宴会
宴会が始まると、すぐに場は和気あいあいとしたものとなった。
比較的全員の年齢が近いこともあり、また、既に親しくなった者たちばかりということもあって、普段は人見知りの激しいコトリや美晴といった面々も、楽しそうに近くの者と会話の花を咲かせていた。
「な……なんですって……?」
縁なしの眼鏡の奥で、福太郎の目が驚愕に見開かれる。
「巨大昆虫が存在する世界……し、しかも牛よりも大きなクワガタもいるのですか……?」
「ああ、あちらでは刀竜って呼ばれている竜の一種だけどね。俺はまだ直接見たことはないけど、聞くところによるとパプアキニロクワガタによく似た姿をしているそうだぞ」
愛妻であるカルセドニアが注いでくれたビールをちびちびと飲みながら、辰巳が今暮らしている異世界のことを語る。
それを聞くのは、クワガタマニアである福太郎。当然、彼の興味は巨大なクワガタの姿をしている刀竜へと向けられる。
「確か、辰巳さんは向こうの世界では魔獣狩りと呼ばれる職種にいるのでしたね?」
「正確には魔獣狩りじゃなくて魔祓い師だけど……まあ、確かに魔獣狩りも時々はしているな」
最近では神殿所属の魔祓い師としての活躍が多くなっている辰巳である。当然ながら、その相棒は彼の妻であるカルセドニアだ。現在のサヴァイブ神殿では、「ヤマガタ夫妻」は最強の魔祓い師コンビとの呼び声も高い。
「では、辰巳さんに正式に依頼しましょう。是非、その刀竜とやらを生きたまま捕らえてください。報酬は言い値で支払います。まあ、僕が支払えるのは日本円でですけど」
現在、大企業の社長秘書をしている福太郎は、同年代の社会人よりも遥かに高い収入を得ているし、蓄えもある。生きた刀竜が一体いくらぐらいになるかは不明だが、数百万ぐらいなら支払いは可能であった。
「いや、さすがに刀竜がこっちでいくらになるか考えたこともないどころか、どうやって値段をつければいいのかさえ全く不明だけど……そもそも、刀竜を捕まえてどうするつもりなんだ?」
「当然、飼います。できれば雌雄で揃えてもらえると、累代飼育も視野に入れて……」
「それを行おうとしたら、牧場のような規模の施設が必要にならないか……?」
どこまで本気か分からない福太郎の言葉に、辰巳は苦笑を浮かべるしかなかった。
一方、辰巳と福太郎が会話をしている隣では、それぞれのパートナーたちも言葉を交わしていた。
「カルセさん、今日お子さん……昭人くんはどうしたんですか?」
「息子の昭人なら、お爺様が預かってくれています。お爺様もお婆様も、昭人をすごく可愛がっていて……いえ、お二人だけではなく、三人の義兄たちも昭人にはでれでれで……」
美晴の質問に、カルセドニアはちょっと困ったような表情で答える。
辰巳とカルセドニアの間に生まれた息子、昭人は現在一歳と半年ほど。一番可愛い盛りのためか、クリソプレーズ家ではすっかりアイドルである。
特にジュゼッペの可愛がり方は特にすごく……いや、酷く、下手をするなら昭人を抱いたまま神殿に出掛けない勢いである。
「義兄たちにもお子さんはいて、昭人が初孫ってわけじゃないのに、どうしてあんなに……」
三人の実子たちには既に子供もいて、ジュゼッペにはたくさんの孫がいる。それなのに、辰巳とカルセドニアの子供には特に甘いのだ。おそらく、昭人はジュゼッペにとっては孫というよりは曾孫に近い感覚だからだろう。
「ところで、ミハルさんとフクタロウさんは、ご結婚はまだなのですか?」
「え、えええええええっ!?」
黒縁眼鏡の奥の美晴の頬が一気に赤く染まる。そしてちらりと福太郎の方を盗み見れば、彼は辰巳と熱心に会話をしていてこちらの話は聞こえていないようだった。
「あ、あのその……わ、私まだ学生だし、ふ、福太郎も就職して間がないし……け、結婚とかはまだ……」
しどろもどろに答える美晴を、カルセドニアは微笑ましく見つめた。
「おいこの肉、生じゃないのか?」
膳の上に並べられた料理の中から、ユイシークは生肉らしき一品を器用に箸でつまみ上げた。
彼の言葉を聞いていたミフィシーリアたちもまた、同じ料理をまじまじと見つめる。
「本当だ。このお肉、生のままだよ?」
「これ、どうしたらいいの?」
アーシアやリーナが、近くにいる潤とあさひに尋ねる。だが、彼らもこの肉が何の肉なのか分からない。
「う、うーん……これ、見たこともないお肉だね」
「料理が得意な潤でも知らない肉なのか?」
「ボクの場合は単に、料理が苦手なお母さんやお姉ちゃんの代わりに料理しているだけで、本格的に料理の勉強をしているわけじゃないし」
豚でもないし牛でもないし、と首を傾げる順に、彼らの隣にいた隆がその質問に答える。
「こいつは桜肉……つまり馬刺しだよ」
「え? これ、馬刺しなんですか?」
「これが馬刺しか……話には聞いたことがあるが、見るのは初めてだな」
「この辺は昔から桜肉を食べる習慣があったらしいからな。馬刺しもここらの名物の一つだよ」
南信州といえば蕎麦や林檎が有名だが、馬刺しもまた名物の一つである。特にこの昼神温泉郷には、鹿肉や猪肉など都会ではまず見られない肉を売っている店もある。
「ユイシークさんたちも、これは生のまま食べても平気ですから」
「肉を生で食べるのか……こっちの世界は変わっているな」
それでも勧められるまま、ユイシークたちは馬刺しを口にする。もちろん、彼らにとっても生の肉を食べるというのは初めての体験である。
「お、こいつは思ったよりも生臭くないな」
「本当です。シークの言う通りですね」
思ったよりもあっさりとした馬刺しの味わいに、ユイシークとミフィシーリアが顔を見合わせて微笑み合う。
「ああ、こいつは美味いな。しかし、生で食えるぐらい肉が新鮮ってことだろ? その事実にまず驚きだ。そういや、この国では魚も生で食うんだっけか? 確かサシミとか言うんだろ?」
「昔はともかく、今は鮮度を保ったまま産地から輸送できますからね。生で食べても大丈夫な食材ばかりですよ」
「まぁ……本当にいろいろと凄いのですね、こちらの世界は」
あおいの言葉に、サリナが部屋の中を見回しながら応える。
日も沈んでホテルの外はすっかり闇に閉ざされているが、ホテルの中は昼以上に明るい。
電燈というものを知らない異世界の面々には、この昼のように明るい館内はまるで魔法を見ているかのようだ。
「そういや、初めてエルと出会った時も、そんなことを言っていたっけな」
「ありましたね、そんなことも」
康貴とエルが顔を見合わせて笑い合う。異世界からマジック・アイテムで日本へ飛ばされたエルは、当初この世界の全てが驚きの対象だった。
それは前世がオカメインコだったカルセドニア以外の異世界組には、共通の思いである。彼らの世界からしてみれば、こちらの世界は理解できないものばかりなのだから。
「ま、こことは異世界と言っても、俺たちはよく似た日本生まれだけどなー」
「そうだね。ボクたちの世界は日本でありながら怪獣は出るし、魔法だって存在しているしね」
「主の兄上が操縦する、『巨大ろぼっと』とやらもあるしな」
「よく似た日本」からやって来た和人と茉莉とミツキ。彼らにとっては、当然ながらそれほど珍しいものはない。
いや、この目の前に広がっている、異世界から来た人たちが浴衣を着て日本の料理をつつき合っているこのある種混沌とした光景は、これはこれで珍しいと言えるだろうけど。
「…………いいな、これ」
「…………いいわね、これ」
「…………これが常に手に入ったら、野営の時の食事が格段に美味くなるな」
ヴェルファイア、ポルテ、オーリスら『真っ直ぐコガネ』の面々が注目しているのは、膳の中にある鍋と固形燃料のセットである。
ホテルで提供される食事などでお馴染みのこのセットも、異世界──特に日本ほど文明が発達していない世界の者たちからすると、とても信じられないマジック・アイテムに等しいものなのだ。
特に彼らのような冒険者たちにとって、どこでも温かい食事が手軽に食べられるのは重要なことであろう。
「ヤスタカと相談して、買えるだけ買っていかないか?」
「いいわね。買えるだけ買って、〔栄光なる我が息子号〕の倉庫に入れておけばいいしね」
「問題は、私たちが持っている貨幣でこちらの物が買えるかどうかだな」
三人は腕を組んで考え込む。異世界の貨幣がこちらで通用するとは思えない。そうなると、ユイシークのように誰かに何かを売る必要があるのだが、当然彼らにはそんな伝手はない。
「俺たちもタカシの親父さんに相談してみるか?」
「それが一番でしょうね」
後で隆を捕まえて相談してみよう、と心に決める三人だった。
「はえー、ソリオさんたちの世界にも、空を飛ぶ船があるのですかー?」
「まあ、数は少ないけどね。一応、俺たちも一隻所有しているんだ」
ソリオが自慢気にそう言うのを、チャイカは感心して聞いている。
チャイカ自身、宇宙船を統括する超高性能AIである。その彼女にとって、魔法技術によって空を飛ぶ船は、やはり興味を引かれる存在なのであった。
「ヘリとか飛行機、飛行船とは全く違う原理の飛行移動手段か。確かに興味あるな」
「レイジ様もそう思いますよねー。どのようなメカニズムなのか、わたくしも興味津々ですよー」
遥か未来の地球人の末裔であるレイジ。彼にとっては、恒星間移動のできる宇宙船は身近な存在である。彼自身が外宇宙移民船の中で生まれているし、つい最近まで宇宙船の中で育ったのだから。
「でも……〔栄光なる我が息子〕って船の名前だけは、本気で何とかして欲しいけどね……」
などなど、レイジとチャイカ、そしてソリオが宇宙船やら飛翔船やらの話に熱中している一方で、ソリオの妻であるスペーシアと、レイジの妻であるサイファが奥さん談義の真っ最中だった。
「まあ、それではサイファさんは……」
スペーシアの視線が、サイファの腹部へと向けられる。まだ目立った兆候はないが、どうやらそこに新たな命が宿っているらしい。
「は、はい……精霊様……いえ、チャイカ様の診断によると、間違いないって……」
頬を染め、嬉しそうにはにかむサイファ。その幸せそうな微笑みを、スペーシアは微笑ましく見つめる。
「私も……いえ、この場には妊娠と出産を経験された皆様が数多くいらっしゃいますから、この機に気になることは相談しておいてはいかがでしょうか?」
スペーシアの視線が宴会場をぐるりと見回す。彼女もそうだが、ユイシークの妻たちや、リョウトの二人の妻、そしてカルセドニアなど、既に母親になっている者もここには数多くいる。
今後の出産に向けていろいろと不安なこともあろうサイファにとって、彼女たちは良き助言者になってくれるに違いない。
「はい、ありがとうございます。チャイカ様に任せれば安心ですけど、皆さんにも相談してみますね」
そう言って微笑むサイファの顔には、とても幸せそうに輝いていた。




