お風呂回
男湯で康貴と隆、そして福太郎が少しは身体を鍛えようと決意していた頃。
一方の女湯でも、似たようなことを実感している者たちがいた。
「むー……」
「うー……」
「…………やっぱり、どこにでも格差社会は存在するのだな……」
鼻先近くまで湯に浸かり、周囲にいる全裸の美女美少女たちを恨みがましく見つめるのは、エルと茉莉、そしてあさひであった。
今、女湯には本日集まった女性陣全員がいるが、そこに確かな格差があったのだ。
それは容貌に関してではない。確かにこの場にいるのはほとんどが美女美少女ばかりだが、エルと茉莉、そしてあさひの三人も決して容貌で皆に劣ってはいないのだ。
では、どこに格差があるのかと言えば。
三人の名誉のためにあえて具体的には触れないが、詳細をぼかしてその格差を表現するのであれば────
特盛り:
マイリー、ルベッタ、クルル、クラルー
大盛り:
アーシア、サリナ、リーナ、アリシア、カルセドニア、あおい
並盛り:
ミフィシーリア、コトリ、ミツキ、カミィ、美晴、ポルテ、スペーシア、サイファ
ミニ盛り:
エル、あさひ、茉莉
骨:
コルト
映像:
チャイカ
────であった。
くどいようだが、何が特盛りで何がミニ盛りなのかは明言しない。また、並び順にも特に意味はない。
湯の中で、周囲のあちこちでぽよんぽよんとこれ見よがしに揺れるアレに、恨みがましい視線を注ぐ三人。
だが、アレに恨みがましい思いをしているのは、何も「ミニ盛り」の三人だけではなかった。
「うふふふふ……私が正妃なのに……正妃なのに一番小さい……うふふふ……コトリにも負けて……うふふふふふふふふふふ」
暗い影を纏いながら、俯き加減で周囲にいる「姉妹」たちを眺めるのはミフィシーリアであった。
「ママ……な、何かいつものミフィじゃないよぅ……こ、怖いよぅ……」
「大丈夫ですよ、コトリ。あれはちょっと迷走しているだけですから。すぐにいつものミフィに戻りますよ」
しがみつくコトリの頭を優しく撫でながら、マイリーは心の中で溜め息を吐き出した。
どうやらミフィシーリアは、アーシアやサリナたちに対してアレの大きさで劣等感を抱いているらしい。決して彼女のアレも小さくはないのだが、いかんせん彼女の周囲はアレの大きな者ばかりだった。
暗い影を引き摺り、俯いていたミフィシーリアが、不意にその顔を上げる。
「そうですっ!! 正妃の権限で、私よりも大きな者は全員打ち首にしましょう! そうすれば、私が国一番の──」
「その辺で止めなさい。あなたが言うと洒落じゃ済まなくなるから」
ミフィシーリアの背後からそっと忍び寄ったアリシアが、その後頭部にすこーんと手刀を入れる。アリシア自身は本当に軽く入れただけなのだが、〈強力〉の異能を持つ彼女の手刀は、結構重い音をミフィシーリアの頭に響かせた。
「あ、あれ……? アリィ姉様……? わ、私、どうして……?」
頭に走った衝撃で正気に返ったミフィシーリア。彼女はきょとんとした顔で少し年上の再従姉妹へと振り返る。
「気にしなくてもいいわ。でも、あまり思い詰める必要もないわよ」
「え、えっと……ありがとうございます?」
何に対してのアドバイスかよく分からないまま、ミフィシーリアはアリシアにとりあえず礼を述べておいた。
小さな身体全体を使い、ポルテは目の前のボタンを押す。すると、ハンガーにひっかけてあるシャワーヘッドから湯が飛び出した。
しばらく出っ放しだった湯は、一定の時間が経過すると自然と止まる。
「……こっちの世界には、不思議なものが一杯あるわよね」
「本当ね。不思議で便利なものばかりだわ」
ポルテの隣で身体を洗っていたスペーシアが、周囲を見回しながら応えた。
今、彼女が座っている椅子一つとっても見たこともない素材だし、夜でも昼のように明るい湯殿や、とても泡立ちの良い液体状の石鹸など、普段彼女たちが暮らす世界では考えられないものばかりである。
先程見た星空が望める風呂──露天風呂とか言っていた──も最初こそ驚いたものの、実際に入ってみると開放感があってとても気持ちいい。
「ボクが一番驚いたのは、あの『ジドウシャ』とかいう馬がいなくても走る馬車かな?」
「そうねぇ。あれを初めて見た時は、魔獣の類かと思ったわね」
「そうそう、あれを初めて見た時、シィくんが魔獣と間違えて思わず電撃を放とうとしたよねぇ」
「その後はその後で、あれに乗りたいって我が儘言ったのよね」
互いの背中を流し合っていたアーシアとリーナが、初めて自動車を見た時のことを思い出しながら言葉を交わす。
「でも、日本で育ったあたしにしてみれば、魔法やら異能やらがある方がよほど不思議なんだけどね」
異世界の住人からすればこの世界が不思議で溢れているように、日本で生まれ育ったあおいには異世界は不思議な場所である。
魔法という科学とは別体系の技術が存在し、魔獣などの恐ろしい存在が闊歩する。現代日本の常識から完全に逸脱した世界。
「そう考えると、異世界と日本の両方の『常識』を知っている辰巳さんとカルセさんが、一番凄いのかもしれないわね」
「確かにそうですわね」
湯に浸かりながら、美晴とサリナが顔を見合わせてくすくすと笑う。
本来であれば異世界で暮らす美晴とサリナが友人となることはなかっただろう。その二人を……いや、この場にいる全員をこうして引き合わせた辰巳とカルセドニアに、皆が感謝の気持ちを抱いている。
「……正確に言うと、皆さんを引き合わせたのは私とご主人様ではありませんけど……」
脳裏にとある人物の姿を思い浮かべながら、カルセドニアは苦笑を浮かべた。
「カミィさんはもう聞きましたか?」
「む? 何のことなのだ、クルルよ」
クラルーに背中を流してもらいながら、隣で髪を洗っているクルルの言葉に興味を示すカミィ。なぜなら、食べることの大好きなクルルの拾ってくる情報は、当然ながら食べることに関することが多い。
彼女と同じように食べることに大変関心のあるカミィにとって、彼女の話は聞き逃していいものではないのだ。
「先程ヤスタカさんに聞いたんですけど、明日の朝、早くに市が開かれるそうですよ」
昼神温泉郷では、ほぼ毎日のように朝市が立つ。朝市には地元の特産品や名産品が生産者直々に持ち込まれる。そのため、昼神温泉郷の朝は朝市に集まる宿泊客でけっこう賑やかとなる。
「何……? 市だと……? 我輩だって市ぐらいはレグナムに教わって知っているのだ。市とは、美味い食べ物がたくさん集まる場所であろう?」
「その通りです。この町ではほぼ毎日朝に市が開かれるそうで、この周辺の名産品や特産品が集まるとか。当然……」
「美味い食べ物も集まるというわけだな!」
「その通りです! 自分が聞いたところによると、美味しいものの中でも特に煮卵が絶品らしいのです!」
「そ、それは……素晴らしいのだ!」
「はい、素晴らしいです! ご主人様が市場にお出かけになる際には、是非私をお供に!」
「無論だとも、クラルー。よし、そうと決まればすぐにレグナムにお小遣いをもらわねば! そういえば、先程からレグナムの姿が見えないのだ」
風呂場の中をきょろきょろと見回すカミィ。当然ながら、レグナムは男湯の方にいるのでこの場にいるわけがない。
「クラルー、すぐにレグナムを探すのだ! そして、明日のためのお小遣いをもらうのだ!」
「御意にございます、ご主人様!」
主の言葉に応え、クラルーが風呂場から飛び出していく。もちろん、全裸のままで。
本日集まっている女性陣の中でもトップクラスのアレが、走る勢いで傍若無人にぽよんぽよんと跳ね回るが、幸か不幸かそれを目撃したのは従業員の仲居さんたちだけであった。
一方、再び男湯へと視線を戻せば。
浴場の洗い場で、三人の男たちが身体を洗っていた。
「なあ、タツミ。あれから少しは腕を上げたか?」
「ええ、少しは上達したと思いますよ、レグナムさん。なんせ、向こうでは毎日鍛錬を続けていますから」
「そうか。なら、明日の朝にちょいと手合わせしてみねえか?」
「いいですね。近い将来に剣の神となるような人との手合わせは、俺としても願ったり叶ったりですよ」
「レグナム殿。タツミ殿の後、私とも手合わせ願えないだろうか?」
「おう、もちろんだとも。何なら、タツミとオーリスの二人がかりでも構わないぜ?」
レグナムがにやりと不敵に笑えば、タツミとオーリスもそれに応えるように笑う。
秘かに闘志を燃やす三人を、荒事とは無縁の日本人たちが湯に浸かりながらやや引き気味に眺める。
「うわー、異世界で暮らすと、ああやってバトル脳になっちまうのかね? 康貴はどう思う?」
「必ずしもそうとは限らないと思うけど……でも、辰巳くんもすっかり戦うことが仕事になっちゃったんだなぁ」
かつてはごく普通の高校生だった辰巳も、今ではすっかり戦士の顔つきになっている。それだけ異世界での生活が日本に比べて過酷ということなのだろうが、やはり康貴や隆にはいまひとつ理解できない。
「いや、そうでもないぞ。俺だってこことは違う世界で暮らしているが、実際に戦場に出ることはすっかりなくなったからな。それにほら、俺ってこんなに冷静で知的だし?」
「ユイシークさんは王様でしょう。王様がそうほいほい戦いの場に出る方が問題だと思いますが?」
どこで知ったのか、畳んだタオルを頭に乗せたユイシークが、どこまで本気でどこまで冗談なのか分からないことを言えば、それにちゃっかりと福太郎が突っ込みを入れる。
「シークに限らず、僕も最近はすっかり直接剣を振るうことはなくなったよ」
吟遊詩人として各地を回り、時には荒事だって経験したリョウトも、今では貴族であり領主である。
領地内に盗賊や魔獣が出没することはあるが、それを倒すのは配下の兵士たちの仕事であって、リョウトが直接兵を率いて戦いの場に出ることはまずない。
それでも、ユイシークもリョウトも兵士たちを相手に鍛錬を欠かすことはないのだが。
「ま、俺たち冒険者は荒事こそがメシのタネだけどな」
男性陣の中でも一際巨漢であるヴェルファイアが笑う。オーガーという種族は、やはり人間とは根本的に身体の作りが違うので、これだけの面子の中でもその巨躯は異彩を放っていた。
「ヴェルの言う通りだけど……レイジはどうなんだ? レイジは俺たちとはちょっと違うんだろ?」
「俺の場合は人工的な身体の強化だからね。地道に鍛えた人たちとは違って、いわゆるインチキなだけだな」
ソリオの問いにレイジが真面目な顔で答える。
宇宙という過酷な環境で暮らしていた移民船団の生き残りであるレイジは、その身体に人工的な強化を施してある。いわば、彼の身体は「人工的に作られた生身の身体」というやや矛盾した存在なのだ。
生体培養などの技術でより強靭な肉体を作り出し、それを移植することで肉体を強化する。時には身体に影響のない範囲で機械を埋め込むことさえあり、レイジの脳内にも超小型の補助脳が埋め込まれている。
この補助脳が宇宙船〔アコンカグア〕と常時リンクしており、〔アコンカグア〕の統括AIであるチャイカのサポートを受けられるのである。もっとも、今日だけはさすがにそのリンクも途切れていて、チャイカはレイジが持つ携帯用の小型端末に機能の一部をダウンロードしていた。
そうやって、男性陣が完全に打ち解けて文字通り裸の付き合いをしていた時。
その場──男湯に、思わぬ闖入者が飛び込んで来たのはその直後であった。
がらりと勢いよく開かれる、脱衣所と浴場を仕切る引き戸。
その引き戸を開けて、一人の人物が突然男湯に乱入してきた。
「君たち、ちょっと酷くないかな? このボクがまだ到着していないというのに、既に宴会は終わっているし、のんびりと温泉に浸かっているし……君たちをこうして引き合わせたのは、一体誰だと思っているんだい?」
突然聞こえてきた声に、男性陣が一斉にそちらへと振り向く。
そして。
「ひぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
顔と言わず胸元まで真っ赤になった潤が、恥ずかしそうな悲鳴を上げた。




