2-33 眠る時間にはせめて
男が一人、まるで夢遊病者のように暗い夜道を歩いている。
時刻はすでに日を跨いだ深夜。
周囲にはその男以外に姿はない。
何処に向かおうというのか、男はふらつきながらも歩みを進めている。
その目はどこか虚ろであり、口は半開きになっていた。
そして、何より異常であったのはその男は一糸まとわぬ全裸体であるということだ。
昼夜問わず誰かに見つかれば、即座に不審者と判断されるだろう。
だが、そんなことは気にすることもないのか、目的地も定かではない歩みを止める気配はない。
この時刻、暗い街を照らすのはわずかな街灯があるばかりだ。
しかも表から離れた裏路地ということもあり、ほぼ明かりなどないに等しい。
だが、今はそれが好都合。
しかし、あれに対して暗がりというのがどれほどの地の利となるかは定かではない。それでも利用できるものは使うに越したことはない。
音は立てない。気配も消し去る。
距離を置いて伺っていた間合いを即刻無くす。
要するのは一撃のみ。
それ以上のやり合いは本来無用のものだ。
狙いは頭部。
あれが人と同じ形態をしているならば、そこを潰せば制圧できるはず。
即座に終わらせるため、全身のバネを利用した一撃を放とうと男の背後に迫った時。
男の首が百八十度回転した。
振り返ったわけではない。頭だけが回転し、こちらを捉えていた。
だがすでに遅い。
こちらを捉え、姿を変化させようとした時にはすでに終わっている。
拳が男の頭を打ち抜き、頭蓋を破壊し、粉微塵に破裂させる。
同時に残された身体は塵となって消えていった。
脅威がないことが確実かしばしの間確認する。
周囲にも異常は無い。
「……!」
いや、気配が一つ。
こちらから離れた場所を先程の男と同じようにふらふらと歩く姿がある。
体型から女だとわかる。
なにも衣服を纏っていないのは先程と同じだ。
即座に動く。
「待った」
しかし、制止する声が頭上から響く。
振りかえらずとも、その声の主は判別できた。
「何故止める?」
「あの子は大丈夫」
こちらの疑問への答えは明確な理由を伴ってはいなかった。
「理由は?」
「あの子は会いに来ただけ。誰かを傷つけたりしない。それに傷つけるとしても、あの子が憎んでいるのは穢れ」
その声は日中とは違い、はっきりとした声音で言葉を続ける。
「お前がそう言うのであればそうなんだろう」
はっきりとした根拠を提示されたわけではないが、相手がどのような存在かを見抜くことにかけて彼女は恐らくあの巫以上に秀でている。
俺は彼女の言葉を信頼している。
「会いに来たと言ったな。それは誰だ」
「妹」
「……なるほど」
であればここで即断するのは酷というもの。
一時であったとしてもその願いを叶えても良いと判断した。
「あんまりベタベタしすぎると嫌われる」
「ベタベタなどしていない」
無論、適度な距離をわきまえている。
「隠塚は?」
「向こう。もう終わった」
なるほど。加勢は不要のようだ。
「数が増えたな。しかも、ほぼ新たに現れた奴ばかりだ」
「うん。あっちから出てくる数が増えてる」
先程の奴同様、夜を彷徨う尋常でない存在は杜人の夜に着実に数を増やしていた。
「奴らも鬼脅か?」
「うん」
答えは以前と変わらない。
であれば、これをあの三人に任せることはできない。
人の姿を模した鬼脅を相手にさせるには、まだあの三人は平常に生きすぎている。
幸運にも今の所、奴らは皆が寝静まった深夜にしか現れない。
鬼脅に関する説明の中、あえて事実を含ませなかった部分がある。
奴らは夜には現れない。が、完全にではない。
少ないといえど、暗闇に落ちた時間においても覚醒している意識はある。
それらを狙い、現れる個体も数はわずかだが存在していた。
そして、それらを狩るのは俺の役目でもある。
いかに巫として比類ない実力を有する隠塚であっても、人間の身には変わらない。必然休息は必須だ。
であるから休息の必要のない身である俺にとって夜の役目は適任だ。隠塚は不服の様子だが、現実問題、肉体の限界には逆らえない。
故に夜の役目は俺と頭上の彼女が担うこととなっている。彼女も本来は睡眠を必要とする身。しかし、日中に眠ることでそれをカバーしている。
とはいえ彼女の眠りはそれだけが目的ではない。別の目的こそが本来のものであるが、今はいい。
単独で役目を果たすことも不可能ではないが、彼女もまた奴らの存在を観測できる存在だ。
隠塚のように事前に察知することはできずとも、その『飛翔』する能力によって俺に奴らの位置を伝達する役割は大きい助けとなっている。
そして、本来は睡眠をとっているはずの隠塚だが今は共にこの夜の中、奴らを狩っている。
今は異例の状態。以前までには存在しなかった者達を前に眠っている暇はないと口にし、自らそれを確認している。
その顔は役目を果たす義務感と、自らに責め苦を与えている相反する感情を見せる。
その顔でそういった表情を見せられるのは、気持ちの良いものではなかった。
「奴らが現れるのは夜だけか?」
「今のところは。でも時間がたてば関係なくなるはず」
俺の再度の問いに彼女の答えは必要最低限だ。
しかし、それで十分。
であるなら皆が眠りについている合間に脅威となるものを狩り尽くすのみ。
あの子も眠りについている時は奴らを捉えることはできない。
例え避けられない役目を負う身であったとしても、せめて夜の眠りは安らかに。
俺はその心が安寧であることを望む。
それは俺の身勝手な願いでしかない。
そして、遠くない時、それが保たれなくなる予感もあった。それを否定する材料を見つけることも出来なかった。




