闖入者
突然姿を見せた闖入者は全裸だった。
いや、それはいい。ここは風呂場であり、風呂場に裸で飛び込んでくるのはある意味間違っていない。
だけど、やっぱり問題はある。
その問題とは、飛び込んできた闖入者の性別。今、彼らがいるのは当然ながら男湯であり、本来なら女性がいていい場所ではない。
そう。
突然現れた闖入者。それは女性だったのだ。
全裸の身体を恥ずかしがる素振りも見せず、その人物はにこにことしたまま一同を見回した。
「うんうん、実に素晴らしい眺めだね! 鍛え上げられた男たちの肉体! これこそ、この世に存在する最高の美! こればかりはいつの時代もどんな世界も、決して変わることのない永遠不変の真理というものさ!」
「てぃ、ティーナ……さん……?」
「やあ、タツミくん。いやいや、君もなかなか鍛えられた身体をしていたんだね。そうと知っていれば、もっと早く君の裸を覗いたのに」
「覗きを堂々と宣言しないでくださいっ!!」
「固いことを言わないでくれたまえ。ほら、代わりにボクの裸を好きなだけ見ればいいさ」
そう言いつつ、自らの身体を誇示するように見せつける人物の名はティーナ・エイビィ・ザハウィー。もしくは、《大魔道師》ティエート・ザムイとも呼ばれる人物であり、辰巳とカルセドニアが暮らす世界では伝説の中に名を残す偉大な魔法使いである。
彼女は時間と空間を自在に行き来することができるという、実に規格外な能力を有している。その能力故に《大魔道師》という二つ名で呼ばれているのだが、いかんせん性格の方がアレすぎる残念な人物でもあった。
そして彼女の言葉通り、今日この場に集っている異世界の面々を引き合わせた張本人である。
「よお、《大魔道師》殿。どこ行っていたんだ?」
頭にタオルを乗せたユイシークが、遠慮なくティーナの裸体を眺めながらひょいと片手を上げた。
長身ですらりとした彼女の体形は、まさにモデルのようである。ただし、モデルはモデルでも雑誌のグラビアなどを飾るモデルではなく、ファッションモデルの方。
つまり、先程の例に彼女を当てはめるとすれば、「限りなくミニに近い並」になるだろうか。
「いや、レイジくんたちをここに送り届けた後、この辺りの店々を回っていろいろなお酒を買い込んできたんだ。やっぱりその土地の地酒を味わうのが、一番の旅の醍醐味というものだからね」
そう言いつつ、ティーナは魔法で取り寄せた酒瓶を一本、ぽいとユイシークへと放り投げた。
「どうかね、ユイシーク陛下。ここでボクと飲まないか?」
「お、風呂の中で酒か。なかなか楽しそうじゃないか」
「おいシーク。まさか、おまえとティーナの二人だけで楽しもうって訳じゃないだろうな?」
風呂の中で酒、ということに興味を引かれたのか、ざばざばと湯を掻き分けてレグナムがユイシークへと近づく。
彼がユイシークの元に到着した時には、既にティーナも転移でユイシークの傍に来ており、再び魔法で取り寄せたお猪口を三つ、これまた魔法で取り寄せたお盆の上に載せて湯に浮かべていた。
「ちょ、ちょっと待ってください、ユイシークさんっ!! レグナムさんも何一緒になって飲もうとしているんですかっ!?」
「そ、そうですよっ!! そもそも、ティーナさんも当然のように男湯に腰を落ち着けないでくださいっ!!」
平然と湯の中で酒盛りを始めようとする三人に、康貴と辰巳が文句を言う。
「固いことを言うんじゃねえよ、ヤスタカとタツミ。《大魔道師》殿本人がいいって言っているんだから、気にするなって」
「そういうことだ。今日は俺たちの貸し切りだろ? だったら他の客に迷惑をかけるわけでもないし、何の問題もないさ」
早速酒を飲みつつ、ユイシークとレグナムがからからと笑う。どちらも男湯に女性であるティーナがいても気にならないらしい。
その反面、女性の裸に対してそれほど免疫のない福太郎や潤などは、顔を真っ赤にして湯船の片隅でティーナたちに背中を向けていた。
「そもそも、どうしてボクが女湯へ行かなければならないのだね?」
「え? だ、だってティーナさんは女性で……」
「そうとも、タツミくん。キミの言う通りボクは女だ。女のボクにしてみれば、女湯は周りが女ばかりでちっともおもしろくないんだ。だけど男湯は鍛え上げられた肉体の男たちが、こんなにいるんだよ? 当然、こっちにいた方が楽しいじゃないか。まるで逆ハーレムものの主人公になったような気分だね!」
「だ、駄目だ……やっぱり、この人の常識は俺たちの常識と乖離しすぎている……」
独自の理論をさも正義とばかりに述べられて、辰巳はその場でがっくりと膝を突いた。
「大体、裸の女が一人いるぐらいで、そんなに狼狽えるんじゃねえよ」
「普段から五人もの奥さんに囲まれている人と一緒にしないでください……」
「だから固いって言っているんだ。男なら、裸の女が傍にいることを楽しめって。そもそも、ここには女を抱いたことがない奴なんていないだろ?」
ユイシークがにやにやと笑いながら周囲を見回す。
辰巳やソリオ、レイジやリョウトのように既に結婚している者が多い反面、潤や和人、そして康貴や福太郎のように恋人はいても独身の者もいる。
中にはヴェルファイアやオーリスのように、特定の恋人さえいない者もいるのだが、それでも女を知らない者はいないようだった。
「え、まさか……社会人である福太郎くんはともかく、潤くんも……?」
「え、えっと……そ、その……以前に……あ、あさひちゃんに強引に迫られて……」
康貴たちに背中を向けたまま、潤が恥ずかしそうに小さな声で告げる。
自分で告げた内容が恥ずかし過ぎたのか、潤の小さな身体がそのまま湯の中に沈んでいった。
「……何か、壁の向こうが賑やかじゃありませんこと?」
壁の向こうから聞こえてくる男たちの声に、アーシアやマイリーたちと並んで湯に浸かっていたサリナは、その優美な眉を僅かに寄せた。
「うん、シィくんの楽しそうな声が聞こえるね。それに、さっき聞こえてきた悲鳴はジュンくんかな?」
「大方、またシークが何か悪戯をして、ジュンを困らせたのでしょう」
やれやれとマイリーが肩を竦める。ユイシークの普段の行いが行いだけに、少しぐらいのことでは驚きもしない彼女たちである。
「潤の身に何事もなければいいが……」
「大丈夫ですよ、アサヒさん。あれでシークも、悪戯はしても誰かを傷つけるようなことはしませんから」
「ミフィさんがそう言うなら……でも……」
ミフィシーリアにはそう答えつつ、それでもあさひは心配そうな視線を女湯と男湯を隔てる壁へと向ける。
「相変わらず、潤さんのことになるとあさひさんは心配性ですぅ」
「そ、そうは言うがな、クルル。潤はあんなに可愛いんだぞ? 変な男にでも引っかかったら……」
「普段はともかく、今日に限ってはそれはありませんですぅ」
「……彼女が彼氏のことを心配する言葉じゃないよね、あれ」
「確かに茉莉の言う通りだけど……潤くんを見ていると理解できちゃうのよね……」
「あ、あおいさんもやっぱりそう思う? 潤くん、普段は男の子とは思えないぐらい可愛いもんね。それでいて空手の有段者っていうんだから、こういうのをギャップ萌えって言うのかしら?」
恋人のことでおかしな心配をするあさひを眺めて、あおいと茉莉がくすくすと笑い合う。
「でも、確かに向こうが妙に騒がしいわね」
湯船の縁に腰を下ろした美晴が、首を傾げながら男湯の方を眺める。
「ですが、仮に何か起きたとしても、何の問題もありませんよ」
「そうですよね。例えば、誰かがユイシークさんを暗殺しようとしたとしても…………」
「……暗殺者の方が可哀想すぎるな」
スペーシア、サイファ、ミツキの言葉に、女湯にいる全員が深々と頷く。
今、壁の向こうにはとんでもない力を持った者たちが大勢いる。電撃を放ったり、魔獣を呼び出したり、空間を渡ったり、無敵の障壁を生み出したりと、まさに常軌を逸した者たちばかりだ。
壁の向こうにいる男たちを亡き者にしたくば、それこそ師団規模の戦力が必要だろう。
いや、それでもその目的を達することは不可能に違いない。なぜなら、そんなことになれば辰巳が皆を連れて転移で逃げてしまうからだ。
「逃げるが勝ち」は、間違いなくある意味で最強の戦術と言えるのだから。
「しかし、やっぱり無粋だと思わないかい?」
温泉と酒精でほんのりと頬を赤くしたティーナが、ユイシークやレグナム、ソリオやヴェルファイア、そしてオーリスたち──裸の女性が傍にいても気にしない者たち──に囲まれながらぽつりと呟いた。
「無粋って……何が?」
お猪口で日本酒を楽しみながら、ソリオがティーナに尋ねる。普段彼らが暮らしている世界にはない酒の味を気に入ったのか、『真っ直ぐコガネ』の男性陣は日本酒を好んで飲んでいた。
ちなみに、既に湯船の近くに数本の空き瓶が並べられていたり。
「もちろん、この大きな顔をしてのさばっている壁のことだよ、ソリオくん」
ほんのりと頬を朱に染めたティーナが、ぴっと男湯と女湯を隔てる大きな壁を指差す。
「確かに女湯にいてもつまらないのは間違いないが、それでもこの壁の向こうにいる女性たちも、ボクにとってはかけがえのない者たちなんだよ。そんな者たちの顔が見えないのは……やっぱりつまらないと思わないかね?」
「確かに、どうせならミフィたちと一緒に、風呂の中で酒を飲みたいものだな」
「そうだろう、そうだろう。ユイシーク陛下もそう思うだろう? だったら……」
湯船の中からティーナの姿が消える。そして次に彼女の姿が現れたのは、温泉を隔てる壁の前。
「ちょ、ちょっとティーナさんっ!?」
「ま、待ってくれっ!! ま、まさか……」
ティーナが何をしようとしているのかを理解した辰巳と康貴が、慌てて彼女を引き留めようとする。だが、彼らが彼女を止めようとするより早く、ティーナが軽く壁に触れた。
その瞬間。
男湯と女湯を隔てる壁が消滅した。音もなく消え去った壁の向こうには、当然ながら本日集まった女性陣がいる。
突然壁が消えてしまって、男性陣と女性陣が呆然と見つめ合う。
様々な肌の色。白人系が多い本日の女性たちだが、それでもその肌の色には個人差がある。
最も色が白いのはカミィだろうか。始創神という人を遥かに超えた存在である彼女の美貌は、女性陣の中でも群を抜いている。
それに次ぐにのはミツキか。やはり人間以上の存在である彼女の存在感は、美女美少女が集まった中でもよく目立つ。
その他にも、白い肌に黄色い肌、そして浅い褐色など、様々な色の肌が隠すものもなく晒されていた。
髪や目の色も様々。髪は金色や銀色などの薄い色合いから、黒や茶色の濃いものまであり、見ているだけで楽しい。瞳の色もまるで宝石のようで、誰もが思わず目を奪われるだろう。
そしてやはりというか何というか、男ならば思わず目を向けてしまうのが女性たちの胸や尻だろう。
大小様々だが、それでいて美しい形の乳房がいくつも揺れている。そして、大きなもの、小さなもの、引き締まったもの、魅惑的なものなど、いろいろな尻があちこちに存在し、男性陣は声を出すこともできずにそれらを見つめていた。見つめてしまった。
一方女性陣もまた、男性陣の身体をまじまじと見つめる。
鍛えられた肉体は、ティーナではないが女性たちの眼を奪う。彼女たちが見つめるのは主に愛する者の裸体だが、どうしてもそれ以外の男性たちの裸も見えてしまう。
男性陣と女性陣は、そのまま声さえ出すこともなく互いに見つめ合う。
どれぐらいそうしていただろうか。やはり、一番最初に本来の調子を取り戻したのはこの人だった。
「おお、こいつは……絶景じゃないか」
湯の中から立ち上がったユイシークは、身体の前を隠すことさえせずに愛する妻たちへと声をかけた。
「おい、ミフィたち。こっちに来ないか? 一緒に飲もうぜ」
酒瓶を翳して妻たちを誘う国王陛下。それが皆の意識をはっきりさせる引き金となった。
「うわああああああああああああああああああああっ!!」
「きゃああああああああああああああああああああっ!!」
股間を隠しながら風呂場から飛び出していく康貴、隆、辰巳、潤、福太郎、和人。男性陣の中でもやはり日本人としての常識が強い者たちが、慌てて逃げ出していく。
一方、女性陣もまた同様だった。こちらはほとんどの者が両手で胸や股間を隠して、脱衣所へと避難していった。
そんな女性陣の中でも、堂々としている者はいた。
「おお、レグナム。そんな所にいたのか。姿が見えないから探したのだ」
カミィは全裸の身体を隠すこともなく、平然と男湯の方へと近寄ってきた。
「む、自分だけ美味そうな酒を飲んで……ずるいのだ。我輩も飲むのだ」
「うむ、カミィ殿。遠慮なく飲むといい。ほらほら、レグナム殿。気を利かせて注いであげたらどうかね?」
「お、おう……まぁ、いいか。カミィのすることに今更気にしても仕方ねえしな……」
神という超常の存在のやることなど、所詮は人に過ぎない者に理解できようはずがない。それは神の階梯に片足をひっかけているレグナムにとっても同じである。
ティーナに促され、新たに取り寄せたお猪口に酒を注ぐレグナム。それを受け取ったカミィは、その美貌を嬉しそうにゆるめてお猪口を傾けた。
「それで……この騒ぎは一体何事なの?」
場所は再び先程の宴会場。畳の上に正座した一同の前には、怒気を露わにした康貴の姉の彰美だ。
温泉の男湯と女湯を隔てる壁の消失。慌てたせいか全裸のまま浴場を飛び出した男性陣と女性陣。中には、レグナムを探して全裸のままホテルのあちこちをふらついていたクラルーの存在など、一時的にホテルの中は大変な騒ぎとなった。
このホテルの若女将である彼女の怒りは、それは当然というものだろう。
「あ、あの……姉さん。これには訳が……」
正座したままの一同──全員今は浴衣を着ている──を代表して、康貴が騒ぎの理由を説明しようとする。
「私が納得できる理由あるのでしょうね?」
ぎろり、と一同を見回す彰美の鋭い眼光に康貴は言葉を失い、その他の者たちは視線を畳へと落とした。
そして、一同の指が一斉にとあるモノを指差す。
『全部、あの人のせいです』
一同が指さしたのは、細い朱金の鎖でぐるぐるに巻かれ、天井からぶらぶらと逆さまにぶら下がっている一人の女性。
「いやぁ、面目ない。ボクとしたことが、思わずはしゃぎすぎてしまったよ」
ぶらぶらと逆さで揺れながら、悪びれた風もなく言うのはもちろんティーナだ。
「どうやら、ボクもちょっと酔いすぎていたらしい。ということで、ここは大目に見てくれないかな?」
「駄目です」
彼女を縛る鎖──もちろん『アマリリス』の鎖である──を操りながら、辰巳がぴしゃりと断言する。
ティーナの能力を考えれば、この戒めから逃れることは難しくないはずなのに、逃げないところを見ると彼女なりに反省しているのかもしれない。
そう思う辰巳だったが、やはり彼女のしでかしたことは放置してはいけないだろう。
「消えた壁ならボクが責任を持って元通りにするから、ゆるしてくれたまえ」
にこにこと微笑みながら謝るティーナを、彰美はじろりと鋭く睨み付ける。
「……ごめんなさい許してください」
その鋭い眼光に押されたのか、ティーナが珍しく素直に謝った。
「……まあ、今夜はあなたたちしかいないことだし、少しぐらいのことは大目に見ましょう。ただし、今夜の罰として明日の朝に全員で浴場の掃除をしてもらいますからね。たとえ異世界の王様であろうが神様であろうが、例外は認めません」
『承知しました」
彰美の言葉を、一同は一斉に頭を下げて受け入れた。
誰もいなくなった浴場で。
小さな二体の生き物が、のんびりと湯に浸かっていた。
黒くて小さな生き物が、腹を上にして湯にぷかーっと浮かんでいる。
「ロー殿。一応聞くが、それは何の真似かな?」
そんな黒い生き物を、同じぐらいの大きさの白い生き物が不思議そうに見つめる。
「うむ、これはだな、べリル殿。リョウトの祖父から聞いた、風呂に入る際の正しい方法らしい」
「ほほう。異世界ともなると、随分と変わった湯の浸かり方をするのですな。しかし、先程リョウト殿たちは普通に湯に入っていたようだが……?」
「そこは我らのような者と、人間たちの違いであろう。我が盟友ガラン……リョウトの祖父の言うことに間違いはなかろう」
「…………なるほど」
ぱしゃぱしゃと鳥が水浴びをするように身震いしながら湯を浴びつつ、べリルは嘆息と共に言葉を吐き出した。
そして翌朝。
彰美の言いつけ通りに風呂場の掃除を済ませた一行は、朝市へと繰り出した。
異世界から来た者たちは珍しい物に目を輝かせ、日本在住の者たちも普段は目にしない物を見て思い思いに楽しんだ。
中には美味しい食べ物を片っ端から食べていく者たちもいて、今回の旅行を最後まで楽しんだようだ。
ただし、その日の朝市はちょっとした騒ぎとなったのだが。
映画などでしか見たことがない豪奢なドレスを着込んだ数人の美女の一行や、見慣れない風体の外国人と思しき者たちの一団が、突然山間の温泉地に現れたのだ。居合わせた他の湯治客や地元の人たちは、一体何事かと騒然としたという。
彼らのことが新聞の地方紙の片隅を飾り、ちょっとした騒ぎとなるのだが、それはもう少し先のお話である。




