30.エピローグ
陽が燦燦と降り注ぐ中庭。
色鮮やかに咲き誇る花々の周りを踊るように蝶が羽をはためかせている。
その光景を眺めながら石畳の通路を一人で歩いていると、後ろから女の子の声が聞こえた。
「おかあさま!」
咄嗟に振り返ると、そこには五歳くらいの女の子が私を見上げていた。
その姿を見た瞬間、「え……?」 と、思わず声が漏れる。
私と同じ亜麻色の長い髪を靡かせる女の子は、幼い頃の私にそっくりだった。
「おかあさま」
新緑色の瞳をキラキラと輝かせながら、女の子は私に向かって呼び掛ける。
「おかあさまって……私のこと?」
自分を指さしながら訊ねてみると、女の子は嬉しそうに笑って頷いた。
「うん! おかあさま! 会いたかった!」
細い腕をめいっぱい広げながら、女の子は私の体に飛びついた。
腰に回された手が、ぎゅーっと私の体を抱き締める。
突然のことに、私はどうすればよいのか分からずなされるがままに立ち尽くす。
けれど、私に体をくっつけて幸せそうに笑う女の子を見ていると、なんだか私の方まで胸が温かく満たされた。
――なんて愛らしいのかしら……。
どうして公爵邸の敷地内に子供が一人だけでいるのか。
この子の本当の母親はどこにいったのか。
そんな疑問は、不思議と消えていった。
今、自分は夢を見ているのだと、頭の片隅で理解し始めていた。
ふと、初めてシェリーちゃんを抱いた日のことが頭を過ぎった。
今の自分が抱いている感情は、あの時に感じたものと似ている。
私のお腹に顔を埋めていた女の子が、私を見上げて嬉しそうに笑う。
屈託なく笑う顔をずっとみていたい。
彼女を傷つけるものがあるのなら、何が何でも必ず守ってみせる。
一縷の憂いもない、幸せに満ち足りた人生を歩んで欲しい。
そんな彼女を、ずっと傍で見守っていたい。
静かで、時に苛烈で。切なくて、愛おしい。
恋情にも似た母性が、自分の中で膨れ上がっていくのが分かった。
「私も、会えて嬉しいわ」
女の子の小さな体を力いっぱいに抱き締め返す。
夢のはずなのに、女の子に触れる感触、体温まで、とても鮮明に感じられて、訳もなく泣きそうになった。
「もうすぐだからね」
「え?」
唐突に告げられて、思わず首を傾げる。
女の子は私の体を少しだけ離し、私を見上げた。
「おかあさまとわたし、もうすぐあえるの。げんじつで」
「……そうなの?」
女の子がこくんと頷く。
ぎゅっと胸が強く締め付けられ、目の奥が熱くなった。
これはきっと、自分の願望が見せているだけの夢。
だから期待してはいけない。期待してはいけないのに……。
「本当に……?」
目の前にいる女の子の言うことを信じたい。
こうして夢にまで会いに来てくれて、私に教えてくれた女の子の言葉を……。
女の子は私を見上げながら、もう一度、力強く頷いた。
「だけどおかあさま、ちょっとたいへんかもしれない」
「え?」
目を瞬く私に、女の子はキュッと眉尻を上げて胸元で両手を握りしめる。
「だけどわたしもがんばるから、おかあさまもがんばって!」
頼もしさすら感じられるほどの力強い意気込みに、私は思わず呆気に取られる。
けれど出産というものが、母親にとっても、産まれてくる子供にとっても、命懸けだということは理解している。大変なのは当たり前だ。
「ええ、頑張るわ! 私も、現実であなたに会えるのを楽しみにしているわね」
私も同じようにぎゅっと拳を握って見せると、女の子はとびきりの笑顔を輝かせた。
目を覚ますと、隣で眠っていた公爵様も、今起きたかのようにゆっくりと瞼を開いた。
一瞬、不機嫌そうな様子に見えたけれど、私と目が合った瞬間、その表情が甘い笑みに変わった。
「おはよう、マリエーヌ」
「おはようございます、公爵様」
公爵様が帰ってきて一ヶ月が経ち、今では当然のように夫婦共有の寝室で一緒に寝るようになった。
ただ一緒に眠るだけの日もあれば、自然な流れで体を重ねることもある。
特に最近は、子供のことを意識することもあって、そういう日が多かったように思う。
――子供の夢まで見てしまうなんて……私ったら、さすがに意識しすぎよね……。
そんな恥かしさに襲われ、顔が熱くなる。
けれど、子供の夢を見たことにより、より一層意識してしまう。
今も、「おかあさま」と嬉しそうに呼ぶ女の子の声が耳に残っている。
あの声を、いつの日か現実で聞ける日がくるのだろうか……。
「不思議な夢を見た」
ふいに公爵様から告げられて、私は思わず身を乗り出した。
予感がしたのだ。
「私もです! もしかして、公爵様も子供の夢を見たのですか⁉」
「あ……ああ。まさか、マリエーヌも見たのか?」
公爵様が驚いたように目を見張り、私は大きく頷いた。
「はい、私も……。とても可愛らしい女の子と会うことができました」
「え?」
公爵様が眉を顰める。
その反応に、私も思わず「え?」と瞬いた。
「僕は……男の子だった」
「……男の子?」
ということは、公爵様の夢には、私が見た女の子とは別の子が出てきたということ……?
すると、公爵様はうんざりするような顔となり、私から目を逸らした。
「最初から最後までずっと泣ていた。『おとうさまじゃなくておかあさまがよかった』と。それも、幼い頃の僕の姿でだ。お前は誰だと聞いても何も答えないから、そのまま放っておい……様子を見ていた」
どうやら目覚めた時に公爵様が不機嫌そうに見えた理由はそれだったらしい。
とはいえ、放っておかれていた子供が気の毒に思えた。
「マリエーヌが見た子供は女の子だったのか?」
「はい。私の幼い頃にそっくりの女の子でした」
途端、公爵様はひどくショックを受けた顔となった。
「僕もマリエーヌにそっくりの女の子が良かった……」
ガックリと肩を落とす姿を見て、「おかあさまがよかった」と泣いていたという男の子のことが頭を過った。
案外、二人は似たもの同士なのかもしれない。
――公爵様のことをおとうさまって呼んでいたってことは、その男の子も私たちの子供なのかしら……?
私と公爵様の夢にそれぞれ現れた私たちの子供。
それはただの偶然なのか。
それとも、何か意味があるのか。
考えたところで、今は何も答えは出てこないけれど……。
「マリエーヌ? どうかしたのか?」
「あ、いえ……。同時に子供の夢を見るなんて、予知的な意味があるのかと思ったのですが……違う子が現れたってことは、やっぱりただの夢なのかと思って……」
夢で会った女の子を抱きしめた時の温もりを、今も鮮明に思い出すことができる。
いつの日か、あの子をこの手で抱きしめられる日が来るのかもしれないと、期待する気持ち。
その裏側で、いつまで経ってもそんな日は訪れないという不安な気持ちもある。
いつだって、不安は期待を上回ってしまうのだ。
「マリエーヌ。そう判断するのはまだ早い。もしかしたら本当に、僕たちの子供が夢で会いにきてくれたのかもしれない」
優しさに満ちた眼差しで、公爵様は言う。
私も、そうであってほしいと思う。
「公爵様は、そうだと信じますか?」
「ああ。きっと二人とも僕たちの子供に違いない。マリエーヌにそっくりな女の子か……僕も早く会ってみたいな……」
楽しみで仕方ないというように、公爵様は顔を綻ばせた。
公爵様の笑顔は、いつだって私の不安を吹き消してくれる。
「私も、公爵様にそっくりな男の子と会ってみたいです」
途端、公爵様の表情がスッと真顔になった。
「……そうだな。奴は性根から叩き直す必要がありそうだ」
――公爵様……まだ生まれてもいないのですが……?
だけど、そんな話をしているうちに、沈みかけていた気持ちがだんだんと浮上していく。
――公爵様の言う通り、きっと会える。
その日を想像すると、思わず笑みが零れた。
「楽しみですね、公爵様」
「ああ。楽しみだな」
私そっくりな女の子も、公爵様にそっくりな男の子も。
きっと私たちに会いたくて堪らなくて、一足早く夢で会いにきてくれたのだと。
そんな不思議で、奇跡みたいな出来事を、今は信じてみようと思う。
だってこの世界は、数多の奇跡で満ち溢れているのだから。
今までも、これからも、この先もずっと――。
最後までご愛読いただき、誠にありがとうございます…!
この物語を完結まで書き続けることができたのは、これまで読んでくださった皆様のおかげです。
本当に、ありがとうございました…!
本編はこれにて完結となりますが、二人の子供についても、いつか外伝として書きたいと考えております。
また、ノベル、コミカライズ等の発売時には記念SSもアップしていく予定です。
気が向いた時に、また覗きにきていただけると幸いです…!




