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夢1

夢と言おうか『天啓』と言おうか、私は一度医務室のベッドで目覚めました。

仰向けの状態で、枕の上の頭をゆっくりと右に傾けると、ベッドの側に誰かが立っているのが分かりました。その誰かは、何も言わずに自分を静かに見下ろしているようです。私はおぼろげな視界が、時間をかけて徐々に像を結ぶのを待っていました。体中の感覚は失われていて、身じろぎひとつ出来ません。意識は凪のように静かです。


立っていたのは看護婦でした。一目で『看護婦』と分かる格好をしていました。

頭にはティアラのように高いナースキャップ、純白のナース服は丸襟が窮屈なくらい首元を包んでいて胸の隆起は固く押さえられていました。綺麗に折り目のついた半袖からは象牙のような白い腕が見えて、なんだか『初恋』の詩の林檎を持つ白い手のような優しさが誇張されていました。


すべてが誇張されているのです。

その看護婦の服装と佇まいは、すべてが『看護婦』的に誇張されていました。清廉で高潔で、優しく慈愛に満ちていて、天使的で、、、神聖でした。

私はそれで『これは夢だ』と気付きました。気付かされました。


私はなおも観察の視線を上から下へ降ろしていきました。私の意識は弱々しげで頼りなく、これは夢だと知りつつも、それを打破して現実の世界に復帰しようとする力は、私の心身には一ミリも残っておりませんでした。本能的に、状況把握のため、眼球と、それから首が少しだけ、動かせるだけでした。そしてその木蓮の分厚い花弁のように誇張された純白のタイトスカートの上を私の視線がゆっくりと下降しているとき、『ようやく気付いた?』とその看護婦が言いました。

私は再び―視線を下ろすときよりは幾分早いスピードで―その視線を上に戻しました。そしてその顔を―神聖な天顔を―見たのです。


その顔は妻のユリの顔でした。


◆◆◆

『あなた、すいぶん長い時間寝ていたね』ユリが言いました。

私はすでにこれが夢であることを自覚していましたが、それでも、脈絡の無さに戸惑いながら、眉間に力を入れてその天顔を凝視しました。しかしそれはやはりユリの顔でした。ユリが若齢のころ―おそらくティーンエイジのころ―の顔でした。


『もう起きないのかな、って思ったよ』

ユリが続けて言いました。そしてフフッ・と少し微笑みました。

ユリの夢を見るのは久しぶりでした。というか前がいつだったか思い出せないくらい昔でした。

私は返事をしようとしましたが、声は出ませんでした。口が動かせず、腕も動かせないため身振りもできませんでした。体を凝固させて、ただユリの顔を眺めることしか出来ないのです。

『無理に話そうとしなくていいの』ユリが見透かすように言いました。『あなたの考えていることはぜんぶ分かるから』

ユリは左手をベッドの中に潜り込ませて、胸の前で組み合わさっていた私の両手にそっとかぶせて上から優しく握りました。右手は私の前頭部に置いて、まるで愛猫を撫でるようにさすってくれました。私の動かせない両手と額から、ユリの体温が微かに感じられました。『あなたが大変なのは、私がいちばん良く知ってるんだから』

それから、私の頭を撫でる右手の動きに合わせて、『よしよし。ねー、よしよし』と言ってくれました。


私はなぜか、ユリが在日の韓国人だったことを思い出しました。

結婚してからは、日常の生活ではほとんど意識しなくてもいいくらい彼女の言葉や習慣は日本人化されていたから、私も『ユリは韓国人だ』と思い出すことは無かったのですが、『妻が韓国人である』という動かせない、厳然とした事実は常に私の胸のどこかにありました。

身動きの取れない体をベッドの上に横たえ、ユリに頭を撫でられながら、私はそのことを―ユリが韓国籍のれっきとした韓国人であることを―思い出していたのです。


それからユリの顔が、目鼻立ちが、若すぎることに思い当たりました。

私がユリに始めて会ったのは、東京から名古屋に向かうあの新幹線の中で、開戦のずっと前、私がまだ25歳で、彼女は20歳でした。しかしいま看護婦の衣装に身を包んで横にいるユリは、どう見てもそれよりも若い年齢なのです。少なくとも、私が新幹線の中で始めて出会ったときよりも数年前のユリであることは明らかです。


私の頭を撫でてくれているユリの顔は相変わらず優しげでした。口元に優美な微笑みを湛え、無垢で高潔なほっぺたは―まるで『無垢さ』と『高潔さ』の象徴であるかのように―柔らかく固い曲面をその表面に形作っていました。

(あいかわらず、言葉にならないくらい美人だな・・・)月並みですが、私はそう想起せずにはいられませんでした。出会ってから、夫婦として歩んだ何十年の歳月も飛び越えるような感覚でした。それほど妻の顔は美しかったのです。


そしてその美しさが、『悪魔的に』美しいことに思い当たったのです。

敢えていま言い表そうとすれば、その顔の美しさは、誰かに発見されることを待っている隠された美しさではなく、能動的で自発的で、さらには攻撃的で好戦的で、加虐的ですらあるのです。つまり悪魔のように美しいのです。


それに気付いて私は愕然としました。

恐怖すら覚えました。


『私の顔をよく見てね。』妻が言いました。やはり彼女は私の思っていることを見透かしているのです。

『二度と忘れないように。思い出さなくてもいいように。』それからまたフフッ・と笑いました。

私は目を閉じました。次は悪夢が来ることを予感しながら、私は再び眠りの世界へと入っていきました。

明けましておめでとうございます。

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