3−5 理不尽に挑む者
山の端から太陽の頭が覗き、森の奥へと淡い光が差し込む。
足元はまだ薄暗く、メグミは一歩ずつ慎重に歩を進めていた。
「はぁ……はぁ……」
その顔は緊張で強張っている。
陽動の魔法を自身にかけ、トラウマたるワイバーンをわざと自分に引き寄せているからだ。
その背後を、ジェラルドが展開した強力なドーム状の隠密結界に包まれた三人――ネモ、ラム、アガベ――が追従していた。
「メグミ様……辛そうですね……」
「ああ、私が代われるものなら変わりたいわ……」
「体の動きがぎこちない……大丈夫かなぁ……」
奇妙な光景である。
これは昨夜立てた“トラウマ克服作戦”のための陣形――メグミが先陣を切り、ワイバーンらしくないワイバーンの生息地に踏み込む。
そして交戦を繰り返し、もし限界が来たら結界内から三人が救出・応戦するという、心療内科医ならば絶対に首を縦には振らない常識外れの荒療治だ。
それでも、メグミの足取りは確かだった。
その表情にも、覚悟が滲む。
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−昨夜−
ジェラルドの提案に応じ、トラウマの克服を決めたメグミは、料理を酒と流し込みながら、申し訳なさそうに、しかし勢いよく皿を突き出す。
「図々しい様ですが、もう一杯くれませんか! 体力をつけておきたいんです!」
「はっはっはっ、図々しくなんかないですよ。むしろ明日のために、私から勧めようと思っていたところです」
ジェラルドは皿を受け取ると、料理をするために席を外す。
その様子を見送ったネモが、パチパチと火の粉が弾け赤く染まる薪を見ながら口を開く。
「ところでメグミさん」
「はい、なんでしょうか」
「答えたくないならいいんですけど、なんで政務官なんかになったんですか? イベルダルクの政務官なんて、なるのも大変だし、なっても大変だし、その上でこんな無理難題ふっかけられるんだったら、僕だったらキレて辞めちゃうなーって思って」
ネモの言葉にメグミ、それにラムとアガベも、自嘲の混じった苦笑を浮かべる。
「確かに、いいことなんか何もないです……でも正したい事が、やりたい事が私にはたくさんあって……」
「やりたい事?」
「……私が子供の頃、ワイバーンに襲われた夜、本来鳴るはずの警報は鳴りませんでした」
「はぁ」
「夜警を担当する職員が、疲労で居眠りをしてしまっていたせいです」
「うへぇ」
「襲来した後、大騒ぎになっても、街の防護を担当する魔法使いは来てくれませんでした」
「それは駄目でしょ」
「当時の市政が、コストカットと称してギルドに出す金を渋ったせいで、彼等は動かなかったんです」
「最悪」
「そしてワイバーンが一通り暴れ回った後に、遅れて駆け付けた当時の政務官は、ワイバーンに尻尾で小突かれて逃げたらしいです」
「おいおい」
「そしてそのコストカットを決めたのは、その政務官。なんなら夜警の人数を、金がもったいないと減らしたのも、その逃げた政務官です」
「はぁっ!? ふざけないでよ、何その話!」
「その政務官は何故か今、ソルトマウントの市政の副長官です」
「なんでさっ! めちゃくちゃだよ!」
メグミは苦笑いしながら、眼鏡をクイッと上げる。
「そうなんです、めちゃくちゃなんです。昔からそうなんです」
「どうにかしないとっ……あっ!」
「そう、だから政務官になったんです。政治はめちゃくちゃでも、ソルトマウントは自分の故郷。家族との思い出が詰まった、貧乏だけど素敵な街なんです。そんな街で、誰にでも分かるような失策で自分みたいな悲しい思いをする人を減らしたい。笑顔の数を増やしたい。そう思うのは、変でしょうか」
自身の何となくの質問に、返ってきたのは真摯で重い彼女の覚悟の言葉だった。
「変じゃないですよ! なるほどね、自分の事しか考えてない僕とは大違いだ。優しくてカッコいいですよ!」
ネモは感服する。
「いえ、そんな事は……」
謙遜しようとするメグミに、言葉をかぶせて大きく叫ぶネモ。
「明日は頑張りましょうっ! いてっ!」
「声がデケェよ」
ジェラルドが、手にしていた料理皿の裏底でネモの頭を軽く叩く。
「夜警の魔法してても、叫んだら見つかるぞ」
ジェラルドはその皿をそのままメグミに差し出す。
「まあ、私も言いたいことはネモと同じです。貴方の志には感服致しました。全力で尽くしましょう」
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部外者とも言える二人が、自分の志のために、明らかに報奨金以上の働きを見せようとしてくれている。
その感謝の心、そしてネモに話して改めて思い出した自身の志が、メグミの勇気に火をつけたのだ。
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暫く進んでいると、空に鋭いワイバーンの咆哮が響く、皆がそれに気を取られたその瞬間。
「グゥ゙オォオオオッ!」
くぐもった咆哮とともに、メグミの足元の土がドンと膨れ上がり、地中から突き上げられるように吹き飛ぶ。
反射的に身を翻し、距離を取るメグミ。
土煙の中から、一匹の異形が這い出した。
それはワイバーン――だが、強烈な違和感を感じる姿。
顔面から無造作に突き出た鋭い牙。どす黒い肌は鱗も毛もなく、人間の皮膚のような質感。
白濁した瞳は虚ろで、地を掘るため異様に発達した爪。
翼は硬質化し、まるで岩板のように変形している。
「やはり来たか、地面に潜むタイプのワイバーンだ」
「うっわ、気持ちわるっ!」
「あれもワイバーンなんですかっ!?」
「普通のよりこっちのほうが怖いっすよ!?」
好き勝手に騒ぐ三人をよそに、メグミはレイピアを構える。
ワイバーンらしくない姿――だが、手は震え、脚は強張り、動悸が速まる。
「グヴォッ!」
爪が迫る。メグミは紙一重でかわし、すれ違いざまにワイバーンの脇腹と太腿の血管めがけてレイピアを突き刺した。
「グヴゥォッッ!」
吹き出す鮮血。悲鳴とともにワイバーンは地を転げ回る。
冷や汗を滲ませながら、メグミは柄を強く握りしめる。
「……よしっ。動ける……!」
自分に言い聞かせるように呟くメグミ。
その一瞬でワイバーンは再び体勢を立て直し、再度突撃を敢行。
今度は硬化した翼を叩きつけてくる。
ズドン――岩石が落ちるような衝撃。砂煙が舞う。
手応えがないことに気づいたワイバーン、野生の本能が怖気を感じたのか、大きく身を翻す。
その瞬間、ワイバーンがさっきまで居た場所に轟音とともにクレーターが出来る。
――メグミだ。
大きく上に跳躍して避けた彼女が、落下の勢いをそのまま乗せ、魔法で強化したレイピアをワイバーンの頭へと突き立てようとしたのだ。
「チッ、獣の癖に勘がいいなっ!」
間一髪で躱したワイバーンは、メグミの動きを学習したかのように距離を取る。
そして――。
「グヴァアアァッ!」
体内に蓄えた土を粘液で固め、弾丸のように吐き出す。
まるでガトリング砲のようなブレス攻撃が始まった。
メグミは咄嗟に左手に構えたレイピアで、飛来する土塊を次々と叩き落とす。
そして右手に力を込め、詠唱を始める。
【雷の精よ、螺旋を刻め。鉄心、磁転、鋼のゼンマイ。渦を貫く閃光を、我が槍とし使役する――】
周囲の空気がビリビリと震え、どこからともなく電光が集束していく。
メグミの右腕に雷が束ねられ、一本の槍のように形を取った。
【鉄貫飛雷針ッ!】
投げ放たれた雷槍は、音よりも速く空気を裂き、ワイバーンが避ける暇もなく、吐き出しかけた土塊ごと、
その頭と上半身を一瞬で吹き飛ばす。
閃光と爆風が森を照らし、静寂が戻る。
ブスブスと煙を吐くワイバーンの下半身を見ながら、メグミは肩で息をしながら呟く。
「……やった……倒せた……!」




