第60話 旋律
三月二十八日、water(s)がデビューして四周年のライブが東京ドームで始まろうとしていた。
開場まで一時間以上あるにも関わらず、ドームの外のブースにはグッズを求めるファンの長蛇の列が出来ている。チケットの抽選に外れたが、CDやタオル等のグッズだけでも買って帰りたいと思い、並んでいるファンも多数いた事だろう。
溢れかえる程の人混みに、思わず本音が漏れる。
「……相変わらず、すごい人気だな」
「あぁー。日本を代表するアーティストって言っても、いいんじゃないか?」
「だよなー、ってかこのまま並んでたら、確実に間に合わないな……」
ぐっと堪え、ブースから離れた酒井と樋口は、連絡を取るべく電話をかけた。
『開場の一時間くらい前にドームまで来れる?』
彼女から連絡を貰ったのは、一昨日の事だ。二人は『勿論』と、即答していた。元々、グッズを買うつもりで開場時間よりも前から並ぶつもりでいたが、それだけが理由ではない。
「ーーーー上原?」
『もしもし、酒井? 下の関係者入り口は分かる?』
「あぁー、分かる」
『そしたら、行くから待ってて? あと、二人の今の写メ撮って送ってくれる?』
「う、うん」
彼女は急いで電話を切ったようで、ツーツーと切られた音だけが酒井の耳に届く。
「上原、何だって?」
「関係者用の通用口に来てって。あと、俺らの写メ送って、って言ってたな」
二人はこの後の事に期待しつつも、言われた通り写真を送信すると、程なくして二十代後半に見えるスーツ姿の男性が姿を現した。彼はプレス用の入館証を首から下げている。
知らない人が出て来たと思い、携帯電話に視線を移していると、声をかけらていた。
「……酒井くんと樋口くんかな?」
『は、はい!』
慌てて応える酒井達に微笑むと、自分の後をついて来るように促した。
二人の首にも入館証がかけられ、言われるがまま後を追う。淡い期待をせずにはいられなかったが、その期待は現実となる。
扉が開かれると、彼女が出迎えていた。
「hana、連れてきたよー」
「スギさん! ありがとうございましたー」
「いいえー。じゃあ、僕はまた後で顔を出すから」
そう伝えると、杉本は連れてきた二人を残して控え室を後にした。
扉の閉まる音が、やけに響いて聞こえていた。
「……二人とも、驚いた?」
何でもない事のように笑っている彼女に対し、残された二人は心臓が早鐘のように鳴っていた。憧れていたwater(s)が目の前にいるからだ。
彼らは本番前にも関わらず、リラックスした様子で椅子に座っていた。
「みんなに紹介するね。私と同じピアノ専攻の酒井拓真くんと樋口潤くん」
「はじめましてだね」
「miyaの言ってた二人かー」
「こっち、座るといいよ?」
大翔に促されるが、緊張のあまり直立不動である。
『ーーーーはじめまして……』
振り絞って出したであろう二人に、彼女は変わらずに親しげなままだ。
「二人ともライブによく来てくれてるって話をしたら、今の時間帯なら控え室に呼んでもいいって事になったの」
ファンが間近にいた事は、和也からも聞いていて知っていた為、彼らも会いたいという事で話は進み、今回の形になったのである。
緊張感のある中、挨拶を交わしていると、控え室の扉が再び開いた。
「ただいまー」
「miya、おかえりー」
最も憧れるギタリストが入って来たのだ。
「酒井くん、樋口くん、いらっしゃい」
「……こんにちは」 「お邪魔してます」
「二人とも緊張してるなー。そんな二人には、はいこれ」
大きなビニール製の袋がそれぞれに手渡され、思考は停止しそうだ。
「よくライブに来てくれるって聞いたから、俺達からのお返しな」
「あ、ありがとうございます!」
「……ありがとうございます」
手元にある袋には、先程列をなして求める人がいたwater(s)のライブグッズが大量に入っていた。
揃って喜ぶ姿に、彼らの方が嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「二人ともお茶とコーヒー、どっちがいい?」
「お茶で」
「俺も……」
奏はお茶を紙コップに注ぎ、二人の前のテーブルに置くと、自身はペットボトルのキャップが付いたままストローが差してあるミネラルウォーターを口にしていた。
「keiさん達は、バンドの楽器はいつ頃から弾き始めたんですか?」
「うーーん、高二の夏辺りじゃないかな?」
「そうだな。miyaがwater(s)をやるって言い出した時には、ある程度までは弾けるようになってたからな」
「そうなんですか?」
彼女が隣に座った事もあり、二人は少し冷静さを取り戻したようだ。
瞳を輝かせ、前のめり気味なクラスメイトの様子に、やっぱり凄い人達だと再認識していた。
二人にとって夢のような時間だった事だろう。
開場時間になると、杉本と共に奏が通用口の扉の前まで見送っていた。
「二人とも、来てくれてありがとう……みんな、嬉しそうだった」
「いやいや、こちらこそだよ! 上原、ありがとう!」
「すごい、楽しかった……」
「……ありがとう……ライブ、楽しんでいってね」
「あぁー」 「うん、またな」
いつもの調子で手を振る彼女は、これからステージに立つhanaとは思えない程に自然体であった。
先程まで話していた事が、現実とは思えない。ステージで歌うhanaが、一時間前に手を振ってくれた彼女とも、大学で会う彼女とも、違うと感じていたからだろう。
ライブTシャツを着た二人は、ペンライトを照らしながら、water(s)のライブを純粋に楽しんでいた。
「ーーーーすごいな……」
「あぁー」
音と連動したプロジェクションマッピングが、観客を彼らの世界へ誘う。彼女の歌声も、彼らの音色も、会場を魅了するには十分な手腕であった。
ステージから去った彼らにもアンコールの声が送らる中、揃って周囲の歓声に紛れながら思いきり叫んでいた。
暗かったステージが再びスポットライトで照らされれば、一際大きな歓声が上がる。
「ーーーー最後までお付き合い下さい!」
そうkeiが告げれば、視線を通わせる姿がスクリーンに映る。
会場の大半が驚いたのは、彼女がギターを持って歌い始めたからだろう。
二人に限っては動画で見た事はあったが、技術力の高さを目の当たりにして震える。
ただ、water(s)にだけは最初から分かっていた。
hanaがギターを弾き始めて、二年半近くが経った。miyaが想い描いた彼女がギターを持って、弾き語りをする遠くない未来。
それが訪れた瞬間だった。
アンコールに応え演奏を終えると、バックステージでメンバーと抱き合う中、拍手と歓声がドーム内に響き渡っていた。
ーーーーーーーー終わった…………ちゃんと……弾ききる事が、出来たんだ……
「hana! お疲れ!」
「ーーーーっ、うん……」
背後から抱きしめられ、胸を撫で下ろす。
「また明日も出来るな!」
「うん!」
そう……これで終わりじゃない。
また明日も、ライブが出来るんだ…………鳴り止まない歓声も、温かな拍手も、これからも続いていくものであるように……
その願いは叶い、二日間とも大盛況で幕を閉じる事となる。
奏は同じ大学で、和也と過ごす最後の一年を迎えようとしていた。
気づけば桜が満開の季節になり、water(s)がデビューしてから四年の月日が流れていた。




