事が発端の様で最終的に殴り合いにまで発展してしまったらしい。喧嘩の仲裁にギュンターとヘルムート、そして騎士団長も止めに入ったというのだから中々な喧嘩だったのだろう。
「一人の女性を巡って喧嘩なんて素敵ねぇ」
アンネマリーは凄い事もあるもんだと思っていたが、母エリゼの感想は違ったらしい。目をキラキラとさせ、絵本の続きを強請る様にギュンター達を見ていた。
「それで女性はどちらを選んだの?」
「ああ、その女性はそもそもその場には来ていなかったら君が思う様なロマンスは無いよ。それにその女性には他の婚約者が居るし、結婚の日程も決まっている。恐らくどちらも失恋するだろうね」
「まあ!」
可愛らしく驚きと共に両手で口元を覆ったエリゼを見て、ギュンターは愛おしそうに目を細めた。ギュンターからしたら愛しい妻の可愛らしい動作なのかも知れないが、子供二人からしてみれば『あざとさの塊』の様な母だ。勿論子供な為、母に裏など無い事は知っているのだが、それでも両親を見ていて思うところはある。
デレデレしているギュンターの意識を戻す為か、ヘルムートが軽く咳払いをした。その声にギュンターはハッとし、背後にいる執事に声を掛ける。
「始めてくれ」
「承知しました」
執事の合図と共に今夜の食事が運ばれてくる。アンネマリーはナプキンを膝に掛け、目の前に置かれた料理を見た。前菜はきのこのテリーヌ。ほぼ形を無くした鶏肉に様々なきのこが混ぜられていた。彩のためかパセリが乗っており、そのお陰か地味な色合いは一気に食欲を唆るものとなる。
アンネマリーはそっと音もなくナイフを入れ、口にテリーヌを運ぶ。鶏肉ときのこの旨味が口一杯に広がり、今日の疲れが一気に吹き飛んだ。この様々な種類のきのこが入っているのも食感が楽しくてとても良い。
ほんの少し口角を上げながら咀嚼しているとギュンターがそういえば、と声を上げた。
「アン、エドウィン殿下とはどうだい?」
アンネマリーは食べる手を止め、口元をナプキンで軽く拭くと、ギュンターのその大雑把な質問への答えに暫し悩んだ。
仲良くやっているか?という事であれば喧嘩も無く、順調だ。良い人か?という事であれば、今のところはという感じだろう。どちらにしても問題はない。不満なく過ごしている。
口の中の物を咀嚼し終わったアンネマリーは少し不思議そうな声で返事をした。
「問題なく過ごしてます。喧嘩も今のところ無いですし」
「その歳で婚約者になったばかりの人とはそうそう喧嘩しないだろう」
笑いながら言うギュンターにアンネマリーは、少し考えるように視線を上にやった。
「婚約する前には喧嘩しましたね、ちょっとした」
娘の声に驚いたのはギュンター、そしてエリゼもだった。
「喧嘩!?皇子と喧嘩したの!?」
「アンちゃん!喧嘩出来たの?」
二人の驚きにアンネマリーは仰け反る。そんなに驚く事だとは思ってもみなかった。チラリと横目でヘルムートを見れば、彼は彼で興味なさげにワインを飲んでいる。兄は驚いていないのに両親が驚いている事が謎だった。
アンネマリーは二人の様子を見つつも、止めていた食事を再開し、フォークを口に運ぶ。
そんなアンネマリーの両親はと言うと、驚きの種類が違っていた。
まず父ギュンターは隣国の皇子と喧嘩をしたという娘の言葉に素直に驚いていた。貴族というものは王が絶対だ。それが自国のであれ他国のものであれ、平伏すものだとギュンターは思っている。まあ、愚王であればその限りでは無いが、基本はそんなものだ。なのにも関わらず、アンネマリーは喧嘩をしたと言う。どんな事で喧嘩をしたのかは知らないが命知らずな行動に一瞬で肝が冷えた。
母エリゼはアンネマリーが喧嘩をしたこと事態に驚いた。娘は他人と喧嘩をする性格ではないと思っていたからだ。アンネマリーは頑固なところはあっても基本的には波風を嫌う性格をしている。だから喧嘩をするよりもその人を切り捨てる方が楽だと考えると思っていた。
それなのに喧嘩をした人と婚約まで結ぶとは……エリゼはアンネマリーが変わって来たのだろうと気付いた。それが登校を始めたからなのか、はたまた婚約をしたからなのかは分からない。だが良い変化には違いない。エリゼの顔に自然と笑みが溢れた。
「アンちゃんも喧嘩する様になったのねぇ」
しみじみしているエリゼにアンネマリーは小首を傾げる。
アンネマリー的には自分は沸点の低い人間だと思っていたからだ。喧嘩をする様になったも何も無い。侮られればいつでも買う準備は出来ている。
「今までは喧嘩をする相手があまり居なかっただけで、恐らく私は喧嘩っぱやいですよ?」
「あら、そうなの?」
「エドと……あ、いやエドウィン殿下と喧嘩をしたのも私がプチンと切れてしまったのが原因ですし。まぁ、あの演習の時だったので色々な事が重なったというのもありますけど」
アンネマリーは演習の時の心の乱れを思い出し、少し苦笑した。今思い出しても酷い態度に、よくエドウィンは婚約を取り下げなかったものだと感心する。やっぱり無理と思われても仕方無い態度だった。
爛々と目を輝かせるエリゼに気付き、アンネマリーは母を呼んだ。
「母様?」
エリゼはギュンターへ嬉しそうに視線をやる。
「ギュンター聞きました?アンちゃんたら殿下の事、愛称で呼んでるみたいよぉ」
「あ、あぁ。そうみたいだね、驚いた。良かったよ、仲良くやっていそうで」
嬉しそうなエリゼとは違い、ギュンターの顔色は若干悪い。良かったという言葉にも心が篭っていなかった。
「やっぱり学園は良いものでしょ?アンちゃんは綺麗で可愛いからすぐ婚約者が出来ると思ってたわぁ。まさかカドリック帝国の皇子だとは思ってなかったけど。流石は私とギュンターの娘ねぇ、大物捕まえたわねぇ」
食事時で無ければ踊り出しそうな雰囲気に、アンネマリーは口をムンと突き出した。
まるで婚約者を探しに登校を始めたみたいな物言いに苛っとする。エリゼからしたらそうかもしれないが、そもそもはよく分からない渾名を払拭する為に登校を始めたのだ。婚約者なんて結果出来ただけで、そもそもは必要性を感じていなかった。エドウィンに求婚され、別に良いかと思えたから婚約をした。これがエドウィンで無ければきっと誰とも婚約しなかっただろう。
それにアンネマリーが捕まえたのでは無い。エドウィンに捕まえられたのだ。
怒っているアンネマリーの顔を見て、ヘルムートが溜息を吐きながら助け舟を出した。助けたのは当然エリゼの事。アンネマリーの不満が噴出する前に話を変えた。
「そういえば今度、婚約者と共に王太子の茶会に招かれたらしいな」
ヘルムートの声にアンネマリーは怒りの思考を止めた。
そうだ、そうだった。アンネマリーは父と兄に王太子の事を聞こうと思っていたのだ。二人は役職を持っている事もあり、王太子とも近しい間柄にある。ヘルムートは側近とまではいかないが、それなりに頼りにされていると聞く。
ならばどんな人物なのか絶対に知っている筈だ。情報を得て、お茶会に挑みたいアンネマリーは怒っていたのも忘れてその話に乗った。
「そうなんです。来週の土曜日にお会いする事になって。王太子殿下はどの様な方なんでしょう」
差し障りの無い言葉で聞くと、ギュンターとヘルムートが顔を見合わせた。何処となく困った顔をしているのは何故だろうか。
「王太子殿下はそれはそれは素晴らしい人だよ」
先に口を開いたのはギュンターだった。その言葉にヘルムートも頷く。
「そうだな、如何にも王子らしい人ではある。………癖はあるが」
「癖があるんですか?」
小声で言われた言葉にアンネマリーは食いついた。
「そりゃあ、人間だもの。癖の無い人間なんてイナイヨ」
「父様、片言」
「父上の言う通りだ。癖の無い人間等いない。あと王太子は意地が悪い。気を付けろ」
「意地が悪い……きをつけろ……」
ポカンと口を開いたまま、ヘルムートの言葉を繰り返す。
二人の様子からするとあまり良い感じの人では無さそうだ。
アンネマリーは記憶にある王太子の姿を思い出そうとした。最後に姿を拝見したのはいつだったか、もう何年も前だった気がする。ここ最近の姿絵も興味が無かったので見ていない。でも確か顔立ちは整っていたような……
(駄目だ、思い出せない)
自分に王太子の基本情報も少ない事に気付いた。引き篭もり故の障害だ。
「王太子殿下ってご結婚は?」
「まさかそんな事も知らないのか?」
「ええ、知りません。確か公爵家のご令嬢が婚約者でしたよね?」
顔も思い出せないと言ったら何と言われるのだろう。アンネマリーはヘルムートの方を見ずに答えた。ヘルムートは片眉を上げ、不思議なものでも見る目でアンネマリーを見ていたが、思うものがあったのかその表情を戻し、またワインに口を付ける。
アンネマリーの疑問に答えたのはギュンターだった。
「トールマン公爵家のクラリッサ嬢だよ。どうやら数年前から体調が思わしくないみたいで結婚が伸びてるんだ」
「それは、なんとも……何かご病気に?」
「様々な医師に見させているみたいだが、原因は分からないみたいでね。先月、領地へ療養へ行かれた。婚約はどうするのかと議会で騒がれたが王太子殿下はクラリッサ嬢以外は娶らないと一蹴してね。あれにはスカッとしたよ」
その場面を思い出しているのか、悪い顔をして笑ったギュンターを見てアンネマリーは先程の言葉を思い出す。
『癖がある』と言われたが、この話を聞く限りそれ程問題のある人では無さそうだ。寧ろ好印象を持てる人物である。
「素敵な人ですね」
アンネマリーがそう口にすれば、ギュンターとヘルムートの顔が固まった。
「……そうかもしれないね」
「……そうだな」
ほぼ同時に聞こえた声に思わずアンネマリーはエリゼを見る。にこやかに微笑んだエリゼにつられてアンネマリーもぎこちなく微笑んだ。




