昼の部・唐揚げ酢豚風
地震の描写があります。これに関して不快感を示す方は注意してください。
「ジョニー、昨日ゲンさんに助けて貰っといてお礼一つせずに帰ってきたんだって? 駄目じゃないの、ちゃんとお礼言わなきゃ」
向かい合って正座する姉の前で正座し、項垂れてバツの悪そうな表情を浮かべる。ジョニーは横目で素知らぬ顔で弟妹と遊ぶエレナを犯人を見るかのような目で睨んだ。
(お前だろ、姉ちゃんに今日の事チクったの……!)
(うん)
そんな時でもアイコンタクトが成立するくらいには仲が良い2人。
普段は温厚で優しい姉だが、怒る時はしっかりと怒る。兄弟全員が頭が上がらない存在に怒られては、勝ち気なジョニーも何も言い返せない。今回は向こうに非はなく、こちらに非があるのだから。
「ジョニー! 聞いてる!?」
「き、聞いてる! 聞いてるって姉ちゃん!」
床をバシバシ叩く姉にすっかり委縮し、ありがたいお説教に耳を傾ける。こうなった原因……もとい、理由である店長の事を考えれば業腹だが、言っていることは尤もなので怒りはすぐに静まるが、モヤモヤ感は残ったままだ。
「とにかく、明日ちゃんとお礼しに行こう? わっちも一緒にお礼しに行くから――――」
そこまで続いた姉の言葉は、突如として揺れるあばら家のせいで途切れた。
天井に吊るされた灯りは大きく揺れ、棚や机椅子がガタガタと震える。平衡感覚すら保てない揺れの中で幼い弟妹達は怯えて、錯乱するばかりだ。
「落ち着いて! ちゃんと収まるから!」
揺れの正体は、十数年ぶりに起きた大きめの地震だった。この地震による死傷者は0人、揺れに驚いて少しぶつけた程度の軽症が数名と人命被害はなく、建物の倒壊など一軒もなかった。本当に、偶に起こるちょっとした地震でしかなかったのだ。
バキリッ
「え?」
そう、築何十年で地震対策もしていないオンボロのあばら家でもなければ。
「ふんふん……金貨が5枚に銀貨が21枚、銅貨が40枚と……なかなかの売り上げみたいだねぇ」
「ははは……恐縮です」
コンクリートばかりで構成された都心部、その裏路地に店を構える怪しげな老婆は祖父の知人であるという。
遺言に従って異世界の通貨を日本円に換金してくれる、厳にとって非常にありがたい存在だが、この店が一体何の店なのかは彼にも分からない。異様に角の大きい牛の頭蓋骨のようなものが飾られていたり、極彩色の液体に満たされた瓶が棚に並べられていたと思ったら、カウンターの奥には剣や槍が飾られている。
自分の店と同じく異世界に通じる場所だというのは何となく理解できるが、詳細を聞くのは気が引けるような場所だ。老婆に害意は一切なく、他に換金する店が無いので通い詰めているが、あまり入ろうとは思えないというのが正直な感想である。もっとも、棚に飾られた益体とかは料理人として少し気になるが。
「ヒッヒッヒッ……その瓶を買っていくかい?」
「え!? いや、今日はちょっと買う物も決まってるんで、また今度にします!」
内心を言い当てられてドキッとする。やはり彼女はただ者ではない気がした。
「そうかいそうかい。それじゃあ、これが換金分だよ」
「あ、どうも」
「アタシもそろそろジンの料理の味が恋しくなってきてねぇ……また近い内に店に顔を出すよ。ヒッヒッヒッヒッ」
「そん時は、俺も腕を振るいますよ」
まるで御伽噺の魔女のような笑い声を背に店を出る。
厳の……というよりも、祖父から譲り受けた異世界に通じる家は都心部からスクーターで10分ほどの農地が集中した場所にある一軒家だ。
新聞勧誘業者ですら寄り付かない辺鄙な土地に住む奇特な若者に、親切な近隣農家から形の悪い野菜をおすそ分けして貰いながら家庭菜園を始め、安価無料で手に入れた食材で料理研究、料理以外の遊びをしたりするのが厳の地球での過ごし方だ。
「おっ。ピーマンが良い具合だ」
そうして帰ってきたのは午前9時半。庭に埋めた食べ頃のピーマンを採り、遅い朝食を作るために店に向かうと、ドンドンドンドンと何度も扉を叩く音が聞こえてきた。一体何事かと思って鍵を開けて扉を開くと、そこには青髪の犬獣人の女の子が両目に涙を貯めて厳を見上げていた。
「お前は、アルマの妹の」
少女は《うめや》唯一の従業員の妹、ウルだった。
「ゲンさ……! お家が……皆が……!」
涙声の上に混乱しているのか、要領を得ない単語を繰り返すウル。しかしその必死な様子にただ事ではないと察した厳はウルを抱えてアルマの家まで走った。雇うに当たって聞いた住所によればアルマの家は近年収縮しつつある貧困街にある。無頼を掻い潜り、急いで向かうと、ちょっと余り見ない状況になっていた。
昭和時代にありそうなあばら家が斜めに傾いていたのだ。
「…………」
思わず眼を擦ってもう一度見るが、やっぱり見間違いではない。割れた窓ガラスからそっと中を覗き込めば、倒れようとしている壁を脂汗を浮かべながら支えるアルマたち姉弟の姿が。
「ゲ、ゲンさん……助けて……!」
「大丈夫……か?」
「大丈夫じゃないよぉ……!」
「取り合えず、つっかえ棒探してくるわ」
「そ、それだったら家の裏に……! で、出来るだけ早くね……!」
その後、家の裏に積まれた修理用の木材を支えにして何とか家から這い出たアルマたち。生きていることの素晴らしさを噛み締めながら、ゼオはポツリと呟いた。
「アル姉、貧乏で死にかけるなんて思いもしなかったね」
倒壊寸前の我が家を眺め、途方に暮れる姉弟たち。そこには灯りを持っている厳と、《うめや》の常連であるドラモスが軒下を調べていた。
「こりゃあ駄目だな。土台が腐ってて修理できねえ。新しく建てた方が良いぜ」
「あー、そうですか」
本職は鍛冶職人だが、建築にも理解が深いドワーフに頼み込んで調べてもらった結果、そのような答えが返ってきた。立て直す費用はあるのかとアルマを見ると、彼女は静かに首を振る。心なしか、尻尾もしょんぼりと垂れ下がっていた。
「しかし何があってこんなことに?」
「何でぇ、気付かなかったのか? 1時間くらい前に地震があっただろう」
どうやら厳が地球にいる間、アルカディアは地震に遭っていたらしい。そしてこのあばら家が倒壊しかけ、その時たまたま外に居たウルだけが難を逃れ、アルマに言われて大人の助けを求めに行ったらしい。しかしウルの知り合いの大人と言えば厳だけだったので、他の大人に頼るという考えに至らず、救出には時間が掛かったとのこと。これで全員無事だったのは運が良かったのだろう。
しかし従業員が寝食する場所が無いというのは、飲食店としては致命的だ。衛生的にも福祉的にも非常に良くない。そこまで考えた厳は頭を捻って今後を悩むアルマに提案を持ち掛けた。
「アルマ、行くところないんだったら俺の家に来るか?」
「「え!?」」
その言葉に反応したのは当の本人のアルマと、家から荷物を運び出していたジョニーだった。
「幸い俺の家は部屋が余ってるし、お前ら8人増えたくらいならまぁ……何とか収まるだろ」
「いや、でもそれは流石に悪いですって! いくらゲンさん1人暮らしでも全員来たら邪魔にならない!?」
「従業員がホームレスの方が問題だ。飲食店で働いておきながら野宿なんて認めないぞ俺は。職場も同じ建物の中だし、便利だろ」
「で、でも」
返せるものが無いと遠慮しがちな様子のアルマに厳は条件を突き付ける。
「まぁ、もちろん家賃は払ってもらうけどな。値段の方は応相談で。それならどうだ?」
明らかに揺れているアルマを見てジョニーは焦る。
言っていることは理に適っているが、見方を変えれば同棲ではないか。結婚もしていない姉と厳が一つ屋根の下で暮らすなんて、そんな事断じて認められない弟は反対の声を上げようとするが――――
「そ、そんなの認められむぐぅっ!?」
「はーい! アタシはそれでいいと思う!」
タオルを猿轡に見立ててシスコンの口を縛り、賛成の声を上げたのはエレナだった。
「皆も住む場所ある方が良いよね?」
「むぅー! むむぅーっ!!」
同意を求める声にうんうんと頷く弟妹達に声にならない叫びをあげるがそれも意味を成さず。多数決と女の情に後押しされたアルマは厳の提案に乗るのであった。
こうして、最愛の姉を奪おうとしている男と同居せざるを得なくなったジョニー。家族全員が乗り気なせいで反対できなかった彼も最後には折れ、あばら家から《うめや》の住宅スペースへの引っ越しは昼過ぎで終わりを告げた。
元々物は少なく、棚などの大きなものは家を解体しながら取り出すことにし、衣服やタオルなどの布類に財布をはじめとした貴重品だけを運び出したのだ。
怪我人がいなかったのは不幸中の幸いだったが、家が倒れかけたせいで精神的に疲労したアルマたちは、荷解きや部屋割りを後日改めて行うことにした。
「トイレはここ。風呂の使い方は後で教えるとして、そこの扉は開けるなよ? 企業秘密だから」
『『『はーい!』』』
弟妹たちに家の事を丁寧に説明しているゲンを憮然とした表情で眺める。エレナの策略でジョニーの知らぬ間に面識を持っていたらしく、随分と慕われているように見える。まだ受け入れきれないジョニーも厳の人の良い性格は昨日の一件で伝わっているが、長男としての立ち位置が揺らぎそうで何となく不安だ。
「さてと、引っ越しも一段落したことだし、そろそろ昼飯にでもするか」
「出来るまで待ってな」と言って店の大きな厨房で作業を開始するゲン。その様子を暇を持て余した弟妹達が覗き込んでいたが、ジョニーはその輪に入れなかった。どんな事をしているのかは気になったが、素直に見学するのも癪だったのだ。
頬杖をついてそっぽを向いていたジョニーだったが、ジュワワワワワッという何かが連続で弾けるような音と歓声につられて、思わず厨房の方に顔を向けると、食欲を直接刺激するような芳しい香りが漂ってきた。
「うわー! すごー!」
「良い匂ーい!」
「アル姉、何が出来るのかなー!?」
「んー、何だろうねー」
音と匂いの正体を訳知り顔で惚ける姉を尻目に、ジョニーも匂いの発生源に釘付けになる。彼らの耳は料理の期待値でピコピコ、尻尾はブンブンと揺れていた。
「えー!? まだ―!?」
「何でまた戻しちゃうの―!?」
やがて音が止み、ようやく調理が終わったかと思いきや、カラカラカラカラと先程とは微妙に違う音と共に弟妹達が不満を零す。
「これは二度揚げって言ってな。こうすると表面がカリカリになるんだよ」
そう答えたゲンはきつね色の固形物を8つばかし皿に移し、それぞれ楊枝を突き立ててカウンターの上に置く。
「もうちょい時間かかるし、それまでコイツでも摘まんでみるか?」
美味いを連呼しながらジュワジュワと音を立てる熱いのそれを、ジョニーは息を吹きかけて冷まし、恐る恐る齧る。
歯を突き立てればザクッと音を立てる表面。それでいて中身はしっとりと柔らかい。そして溢れ出るの旨味たっぷりの肉汁は、ジョニーも食べたことがある鶏肉のものだった。
信じられないものを食べた気持ちで味わうように咀嚼する。今まで食べていた鶏肉というのは、基本的に事故で死んだり老いた鶏を潰した廃鶏と呼ばれる硬い鶏肉だが、この肉は弾力がありながら硬さはない。中身の柔らかさは表面のカリカリとした食感と合わさり食べた者を飽きさせない。
(これが……この店の味)
今思えば、《うめや》の料理は食べたことはあるが、それは冷えても美味い料理ばかりで、出来立て熱々の料理を食べたことが無かった。この味を求めて多くの客が足繁く通っているのかと思うと、ジョニーはゲンのことを何も知らないのかと痛感する。
「さて、出来たぞ。題して、唐揚げの酢豚風だ」
大皿に乗せられてきたのは先程の鶏肉料理に大ぶりにカットされたタマネギ、ピーマン、ニンジンが入ったソースを纏わせた料理だ。あれではせっかくのカリカリ感が台無しになるのではないかと思ったが、鶏肉の匂いに甘酸っぱい匂いが交じり合い、それだけで涎が溢れ出そうになる。
「本当だったら豚肉を使うところなんだけど、本に書いてあったの見て美味そうだったんでな。遠慮せず食べてくれ」
ゲンがそういうと、弟妹達は我先にとフォークで肉や野菜を突き刺して頬張る。全員の後に食べようと遠慮するアルマを見て、ジョニーも鶏肉とピーマンを一度に突き刺して頬張った。
肉の潤沢な脂は酸味と調和し、表面はサクッとした歯ごたえを残しながら少しだけしっとりとした味わったことのない新食感。これは出来たでだからこそ味わえる食感だが、時間が経った状態でも見劣りしないことをジョニーは思い知ることになる。
ソースを吸ってふやけた表面を噛み締めれば、香ばしい香りと共にジュワリとソースが染み出してくる。カリカリとした食感も素晴らしいが、純粋な柔らかさと中身の肉にまでソースが染み込んでいるのも美味い。これは一皿で2度楽しめる料理だ。
アルカディアには無かった全く未知の料理を作った料理人に眼を向けると、彼は姉と穏やかに笑いながら談笑していた。喜怒哀楽が激しい姉が心底幸せそうに笑う事は珍しい事ではない。家族との団欒の時の表情はまさにそれだ。
だが、今の姉の表情をジョニーは見たことが無い。彼女がゲンに向ける表情は、弟妹に向けるものでも、かつての両親に向けていたものでも、親しい友人に向けるものでもない。温かさとはまた違う、情熱的な感情を帯びたそれだ。
「どう? アル姉のあの顔見て、まだゲンさんとの仲を邪魔する気?」
「うぐっ!?」
悪戯っぽい笑みを浮かべたエレナが耳元で囁く。本当はジョニーも姉の胸の奥に宿る感情の正体を分かっていたのだ。それを実際に目の当たりにして、どうするのが姉にとって一番良いのかを理解したのだが、それでも姉離れできない弟は理屈を振り払って叫んだ。
「ね、姉ちゃんは嫁にはやらねえからな!!」
「い、いきなり何を言い出すのかなこの子はー!?」
その半年も経たない内にアルマが妊娠し、種がゲンだと発覚した時、ジョニーは涙を呑んで結婚を認めなくてはならなくなったのだが、それはまた別のお話。
皆さんのご意見ご感想、お待ちしております