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津々浦怪奇相談室(憂鬱少女)  作者: 町田雪彦
5/5

現代開花 真吾捕物帖 下

 前回のあらすじ。

放課後、相談室を後にした千夏は廊下女生徒とぶつかってしまう。取り乱した千夏はその場から逃げ出してしまった。

 今回は走り出した千夏の場面から。

  6

気が付くと目の前に遮断機が降りていた。どうやら学校から無我夢中で走ってきたのだろう。たかが人とぶつかっただけだが、他人に迷惑をかけてしまった思いと恥ずかしさから、千夏の中の逃げ出したい思いが千夏を走らせたのだ。生徒玄関を抜け、校門を抜け、踏切に差し掛かったところで遮断機に捕まった。断続的に響く警告音が耳を(つんざ)く。その煩わしさに千夏は顔を歪めた。

「はぁ…はぁ…あぁ」


顔を両手で塞ぎ、その場で蹲ってしまいたい衝動に駆られた。止めどなく不安と後悔が押し寄せる。

赤と白の電車が目の前を横切っていく。少し遅れて生温い風がそれを追いかけていった。遮断機が素っ気なく上がり、千夏はとぼとぼと歩き出した。



 玄関の扉を開けるとカレーの匂いがした。

靴を脱ぎ、そのまま台所へ向かうと、母はカレーの灰汁(あく)を取っている最中だった。さっきルーを入れたばかりなのだろう。母の隣に並び、鍋の具合を確認する。

「またカレー…」

「好きでしょ」

困ったように笑い、母はお玉を器用に使って灰汁を取った。母の笑顔が千夏の気持ちを幾らか軽くした。

こくりと頷き、千夏は流しで手を洗い、軽く水を飛ばしただけの濡らした手のまま、テーブルに食器を並べていった。具は日によって多少の違いはあるが、市販のルーに香辛料などのアレンジを加えた辛いカレー。千夏は母の作るカレーが好物だった。辛いのは得意ではないが、母のカレーは別だった。きっと幼い頃から食べていたからだろう。

「冷蔵庫にサラダがあるから、出しておいて」

冷蔵庫を開けるとタッパーの中に千切ったレタスが入っていた。

「ねえ…これ…」

タッパーを目の高さまで持ち上げ母に見せつける。

「盛り付けよろしくね」

にっこりと笑う母に「これはサラダとは言わないのでは」と思いつつ大皿にそれを移した。

「そういや最近下着泥棒が出てるらしいわよ。やーねぇ。千夏も気を付けなさいよ」

こっそり盗られるのだから気の付けようもないように思ったが、とりあえず頷いておくことにした。


数分が経ち、完成したカレーを母は皿に盛りつけた。楕円形の皿の右側にご飯が盛り付けられ、左半分にはカレーが注がれる。千夏は両者を混ぜ合わせ、その境界線を崩していく。

「千夏」母は千夏のスプーンを見つめ言った。「食べないの?」

「…ううん」

掬ったカレーもその先には進まなかった。今日の出来事がやはり気になってしまうのだ。

「学校はどう?」

今の千夏には耳の痛い話だ。

学校についての話となれば千夏にとってそれは常に耳の痛いものになってしまうが、母は決まっていつも同じ質問を千夏に投げかける。その質問に千夏は、まだ一度も上手く答えたためしがない。何と返せばよいのか分からないのだ。自分なりに上手くやっていると思うが、それは母の期待するものとはかけ離れたものだろう。期待に応えることができない自分が不甲斐ない。

「…う、ん。上手くやってるよ」

いつもお茶を濁す返答になってしまう。本来なら胸を張って「楽しいよ」と言ってやりたいが、あいにく千夏は笑って嘘が言える程器用ではない。

「そう」

溜息混じりに言った母のその声からは落胆の色が滲んでいた。千夏はその声を聞くたび、胸に鋭い痛みが走るのを感じるのだった。痛みは注射のそれに似ていて、その針が何度も胸の奥を突き刺すたびに、痛みは弱まり、感情が麻痺していく。いずれ痛みすらも感じなくなった頃、はたして自分は自分のままでいられるのだろうか。

「………」

気不味い。共によく知る家族にさえ苦痛を感じる。いや、よく知るからこそ自分について深く語ることに躊躇いを覚えるのだろう。どちらにせよ千夏は家族に自分の多くを語る方ではなかった。

混ぜ合わされたカレーを千夏は口に運んだ。今日のカレーはすこし辛かった。


 7

夕食を済ませると、千夏は二階の自室に上がった。食時、足元に置いていた鞄を机に乗せたところで、鞄の口が開いていることに気付いた。帰宅してから鞄を開けた記憶もない。ぶつかった際、慌てていて鞄を閉め忘れたのだろう。そしてそのまま全力疾走したのだ。はたから見れば、自分は異様な人間に見えたに違いない。思い出しただけで顔が熱くなる。かぶりを振って鞄の中身をすべて取り出した。

明日の授業準備も兼ね、中身の確認をする。ぶつかったときに拾い損ねた物、その後に落とした物がないか確認するためだ。

「生物、政経…数学…現文…」

一冊一冊、机の上に積まれた教科書の山が鞄に移されていく。明日は七限授業の日であることを思い出し、千夏は小さく溜息をついた。

「あ…明日は体育あるんだった。嫌だな…」


体育は千夏の嫌いな授業の一つだ。身体を動かすこと自体は、それほど嫌いではないし、不得手というわけでもないが、最も苦痛に感じるのは、二人一組のペアや、グループ、チームに分けられることだ。不幸なことに、そのチーム分けは極めて公平に組まれる。それぞれチームのパワーバランスを(なら)す意味もあるのだろうが、大抵の場合はいつも同じ顔触れにならないよう編成される。一見、民主的で合理的にも見えるが、これには唯一、人間関係の考慮がされていないという欠点がある。そしてそれは千夏にとって致命的ともいえる欠点なのだ。


好きなもの同士、好き勝手に組んで良いとなれば、千夏の苦手とする人間は、その手の人間だけのチームを形成し、千夏は人数の足りない(主に昼食を共にする)グループに吸収され、息苦しさを減らすことができる。しかし、教師たちの余計な気使いのせいで、チーム分けはクジなどを使用し、限りなく公平に近い形で行われる。この悪平等制度のために、千夏は何度となくチームメイトから『必要(いら)ない人』の眼を向けられることになった。それを裏付けるように千夏の入ったチームが勝ったためしがない。またバランスを重視し、人間関係を無視して編成されたチームは、あっという間にチームの崩壊を招く。

平等は人を苦しめるのだ。人間は元より不平等なのだから。


「千夏。お風呂沸いたから入んなさいよ」

扉の奥から母の声が届いた。一階の階段に顔を出している母の姿を千夏は想像した。

机の上にはまだ数冊のノートが積まれていたが、作業を中断し、千夏は風呂に入る準備をした。

 脱衣所では母がバスタオルの補充をしていた。

「今日はたくさん汗掻いたでしょ」

母がなぜそのようなことを言うのか疑問に思った。今日は確かに暑かったが千夏は、もともとあまり汗を掻かない。それは母も承知のはず。特別汗を掻くようなことをしただろうか、と今日の時間割を思い浮かべたところで納得した。

今日は体育の授業があったのだ。

「体操服だしなさい。洗濯に出しておくから」


風呂の準備もそのままに、千夏は自室に戻った。

「……ない」

やはりない。大きく口を開けた鞄には体操着は入っていなかった。ぶつかったときにでも拾い損ねたのだろうかとも考えたが、体操着のような存在感のある物を見落としたとは考えにくい。また大きさ的に、走っているときに落とした可能性は無いだろう。そもそも、教室を出るときに鞄に入れた記憶が無い。もしかすると、ロッカーの中に置き忘れたのかも知れない。学校に忘れたのならば明日に確認すればよいが、無いという可能性を考えると、どことなく落ち着かない。

替えの体操着を持っていないため、なければ新調しなければならない。それだけは避けたい。体操着を新しく買うとなると、購買部で代金を支払ってから少なくとも三日は待たなければ手に入らない。その間の体育は、もちろん見学となってしまう。見学は想像以上に注目を集めるのだ。変に注目を集めてしまうと、どうしてもそれを快く思わない人間が現れ、学園生活を穏便に過ごせなくなってしまう。

そしていじめに発展するのだ。

「あぁぁ……」

千夏の頭の中で恐怖の方程式が成り立っていく。

いじめに耐えられるだろうか、と千夏は頭を抱えた。


しかしこれは、ある程度クラスメイトから認知され、尚且(なおか)つ目立ちたがりな人間に向けられるものであって、千夏の様な知名度の低い人間は対象外であるということに気付くのは、少し後のこと。

何はともあれ、この日、千夏はいつも以上に寝苦しい夜を過ごさなければならなかった。


 翌日、目を覚ますと、何やら不思議と根拠のない自信が湧いてきた。昨夜に悩んでいた自分が哀れとすら感じる程だ。よくよく考えてみれば人とぶつかったことと体操着を忘れたことになんら繋がりは無い。廊下に放置するわけもないし、鞄が開いていたからといって落とすはずがない。学校に行って、自分のロッカーを調べればそこにあるはずだ。

寝ぼけ眼をこすり、一階に降りる。机の上に置かれたスクランブルエッグを見つけ、千夏は食パンをトースターに入れた。


 母は朝早くに出勤するため、家には誰もいない。学校指定のローファーを履き、しんとした廊下を振り返った。

「いってきます」

千夏はこれまで「いってきます」だけは欠かしたことが無かった。それは昔観たアニメの影響が過分にしてあるものの、学校に行くだけのやる気を捻出するためでもある。「いってきます」を言わないと、その日一日、千夏はより一層被害妄想が強く、顔色も悪くなる。その点を鑑みると、言葉には人に何かしらの影響を与える力があるのではないか、と千夏は常々思う。


長年使い、角の部分のメッキが剥がれたドアノブを回し、扉を開ける。しっかりと鍵を掛け、振り向くと目前に津々浦が立っていた。視界が津々浦で埋め尽くされる。

頭の中が津々浦でいっぱい。

「気持ち悪ッ‼」

「驚くより先に気持ち悪がりますか。確かにこっそり背後をとって驚かせようとした私が悪いのですが、ちょっと酷くない?開口一番にメンタル削ぐヒロインどこにいるんですか」

「え?私がヒロイン?」

「露骨に嫌な顔しないでくださいよ」

いたずらに失敗した津々浦は、数歩下がり距離を取った。

津々浦は相も変わらず細身のスーツにネクタイとどこにいでもいるようなサラリーマンのような出で立ちだ。ただ、今日はなぜかネクタイの色が黄緑色になっていた。

「改めまして、おはようございます北石さん」

「…おはよう、ございます」

なぜ津々浦が千夏の家の前にいるのかは言わずもがなだろう。津々浦は千夏のストーカーなのだ。


「で。どうしたんです?こんな朝から」

言って千夏は腕時計に目を向けた。丁度教室にクラスメイト全員が集まり、登校者に視線が集まらない時間帯を予測し、歩くペースを計算するためだ。

「いやね、北石さん。体操着なくしたらしいじゃありませんか。丁度私もお気に入りのパンツなくしちゃって。これって偶然にしてはタイミングが良すぎやしませんか?」

「パンツと体操着に一体どんな接点があるっていうんですか。というかなんで体操着がなくなったこと知ってるんです?」

「それは……あ。風が語りかけてくるのさ」

「思い付きで中二ぶるのやめてもらえます?」

とにかく、帰ったら家中の延長コードを調べようと思う千夏だった。きっと何か機械的なモノが見つかるだろう。


津々浦は大げさに咳ばらいをして話始めた。

「最近、ここら一帯に下着ドロが出ているのは知っていますか?」

「…ええ」

千夏は母が言っていた話を思い出した。その反応に満足したらしく津々浦は続けた。

「実はアレ。人面犬の仕業なんですよ。人面犬が、最近多発している下着の盗難事件の犯人なのです。そのターゲットの中に北石さんの体操着も含まれたのでしょう」

「聞くところによるとその人面犬、スーツ着た四足歩行の変態紳士らしいじゃありませんか」

全く聞く耳を持たないといった風に言い千夏は鞄のチャックを確認した。

「私だと言いたいのですか?言いたいのですね?違いますから。あくまで都市伝説の仕業ですからこれ」

「いけませんよ?なんでも妖怪の所為にしちゃ。とっとと自首してくださいよ」

「辛辣!」

がっくりと肩を落とし津々浦はとぼとぼと千夏に続く。そして何かに気付いたように首を上げた。


「そういや北石さん、無口キャラなのにどうしたのですか?さっきので二日分は喋っちゃったんじゃないですか?」

「勝手にキャラ付けしないでください。私はただ…人見知りなだけです」

千夏は目立ちたくない、見られたくない、知られたくない、のダメ三拍子揃ってはいるが、それは知り合いには適用されないのだ。あくまで知らない人、大勢の視線が苦手なだけでその本質は普通の少女なのである。

「というか早く体操着返してくださいよ。それがないと困るんです」

「私の容疑は晴れないのですね…分かりました。それでは放課後、相談室に来てください」

放課後に何を行うかは分からないが、体操着を取り戻すためには仕方がない。

ちらほらと生徒の姿が見えてきた。学校は近い。千夏は足を速め津々浦との距離をとった。



体育の時間になり男子は着替えのため隣の教室へ移動していった。年中女子に視線を向けている男子達がいなくなるのは救いだが、隣のクラスの女子が来るため千夏的にはプラマイゼロだ。

体操着はロッカーの中に無かった。津々浦の言う通り、本当に人面犬とやらに盗まれたのかもしれない。

友達がいないことが悔やまれる。友人の一人でもいれば体操着の予備を借りることができたかも知れないが、とにかく今は注目を集めないように見学する方法を考えなければならない。

「千夏ちゃん」

ロッカーの前で考え込んでいると、後ろから声が掛けられた。

あまりにもクラスメイトと接する機会が少なすぎて、千夏はその声を潜在的な願望の幻聴であると処理した。幻聴よりも願望よりも、今はこのピンチを何とかして脱する方法を考えねば、と千夏はロッカーを凝視する。

「千夏ちゃん?」

幻聴がうるさいが、これも仕方のないことだろう。人見知りだからといって全く人にかまってほしくないなんてことは無いのだ。確かに千夏は人と関わることを避けるが、その寂しさを埋めるにはやはり人と関わる必要がある。

「あの…あれ?千夏ちゃん…だよね?」

まだ幻聴が聞こえる。

しかしこれは千夏の選んだ運命(みち)。人と関わりたくないが寂しいのは嫌だという矛盾がこの幻聴を作り出したというのならば、甘んじて受け入れよう。

「千夏ちゃん!」

肩を掴まれ、ようやく幻聴が現実のものであると気付いた。

「へ?…え?岡…さん?」

声の主は転校生の岡絵里だった。幼い見た目だったため名前を覚えていたのだろう。名前をすんなり思い出すことができ、千夏は胸を撫で下ろした。

「絵里でいーよ!千夏ちゃん!」満面の笑みを向け、絵里は言った。「で、どうかしたの?」

声を殺し、周囲に気を配り視線が集まっていないことを確認した。

「えっと…実は体操着忘れちゃって…」

「そうなんだ。じゃああたしの体操服使ってよ!」

あっけらかんと言うと、絵里は自身の体操着を差し出した。

「え!?わ、悪いよ…私が借りちゃったら…」

戸惑う千夏に少々強引にそれを押し付け、絵里は悪戯っぽく笑った。

「大丈夫!あたし今日調子悪いから!」

(私より全然調子良さそうなんだけど…!?)

「いーのいーの若者は遠慮しちゃダメだって!」

「立場逆だって絶対!」

「じゃーあたし保健室行くから!」

千夏の話に全く耳を借すこともなく、絵里は教室を飛び出していった。

「絵里ちゃん…」

千夏は感謝よりも先に申し訳ない気持ちになった。そして気を使わせてしまった自分を千夏は責めた。着替えも持たずロッカーの前に立っていれば不審に思うのは当然のことだろう。絵里はそんな私に気を使ってくれたに違いない。転入生で、ただでさえ惜しいはずの出席点を削ってまで自分に体操着を譲ってくれた。次に会ったときに謝らなければ、と千夏は溜息をついた。

感謝の気持ちが無いわけではないのだろうが、自己否定の念が強い千夏はその気持ちに気付かないのであった。



お読み頂きありがとうございます。この『現代開花真吾捕物帖 下』は『下』と書いてありますが、まだ続きます。完成した状態で投稿したかったのですが、ツイッターなどで予告していたので途中の完成している部分のみ投稿しました。続きはできる限り早いうちに投稿します。申し訳ございません。

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