第一章 復讐の誓い
全ての復讐は憎悪から始まります。
グレンはこの国では最下層の平民であった。
この国だけではなく人族領域において持って生まれた魔力の大きさが身分を決定していた。
この世界では魔力の大きい者は様々な強力な魔法が使え小さい者は弱い魔法しか使えなかった。
魔力の大きい貴族においては攻撃魔法や魔法障壁、身体強化魔法が使え弱い魔獣なら圧倒し強力な魔獣やそれより更に強い魔族の魔人にもある程度は対抗でき魔力の小さい平民においては小さな火種を起こす程度の弱い生活魔法を使うことぐらいしかできなかった。
グレンに至ってはその生活魔法ですら満足に使えず小さな火花程度しか起こすことができず同じ平民からも蔑まれていた。
十歳の頃両親をはやり病で亡くした後は平民にすら蔑まれるグレンを唯一蔑むことがなかった母方の姉である叔母一家に引き取られ周囲の平民による苛めや差別を受けながらも叔母一家の愛情に育まれ性格が歪むこともなく成長していった。
下町の治療師である叔父は高額な代金を請求する他の治療師と違い貧しい平民を分け隔てなく安価で治療を施しそのため自分達が貧乏をするほどのお人好しであり、妹であるグレンの母と仲が良かった叔母も優しく接してくれた。
特に叔母夫婦の一人娘である一歳年上のアリーシャは面倒見がよく近所の悪ガキに苛められているグレンを幾度となく庇って悪ガキ共を追い払い励ましてくれた。
アリーシャは多少気丈ではあるものの端正な顔立ちをした金髪碧眼の美しい娘であった。
グレンは同い年の男の子に較べても身体が小さく力も魔力も弱いこんな自分を気遣い時に守り優しく接してくれ日を追うごとに美しく成長していくアリーシャに憧れと仄かな恋心を抱いていた。
しかしその彼女の美しさが悲劇を招き寄せることになる。
グレンが十五歳になったある日、アリーシャと連れ立って荷物持ちとして市場へと買い出しに向かっていた。
そんな二人の前に道を遮るように貴族の豪奢な馬車が止まった。
二人は貴族の気に障らぬようにと数歩下がって馬車が過ぎるのを待とうとした。
しかし馬車から出てきた三人の男達の内従者らしき大柄な男が素早くグレン達に近づきアリーシャの手を掴み引きずり上げるように引っ張った。
「きゃ!痛い!」
アリーシャが悲鳴を上げるが従者の男はお構いなしに後ろの身分の高そうな若い貴族の二人に声を向ける。
「若様、この娘でよろしいでしょうか」
「うむ、平民にしては中々美しい娘だ。殿下、如何でしょう?」
若様と呼ばれた男がもう一人の貴族に声を掛ける。
「ああ、今夜の花遊びに丁度いいな」
その言葉にアリーシャが真っ青になって従者の手を振りほどこうと抵抗する。
「いや!離して!」
この国の世継ぎの王子が側近達と共に平民の娘を攫い毎夜花遊びと称して慰み者にした後側近達に下げ渡して更に嬲り者にさせ精神も肉体もボロボロにした挙句放り出すという噂話しは王都中で広まっていた。
しかし頑強な従者は暴れるアリーシャを全く気にした風もなく馬車に引きづっていく。
「アリーシャを離せ!」
突然のことに茫然としていたグレンが従者の男に掴みかかる。
従者の男はグレンを軽く足蹴にして突き転がす。
しかしグレンはすぐに立ち上げると再び従者の男に掴みかかり又突き転がされる。
数度繰り返し足の止まった従者が若様と呼んだ主人の方に顔を向ける。
「斬れ」
その声に従者の男は利き手の反対側にアリーシャの手を持ち替えると腰の剣を抜き放ち再び向かって来たグレンに振り上げる。
「グレン、駄目!」
アリーシャの制止の声も何度も突き転がされ意識が朦朧となっていたグレンの耳に届かずそのまま突っ込んでいく。
剣が一閃し、顔の激痛と共にグレンの意識はアリーシャのこれまでにない絶叫を聞きながら闇に沈んでいった・・・。
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久我一郎は二十歳の社会人二年生のサラリーマンである。
高校卒業後は地元の中堅企業に就職し自宅から電車通勤で通う毎日であった。
その日もホームで電車を待っていたが騒がしい声にそちらの方に顔を向ける。
そこには頭を金髪に染め学生服を着崩した三人組の見るからに不良然とした学生達が大声でふざけあっていた。
「でよー、ソイツ殴ってやったら鼻血を吹き出しやがってよー」
「ケッ、ダラシねーなぁ」
「ぎゃはは、それでどうなったよー」
馬鹿話しに興じている彼らに『あんな恰好でよく退学ならないものだ』と思いつつも関わりにならないよう顔をホーム側に戻し電車を待つ。
しばらくして電車がホームに近づいてきて反射的に少し後ろに下がった。
「なんだよー、オッサン」
いつの間にか後ろに立っていた不良学生の一人に背中が軽く当たり、カッっとなった不良学生が一郎をドンと突き飛ばした。
いきなりのことにバランスを崩した一郎は線路側につんのめりホームより転がり落ちる。
周りの乗車待ちの人々がそれを見て悲鳴を上げ激しく警笛が鳴り響き身体に激烈な衝撃と引き裂かれる激痛を感じながら一郎は意識を手放した。
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暗闇の中で何かが瞬いていた。
映画館のスクリーンのような輝く映像が断片的に浮かび上がっては消えていく。
それは“久我一郎”として嘗て自分が体験した記憶の断片であり“グレン”としては見知らぬ世界の風景であった。
やがて記憶はグレンのものに変わっていき追加されるように積み重なって“久我一郎”と“グレン”の境界が曖昧なものになって行く。
そして“グレン”の記憶が終端に差し掛かった時意識が急速に覚醒する。
「アリーシャ!」
いつの間にか寝かされていた寝台から起き上がろうとして顔に熱く燃えるような激痛を感じのたうち再び倒れ込む。
「グレン、だめよ寝ていなくては、あなたは一週間も高熱にうなされ眠り続けていたのよ」
顔に手をやると包帯が斜めに巻かれており、寝台の側には真っ青な顔をして痩せ細り泣き腫らしたように真っ赤な目をした叔母の姿があった。
ここは叔母一家の自分の寝台であることも分かった。
「アリーシャ!アリーシャはどうなった!?」
グレンは必死に叔母に尋ねた。
叔母は両手を顔に当て啜り泣きながら擦れる声で話し始めた。
そしてグレンは全てが終わったことを知った。
アリーシャとグレンの帰りが遅く心配した叔母夫婦が探しに出かけると血の海に沈むように路上に倒れていたグレンを見つけたこと。
グレンに応急処置を施しながら周囲の人々や家人に何があったのかアリーシャの行方は何処なのか必死に尋ねたがは関わり合いになることを恐れた人々は口を噤んだこと。
叔母夫婦の家にグレンを運び込み治療を行う間グレンがうわ言のように語った出来事で大体の事情を察したこと。
叔父は取り敢えず治療が終わった後叔母にグレンの看病を託し王子の側近とされ花遊びが行われているという貴族の館に向かったこと。
そのまま一晩が明け戸口を乱暴に叩く音に戸を開けると貴族の従者である一人の男が運んで来た荷車に積んだ斬殺された叔父と汚い体液でベトベトに汚され首を絞められ事切れているアリーシャの無慚な姿があったとのこと。
貴族の従者が蔑みを込めて面白半分に語ったところによるとアリーシャは最初大いに抵抗したが最後の方ではまったく無反応になったので貴族の一人が反応を引き出そうと首を絞めてそのまま絞め殺してしまったこと。
叔父が貴族の館の門前でアリーシャを返してくれるようしつこく請願したこと。
事が終わり無慚な姿になったアリーシャが投げ捨てられるように返され激昂した叔父が従者に殴り掛ったがあっさり斬り殺されたこと。
貴族の館の前に薄汚い平民の死体が野晒しになるのも目障りなため叔父が名乗った下町の治療師の身分を元に住所を探し運んで来たことを話した後従者はあまりの惨状のため茫然としている叔母を面白く無さそうに見てそのまま立ち去ったこと。
貴族に反抗して斬られた叔父の類が及ぶことを恐れて生前叔父に怪我や病気の治療で散々世話になった近所の人達も葬式を行おうともせず日頃から高い喜捨を求めて生前の敬虔さと死後の安寧を説いていた教会にも墓地に埋葬することを断られたこと。
叔父とアリーシャの遺体を叔母が一人で清めて無縁墓地に埋葬したこと。
叔母はそれらのことを途切れ途切れに話し終えると更に泣き崩れた。
一週間後ある程度動けるようになったグレンは無縁墓地のアリーシャと叔父の石を積み上げただけの簡素な墓の前にいた。
グレンは号泣した。
悲しかった。
胸が張り裂けるように苦しかった。
大きな喪失感がうねるように何度も何度も襲って来た。
心が苦しい、痛い。
肉体の痛みなど較べものにならないくらい心の奥底から抉り出されるような痛み。
激情に突き動かされるように絶叫し尽きることなく涙を流し続けた。
それから一ケ月後心労によって倒れた叔母がローソクの火が消えるように衰弱していき静かに息を引き取った。
グレンはアリーシャと叔父の墓石の横に叔母の亡骸を埋め新たな墓石を立てた。
“何故だ!何故だ!何故だ!何故何の罪もないアリーシャが嬲られ殺されなければならない。何故ここまでされた叔父が惨殺されなければならない。何故叔母は生きる気力を失い死ななければならない。貴族は平民に何をしてもいいのか!平民は貴族によるどんな理不尽な所業にも耐えなければならないのか!何故街の皆は貴族の理不尽に目を瞑り被害者である叔母達を切り捨てるのか!何故だ!何故だ!何故だ!何故だ!”
グレンの涙は既に枯れ果てていた。
深い悲しみは強い怒りと憎しみに転嫁されていった。
“世界が理不尽を強いるなら俺はそんな世界を認めない、許さない。こんな理不尽を強いる世界なんて俺が壊して、壊して、壊し尽くしてやる!”
グレンの怒りや憎しみがアリーシャを攫った貴族や王子から貴族全体、王族、王国全てに広がっていった。
彼は自分から愛する者達を奪った全てに復讐することを心に誓った。
そしてその日の内にグレンの姿は王都から消えた。




