浦島太郎
竜宮城の暮らしには飽き飽きしていた。
そんな時、地上で亀を助けたという男がやってきたのだ。
男の名は太郎という。
平凡だか実直そうな双眸が印象的な顔立ちである。
話してみると、予想を裏切らない真面目な性格が気に入った。
なにしろ竜宮城の中で生まれ育った私にとって、まず人間というだけで目新しく興味を惹かれるし、そのうえ、周囲には煌びやかで美しい海の生き物ばかりで辟易していたのだ。
だからこの真面目以外なんの取り柄もないような男と遊んでみようと思った。
決して私から好きになったわけではない。
ただひと時の気まぐれではあったが不思議と一緒に過ごしてみると、次第にその風貌も愛らしく思えてくるものだ。
手始めに宴会を催してみた。
「こんな豪華な場は初めてだから緊張してしまいます。もてなしなどいりません」
そういって恐縮していたこの男は、はたしてどのようなことをすれば愉快に笑ってくれるのか、想像するだけで胸が湧きたつ。
宴会の最後の方にはにこやかに笑う顔を垣間見せて、照れている姿がかわいいと思った。
何日か過ごしたら私への警戒心もすっかり溶けていき自然体な様子が気さくでさらに気に入った。
竜宮城のすぐそばにあるヒトデやくらげが群生している幻想的な場所を見せてやった時の、子どものようにあからさまにはしゃぐ様は見ものだった。
男はおもむろに近くにあった貝殻を手に取って大事そうに見つめていたかと思うと、私に向けて「とてもきれいな貝だよ。今日の思い出にあなたに持っていてほしい」そう言ってきた。
こんな貝殻、竜宮城では目新しくもないはずなのに、なぜだがその一つが特別になった。
そうして気が付いたら太郎から貰ったもので自室は溢れていき、思い出も増えていった。
そんな風に数か月一緒に過ごしていた時だった。
「そろそろ一度、村に帰ってみようと思う」
突然告げられたその一言に、とっさに返す言葉が見つからない。
ここでの暮らしが嫌になったのだろうか、私のことが嫌になったのだろうかと、疑問符がついている私の顔を見かねて男は耳元で囁く。
「別にここが嫌になったんじゃないし、もし君がよければ帰ってきたい。
ただ、少し村の他の皆がどうしているか様子を見たいんだ」
竜宮城を出た人間には試練がもたらされるしきたりがある。
そう伝えても男の意志は固まっており、拒むことはできないようである。
仕方なく、私はしきたり通り玉手箱を手渡した。
どんなことがあっても決して開けないように、念を押して。
男は力強くうなずいて去っていった。
◆
太郎が村に戻ると、そこにあったはずの村は古ぼけて、すっかり集落の体を成していなかった。まるで数十年、いや百年以上は時が経過しているようだ。
竜宮城にいたのは数か月のはずだったのに、なぜこんなことになったのか?
「もしかしたら地上と海底では時間の速さが異なるのかもしれない」
その結論に至った時―――絶望がひしひしと胸を押し潰していく。
すでに家族はなく独り身だったが、それでも自分が生きていた時代に取り残された感覚、過去の存在となった事実は、普通の人間にはおよそ耐え難い恐怖であった。
今、この恐怖と絶望の中で太郎が持っているものといえば、玉手箱のみだった。
「もう、どうとでもなってしまえ!」やけくその気持ちで箱を開ける。
たちまち煙が立ち込め、太郎の体は皺がれ水分が蒸発していき、皮は裂け、瞬く間に骸骨の残骸のみとなった。
その様子を見守るように、波打ち際からひときわ美しい泡が打ち寄せる。
つと、浜辺のへりで膨らんで女が具現化した。
女は骨を大事そうに拾い上げながらつぶやく。
「あなたが見たのはすべて幻想なのよ。
時間はちっとも動いていない。
あなたの村は変わらずここにあるのに幻想に負けてしまったのね。
恐怖に負けて約束を守らなかったから罰を受けたのよ。
一緒に海に帰りましょう」
玉手箱の中に骨を包み込み、愛しそうに抱えながら海底に戻っていく。
了




