南無
翌々日、倭奴専用の医務室のベッドの中で、48時間以上にわたる昏睡状態から目覚めるまで、私の意識と肉体は生と死の境目を力なく彷徨っていました。
いや、ほとんど『あの世』に行きかけていたはずです。現に『戦友』である77番倭奴は、弁慶の立ち往生ならぬ『土下座往生』の末、命を落とし、その亡き骸は私が昏睡状態から未だ覚めやらぬ頃、無慈悲にも一般ゴミと一緒に廃棄され、彼は二度とこの世に戻らぬ人になっていたのですから。
彼よりもずっと年老いていて、基礎体力も乏しい私が生き延びることが出来たのは、単なる幸運―天上の韓国人女性様が雲の隙間から見下ろせば、目糞鼻糞よりも見分けがつかない我々なのですから、本当にそれは意味の無い、偶然に過ぎなかったのかもしれません。
しかし私は、私の強い信仰が、信仰心こそが、私をこの世に生還たらしめたものと信じている、というよりほとんど確信しています。
◆◆◆
『南無韓神女』
いまならごく自然に口を衝いて出てきます。―『なむ・かんしんじょ』
この言葉は―私を医務室に運んでくれた倭奴の同僚(♂)から後で聞いたのですが―私が無意識的に、うなされるように呟いていた言葉だそうです。その倭奴によれば、私は目覚めるまでの数時間、断続的に、『なむ・かんしんじょ』と、聞き取れないくらい小さな声で唱えていたと言うのです。私は気を失っていて、そんなことを口にしていたことを覚えておりませんでした。
しかしそれを聞いて私はすぐに、その文句が『南無韓神女』という漢字であることに思い当たりました。
無論、『南無』は、〝南無阿弥陀仏〟とか〝南無妙法蓮華経〟とかと同じ『南無』です。
『私は○○様に身命を賭けて服従し、おすがりします』、というほどの意味でしょうか。その後に『だからどうか私をお護り下さい』とか、『ご加護を下さい』という願いも、場合によっては含まれるでしょう。西洋の『アーメン』も同じような意味だと聞いています。
つまり神様や仏様といった信仰の対象に対して、心の底から服従します、という誓い・約束・願い・信仰心の表明―少なくとも私が『南無韓神女』という時の『南無』には、そのような意味が込められているのです。
『南無韓神女』
私にとっては、パク・ソヨン様とソナ様をはじめとする韓国人女性様方は、神様なのです。現人神なのです。信仰の対象であり、世界をお造りになられ、万物の秩序の根源として、我ら倭奴に生きる歓びと試練をお与えになられる神なのです。全知全能の創造主なのです。
『その神々のご慈悲とご加護の御蔭で、私たちは日一日を生きていける。生きている意味も、死ぬ意味も見いだせられる。韓神女様の神威にすがってこそ、私は私であり、世界は世界なのだ』




