54.朝の行事と温室と
「お姉様、おはようございます!」
その女生徒は蕩けるような笑みを浮かべ、優雅に腰を僅かに下ろした。膝丈のスカートを親指と人差し指で摘むその姿は淑女のお手本の様である。その指の先まで美しい所作は同じ女でも惚れ惚れする程だ。
アンネマリーは自分を真っ直ぐに見つめ、挨拶をする女生徒に諦めにも似た表情を見せた後、緩やかに微笑んだ。
「ええ、おはよう」
挨拶を返した瞬間、爽やかな風がアンネマリーの髪を撫でる。ヘルマン家特有のオパール色に輝く髪がふわりと広がり、その美しい色彩をまざまざと見せつけた。
アンネマリーは風に靡く髪を片手で抑え、その流れで耳に掛ける。ふっ、と風に目を細めるとルビーの様な赤い瞳がオパール色の睫毛に彩られた。翳りが落ちた瞳に色彩が映る。その見た事のない美しさに校門に悲鳴が響き渡った。
「お姉様!」
「素敵過ぎますわ!お人形さんの様ですわ!」
「これ以上美しくなられてどうしますの!」
「妖精!いえ!女神様!」
「私、涙が溢れて!」
「わかります!わかりますわ!尊いものを見ると涙が溢れますわよね!!」
キャーキャーと楽しそうにしている人々をアンネマリーは遠い目で見ていた。
(一体何だって言うの、これは)
目の前、詳しく言うと校門から校舎へと続く道の両端で行われている光景に、アンネマリーは頭を抱えたくなった。
これはある時から行われている毎朝の恒例行事である。そのある時とは一ヶ月程前にあった魔獣討伐演習だ。そこでアンネマリーが竜、実際には竜もどきなのだがそれを討伐した事により何故か女生徒にモテる様になってしまったのだ。
その演習から暫くは王宮での取り調べで学園にあまり足を運べていなかったのだが、登校したらしたでファンクラブが出来ており驚いた。知らぬふりをしていたかったがファンクラブの突撃に遭い、公認させられた結果が今のこれだ。
ちなみに『お姉様』とは言っているが、その中には同級生もいたりするので、アンネマリーにはもう『お姉様』の定義が分からない。
「皆様、落ち着いて下さいまし!お姉様が疲れておりますわ!」
黄色い声をあげている女生徒達へ一喝するのはこのファンクラブの会長であるケイシーである。艶やかな金髪に縦ロールを施しているケイシーは少し吊り目がちの綺麗め美人だ。公爵令嬢というアンネマリーよりも高位の家柄なのだが、何故かファンクラブの会長をしている。
この朝の行事もまずケイシーが挨拶をしてから他の会員が挨拶をするらしいのだが、アンネマリーにはあまり理解出来ないものだった。だが、慕われているという事は分かる為、無碍にも出来ず海に揺蕩うクラゲの様に全てを受け入れている。
そんなケイシーの一言に会員達はピタッと声を出すのをやめ、姿勢を正した。訓練された騎士の様な統率はいつもながら感心する。
「お姉様、失礼致しましたわ。皆、お姉様の美しさに我を忘れてしまった様でしたの。人を狂わせる美しさを持つお姉様……素敵ですわ!」
途中までは普通だと思ったのだが、段々と鼻息荒くなっていくケイシーにアンネマリーは乾いた笑い声を出した。もう良いから教室に行かせてくれ、そう思ってしまうのは仕方が無い事だと思う。
アンネマリーはケイシーに短く返事をした。
「うん、ありがとう」
「お姉様!鈴の様な声ですわ!」
何をやっても裏目に出る。
アンネマリーはこの状況にがっくりと肩を落とし、キラキラと輝く沢山の視線を身に受けながら校舎までの道を歩く。
「お姉様!今日も一日頑張って下さいね!」
ケイシーの声掛けに力なく何度も頷き、やっとの事で校舎に入れたアンネマリーはそそくさと裏庭へ逃げた。向かうのは当然、温室だ。
春には華やかだった花達よりも、緑が目立ち始めた裏庭を抜け、アンネマリーは温室の扉を開けた。中を道なりに進むと、ある一角に見知った黒髪の男が植栽エリアに横たわっていた。
それを見て、アンネマリーは不快そうに眉根を寄せる。
「そういう明らかに入っちゃいけない所に入るのは頂けないなぁ」
アンネマリーの声に黒髪の男、エドウィンは閉じていた瞳を開けた。
「此処はいい場所なんだが、寝る場所が此処しかないのが問題だな」
横たわっていたエドウィンは身を起こし、服に付いた草や土を叩くとゆったりとした動作でアンネマリーへ近付いた。その袖に草が付いているのが見え、アンネマリーは迷う事無くエドウィンに手を伸ばす。
「まだ草付いてる」
袖に付いた草を仏頂面で摘んだアンネマリーを見て、エドウィンは微笑んだ。仏頂面で面倒を見てくれるその様子が可愛くて仕方ないのだ。
アンネマリーはアンネマリーでエドウィンの顔面に弱い為、微笑みに何故か負けた気分になり、口を尖らせながら顔を横に向けた。
「まあ、確かに立ち入りを禁止されているエリアに入るのは良くなかったな。学園長に温室にソファーとテーブルセットが置けるか聞いてみるか」
エドウィンは不貞腐れているアンネマリーの様子を見て、禁止エリアに入ったから怒っているのだろうと勘違いをした。
だが実際にはエドウィンの顔面の良さに何でも許してしまいたくなる自分に苛付いて、こうなっているのだが説明しなければ分からない事だろう。この感情をアンネマリーが言うつもりは毛頭も無いのでエドウィンが一生気付く事はない。
「アンはどんなソファーが好みだ?」
「皮はペタつくから苦手。程良く硬いものが好き」
「確かに体があまりにも沈むソファーは俺も好みでは無いな」
あれからアンネマリーはエドウィンと正式に婚約を結んだ。エドウィンがカドリック帝国の皇子と言う事もあり、書面はカドリック帝国から届けられた。勿論、この国の書面にも記入した。国が違うと色々とあるらしく、その書類の他にも3枚程の書類に記入する事になり、目は泳ぐは手は震えるわで大変だった。
お披露目式はまだやっていない。カドリック帝国でやる予定なのだが、そんなホイホイ行ける場所では無いので夏の長期休みに合わせて行う予定だ。
何はともあれ、婚約者同士となったアンネマリーとエドウィンは以前よりも二人きりで過ごす事が多くなった。
婚約を知ったサラが遠慮をしているという事もある。遠慮しなくても良いと言ったのだが『いやいやいや』とニヤニヤしながら何処かへ行ってしまうのだ。
「という事なんだが、大丈夫か」
お披露目式とサラの事を考えていたアンネマリーは突然の問い掛けにハッとしか後、何の事かと首を傾げる。
本当に聞いていなかった。ソファーの話しか聞いていなかった。そういえばエドウィンがずっと何かを話していた気はするが、全く耳に入っていない。
「ごめん、聞いてなかったわ」
素直に謝るとエドウィンはやっぱりと言いたげに戯けた感じで瞳を動かした。
「王太子から茶会の招待状が届いたんだ。アンと一緒にこいとの事だ」
「ん?」
「茶会、大丈夫か?」
楽しそうに聞いてくる顔にポカンとする。断れる筈も無いお茶会に、アンネマリーは戸惑いながら頷いた。




