プロローグ
「お姉様ばかりずるい!」
グランブル伯爵家の応接間に、甲高い声が響き渡る。
その声の主は、綺麗なブロンドをくるくると内巻きにカールさせた少女、グランブル伯爵家の次女であるリリアーナ・フォン・グランブルだった。
彼女の向かい側に座っている姉のエレノア・フォン・グランブルは妹の言葉にわずかに眉を顰めながらも、困ったように曖昧な笑みを浮かべる。
またいつものあれが始まったかと思うが、口には出さない。
「今度はどうしたの、リリア」
「どうしたの、じゃないわ! そうやっていっつもすまし顔でお姉様ばかりがいい思いをして……私はいっつも我慢してばっかりじゃない!」
「そんなことないわ、あなたはなんだって欲しいものを……」
「うるさいうるさい! ねぇ、お姉様はいろいろなものをたくさん持ってるんだもの、アルフレッド様くらいくれたっていいわよね?」
リリアーナはそう言うと、隣にいる男の胸へとしなだれかかった。
アルフレッド・フォン・ローレリア。
毛織物を有名としたローレリア伯爵家の嫡男であり、エレノアの婚約者でもある男だ。
整った顔立ちに陽光をたっぷりと浴びた麦の穂を思わせるきらきらとした金の髪を持つ彼は、社交界ではいろいろな意味で注目を博している男だった。
彼は巷で貴婦人達にため息を吐かせるような憂い顔を浮かべながら、眉を下げて頭を下げる。
「すまないエレノア。私はリリアのことを愛してしまったんだ」
「……」
彼が部屋に入るなりリリアーナの隣に座った瞬間、なんとなく想像はついていた。
実際に言葉にされればもっと衝撃を受けるかと思っていたのだが、案外なんともない。
「愛のない結婚をしても、お互い不幸になるだけだろう? 故に君との婚約を破棄し、私とリリアの関係を認めて欲しい」
「ええ、構いませんよ」
「もちろん、君の気持ちは十分理解して……え?」
「ですから、構いませんと言いました」
アルフレッドは目を白黒とさせていた。
エレノアが縋ってくるものだとばかり考え、アテが外れたのだろう。
婚約者としての二人の関係は、決して悪いものではなかった。
だがそれはあくまでもエレノアがそう見せていただけ。
彼女は内心では、アルフレッドへの愛情をほとほと尽かしていたのだ。
何せアルフレッドの浮気は……これで十一回目になるのだから。
一度目はただの友達だという幼なじみの女の子だった。
二度目は社交界で知り合ったという美人な子爵令嬢で、三度目は同じ伯爵家の妻だった。
そして女関係で後始末をしてきたのも、エレノアの仕事だった。
相手の家への謝罪や、場合によっては慰謝料の支払いなどの工面も行ったし、更には彼が女と遊ぶための遊興費すらもエレノアが捻出していたのだ。
婚約者として、もう十分に役目は果たしただろう。
愛のない結婚は互いに不幸になるだけ……なるほどたしかに、アルフレッドの言う通りだ。
「……お姉様、本当にいいの?」
「もちろんよ、アルフレッド様とどうぞお幸せにね」
「後から返してっていっても、もう遅いからね!」
「ええ、返品不可でお願いするわ」
「返品……?」
リリアーナが首を傾げていると、ガタンと部屋の奥の扉が開く。
見ればそこには父であるグランブル伯爵の姿があった。
どうやら彼女は既に、父の方も抱き込んでいるらしい。
「話は上手くまとまったようだな。良く出来た姉は妹の幸せを第一に考えるものだ」
父は長女であるエレノアには厳しく、年が離れた妹であるリリアーナには非常に甘い男だった。
お前はしっかりしているのだからと、昔からエレノアはいろいろなものを押しつけられてきたのだ。
昔のことを思い返していると、エレノアは妹がまたこちらを見て物欲しそうな顔をしていることに気付いた。
「でもやっぱり、お姉様はずるいわ」
「まだ何かあるの?」
「だってお姉様は、グランブル伯爵家の当主になるんでしょ」
「……それが何が?」
「グランブル伯爵家の広い領地も、そこから上がる税収も、このお屋敷も、全部お姉様のものになるんでしょ?」
「伯爵になるんだから、当然のことでしょう?」
「それがずるいって言ってるの!」
「……」
ひょっとして……とエレノアは密かに自分の指を折る。
彼女が譲りたいと思っていたのは、何も浮気性の婚約者ばかりではない。
「あなた、伯爵になりたいの?」
「もちろんよ! アルフレッド様と結婚して、その子供にはグランブルとローレリア二つの大貴族の領地を持たせてあげるの!」
妹の言葉にエレノアは天を仰いだ。
妹は昔から、自分の物をなんでも欲しがる子だった。
甘いお菓子や綺麗な宝石、お姉ちゃんなんだからの一言で全てを妹に譲ってくる人生だった。
そのせいで我慢ばかり強いられてきた。
けれど彼女は妹がズルいと言ったことは一度もない。
「お父様、リリアに家督を継がせてあげるのはいかがでしょうか?」
「リリアを伯爵にか……」
考えている素振りを見せてはいるものの、前のめりになっているのはすぐにわかった。
グランブル伯爵家には嫡男がいない。
そのためエレノアが嫡子となりできた長男に家督を継がせる予定だったのだが……ゼスト王国において長子継続は絶対ではない。
「リリアが望むのなら、いいだろう」
「お父様!」
リリアーナの嬉しそうな言葉に破顔する父を見て、エレノアはこみ上げてくる笑みを必死になってかみ殺した。
「エレノア、家督をリリアに譲れ」
「承知致しました」
エレノアは深々と頭を下げる。
誰にも見られぬよう直角に俯かせた顔には……してやったりという笑みが浮かんでいた。
そんなに欲しいのなら……譲ってあげようではないか。
彼女が欲しがっている、全てを。
「お父様、今後お家騒動に巻き込まれるのは御免ですので、私はグランブル家から独立し、今後一切関わりを持たぬ旨の公証を作成してもよろしいでしょうか?」
「わかった。王都から公証人を呼んで正式な契約書を巻こう……これで満足か?」
「はい、ありがとうございます」
「……ふん、相変わらずかわいげのないやつだ。少しはリリアを見習えばいいものを」
そう言うと父は、嬉しそうにはしゃいでいるリリアーナとアルフレッドのことを見つめる。
リリアーナは自分が伯爵になれると大喜びで、父はそれを見て目を細めている。
この場に、自分の居場所は既にない。
エレノアはそのまま頭を下げてその場を辞することにした。
「半年……といったところかしらね」
誰に聞かせるでもなくそう呟いたエレノアは、長年背負ってきたものを全て妹に譲ることにした。
浮気性の婚約者、破綻寸前の領地、そして……三世代に渡り積み重なり、莫大な額となった借金を。
♢♢♢
グランブル伯爵家は、以前は王国でも有数の大貴族であった。
寒冷ながらも広大な農地と、豊かな鉱山。
特に金が出る鉱脈がいくつもあり、王都の社交界でも相当にブイブイ言わせていた時期があったという。
だがそれも、今から五十年以上昔の話。
減った採掘量をなんとかするために二代前の当主はより多くの金を採掘するため無茶な拡張計画を推し進め、結果として大規模な崩落事故を起こしてしまった。
瓦礫を取り除き人員を再配置するまでには時間がかかり、結局莫大な予算をかけても採掘量は復活しなかった。
先代の当主はなんとか鉱山業以外の柱を作ろうと酒造業に挑戦したが、それも失敗。
以前のようなペースで浪費を続けていたせいであっという間に財政は火の車になっており、現在の当主であるう父は借金の返済で首が回らなくなり、結果として更に借金をすることで工面をするという完全な自転車操業を行っていた。
現在グランブル伯爵家が抱える負債は金貨にして十万枚を超える。
既に利息が膨んでおり、それだけで税収の大部分が消えてしまうような状態だった。
それでもなんとか今日まで伯爵家が存続できていたのは、エレノアが必死になって領地経営を進めてきたからだ。
エレノアには日本で暮らしてきた前世の記憶があった。
故に彼女は前世知識を使い、なんとかして領地を立て直すべく頑張ってきたのだ。
堆肥を使った農地の改良。
大量の債権を持つ商会との折衝や借金の減額交渉。
無駄な支出の削減には特に力を入れており、エレノアは自分のために何かを買ったことなど、一度もなかった。
中でも彼女が特に力を入れていたのは、蒸留酒造りであった。
先代伯爵が失敗に終わらせた酒造業に着目し、それを発展する形でここを新たな酒の聖地へと変えるつもりだったのだ。
グランブル伯爵家は冷涼な気候で大麦の発育が可能であり、また山々から湧き出る清涼な湧き水にも恵まれている。
ここでなら、ウイスキーを作ることができるだろうとエレノアは確信していたのだ。
蒸留器の作成には既に成功している。
エレノアが所有する倉庫には、試験的に作られた蒸留酒の樽がいくつも眠っていた。
ちなみにこれは全て、彼女のポケットマネーから出している。
父には正式に事業計画を立案したが一蹴され、そのために取っておいた予算を使い込まれてしまったからだ。
「貴族は『貴族の酒』を飲む物だ。『庶民の酒』を飲むくらいなら、絵画の一つでも買った方が有意義というものだ」
そう言って彼はその予算を使って何がいいかもわからない抽象画を一枚買ってきた。
エレノアが何度説得しても、彼の考えは変わらなかった。
この国の貴族は麦からできるビールを『庶民の酒』、葡萄からできるワインを『貴族の酒』と呼んでいる。
蒸留という工程を挟むとはいえ麦を使って造るウイスキーのことを、父は頑なに認めようとしなかったのだ。
故にエレノアは自己資金で小さな蒸留所を作り、蒸留酒造りを進めた。
親交のあった職人達から作ってもらった蒸留器と、倉庫の中にあるウイスキーの樽。
これこそが、今のエレノアの持つ資産の全てであった。
これは伯爵家としての事業ではなく、エレノアが私費を投じて作り上げたものだ。
良さを理解しようともせずに全てを否定した伯爵家に、これを残してやる義理はない。
エレノアは蒸留酒事業だけは、手に残しておくつもりだった。
「お姉様、もう荷造りは終わった?」
荷造りがほとんど終わり使用人との別れを惜しんでいると、リリアの甲高い声が響いた。
「もう終わるわ」
「そう……この部屋は私の衣装部屋として使うけど、問題はないわよね?」
「わかったわ」
「それから、宝石や美術品も全部置いていってよね! あれは伯爵家のお金で買ったものなんだから」
「もちろんよ」
後の伯爵家当主として威厳を損なわぬために買っていた宝石も、彼女からすれば欲しがる対象であったらしい。
今後は着飾る必要もないし、宝石達も埃を被っているよりは使われた方が幸せだろう。
「お姉様、そのばっちいのは何?」
「ああ、これは先代様が残してたお酒造りに関する資料と……私がつけてた捕捉ね」
エレノアが机の上に乗せていた一冊の資料を見て、リリアが顔を顰める。
そこには使い込まれ色の変わった羊皮紙と、新たにエレノアが書き付けたメモが束になって並んでいる。
ウイスキーを作るに当たっての試行錯誤……成功も失敗も含めたこの四年間の記録が全て詰まった、エレノアにとっての宝物だ。
「そういえばなんか前に言ってたわね……『庶民の酒』を造るだなんて考えられないわ。あんな安酒、悪酔いしてすぐに気持ちが悪くなるもの。やっぱり私達貴族は『貴族の酒』を飲まないと!」
リリアとその点に関して言い争うつもりはなかった。
貴族がお酒を造るというのはあまり褒められたものではないという認識くらいは、エレノアにだってある。
まあそれも、貴族ではなくなった今となっては関係のないことだ。
既にやってきた公証人の面前で正式な契約書を結んだので、これからは好きなように過ごさせてもらうつもりである。
「リリアは、私が造るお酒の事業も欲しいと思う?」
「いらないわよ、そんなもの!」
こればっかりは誰にも譲るつもりはない。
リリアーナに聞いたのは、こう言われるとわかっていたからだ。
こんなことを聞こうとするなんて……私、性格が悪いのかしら。
そんな風に考えながら、エレノアは怒るリリアーナのことを見つめていた。
「私達貴族はお酒を造ってもらう側なの! ただの平民になったお姉様とは違ってね!」
そう言って鼻高々な様子で胸を張る未来の伯爵様に、エレノアは曖昧な笑みを浮かべる。 何もかもを与えられてきたリリアーナと、何も与えられず自分でつかみ取るしかなかったエレノア。
その違いが様々な結果として表れるのは、きっとそう遠い日の話ではないだろう。
引っ越しの手続きが終了し、公証人が王家に記録を提出したことで手続きは全て終わり、エレノアは家名を捨ててグランブル伯爵家を後にすることになった。
見送りにはグランブル伯爵とリリア、そしてアルフレッドが並んでいる。
「お前は強いのだから、自分の力で生きていけ。何があっても伯爵家を頼ったりはするなよ」
「かしこまりました」
視線を横にズラせばリリアはアルフレッドにベタベタとくっつき、アルフレッドはその腰に手を回して好色さを隠しきれずに笑っている。
どうやら自分が手続きに追われている間にいろいろとお楽しみだったようで、二人の関係はこの一週間足らずの間で大分進展していたようだった。
「これからは私が伯爵よ。私が上で、お姉様は下なんだから」
「そうね、頑張ってちょうだい」
「何よその上から目線! お姉様のそういうところ、昔から大っ嫌いだったわ!」
前世の記憶があり合計すると人よりも長い生を生きているせいで、どうも達観した見方になってしまっているだけなのだが……どうやらそんなところも、妹からすると気に入らなかったらしい。
「エレノア、私はリリアと一緒に幸せになるよ。君は本当に……未練はないのか?」
「ありません」
即答され、アルフレッドは面食らった様子で喉を鳴らした。
社交界で数多の浮き名を流してきた彼は、今までにこんな扱いを受けることはなかったのだろう。
そのままその場に立ち尽くすアルフレッドを放置して、エレノアは馬車へと乗り込んだ。
向かう先はゼスト王国の王都であるゼスティア。
彼女はそこで一人の商人に会うつもりであった。
馬車の中でエレノアは自身が持ってきた紙束を改めて読み返す。
その最後のページには、クラウス・ヴァルトシュタインの名が記されている。
彼ならきっと……自分が作ったものの価値に気付いてくれるに違いない。
読んでくださりありがとうございます!
短編から来てくださった方は引き続きよろしくお願いします!
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「面白い!」
「連載版待ってた!」
「エレノアのこれからの活躍が楽しみ!」
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