タイトル未定2026/10/18 16:19
地球も、空も、そして僕も知っていた、祝祭とは、その日に起きたことを祝うためだけの儀式ではなく、その瞬間の中に本当に、完全に存在したならどんな感覚なのか、ということなのだと。
人間はよく、自分たちの人生の周期は死ぬまで同じままだと思い込む、でも、すべてはうまくいくのだなどと運命を断言することなど、いったい誰にできるだろう、毎日サイコロを振って生きなければならないなんて、なんと哀れなことか、どんな数字が出るのかと待ち続けながら。
そして僕は、その幸運の数字が出るのを待っている数少ない人間のひとりだ、なぜなら今この瞬間、僕は本当に財布に残っているすべてを賭けているからだ、僕が人生の不運を過ごすためによく通っているバーの中で。
くそ、と僕は言った、目の前の小さな数字でぴたりと止まったサイコロを見て、同じやり方で三回連続で負けた、なんと立派な金の使い方だろう。
僕は残りのビールを飲み干した、そこにいたバウンサーと激しくやり合った、この悪魔の遊びに騙されていると感じたからだ、僕は何度か彼の顔を殴り続けて、ついにそこにいた二人のバウンサーにバーから引きずり出されることになった。
アルコールの匂いがまだ残ったまま、僕はタクシーを呼んで、一間の部屋へ帰った、自分一人には十分な広さで、持っている人生の四分の一を、そこにいる人たちの考え方という環境とともに、使い果たそうとしている。
その人たちもまた、人間であることにおける自分たちの人生の欠陥を、ロマンチックに美化するのが好きなのだ。
僕のこの人格の欠陥は、おそらくすぐには表に出ないものだけれど、まだ幼かったころに根ざしていて、この部屋の隅にいる木食い虫のように、ゆっくりと蝕んでいった、そもそも人間とは弱い人間で、人は痛ましいやり方で適応する。
それは、神様から与えられた試練はどうして僕にはこんなに重すぎるのか、それとも神様はもう、今の時代に人間が被ることに関心を持つのをあきらめてしまったのか、と問い続けている僕自身も同じだ。
それなら、あなたの試練を乗り越えられない僕は、それでもまだあなたのしもべと呼ばれるにふさわしいのでしょうか、神様?
その問いは、ある祝祭の招待リストから僕の名前が消されたことに対する、神様への僕の抗議として浮かび上がってきた、これまで自分が犯してきた行いに対する罪や業のすべてを、過去に犯したことも、まったく自分が知らないことも含めて、無視して。
僕は小さな冷蔵庫のほうへ立ち上がって、そこから何本かビールを取り出した――それからまた、十分に楽な姿勢でベッドの上に体を落ち着かせて、ときどきそれを飲みながら、何度か自殺を空想したいと思っていた。




