第一楽章第四節
日が落ちた後もピンクブロンド少女の表情が戻る事は無く、いつも分け合って食べていた夕食もほとんど手をつける事が無かった。
「何があったのか、とか言ってもわかんないよねー」
文字通り腫れ物に触れる様に何度か声をかける。
いつもは分からなくてもとりあえず笑顔を返してくれていたのだが、今はひざを抱えうつむいたままだ。
唯一の救いは一応こちらを一瞥してくれた事くらいか。
人の気に敏感な空気を読みたがる彼にとっては中々にしんどい状況だ。
何とか気分を上げてもらおうと悩んでいた紀一郎は内ポケットにチョコレートが入っていた事を思い出した。
(うーん、本当はもっとヤバイ時まで持っときたかったんだけど。しゃあないか……)
袋を開け十個入りの銀紙に包まれたチョコを二つ手に取ると今にも泣き出しそうな少女の下へ行き差し出した。
何か分からず彼を見つめる。
そのうちの一つを紀一郎が自分で食べる。
「女の子の機嫌を直すには甘い物が一番だって婆ちゃんが言ってた。おいしいよ」
半ば強引に渡すと食べるように促す。
紀一郎の真似をして包みを開ける。初めて見たのか茶色い物体に驚きながら口へ運ぶ。
「―――!?」
初めての味と甘さに驚いたのだろう、少女は感嘆の表情になる。
紀一郎の企みは成功した様だ。
「何があったのか分かんないけど、何とか僕も力になるからさ。元気になってよ、って何言ってるか分かんないよね」
言葉が通じない少女はキョトンとした態度で紀一郎を見つめる。
「も一個食べる?」
何故か照れてしまい照れ隠しにチョコを一つ取り出し少女に渡した。
紀一郎が食べるようにとジェスチャーしてくるが首を横に振り自分が食べるようにと促す。
「食べて良いよ、僕はいいから」
二つ目のチョコレートを食べた少女は何か思い詰める表情をした後、口角を微かに持ち上げ寂しげな笑顔を見せる。
一応の満足感を得た紀一郎は定位置であるソファー代わりの藁の山に戻ろうとすると少女がそれを止める様に近付いた。
「えっ? え! ちょっと」
急接近に驚き後ろに仰け反った紀一郎を少女はそのまま押し倒し馬乗りの状態になる。
紀一郎は何が起きたの分からずされるがまま動けない。
少女はそのまま唇と唇を重ね合わせた。
意識が一瞬飛びかける。驚きのあまり頭が真っ白になるとはこういう事なのだろう。
少女の舌が紀一郎の唇をこじ開け口の中へ侵入してくる。
同時に少女の口の中で溶けて小さくなったチョコレートが移され、唇の感覚、舌の感覚、そしてチョコレートの甘さが彼の意識を支配する。
加賀紀一郎のファーストキスは初めてにしては少しばかり刺激が強すぎるものとなった。
武蔵乃学園中等部三年・加賀紀一郎(十四歳)
彼のさほど長くない人生の中で転機と呼べるものは二度あった。
一度目は彼が中学に入学して程ない頃、全校集会の壇上で生徒会長候補として演説をふるっていた鈴谷八重を見た時だ。
全校生徒の前で凛々しく立つ姿に心打たれた紀一郎は彼女の元へ馳せ参じることを決意する。
それから鈴谷を慕う遠野や南部達と共に彼女を当選させるべく八面六臂の活躍で生徒会長の座に押し上げると、生徒会メンバーとして主に一般生徒と生徒会の橋渡し的な役割を担い、いわゆるトラブルバスターとして鈴谷の為に働く事になる。
その甲斐あってか無役ながら一年の終わり頃には生徒会四天王と呼ばれるまでになるほどになった。
それからの後、二度目の転機が訪れる。
それは紀一郎が中学二年の終わり頃に流れたある噂が発端だった。
鈴谷が武蔵乃高校に行かず東京の高校へ進学するというものである。
もちろん唯のデマだったのだが、当時は彼女の事になると目の前が曇ってしまう紀一郎は真に受けてしまい、卒業式を間近に控えた三月のある日一世一代の行動に出る。
しかしあっけなく振られた紀一郎は失意の後、抜け駆けはしないという生徒会四天王の間で結ばれていた紳士協定を破ってしまった事を言い訳にして生徒会を辞める事となった。
それから約三ヶ月。新たな転機が彼に訪れようとしていた。
突然の出来事に耳まで赤くなる紀一郎は声にならない声を上げる。
少女の柔らかくざらついた舌の感触が紀一郎の思考を支配し、口の中に広がったチョコレートの甘い味と香りが彼の脳裏に焼き付く。
口付けを終え体を起こした少女は、呆けた紀一郎を少しからかう様な澄ました表情で声を掛けた。
「名前、教えてくれる?」
「えっ、え?」
「私はエメライン・スヴェル。あなたは?」
目の前にいる美しい髪の少女は自己紹介をする。
出会ってから結構時間が経つのだが。
「君、日本語喋れたの?」
「名前は?」
状況をつかめない紀一郎をよそに、エメラインはどんどん主導権を握って来る。
「えっと、僕は加賀紀一郎……、です。日本語話せたんだ」
戸惑う姿が可笑しいのか口角を持ち上げた。
「ニホン語? 違うわ。私があなたの国の言葉を話しているんじゃなくて、あなたが私の国の言葉を話しているのよ」
「は? 何馬を鹿な事……」
突拍子も無い話に目を白黒させる。
そしてエメラインは少しこわばった表情になり何が起こったのか説明を始めた。
「メフィスの誓い?」
「そう、かつて女神メフィスの眷属だったヘグエイト族の乙女が生涯に一度、人生を共にすると決めた伴侶とそれ証として結ぶ魔法儀式なの」
「じゃあこうやって話が出来るのも……」
「ええ、口付けによって私とあなたの魂の一部が繋がったから。私も初めての事だから本当に言葉が通じる様になるのは半信半疑だったけど」
にわかに信じがたい話なのだが、エメラインの言葉は何故か信じずにはいられなかった。
これもメフィスの誓いに依るものなのだろうか。
しかし彼女に生涯の契りだの伴侶だのと言われて、頭の中が完全にオーバーフローしてしまっている。
「でもそんな大事な事、俺なんかに……」
紀一郎の問いに一瞬逡巡するが、静かに口を開いた。
「ごめんなさい」
「いや、別に謝らなくても。僕も、その急だったから」
「わたし、明日になると奴隷として売られてしまうから」
「ど、奴隷って」
日本では歴史の授業でしかおよそ聞かないフレーズに驚く。
「まさかさっきの太った奴に!? 何で……」
表情を曇らせたエメラインはゆっくりと首を縦に振り、そしてゆっくりとした口調で自分の身の上話を始めた。
かつて自分が住んでいた地方を支配していた豪族の下で人質として育ったこと。
それの豪族をナルトラウシュ辺境伯が滅ぼし、その後ここに連れてこられたこと。
人質を不要とした彼がヘグエイトの族長に身代金の支払いを求めたが、族長であるエメラインの父親が支払いを拒んだこと。
そしてそのせいで奴隷として売られてしまう事などを話した。
「奴隷として売られてしまえば買われた男に、戯れにメフィスの誓いをさせられてしまう。だからせめて誰と誓いを結ぶかは自分で決めたかった。だから……」
「それで僕とメフィスの誓いを?」
「ごめんなさい。ここにはあなたしかいなかったから」
開き直ったからなのかエメラインの性格からなのか分からないが、ハッキリとした物言いに紀一郎は何とも言えないがっかり感に襲われる。
下駄箱にラブレターが入っていて呼び出されたら人違いでしたみたいな状況にどうリアクションして良いのか戸惑っていると。
「でもあなたの事は嫌いじゃない。ここにいる間ずっと気遣って優しくしてくれた。私を襲う事だって出来たのに……」
「当たり前でしょ、そんな野蛮な事する訳いじゃん。そこらへんの変態と一緒にするなよ」
「私の裸を覗こうとしたり夜寝てる時に触ろうとはしてたけどね」
「な!? 何でそれを」
「気づかないわけ無いでしょ? でも許してあげる。だけどかわりにお願い……。朝までずっと、手を離さないでいて」
エメラインはそっと紀一郎の手元に手を伸してそれを重ねた。
紀一郎はうなずいてその手を握る。
彼女の不安を示すように手の震えが伝わって来た。
紀一郎はその震えをかき消す様にに力強く握りしめた。
それから二人は藁で出来たベッドに寝そべり色々な話をした。
「あなたの事なんて呼んだら良い?」
「呼び名? えっと、うちの家族は『きぃ』って呼んでるかな」
「もしかして言葉が喋れるようになる以外に何かあったりする?」
「うーん、後は考えが分かるようになって私に嘘が付けなくなる事とかかな?」
「うそ! マジで?」
「うそ」
いたずらな表情に狼狽する。
「えっ? 本当は?」
「さあ? どうかしら」
「メガシ屋のカツサンドが絶品なんだよ。多分世界で一番上手いカツサンドだね」
「本当に?」
「今度おごったげる」
「うん、約束だよ」
「絶対」
どれくらい話をしただろうか、いつしか二人は眠りに付いていた。
次の日エメラインが目を覚ますと紀一郎が唯一外を眺める事が出来る格子窓の前で外に向かって何かをしていた。
「きぃ、何してるの?」
「おはよ、ちょっと日課をね」
彼女が起きた事に気づいた紀一郎は窓を離れ隣に座る。
「前から気になっていたんだけど毎日窓に向かって何やってるの?」
紀一郎はこの牢屋にいる間ずっと定期的にある事をしていて、エメラインはずっと不思議に思っていた。
「まあ無理だとは思うんだけどね、何とか僕の町の人達に居場所を知らせようと思って頑張ってたんですよ」
「テ、テレパシーとか? きぃって魔法が使えるの?」
エメラインは感心した目で紀一郎を見る。
「ちょっと違うけど、似たようなものかな」
そう言ってキーホルダー代わりに付けているポケバトの時計を見ると、朝も過ぎて昼近くになっている事に少し驚いた。
「どうしたの?」
「いや、朝飯がいまだに来ない」
「遅れているんでしょう? いつもの事じゃない」
もう一度時計を見直すが、すでに朝食の時刻はとっくに過ぎている。
「にしても遅すぎる。今日に限ってはイレギュラーは起きて欲しく無いんだけど」
紀一郎の真意を掴めないエメラインはきょとんとした表情だ。
「何かあったのかな……」
外界と遮断されているので外で何が起きているのか分かりようがない。
思案を巡らせているとエメラインが最初の異変に気付いた。
「何か揺れてない?」
『揺れる』というフレーズに思わずエメラインの胸元に目をやってしまう。
揺れる程は大きくないが服の上からでも分かる形よく膨らんだ胸に全神経が集中する。
「どこ見てるのよ」
「え、いや、別に」
睨まれ目を逸らす。
「ほら、また揺れた」
「本当だ。地震、じゃないよね。何だろう?」
ズンズンと断続的に発生する振動を感じた。
「何か近付いて来てない?」
地震とは違うどちらかと言うと何かが歩いている様な揺れに不安になる。
「止まった?」
次の瞬間全体が大きく揺れると建物の一部が崩れ落ちる。
エメラインは驚きと恐怖に声を上げた。紀一郎は声を押し殺し何が起きているのかと目を見開いた。
「なんじゃこりゃ!!」
崩れた壁から濁った緑色の肌をした一つ目の巨人が顔を覗かせた。
反射的に二人は牢屋の端に身を寄せる。
紀一郎達を見たその巨人は巨大な手を伸ばし二人を掴もうとする。
建物の壁はさらに崩れ落ち、人間の力ではビクともしなかった鉄格子はまるで針金の様に曲げられ、二人を逃げ場無く追い詰めるのだった。
紀一郎は怯えるエメラインを抱き締め巨人を見る。
怪物が何をしたいのかを直感的に理解した紀一郎はある種諦観に似た心境に襲われ最後を覚悟するのだが、巨大な手が二人をもう少しで届こうかとした時、何故かその手が止まり離れていった。
何が起きたのか不思議に思っていると巨人の目と興味が階下に向いているのに気付く。
巨人は下に手を伸ばしたと思うと丸々と太った人間らしきものを掴んだその手を口に運び、グチャグチャとグロテスクな音を出しながら食べ始める。
食べられた人は文字通りの断末魔を死ぬその瞬間上げていた。
食べ終わった巨人はもう一度手を伸ばしまた一人太った男を掴み口を開く。
どうやら巨人的には痩せている紀一郎やエメラインよりも太った人間の方が好みなのだろう。
「行くよ! エメライン」
勇気を振り絞り立ち上がる。
「え? え……」
「あいつが壊した格子の隙間から出られる。さあ、立って」
怯える彼女を引き上げ、好物を食べるのに夢中な巨人を尻目に牢屋を脱出を試みる。
「とにかく外に、下手したらこの建物自体が崩れるかもしれない」
巨人から離れるように廊下を進む。以前尋問を受けていた頃に何度も往復していたので、記憶を頼りに出口を目指した。
運よく牢獄の建物から逃げ出した紀一郎だが、眼下の光景を見て度肝を抜かれる。
「こりゃ酷い……」
丘から見下ろした場所にある町ではさっきの巨人が七体も暴れ周って町を襲っていた。
かつて河原崎町を襲った竜騎士達が巨人の周辺を飛び回り投石や投げ槍で攻撃を与えているのだが、遠目から見ても効果が上がっていない事が分かる。
「さーてどうすっかねぇ」
エメラインを見る。紀一郎よりも長い牢獄生活で体力が相当落ち込んでるのか、辛そうに肩で息をしていた。
後ろを見ると巨人が二体ほぼ半壊している建物に集まり中にいた人間達を食べている。
「町に降りた方が安全かもね、あいつら食べ終わったらこっちに来るかもしれない。もう少し、行ける?」
彼女は弱々しく頷いた。
町へ降りてみると紀一郎にとって驚いた事に、巨人達が暴れまわっている事に乗じた暴動と略奪が起きていた。
二人は巨人と暴徒を避けて身を隠せる場所を探す。
土地勘が無かったものの運よく廃墟になっていた建物を見つけた二人は、すでに日が傾き始めていたのもあって朝まで身を隠す事にした。
「ったく、薄暗い牢屋から出られたと思ったらこんな暗い所に隠れないといけないとは、上手くいかないもんだね」
隠れている部屋の至る所にある隙間から外の様子を見ながら愚痴をこぼしす。
二人がいる区画は元々人が少なかったのか外の通りには人が歩いてない。もっとも歩いていたとしても泥棒か強盗の類なのだが。
「エメライン大丈夫?」
隠れる場所を探すのにかなり歩いた為、疲労の色が濃く出ていたエメラインを気遣う。
「これからどうしよう?」
「どーすっかね、あの怪物もだけどハッキリっ言って略奪してる人間の方がよっぽど怖いよ。青写真はいくつかあるんだけど」
「アオジャシン?」
「計画とか企みとかそういう意味の言葉だよ」
「変な言葉ね」
言葉が通じるといってもこの世界に無い物の例え等は通じないようだ。
「逃げるにしてもただ町の外に逃げたんじゃ野たれ死ぬか夜盗に襲われるかだろうし、エメラインはどうするとかある?」
「私は……、もう行くあてなんてないから」
そう言って悲しそうにうつむき沈黙する。
体力以上に精神的にまいってしまっているのだろう。
紀一郎は陰った顔を見つめるとわざとらしく咳き込んだ。
「エメライン、えーと大事な話があります」
「大事な話?」
紀一郎は顔を少し赤らめながら意を決した面持ちで彼女の手を握り瞳を間近に見つめた。
「エメライン。僕と結婚してください」
「は?」
いきなりの求婚に呆けた返事を返す。
「僕と一緒に河原崎町へ行こう」
「えっ、カワ、何?」
「僕の生まれた町で僕が住んでいる町だよ。そこで一緒に暮らそう」
普通に考えれば『付き合って下さい』が王道なのだろうが、一緒に河原崎で暮らすにはそれしか無いだろうという事で一足飛びにプロポーズの言葉を口にしたのだった。
しかしその気迫をよそに、エメラインはため息をつく。
「ばか、こんな時に何言ってるのよ。からかわないで」
「本気だって、絶対にエメラインを守ってみせる」
「出来もしない事言わないの」
「本気だよ、嘘言ってるかどうかわかるんだろ? 君に嘘は言わない」
「あ、あれは冗談よ。それにあなたと結婚するつもりなんて無いんだから」
「でもメフィス誓いをしたじゃん」
「あれはしかたなくよ。昨日話したでしょう?」
「それでもだよ、きっと幸せにしてみせる。だから!」
日頃奥手でヘタレなのだが、その反動で一度火が付くと突き抜けてしまうらしい。
エメラインは少し困った顔をしてため息を付いた。
「ばか……」
「馬鹿でも何でもかまわない」
しばしの沈黙の後エメラインは笑みをこぼす。
「ずっと、一緒にいてね」
「もちろん」
紀一郎は恐る恐る顔を近づけると、エメラインはそれを受け入れる様に目を閉じる。
二人は二度目のキスを交わした。
すると薄暗い部屋の中からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
二人ははっとして声が聞こえた方向を見る。
「お嬢様静かにしてください」
「だって可笑しいんだもの、フふふ」
心臓が高鳴るのを感じる。
「誰?」
薄暗い部屋の奥を凝視すると物陰に潜む二つの影が現れた。
薄暗い部屋の奥から現れた人影に緊張が走る。
それが近付いていくにつれ、その影の正体が見えてきた。
一人は綺麗なドレスを着た金髪の少女で十~十二歳位で良いトコのお嬢様といった感じ。
もう一人はダークグリーンのショートカットで軽そうな皮製の鎧と腰に剣を纏った二十歳前後と思われる女性だ。
夜盗や盗賊の類ではない事は明らかで、紀一郎達を安堵させた。
「どちら様?」
それでも見ず知らずの他人と言う事で緊張の面持ちで尋ねる。
「ね、大丈夫でしょう?」
小さい少女はクスクスとまだ笑いっている。
「申し訳ない逢い引を覗くつもりは無かったの。でも出る機会を逃しちゃって」
「いつからそこに?」
「君等がここにやって来る前からよ。敵か味方か判断が付かなくて隠れてたの」
「判断付きましたか?」
皮肉を返す。
「こんな非常時に求愛しだす人は敵とはいわないでしょうね」
「そいつはどうも」
互いに害意は無い事が分かり張り詰めた空気が和らいだ。
「ミリアよ。よろしく」
「僕は加賀紀一郎、この人はエメライン・スヴェルです。そちらのお嬢様は?」
紀一郎は頭を下げる。エメラインはまだ警戒しているようだ。
「申し訳ないけどお嬢様の名前は控えさせてもらうわ。見て分かるとは思うけどこの方の護衛をしているの」
「誰かに狙われているんですか?」
「そうではないわ。ただ余計な火種を抱えるのを防ぎたいだけ」
「一人で護衛を?」
「他にも数人いたのだけれど暴徒に襲われたりで散り々りになってしまったの」
「僕等はとりあえず夜が明けるまでここに隠れてるつもりですけど」
「私達もよ。短い間だけど仲良くしましょうね」
牢獄から逃げ出してきた二人にとって、おそらくこの町を統治している人達の関係者であろうミリアに素性を聞かれたらどうしようか内心焦っていたのだが、向こうも余り素性を詳しく話したくなかったらしく、紀一郎にとって好都合に思える。
お互いの関係を物語る様に若干の距離を開けて座った。
「大丈夫?」
エメラインはひざを抱え暗い顔をしている。
「大丈夫よ、お腹が減ったなって思ってただけ。一日に何回同じ事を聞いてるのよ」
「何回聞いたって良いじゃない。食べる?」
ポケットからチョコを取り出して一粒手渡す。
本日久々の食べ物を口にした。
「ありがとう。とってもおいしいわね」
甘い物を口に含むと自然に顔が綻んでしまうものだ。
「疲れてる時は甘い物だよ。お腹も少しは膨れるし、動かなきゃこれ一粒で一日分の栄養になるらしいしね」
「こんなに小さいのに? チョコレートって魔法アイテムだったのね」
「魔法って言われれば魔法なのかなぁ。原材料見たらびっくりすると思うよ」
原料はもちろんカカオの実である。チョコレートとは似ても似つかない原型は、知っていなければ想像もつかないだろう。
「きぃって一体何者なの?」
「何者ったって唯の極一般的な村人Aだよ」
「何それ?」
チョコレート並みに甘ったるくウザい会話をしているとミリアが近付いてきた。二人は彼女を見上げる。
「申し訳ないんだけどその魔法アイテムを分けてもらえないかな?」
「魔法アイテムなんかじゃ無いんですけどね」
「私達も逃げている間ずっと飲まず食わずで、お嬢様の分だけでいいの。今は無理だけどお礼はするわ」
出来れば持ち物を減らしたくは無いのだが、まあしょうがないかと紀一郎はチョコを渡そうとするが。
「待って」
エメラインが制止した。
「見ず知らずの人間に貴重な魔法アイテムを渡すなんてお人好し過ぎるわよ」
「でもほらお礼してくれるって言ってるし」
「そんなもの守るわけ無いじゃない。約束なんて力のある者が都合良く従わせる為の方便みたいなものよ。都合が悪くなったら簡単に破られるに決まってるんだから」
これまでの人生経験からか非常に迫真めいたものを感じる。ミリアの方もそういった連中に思い当たる所があるのか、バツが悪そうな顔になった。
「どうぞ」
「ありがとう。この借りはいずれ」
チョコを二つ手渡すと、エメラインは恨めしそうな顔をする。
「そんな顔をしないで今日はもう寝よう」
「ばか」
不貞腐れたエメラインは紀一郎に背を向けて横になる。
明日に備えて眠る事にした。
それから数時間が経ち、疲れていた為すぐに眠りに付いたものの寝心地の悪さと埃っぽさに紀一郎は三時間ほどして目を覚ましす。
日の出まではもう少し時間がある。隣で寝息を立てているエメラインを確認すると、不安はあったが周りの様子を見る事にした。
音をさせないように慎重に外に出ると周りの様子を伺う。
好都合にも周辺一帯に人気が無い。
住人は町の外に逃げてしまったのだろう。いるのは死んでいる人間だけだ。
打ち捨てられた死体には二種類あり巨人が食べ残したと思われる欠損した死体と、略奪者から殺されたと思われる惨殺死体だ。それらを出来るだけ見ないようにして散策する。
巨人達が暴れまわったせいか家々の損壊が激しく無傷な建物がほとんど見当たらないし、略奪者に奪いつくされたのか動かせる物品は見つけられなかった。
かつて外国のニュースで略奪が起きている映像を見た時にそんな物を盗ってどうするの? とツッコミ入れたくなる物まで奪っていくというシーンを思い出す。
こういう状況になると(とにかく何でも良いから奪わなきゃ損だ)という一種の脅迫観念に襲われるのだろう。紀一郎はため息をついた。
道中運よく井戸を見つけた紀一郎はずっとポケットの中で腐っていたビニール袋を取り出し汲み上げた水を入れる。
日本にいた頃では衛生観念上思いつかないやり方だが、ファンタジー生活のおかげか気にならなくなっていた。
探検を終え隠れ場に戻り、音を立てないようにそっと扉を開き中に入る。
入ると影からミリアが剣に手を沿え身構えていた。
紀一郎は悲鳴を上げそうになるが、何とかそれを飲み込む。
「君か……、どこに行っていたの?」
「いや周辺を様子見に」
「驚かさないでよね。で、どうだった?」
お互いに緊張を解く。
「特に何も、井戸があったから水汲んできました。飲みます?」
水の入った袋を見せる。
「ありがとう。でもこれどうやって飲むの?」
「こうするんですよ」
ビニール袋の底に小さな穴を開ける。冷たい水が滴り落ちる。ミリアは穴の開いた部分を口に銜えて水を飲む。
「少しにして下さいよ、もう一回汲みにいくのは勘弁ですから」
「ありがとう、生き返ったわ」
「これもどうぞ」
紀一郎はチョコを一つ差し出す。
「これはさっきの」
「さっき二つとも結局あのお嬢様にあげちゃって食べてないでしょ?」
「いいの? あなたの連れが怒るんじゃない?」
「かまいませんよ。もうほとんど残ってませんから、あっても無くても事態は変わりません。それよりミリアさんに恩を売っておく方がお得だと思いますからね。あっ、黙っといて下さいね」
ミリアはそれを受け取り頬ばる。
彼女も自然と笑顔になった。
「とても甘い……。あなたこんな物どこで手に入れたの?」
ファンタジー世界の住人にチョコレートは大好評のようだ。
「もらい物だしもう手に入らないんで、それと僕の名前は加賀紀一郎ですよ」
「さっきも聞いたけど不思議な名前ね。何て呼んだら良い?」
「好きに呼んでもらっていいですよ」
「紀一郎でいい? ありがとう、生き返ったよ」
「そらどうも。それより気になっていたんですけど、あの巨人達をどうするんですか?」
「どうって?」
「倒せるのかなって」
彼の質問に言葉が詰まってしまう。
「ナルトラウシュ辺境伯閣下率いる竜騎士隊と辺境騎士団が必ず倒すわ」
予測というよりも願望に近い答えが返ってくる。
察するのが得意な紀一郎はそれが極めて困難な事なのだと直感し、それ以上話を聞くのを諦めた。
「紀一郎は町の人間ではないんでしょう? これからどうするつもりなの?」
「これからですか? 色々考えている事はあるんですけど、状況が落ち着かない事には」
互いの素性を明かさないままもどかしい会話が続く。
「もう少し寝た方が良いわ。夜明けまでもう少し時間があるでしょうし」
二人は互いに相方がいる場所に戻り一眠りする事にした。
翌朝日の出と共にミリア達は二人より先に隠れ家を後にする。
紀一郎とエメラインはひとまず街の住人が非難している場所が何処かにあるだろうという事でそこを目指した。
巨人が現れてから約一日が過ぎようとしていた。
城塞都市ヴェルターの歴史始まって以来の出来事に住人達はうろたえ逃げ惑う事しか出来なかった。
街を守っていた騎士や警備隊の悉くは巨人退治に借り出され街は一種の無統治状態になる。
すると治安組織が機能していないのをいい事に自然発生的な形で略奪や暴行が始り、住人は二つの侵略者から逃げなくてはならなかった。
「おい見ろよ」
真っ暗な夜道を物色しながら歩いていた男が連れの男達に声を掛けた。
「何か見つけたか?」
汚い格好で腰に手斧をぶら下げた男達が井戸に集まる。
「水を汲んだ後がある、まだ新しい。この辺にまだ死体になってない人間がいるな」
獲物を見つけた飢えた野獣共が目をギラつかせて見る者の嫌悪感を呼ぶように笑う。
「女ですかねぇ」
「さあな、若けぇ女なら言う事無ぇが、男でも金目の物を持ってりゃ元は取れる。他の奴等を呼んで来い」
この周辺には人も物もすでにないだろうと諦めかけていた男達は、神の恵みとばかりに喜び狩を開始した。
美しい髪の少女を連れた不思議な少年と別れ目的地へと向かっていたのだが、途中で野盗達と遭遇してしまいミリアとお嬢様は息を切らし街の路地を逃げ回っていた。
「シュザンナ様、もう少しです頑張ってください」
「まってミリア……、少し休みましょう」
二人とも肩で息をしているが体の小さいシュザンナはミリアよりも限界が近いようだ。
しかし野盗どもが迫ってきている事を考えるとグズグズしている訳にはいかない。
「ここは危険です。ここに留まっていてはさっきの奴らに追いつかれてしまいます」
右の手に持ったレイピアにはまだ新しい血が滴っていた。
最初に遭遇した下郎を刺突した時のものだ。
お互い不意の遭遇だった為に何とか僅差で切り殺す事が出来たのだが、仲間を呼ばれてしまい逃げ出さなければならなかった。
ドタドタと野蛮な足音が近付いてくる。
「こちらです、行きましょう」
路地を直走る。
だが面前の角から人の影が見えた。引き返そうと振り向くとそこには下卑た笑いを垂れ流す男達がこちらに向かっていた。
「ひひひ、鬼ごっこはもう終わりか?」
「こりゃ上玉だ!」
下品な台詞を吐きながらゆっくりと近付いてくる。追い詰めた余裕からか二人が怯えているのを楽しむ様に歩み寄って来る。
もう一方では影が人に代わり汚い格好をした男達がニヤ付いていた。
「くそ!」
逃げられない事を悟る。シュザンナはミリアの裾を握り締めた。
「ミリア……」
目に涙を一杯に溜め必死に泣くのを堪えている。
「ナルトラウシュ辺境伯の下までシュザンナ様を送り届けるのが私の役目です」
シュザンナを見て微笑んだ。
「ナルトラウシュ辺境伯が臣下 天馬騎士ミリア・スーツ。参る!」
死を覚悟をしたのか、悲壮の表情で口上を声高に上げた。
一方、紀一郎とエメラインは人影の無い道をずっと進んでいた。
ミリア達と別れる前に大まかな街の地理を聞いていたので、大体の方向は分かっていた。
城塞都市ヴェルターにはヴェルター城を囲む様にして、人口は少ないが最も大きな敷地面積を占める貴族街・土地も人口も中くらいの市民街・土地は狭いが多くの人口が住んでいる貧民街の三つがある。
話によると巨人が最初に現れたのは貧民街だったのだが、貴族街や市民街に貧民達が流入するのを嫌った者達が、それを防ぐ為に城門を閉ざしたそうだ。
そのため貧民街の住人は出られないでいるという。
また巨人の目的は人を捕食する事なので、そういう意味でも都合がよかったそうだ。
その為紀一郎は貴族街の方面へ向かって歩いていた。
「きぃ、本当にこっちであっているの?」
当てもなくさまよっている感覚を受けたエメラインは不安そうな顔をしている。
「多分。こっちの方向に進んでいれば貴族街って所に行くらしいし。門があるって話しだから門番がいるだろうから避難場所を教えてくれると思うんだよね」
「大丈夫なの? 私達牢屋から逃げて来てるのよ?」
「僕等の顔を知っている奴なんてほとんどいないから大丈夫だよ。むしろ僕の顔を知っている人がいてくれた方が都合が良い位だよ」
昨日からそれなりに行動が上手くいっていた事で楽観的な考え方になっていた。
異変に気づいたのはエメラインの方だった。
「ねえ何か変じゃない?」
「え? 何が」
彼女を見ると不安から恐怖の表情に変わっている。
周辺を見回す。するとどこからか野太い声が聞こえてきた。
「ようお二人さん。こんな所をのこのこ歩いてたら危ないぜ」
声がした方向を見ると明らかに友好的とは思えない大男が現れた。直感的に危険だと悟る。
「逃げるよ、大通りに出るんだ」
エメラインの手を引き走り出した。
「えっ? でも細い路地に逃げた方が良いんじゃ」
「ダメダメ、あいつ絶対土地勘があるよ。仲間もいるはず、路地なんて入ったら囲まれちゃうよ」
紀一郎の判断は半分当たっていた。入り組んだ路地道を塞ぐようにして人員を配置していた男達は虚を突かれる形になり、二人が逃げ出す隙を作る事が出来た。
大通りを全力で走る。
しかし体力で自力に勝る野盗達は徐々にその差を縮めつつあった。
そして懸命に走る二人が通りの角を曲がった時、忘れていたもう一つの脅威が姿を現した。
一つ目の巨人がそこに居たのである。
しゃがみ込んで人だと思われる肉隗をグチャグチャと食べていた。
間近で見るその威容に思わず立ち竦んでしまう。エメラインにいたっては腰を抜かしてしまう程だ。
後ろを追いかけていた野盗たちは二人を追いかけるのを止めて、全力でUターンで逃げていく。
巨人がこちらに気付くと、新鮮な肉に出会った事に喜んだ彼はその大きな手を伸した。
紀一郎はもう逃げる事は出来なかった。
ただへたり込むエメラインに覆いかぶさる様に抱き締め最後の時を待ち、エメラインも涙を流しながら紀一郎に身を預けた。
ガガガガガガガガ―――
その刹那に衝撃と轟音が響き渡る。
それとほぼ同時に大量の砂煙が舞い上がると、家庭用の花火セットで遊んだ時に嗅いだ記憶のある火薬の匂いが強烈に襲って来た。
紀一郎ははっとして顔を上げる。
ガルルルルルルル―――
一瞬の間をおいて最初の音とは違う音が遠くから聞こえて来た。
思わず空を見上げるが涙と砂埃で曇った視界は『それ』を見つける事は出来ない。
しかし紀一郎は何が起こったのか誰が起こしたのか直感的に理解した。
「やった、やった!! エメライン!」
彼女の肩を揺らしながら、感極まって歓喜の声を上げる。
「なに……何があったの?」
はっちゃげる紀一郎とは対照的に力なく声を出すエメライン。
「助かったんだよ、助けが来たんだ、ほら!」
指差した先には緑色の巨人がドス黒い血を辺りに飛び散らし、辛うじて原型を留めるだけの肉隗になっていた。




