3-7 悔しい。けどここでやるのか⁉︎
「ふっ――!」
鋭い呼気と共に手にした一刀を振り下ろす。
伸ばされた不鮮明な触手が両断され、塵となって消えていく。
だが、それで終わりではない。
私を潰そうと、すでに見慣れた不定形の浮遊体のいたる所から無数の触手がさらにうごめき飛び出てくる。
薙ぎ払い、叩きつけてくるそれらの間を『鬼』の身となって強化された私の脚が駆け抜けていく。
同時にすれ違い様に切り落とし、その悉くを霧散させていった。
そして、駆ける勢いをそのままに跳躍、残った触手達を足場に利用し本体へと一気に迫る。
下段から斬り上げる。跳躍の慣性を殺すことなく、形を定めずうごめく塊を切断した。
その切断面を広げながら、その浮遊体――鬼脅は二つに分かれていく。しかし、それも半ばまで。
届いていない⁉
両断しきれなかった本体は即座に空中の私へと狙いを定めてくる。
そも形の定まらない存在。半ばまで切断された箇所は傷ではなく、ただ集まっていた塊を切り離しただけに過ぎない。
完全に両断できなければ意味がない。
それは何度目かの確認。未だその本体を両断できた数の方が少ない私に現実を知らしめる光景だった。
私を貫こうと何本もの触手がまた猛烈な勢いで迫ってくる。
それらを前に全身を大きく回転させる。
髪留めをとって降ろしている長い髪を一つの長身の刀と変えて、迫る触手共を両断。
無事に着地し、頭上に浮かぶその姿を視界から離さない。
が、その姿は次の瞬間には塵となり、跡形もなく消え去っていた。
現れたのは黒い装束の姿。
消え去ったそれの向こうから現れた黒色は足場を失い落下するも、問題なく地へと降り立つ。
燕にも似た意匠をほどこされた頭全体をおおう頭巾は、今この場においては違和感なくむしろ厳然たる佇まいを感じさせた。
適度な緊張、しかしけして力みはなく如何なるものもいなす柔らかさ。
絶妙なバランス――故にそこに至るのにどれほどの時間と経験が必要なのか。
一種の美しさをさえ感じさせる立ち姿だった。
その姿を前に――私は内心歯がみしてしまう。
届かないとはわかっていても、自分の力のなさを間近で見せつけられてしまうのは苦しい。
私の十年間への絶対的な否定。
所詮は平穏の中での競い合い。本当の命をかけたやり取りには遠く及ばない。
彼という存在は私にそう語りかけているように錯覚させてしまう。
無論……命の奪い合いを肯定する気などさらさらない。
しかし、純粋な強さという視点から見るならば、ツバメと名乗る彼や隠塚に敵わない現実は覆しようがなかった。
「問題ないか?」
不可視の異形が消え去ったことが確実であることを確認し、ツバメは私に問いかけてくる。
「特に負傷はない」
私の簡潔な答えに彼はうなずきだけを返した。
彼の言動や行動は端的で簡潔だ。必要なことだけをつげ、行動する。
だが、今の私にとってはその方が有難い。
仮に彼が感情豊かに接してきていたとしたら、私は我慢できずにその度斬りかかっていたかもしれない。
抑えてはいても、歴然とした力の差に私は嫉妬し妬む自分を自覚していた。
……こんなもので、自慢の姉になるなんてお笑い種だな。
今いるのは杜人の山側に近い郊外付近の場所だ。
点々と住宅や小さな店舗らしき建物がわずかにあるばかりで閑散とした景色が広がっている。
中心に近い繁華街や線路向こうの海側の住宅街などは人が集まり賑わいを見せているが、反対にこちらは山に近づく程に建物も人の姿も少なくなる。
少ない家々の逆側には山の斜面に生える木々の姿があるばかりだ。
静かな街並みといえば聞こえはいいが、ある種取り残されたかのような寂しさを持った景色でもあった。
その原因は……恐らくは山の中腹にある大きな屋敷の姿もその一つなのだろう。
高い木々に囲われたそこは、ここからでも木造の門構えを判別できる。
そこにある小さな社は古くはこの杜人での祭事を取り行う場所になっていたそうだ。しかし、それも昔の事。今は誰も見向きもせず、忘れられている。
怪物――鬼脅を祓い終えた私は変化させていた身体を戻し、降ろしていた髪もくくりなおす。
授業中に抜けて来たため、着ていた制服には汚れがついてしまっている。はたいてとるがちゃんと洗濯しないと落ちそうにない。教室に替えを持ってきておいて正解だった。
ツバメは変わらずその黒い装束――というか手製の改造作業着らしいそれを脱ぐ気配はなく、街の方へと視線を向けていた。
スマホを確認する。
今のところ他に現れる兆候はないようだった。
鬼脅の現れる気配を感じ取ることのできない私達は基本、隠塚やそらの連絡を元に行動する。
学校や近くにいる際は直接意識に伝達されるが、距離が離れていたりする際はスマホへの連絡も行われることになっている。
……他人の声が直接頭に響くような感覚はまだ慣れない。
ゆうやそら達は何も思っていないようだが、自分の中に誰かが入り込んでくるというのはあまり気持ちの良い感覚には思えなかった。
「皇」
とツバメがこちらを見もせず、声をかけてきた。
「お前はどこまで自分を変化させられる?」
「どこまでとは?」
その意図がくみ取れず、問い返す。
「お前が自身の身体を刃に変化させられるのは承知している。それはどの程度だ? 今までのように腕や脚などの身体の一部のみか?」
私の『鬼』としての力。それはこの身を刃に変化させられること。髪の一本から足の指の先まで、形状は問わず切り裂くものに変えることができる。
「いや、試したことはないが一部というわけではないと思う」
「では全身を変化させることもできると認識して間違いはないか?」
何を確認したいのかわからないがうなずく。
「形状に制限は?」
「ないな。……強いていうなら刀の形がやりやすいというのはある」
それは多分、これまでで一番手に馴染んでいた形だからなのだろう。小柄な私では素手でのやり合いには限界がある。かといって重量のあり過ぎる武器も手に余る。
だから、重量も長さも私に最適化できる刀は一番扱いやすいものだった。
あくまで以前の通常の人間であった時のことであり、今は重さも長さもあまり関係はない。
しかし、それでも馴染んだ感覚というのは『鬼』としての私にも少なからず影響はあるようだった。
私の言葉を聞き、思案しているのかツバメはしばし無言となる。
「やってみろ」
そして次の言葉は今までと同様簡潔。
「こ、ここでか?」
私はそれについ戸惑った声を出してしまう。
「確認しておきたい。程度によってお前や俺達の今後の戦闘スタイルも変わってくる」
そう言ってこちらを向く顔は大きな頭巾に隠され、表情はわからない。
私は躊躇してしまう。試すのが嫌という訳ではない。嫌ではないのだが――。
「どうした?」
「せ、せめてどこか屋内に行かないか?」
「何故だ?」
いたって当然とばかりに理由を問うてくるツバメ。
……そうだな、聞いてはくるよな。
だが、すぐ口にするのはためらってしまう。
「なにか問題があるのであれば言え。それがお前の力に関わるものなら把握しておく必要もある」
……ぐぅ、そうだな。そう考えるよな。
「――くを――――――――んだ」
「すまん。聞きとれなかった」
……ぐぅぅ!
「服を脱がないと切れてしまうんだ!」
耳まで熱いのを自覚してしまう。
まさかこの男相手にこんな照れや恥ずかしさを感じることになるなんて……。
ゆうやそら達は姿を変えて問題ないのに、何故か私は姿を変える際に服はそのままだ。
それは刃に変わるという力の性質によるものなのか――それはわからないが、ともかく気をつけなければ私は自分の服を全てただの布切れに変えてしまう。
すでに三着ほど駄目にして、制服も一つバッサリ切ってしまい直してもらっている。
だから、最近はもっぱら上は半袖の上にカーディガンなどをはおり、スカートの下にはショートパンツを履き戦いの前にすぐ動きやすく脱いでも問題ないようにしていた。
だというのに、全身を変化させるとなれば――それはそういうことで。
「誰も視認はできない」
だというのに目の前の黒装束は事も無げに口にする。
「お前がいるだろう!」
「もちろん見るつもりはない。変化が終わった段階で教えてくれ」
さも問題ないとばかりに私に背を向ける。
そうじゃないだろう!
「おま――こんな真っ昼間の往来で服が脱げるかぁ!」
「今は周囲に人の気配はない。それに髪の一本でも変化させてからであれば誰に見られるわけでもない」
こ、こいつ……。
「見られる云々の問題でなく! 一般的な女性――いや性別関係なく、いきなり外で服を脱げといわれて脱ぐ奴はいない!」
「我々は一般的な存在ではない」
答えは即座に返ってくる。それで十分と思っているのか、それ以上言葉を続ける様子もない。
「いや、だからといって――」
「必要であれば衣服を纏えない状況も受け入れなければならない。自身や他の命がかかった状況で恥を感じている余裕などないはずだ」
確かに……それはそうだろうが。
だが! だからといって今それをする必要があるのか⁉︎
「お前の力の把握することは今後の俺達に関わることだ。確認するなら早いほうが良い」
……ぐ、ぐぅぅ!
言っている事は正しい。私がどこまで自分を変化させられるかは私自身にとっても重要な事ではある。
が言われずとも自分で変化の度合いを試してはきた。だからこそ、単純に腕を刃にするだけでなく脚や髪、全身を利用できえるように考えてきた。
「それは一部を変化させているだけだ」
私の言葉にやはり返事は早かった。
「お前の言葉とこれまでから、お前は人の形を捨て切れていない」
「当たり前だ。人の姿を捨てれば振るえるものも振るえなくなる」
「何故だ?」
私の反目の言葉にあっさりと問うてくる。
背を向けたまま、動こうともしない黒装束は私に人の形を捨てろとあっさりと言外に告げていた。
「……そうは言うが、具体的にはどうしろと言うんだ?」
仮に全身を変えたとしよう。手も足も頭も髪の先まで変化させたとして、それは結局何本もの刃を身体から生やす歪な姿になるだけだ。
そう――あの鬼脅になってしまった時のような姿に。
それでは意味がない。
何本も刃があったとしても、相手を切り裂き両断できなければならない。
「お前自身が一本の刃になれ」
答えは簡潔。
言わんとすることも理解はできる。
「お前という存在を集中させた何者も斬れぬもののない一本になってみろ」
まるで試すような言葉。
その声はいたって平坦。これまで同様、ただ指示を伝えているだけといったものだ。
だが――その言葉はまるで私を煽り、挑発しているように聞こえてならなかった。
「……わかった」
自分でも馬鹿だとは思うが、この男の鼻を少しでも明かしてやりたいという思いが羞恥よりも上回ってしまった。
「けどせめて陰に移動させてくれ!」
そこだけは譲れなかった。




