第9話 黒龍よ、追憶と共に砕け死ね①
曇天。
熱を孕んだ湿気が頬にまとわりつき、空気そのものに重みがあるようだった。
街の出口にある石門の前で、ネモはジェラルドへ悪戯っぽく笑いかける。
「しかしやりますねぇ、獅子軍神様。面倒な手続きは全部ぶん投げて、美味しいところだけ啜るとは」
「少し調子に乗りすぎたかもしれん……」
ジェラルドは腕を組み、やや気まずそうに息を吐いた。
「報酬のいくらかは、あとであいつらにも渡すつもりだ」
「別にいいんじゃない? もらえるもんはもらっときなよ。路銀なんて、あって困るもんじゃないでしょ」
「……気前よくイベルダルクの神官に、高そうなサファイアの耳飾りを渡した奴の台詞とは思えんな」
「あれはあの時の話! それにまだいっぱい持ってるし! そもそも、ああいうのって半端な覚悟で換金できるもんじゃないんだよ」
「まあ、それはそうだな。お前の馬鹿高いアクセサリーなんぞ、本気で探さんとまともに買える店もあるまい」
そこまで言って、ジェラルドはふと視線を上げた。
「……おい、来たぞ」
二人の前に、黒く頑丈そうな馬車が止まる。
扉が開き、中から三人の公務官が降りてきた。
先頭は銀髪短髪に眼鏡の女性。
その後ろに、女性が一人、男性が一人。
(精鋭だな。特に真ん中の銀髪の女性……)
ジェラルドは目立たぬよう、わずかに警戒を強める。
先頭の女性が、二人を見据えて口を開いた。
「ゴーデム準一級組合員の紹介で来られた、ジェラルド・ハンマーロック様とネモ・アイソリテュード様でお間違いありませんか?」
二人の名前を、淀みなく呼ぶ。
「はい。貴方達が今回のワイバーン襲撃の件を担当されている公務官で?」
「はい、そのとおりです」
女性は眼鏡の位置を指先で整えた。
「私はソルトマウント所属の公務官、メグミ・ホウジョウです。後ろの二人は部下のラム・ハイト、そしてアガベ・ドラゴ」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
ラムとアガベが小さく頭を下げ、ジェラルドとネモもそれに応じる。
「時間も勿体ないですし、さっそく目的地へ向かいましょう、詳細は道中で説明いたします」
メグミは上品な所作で、二人を馬車へと案内した。
がたごとと揺れる馬車の中。
だが足回りにかなり金をかけているのだろう、振動は思ったほどきつくない。下手な貴族の馬車よりよほど乗り心地がいい。
その中で、メグミだけがわずかに顔色を悪くしていた。
「馬車酔いですか?」
ジェラルドが問うと、メグミはすぐに首を横に振る。
「いえ、お気遣いなく。それより、到着までの間に今回の目的と動き方を確認させてください」
膝の上で地図を広げ、メグミは一度視線を落とした。
「……その前に、お二人が今回の件をどの程度把握しているか、お聞きしてもよろしいでしょうか」
ジェラルドが淡々と答える。
「ここから南に、餌の豊富なワイバーンの群生地がある。そこに棲むワイバーンたちが、なぜかソルトマウント周辺へ大挙して押し寄せている」
「はい」
「街の政務官はその対応に追われているが、そもそもワイバーンとまともに戦える魔法使いが足りない。だが、市民の不安と不満は増すばかり。だから可能なら早急に事態を沈静化し、その根本原因であると思われる突如現れたドラゴン――精霊憑きのワイバーン――を討伐したい。認識としては、そういう話でよろしいでしょうか」
その瞬間、メグミの表情がほんのわずかに曇った。
「……そこまで説明した者がいたのですか」
「いえ、街の状況を見て推測しただけです」
「そうでしたか」
メグミは軽く息を吐き、静かに頷く。
「ええ、概ねその通りです。やはりゴーデム様の紹介は正しかったようですね。流石の洞察力です」
そのやり取りの横で、ネモがこっそり念話を飛ばす。
(あのスキンヘッド、意外と信用あるんだね)
(地頭と実力と信用がなきゃ、ああいう勝手はできん)
(地頭……スキンヘッドだけに?)
(わざわざ念話で馬鹿を言うな)
ネモは肩を揺らして笑いを堪えた。
メグミは地図の一点を指先で示す。
「我々が向かうのは、カグツチ湖周辺です。今回の任務は、そこでワイバーンの群れとドラゴンの痕跡を調査し、ドラゴンを捜索すること」
「そして、接敵した際の護衛……いや、共闘が我々の役割、というわけだな」
「はい」
メグミはまっすぐに二人を見た。
「恐らく、非常に危険な任務になります。改めてお聞きしますが……お引き受け頂けますか?」
ジェラルドとネモは顔を見合わせ、すぐに答えた。
「もちろんです」
「はい」
メグミは深く、しかし簡潔に頭を下げる。
「……頼りにしております」
馬車を降りると、曇った空気が肌にまとわりついた。
遠くでは、点のようなワイバーンが灰色の空を横切っている。
重たい雲、湿った風、そして山裾に沈むように広がるカグツチ湖。
ネモは大きく伸びをした。
「どんよりした曇り空! 遠くを飛ぶワイバーン! うーん、気持ちいいねぇ!」
「言葉の前後が全く繋がってないぞ」
「だってさ、何もない馬車の中より、ワイバーンの飛ぶ空の下のほうが僕は好きだもん」
じっとしている時間が相当堪えたのだろう。
ジェラルドは半ば呆れ、半ば納得したように鼻を鳴らす。
「……お前らしいな」
そんな二人に、メグミが気持ち声を引き締めて言った。
「ジェラルド様、ネモ様。ここから先は、いつ何時ワイバーンに襲われてもおかしくありません。十分に警戒を」
「承知した」
「了解」
五人は湖沿いの山道を静かに進み始めた。
むやみに気配を散らさぬよう、声も足音も抑えながら。
その時だった。
「アアギャーッ!」
鋭い鳴き声と共に、藪の向こうから超小型のライトワイバーンが飛び込んでくる。
真っ直ぐに狙われたのはメグミだった。
だが。
「――っ!」
メグミは半歩だけ踏み込み、突っ込んできたワイバーンの喉元を掴む。
そのまま、身体を捌く。
「はぁっ!」
柔道の投げのような鮮やかな軌道で、ライトワイバーンは地面へ叩きつけられた。
「オゲェッ!」
鈍い音。
ワイバーンは白目を剥き、泡と胃液を吐いて痙攣したのち、そのまま動かなくなる。
「ヒュウ! お見事!」
「見事だな」
ネモは素直に歓声を上げ、ジェラルドも感心したように頷く。
メグミは、そんな二人の反応に少しだけ微笑んだ。
だが直後、何気ない仕草で自分の掌を見下ろす。
その指先は、ほんのわずかに震えていた。
◇
調査初日の夜。
この日は本格的な捜索には踏み込まず、野営の準備を整えるだけに留めた。
湖畔近くの安全な場所に結界を張り、五人は夕食と就寝の支度に入る。
今夜の主菜は、メグミが仕留めた小型ワイバーンの炭火焼きだった。
ジェラルドが摘んできた香草を添え、肉にはやや強めに塩を振る。
弱火でじっくりと炙れば、脂がじわじわと滲み、それが香草の香りを巻き込みながら肉全体を包んでいく。
焼ける音と匂いだけで、十分に腹が鳴る。
皆が赤ワイン片手に焼き上がりを待っていた、その最中だった。
メグミが、誰よりも早く肉を火から取り上げた。
そして、ろくに冷ましもせず、大きくちぎって口へ押し込む。
ほとんど噛まずに飲み下し、すぐさま赤ワインを一気に煽った。
喉に流し込むような、食事というより栄養補給に近い勢いだった。
四人が一瞬だけ目を見合わせる。
だがメグミは、その視線に気づかないふりをして、口元を拭った。
「……すみません。私は明日に備えて、もう休みます」
努めて落ち着いた声音だった。
「ラム、アガベ。寝る前に夜警の魔法を」
「はい」
「承知しました」
「お二人は、明日に支障のない範囲で、どうぞご自由に。私のことは……お気になさらず」
そう言ってメグミは立ち上がり、結界内のテントへと入り、そのまま姿を消した。
残された沈黙の中、ネモが小声で問いかける。
「ラムさん、アガベさん……メグミさん、やっぱり体調悪いよね? 馬車の中でも顔色よくなかったし、さっきから手も震えてた」
「隠してはいるが、まあ……バレバレだな」
ラムが、苦い顔でそう返す。
「申し訳ございません。お気を遣わせてしまって」
アガベも声を潜めた。
「少し、メグミ様も気を張っておられて……」
「普段なら、あの方、わりと人と飲んだり食べたりするのも好きなんですが」
ラムが続ける。
「でも今回は、ちょっと……」
「やっぱりなんか……」
ネモはテントの方へ目をやる。
「なんていうか……本調子じゃないっていうか、怖がってるように見えるんだよね」
「……」
ラムとアガベは返事をしない。
ただ二人とも、膝の上で手を強く握りしめていた。
ネモは首を傾げる。
「でも、あの人、小型とはいえワイバーンを素手でぶん投げるくらい強いじゃん。正直、僕らいらないんじゃないかって思うくらいには」
「たしかにとても強いのは……そうなんですが」
アガベが短く答えたきり、また口を閉ざす。
沈黙が落ちた。
焚き火の爆ぜる音だけが、やけに大きく聞こえる。
やがてラムが、メグミに聞こえないよう身を寄せ、さらに声を落として言った。
「実は……」
その先に続いた話は、どうしようもなく腹立たしく、そして聞くだけで胸の奥がざらつくような内容だった。




