訪問販売来る
・・・・・・は、恥ずかしい。
油断した。完全に見られた。間違いなく見られた。だってこっち見たもの。
ああ、最後の最後に・・・・・・やだもぅ、大したことしてないんだからあんなこと・・・・・・と思って思い出した言葉に赤面した顔を覆う。
まるっきり憧れの女の子に声を掛けられて照れる子の反応だったなと思う。
虎が行ったので、庭の掃除をしようと思った。
ベンチや椅子の埃を落として、座って休める場所を作るのだ。
そしたら石榴の木の側のベンチに、お姉さんが寝転んでいた。
起こそうと思ったけど、屈み込んでも気がつかないくらい深く眠っている。
青ざめた顔色に口紅の下でひび割れた唇も痛々しい。漠然と、眠れていないのかなと思った。
でも、ここはよくない。
「ねえ、こんな所で」と呼びかけた所で、彼女の右手が押し包むように包んでいる黄色い何かが目に留まった。檸檬だった。ちょっと無いくらいのどす黒い隈でお姉さんは眠っている。
パーティーに遅れて来てしまった子のような寂しさがあった。
だからせめて彼女に許された眠りのために必要な事をした。アイピローにラベンダーを、コートもかけて、昼食は胃に優しく、ストレスを緩和するカモミールティーも添えた。
遅れてきた彼女が手に入れられるはずだったもの全て、お土産に詰めた。
結果はスケッチブックの特大ハートマークと彼女の言葉が証明している。
思い出してくすりと笑う。若くて綺麗なお姉さんが元気なのって気分がいい。楽天的になった私は『おもてなしって素敵だ』と思う。もてなす側も元気にする。
――さて、早く片付けなきゃ。私はちらりと空をうかがった。雨が降りそうなのだ。
次の日、雨の家にノックの音が響いた。こん、こん、こん、と。
私は無視していた。でも、ノックが止まない。
「そこにいるのはわかっているぞ、出るまで帰らないぞ」というように、音は続いた。
こん、こん、こんが十回以上繰り返された所で、観念した。雨に困った訪問者かも。
彼は昔の中国の人みたいに袖口の広い服に、中国風の円い帽子を被っていた。
辮髪じゃないけど、長い三つ編みにモノクルはなかなか個性的だった。にこにこして背中に何か背負っている。
その笑顔と、覚えのある雰囲気に、反射的に言い放った。
「間に合ってます」
「まあまあまあ、お待ちあれ」
「私はご覧の通り、無職です。家屋敷こそ広いですが、家にはお金がありません」
「まあまあまあ」
「本っ当に間に合ってます!」
「お待ちなさい。やれやれ“離れ島”の方は臆病と伺いましたが、ここまでとは」
訪問販売お断りの最大の呪文が効かない上に、閉めようとしたドアに一秒早く靴先を押し込んだ商人に、泣きそうになっていた私は、最後の言葉にぴたりと止まった。
・・・・・・離れ島?確かに日本は島国だけど。
私の興味を得て商人は微笑みと片めがねの奥の自信を静かに深めた。
「きっと貴方のお気に召すものがあると思いますよ。迷い家のお嬢さん。お買いになりたいものがあるのではないですか――情報とかね」
諦め顔で家に上げた私に、彼はにんまり笑って「おじゃまします」と答えた。後は二人してずっと沈黙。沈黙。沈黙だ。
駆け引きでは先に情報を出したほうが負けだ。無言でにこにこしている腹に一物ありそうな人と向き合う時間は苦痛だけど、正直何を話せばいいかわからなかったのもある。
ロレンスは勝手に話した。柿少年は立ち話しただけ。世話話?異世界の流行って何だろう。
彼はあらぬ方を眺めて「こわいなぁ」とか言ってる。
気を逸らすために考え事をすることにした。思い出したことがあって首をかしげる。
――あのお姉さん、身なりは悪くなかったけど、どういった風俗だったんだろう?
銀鼠色の衣服はてかてか光るラテックス素材だったと思うんだけど、知っている素材より複雑な照り方をしていた気がする。
しかも硬いはずのそれは彼女の体に合わせて絹みたいにさらさら流れてたのに、触れば硬いのだ。さっぱり判らない。結局いつものように肩をすくめて済ませた。
というより中断された。「・・・・・・お許しあれ」という彼の弱弱しい擦れ声に。
うん?と思って彼に関心を戻し(途中で本当に忘れてた)て、あれ?っと思う。
・・・・・・この人なんか真っ青じゃない?これ、よくないんじゃないかな。
よくなかったらしい。口元を押さえた彼は真っ青な顔色のままへたへたと崩れ落ちた。
――虐めて悪かった。営業ってしんどい。お兄さんにも厳しいノルマがあるのかも知れない。不動産屋じゃないならそこまで冷たくしなくてよかったかも。
急いで奥からヒーターと座布団を持ってきて、お兄さんの足を高くして寝かせる。
土間で接待しているのは家が汚いからだ。
背中が冷たいのは仕方ないから、せめて膝枕して手をさすって暖めているとお兄さんが目を開けた。あ、この人片めがねの下が義眼だ。
虹彩や乳白色の眼球の運動が鈍い。ただ、瞳孔が黒じゃなくてちろちろ揺らめく燐光に見える。
「・・・・・・“離れ島”の魔女に家の魔法で対抗できると考えた私が迂闊でした。魔女は家については男の何倍も力を出せるのに・・・・・・」
まだ弱弱しい声だけど目には自制心が戻って来ていた。検分されているのはわかったけど、何も答えずに手をさすり続ける。冷えた手だった。
そのままぎゅっと握られる。笑顔が消えると彼の聡明さの奥には油断ならない影があるとわかる。
「啓博と申します。この世のあらゆる珍奇な商品を商っております。まずは不調法についてお詫びを・・・・・・“離れ島”の魔女は幸運を呼ぶといって高貴な方の間で人気商品ですが、私は商いません。ただし、タダというのは腹に据えかねる。割引して情報提供します」
――奴隷商人?・・・・・・不動産屋よりひどい!
今すぐ、払い落としてやりたいのに、手を離してくれない!|わざとらしく「めまいが」とか言いながら手の甲を撫でるな!お茶なんて出すんじゃなかったっっ。
コイン、紙幣、銀貨の中で彼が選んだのはコインだった。例の石の中で火が燃えているやつ。
左から赤、オレンジ、紫、青の順番に並ぶこのお金は一番わかり易い。
手で握って暖かい順。つまり右側に行くに従って価値が高い。
お金の価値がわからないと言うと呆れた顔で、赤いコインを一枚取られて講義された。
彼?・・・・・・は、膝の上で機嫌がよさそうに柚子茶を飲みながらおかきを食べてる。
私が次に求めたのは“離れ島”の魔女についての情報だった。青いコイン二枚。
彼の言い分を要約すると、こう。
『 東の果てにある“離れ島”の民族は、一般的な“魔法”を持たない。
精神を交流させた民族自体が一つの思念体のようなもので、穏やかな国民性もあってか喧嘩も戦争もろくにせず、攻撃手段が発達しなかった。
物言わぬ土や木々と暮らす内にその存在自体が、それらに近くなったためだろう 』
日本じゃないのか、と思ってがっかりする。当たり前か。
でも「私がそれの訳ない。魔法が使えないのだから」と言った私に、彼が告げた言葉には全身が凍りついた。彼はこう聞いた。
「――ご先祖に、口の聞けない方はいらっしゃいませんか?」と。
嫌な記憶が逆流する。警戒感を剥き出しにして睨むと本気の顔で「お許しあれ。悪意はない」と言われた。判るもんか、奴隷商人のくせに!
おばあちゃんの存在は一族全体の秘密だった。・・・・・・秘密じゃなかったけど。
膝の上で苦しそうに息を吐かれた。また顔が青い。
「頼むからお止め下さい」って、何を?
「魔法を使えないなんて嘘だ。現に貴方は家を操っている」
「え」
「誰にも見られたくないと思っているから、家が貴方の姿を隠す。――ここに来た人間に気づかれなかったことはありませんか?意志のない“物”に人間のような意志を持たせて守らせる。似たようなことは我ら土の民や、木の民、石の民も行いますが、人間の意志を物に持たせる魔法は“離れ島”の人間特有の魔法です」
目の前に立ってるのにロレンスに気づかれなかった理由。柿少年は私がベランダに立ってるのにびっくりした顔をした。他にも心当たりがある。
だから私はその説明に納得した。
だけど、まだ分からない事もある。詳しい説明を求めたら、青一枚と紫のコインをごっそり取られた。
体調が悪くてもがめつい商人を恨みがましく見ると「迷い家についての説明もおまけします」と言われた。
「“離れ島”の人間、とりわけ魔女が人気商品となった理由は従順で穏やかな気質はもちろん、攻撃能力がない。口が利けないこともいい方向に働きました。が、最大の理由は『迷い家』の伝説のためです」
「・・・・・・何で、口を利けないことが、いい事なの?」
「男は身勝手な生き物でしてね。『飼う』時に飼い主の秘密を漏らさない・・・・・・もっと低俗な理由もありますが?」
首を振った。嫌な事を進んで知る必要は無い。それに十分酷い。
「『迷い家』は古くからある民話の類でしてね。
道に迷い、辿り着いた善良な者の願いが叶う家、あるいは悪意のある者には呪いがあると言われますが良い話の方が多くございます。
ただし、いずれも迷わなければ辿り着けないために『迷い家』、と。
家には人の気配はあるのに誰もおらず、釜は煮え、机には出来立ての食事がある。
道に迷って疲れた旅人がその家に入って休み、何か持ち帰ったり、飲み食いしたりすると一攫千金などの良い事がある。
実際は姿を隠した“離れ島”の人間が、訪問者の意志を『読み』望みを汲み取って、叶えてやっていたという訳です。
話が大きくなって、“離れ島”の人間を『飼え』ば幸運がある。となった」
つまりそれって。「――ただの迷信?」
声に不満が山盛り篭っていた。不満を訴える声ってなんて子供っぽいんだろう。
やだな、冗談じゃないのに。
私は魔女じゃないかも知れない。でもこの家の状況は似てる。それって十分危ない。
啓博強欲奴隷商人さんの手が、下から宥めるように私の髪の毛を弄ってくるのを首を振って払った。触って欲しくなかった。
「強ち迷信でもございませんよ。“離れ島”の人間は物に意志を持たせる。幸福な“離れ島”の魔女が丹精した家はそれ自体が幸福な力を蓄えます。“離れ島”の魔女を囲い、寵愛し、彼女が幸福になれば、実際に家が力を発するようになるのです。・・・・・・逆もありえますがね」
全然慰めにならない。
嫌だなぁ。静かに暮らせると思って、ここに来たのは良いことだと思ってたのに。
貧血の啓博商人に、お礼にお握りを食べさせた。ちゃんとご飯を食べないからいけないのだ。柚子茶とおかきだけじゃ寂しいので、温かいほうじ茶を淹れて一緒に茶菓子を食べながらおしゃべりする。魔法とか、国とか、啓博商人の事とか。
「これが“離れ島”気質か」って呆れたように言われたけど気にしない。
後、商品を見せて貰って、気に入った簪があったので買ってみた。
さて、啓博商人が帰る前にポケットから一枚コインを差し出した。
ホッカイロにしていた“白”のコインだ。
彼はそれを片めがねのある方の目で検分し「本物ですね」と言った。
彼の左目の義眼は物の真贋を見分ける魔法があるらしい。彼は屋敷と私の目くらましを見破れる。
それをあげるから質問に答えて、ただし、絶対に嘘はつかないで、と言った。
「貴方はおかしな方だ。私が信用できないのでは」と聞かれて、肩をすくめて答える。
「貴方こそ『信用』なんて言葉を信じているとは思えない。人間は自分の目でしか物を見られない。つまり鏡の像を見ているのと変わりない。信用も同じ。私は鏡が左右逆に写る事くらいちゃんと知ってます」と。彼は「ちがいなし」と笑った。
その質問を聞いた彼は神妙な顔になって一瞬私を哀れむ目をしたけど、合理的な彼らしく割り切って彼なりの実用的で感情を排した答えを纏めてくれたと思う。
却ってそれがありがたかった。
啓博商人は気に入ったと言う柚子茶を持ってぬかるんだ道を帰っていった。
むしろ足元の泥沼のような性格なのに、胡散臭い笑顔に青空が映えて似合うのがおかしい。
帰りに何故か名前を聞かれたので教えておいた。
また「“離れ島”気質」って言われたのが癪に障る。
家の外が異世界になっちゃったし、もしかしてショックなことがわかったけど、今のところ特に問題は無い。今日、訪問販売が来た。
読んでくださった方、どうも有難うございます。いつもより長い話に付き合って下さって感謝しています。
さて、このお話でひと段落。
※さて、このお話の『迷い家』という設定は遠野物語、日本の民話から取っています。“離れ島”云々は私の創作です。知っている方も多いと思いますが、念のため。




