1-18 遠慮なくぶちのめしてやれ
「さて、続きを話そうか。そんな余裕はないかもしれないが、なに実際に体験しながらだ。そのほうが頭にも残るだろ」
その視線はこちらにはむけられず、どことも知れないなにかに語りかけている。
近くからのちらりとした視線に、悠子さんはとんとんと耳にしたイヤホンをたたき、持ったスマホとともに通話中だと言葉でなく伝えている。
「こいけがし。鬼が脅かすと書いて、『鬼脅』。本来とは異なる読みだが、おそらくは当て字だろう。本来は濃い穢れと書くのが正しいんだろうが、まあそれはいいさ」
授業のように語るその言葉は今のわたし達からは本来はとおい。
けれど、わたしとわたしの感覚につながったゆうにはまるでそばにいるかのように鮮明に聞き取ることができた。
「昨日も話したが奴らは人を喰らう。それが果たして字の如く、食ってのみこむかはわからないが、ともかく奴らは喰らい、喰われたものは消えてなくなる。それこそ存在そのものがなくなり、記憶もなくなる」
ふわふわと浮いているそれ——鬼脅がこっちの存在に気づいたかのように、そのぼんやりとした身体を脈うたせはじめる。
来るよ!
わかってる!
「だが、退治しようにも奴らは見えないし、触れることもできない。認識できないんだ。昔話にもあったね、尋常では見ること叶わず。だから、出会ったら最後、ただ喰われる運命でしかない。しかも、喰われているということすら認識できずにだ」
のばされる触手、けれど前回のように避けるわけにはいかない。
だって、後ろにはたくさんの人の姿がある。
こっちの姿にまったく気づかない様子で、友達や家族や、一人でふらりと歩いている姿がある。
だから——!
殴り飛ばす‼
わたしとゆうの意思が重なる。
「だけど、幸運にも私達にはそんな不可視の存在を退けてくれる守り手がいた。それはこの土地での八百万とつながる巫と呼ばれ、そして、人々を喰らう魔を鎮める『鬼』とも呼ばれた」
渾身の力でなぐりとばした鬼脅の触手が弾け飛ぶ。
一瞬、ひるんだようにも見えたがすぐに無数の触手をのばし、ふりあげてくる。
思いきり地面を蹴り、飛びあがる。
このまま下にいたらまわりを巻き込んじゃう。
だから、ゆうとわたしは迷わず、浮かぶ形の定まらない怪物に飛びかかる。
それを何本もの触手でたたき落とそうとしてくる。
けれど、その一本一本の動きがまるで手に取るかのように、目に見えるわけでなく、感覚としてわたしには知ることができた。
わたしは前を見ていない。後ろも見ていない。上も下も右も左も。
けれど、そのすべてを同時にわたしの感覚がとらえている。
そして、それは心臓となったわたしから身体となるゆうへとさえぎるものなく、伝えられていく。
「故に『鎮鬼』。穢れを纏い、その内にある声を聞き、この地にある不確かだが確実に存在するものを祓い清める。それが今のお前達だ」
払い落とそうとするものを、打ち貫こうとするものを、寸前で避け、蹴り、跳躍する。
蹴られた触手は砕けて、塵となっていく。
「なに、誰も見てもいないし、聞いてもいない」
そして、わたし達は触手達の本体を眼前にする。
さっきまで見下ろす位置にいたそれを、真下にとらえて——。
全力の‼
「遠慮なくぶちのめしてやれ」
だぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁ‼
キィィィィィィィィィック‼
感覚にわたしと重なるゆうの叫びが響く。
わたしとゆうの2人分の全力をこめて、触手を蹴ってつけた勢いをそのままに、まるでぶつかるように蹴りを放つ。
不確かな塊が、パラパラと塵のように舞っていく。
それも次の瞬間にはなくなって、なにもない空が広がっていた。




