キュベルトン
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表に転がり出た私の腕を確率師キュベルトンが掴んで止めた。
「何してるんだ? ミニカ」
この期に及んでキュベルトンのピント外れな質問。
「トニーが……」
私は上ずった声で言った。
「まるで恋人でも見つけたような切なげな目だぜ」
そう言われて、私は自分の顔が熱くなるのを感じ、胸が苦しくなった。
キュベルトンは黄緑のシルクマントをたなびかせ、私の前に立ちはだかるように立った。
「確率師としての勘が囁くんだ。いましばらく道向かいで様子を見ていよう。来いよ」
キュベルトンはそう言うと、私の腕を掴んだまま強引に通りの反対側へ連れていった。
奇妙なことに私は何の異議も唱えず、されるがままになっていた。
キュベルトンとは過去に2回ほどパーティを組んだことがある。どちらも参加人数がタスククリアの前提条件になっている場合で、助けが必要だったからではない。
あのときの私は、傍若無人そのものだったはず。
当時のキュベルトンは私にとってまったく気にも止めないその他大勢の一人だったから。
いったい今日の私はキュベルトンの目にどう言う風に映っていたのだろう。
トニーはザラクの神輿の上に乗ってふんぞり返っていた。代わりにザラクの姿は何処にも見えない。お供についていたカマキリローターが戸惑っているのが遠目にも分かる。
「て、てめえ。いったいいつからそこにいやがった?」
カマキリローターは全身の凶器を逆立てて叫んだ。
輿の上のトニーは気にも止めず雅な扇子で涼を取っている。
「聞こえねえのか。降りて来い」
カマキリの挑発にトニーはゆるりと立ちあがった。
「カマキリ、だれに向かってそんな口を聞いている? お仕置きが欲しいのか?」
「何を生意気な。カマキリってのが名前だけじゃ無い事を教えてやろう」
「フン、血迷ったか? 目を覚まさせてやる」
トニーは宝塚俳優を思わせる仕草で輿から飛び上がり、カマキリの前に舞い降りた。
トニーが両手に扇子を持ったままその場で回転すると、小さなつむじ風がいくつも起こり、カマキリの周囲をゆっくりと旋回し始めた。
「しばらく稽古をつけてやっていないが、少しは上達したのか? カマキリ」
「何を生意気な。切り刻んでやる」
カマキリが体をひねると、そのまま逆立った刃物はピアノ線で体から釣り下がり、細かなビートを刻み始めた。
「うがあぁぁっ!!」
突如、野次馬の中から叫び声が上がる。
トニーは口角を吊り上げて舌なめずりをした。
叫んだ野次馬の両腕が肘下から切断され地面に転がっている。
辺りに動揺が走った。現場を見ていた者達がざわめく。
カマキリは青ざめた。
「ふ~む。さすがカマキリ。迂闊には踏み込んで来んな」
トニーは下顎を手でさすりながらもう片方の手で扇子を開いたり閉じたりしている。
「来ないのならこちらから行くぞ」
トニーは顎に手をやったまま小走りにカマキリとの間合いを詰めた。
カマキリは歯噛みして後ずさりした。
神輿を担いでいた美女たちはなすすべなく戦いを見守っている。
トニーはついにカマキリを袋小路まで追い詰めた。
「逃げ足だけで俺に勝てると思ったのか? 甘いなカマキリ」
トニーの足元にはすでに5~6個のつむじ風がその身をくねらせて出番を待っている。触れれば切れる風の刃だ。
「くそ、やるじゃねえか。てっきり汚い手でも使ってくるのかと思ったら予想が外れたな」
カマキリは賞賛とも負け惜しみともつかない台詞を吐いた。
「自分の未熟を思い知ったか? 観念しましたと言ってみろ」
トニーは半開きの扇子でカマキリを指しながら降参を促した。
「馬鹿言え。それにおれが観念したからといってどうなるわけでもあるまい?」
カマキリは顎をしゃくって出番を待っているごろつきどもを指し示した。
観客達は今にも参戦者に変わりそうな雰囲気で二人の顛末を見守っている。両手に剣をもってギシギシと擦り合わせている者や、待ちきれずステップを踏み出す者もいる。
「慌てるな野郎ども! まだこのカマキリ様が戦ってるんだろうが」
「そうそう、仲間割れで死に急いでも仕方ないぞ。ターゲットは他にいる」
「ふざけんじゃねえ。お前くらいでかいターゲットがいるか。みんなお前を目当てに集まってるんだよ」
カマキリがそう言うのを聞いて、トニーは少し訝る表情を見せた。
「早くやってくれよ、カマキリローター。それか交代しろ」
「外野がうるさいんだよ。一億のターゲットだ。ゆっくりやらせろい」
「一億? ちょっとまてカマキリ。何の話だ?」
トニーが疑問を投げた。
「おまえ知らずに来たのか? そりゃあそうだ。自分が一億の賞金クビになったと知ったらのこのこ自分から出て来やしねえわな。だが逃がさねえぜ。運が悪かったと思ってあきらめるんだな」
カマキリはピアノ線を両手の指に絡め、両脇に構えた。
「さっきから意味が分からんのだが。ちょっと待てカマキリ、説明しろ。なんで俺に懸賞金がかかるんだ?」
トニーはそう言うと足元のつむじ風をあっさり解除した。
カマキリはその隙を見逃さなかった。刃物付きのピアノ線はカマキリの衣装から数十本下がっており、指先ひとつで自在にコントロールされていた。
「バカが、技を解きやがったな! 食らえ、魔線陣!!」
先に付いた刃物の一つ一つがいっせいにトニーの手足胴体すべてに襲いかかった。
「ぐわっ、カマキリ貴様っ、本気で……」
刃物はトニーの体を滅多刺しにして貫通し、反対側の地面や壁に突き刺さった。
貫通した刃物にはすべてにピアノ線がついており、その先が地面や壁に刺さることによってトニーの体をその場所に縫いとめた。
なんとむごい技だろう。トニーを案じた私は吐き気がした。
トニーはかろうじて立っていたが全身の傷口からは血液が滴り、それはもう立っていると言うより立たされていると言ったほうが近いような惨状だった。
そんな状態を目の当たりにしてもキュベルトンはミニカの腕をしっかり握って離さない。キュベルトンは確率師だ。彼は彼なりに勝負の行く末を予想していたのだろうか?
それともトニーの生死などどうでも良く、カマキリの戦い方を見物しに来ただけなのであろうか?
「キュベルトン、私もう見ていられない」
私は必死で叫んだが、不思議と涙は溢れなかった。
「まだまだここからだよ。まだばれてないんだから」
「あなたはここに何をしにきたの? トニーが死ぬのを見物に?」
「いや、どうなるかはさっぱり予想してなかった。ただ二人の戦いっぷりを見物したかったんだけど、正直ここまでやるとは…… バカだね二人とも」
私は、それを聞いてキュベルトンを思いきり引っぱたいた。
下唇を思いきり噛んでいると涙がじんわり溢れてくる。
「これはこれは、意外だなあ。大魔法使いミニカ様ともあろうものが賞金稼ぎ同士の死闘で号泣ですか? いつもはもっと冷酷で傍若無人なのに。お金が儲かりすぎて平和主義者になってしまわれたんですかね?」
私は慇懃無礼なキュベルトンの、今度は反対側の頬を思いきり打ってやった。
リーマス内での私は豪腕だ。キュベルトンは鼻血を垂らして苦痛に顔をゆがめた。
「そんなんじゃあ共に戦うことはできないなぁ。お家に帰って寝てますか?」
「だれがあんたなんかと組みたいっていった? あんたの顔なんか二度と見たくないわ」
「しーっ、静かに静かに。目立ってますよ」
「腕を離しなさいよ。一度や二度私と一緒にパーティ組んだことがあるからって馴れ馴れしくしないで」
私は掴まれた腕を振り解こうと必死にもがいたが、キュベルトンが掴んだ部分はまるで糊で張り付いたかのように、どうやっても外れなかった。
トニーは俯いたまま信じられないと言う表情で突っ立っていた。
体はカマキリのピアノ線で壁や地面に縫い付けられたまま、血液だけがだらだらと失われ続けてゆく。
「さあそろそろ観念と言わせたいところだが、さっきまでのような戦い振りを見せ付けられちゃあとてもとても油断がならねえ。このまま意識が無くなるまで血液を抜き続ける作戦を取らせてもらうぜ。運がよけりゃあ生き残れるだろうよ。運がよけりゃあな。くくく」
「カマキリ、貴様……」
トニーは前に進もうとするが縫い付けられてその場から動けない。
「いいんだいいんだ。そのままじっとしてな。もう勝負はついてるんだからよ」
「くそう、許さんぞカマキリ……」
「おれとしちゃあ、勝負がつくまで安心はできないわけよ。ハントが成功したって認定されるまでは横取りされる可能性だってあるわけだからな。とにかくおとなしくしとけや」
「…… …… 」
トニーは白目を剥いて恍惚とした表情になった。
もう立っているのがやっとの状態だ。
ひょっとしたらすでに悶絶していて、縫いとめているピアノ線でその場に固定されているだけなのかもしれなかった。
「キュベルトン、腕を離しなさい」
私はもがいたが無駄な努力だった。
「ずいぶん出血男の方に興味を引かれているようだけど、理由を教えてくれるかい?」
「何を言っているの? 意味が分からないわ」
「さっきから泣いたり叫んだり忙しそうだ。あなたはこの世界でナンバーワンの魔法使い。あんな男が一匹死のうが生きようが関係ないでしょう?」
「そんなことは私の勝手だ。私に指図するな」
「そんなに一億が惜しい?」
「その通りだ。過去最高のタスクだからな」
「金が惜しくて泣いたりするのかな」
「私の勝手だ。放せ」
「い~や。僕が納得するまで放しません」
「いいかげんにしろ。私を侮辱してただで済むと思っているのか?」
なんて間抜けな台詞だ。
それならさっさと魔法をかけてこの無礼な男を引き剥がすか切り刻めばいいのだ。
私はこの慇懃無礼な男をどうにも出来ないでいる。なんて情けない。
確率師キュベルトン、最高位の大魔法使いミニカを片腕でねじ伏せるこの男はいったいぜんたい何者なんだ?
枯草のように静かにトニーが倒れた。
辺りには全身から流れた血の海ができている。
一拍置いて大歓声が沸きあがった。
カマキリの顔には満面の笑顔が溢れている。
野次馬からは一億コールが自然発生している。いまや夜を昼への大喧騒だ。
「タスク認定だ。暇な奴は酒場にガウを呼びに行って来い」
誰かが叫んだ。
カマキリは群集に囲まれちょっとしたヒーロー扱いになっていた。
「トニー!!!」
歓声が巻き起こる中、私だけが涙目で叫んでいる。
目の前で賞金クビが上げられただけなのに誰が見ても不自然だ。
大魔法使いミニカはもっと堂々としていなければ。これじゃあ私が疑われる。
「あ~あ、終わっちゃったね。あまり時間は稼げなかったな。どうするミニカ、これから」
白々しくもキュベルトンは落胆する私に笑いかけてきた。
「どうしてくれるの? あなたの所為じゃないの。あなたの所為で…… トニーが……」
「あんなの自業自得だよ。こっちは命狙われてたんだから。他人を呪わば穴二つって」
「トニーは何も悪くなかったのよ。彼は…… 彼はただ……」
私は嗚咽で声にならなかった。
そんな私を見て、突然キュベルトンが私の唇に重なってきた。
私は瞳を閉じる暇も無くそれを受け入れた。
そのとたん、私の脳裏に閃光が走った。
そうだ!
なぜすぐに気がつかなかったんだ。私は大魔法使いミニカなんだぞ。
私を片腕一本でねじ伏せることが出来る者がこの世界に一体何人いると言うんだ?
ミーナの特殊魔法か? 管理部専用魔法具か? この場合は違うだろ!
「ミニカったら最後まで気が付かないんだから。僕のほうが不安になっちゃうよ。あの調子で全部ばらされたら堪らないから、つい口を塞いじゃった。ごめんね」
最強の魔法使いを腕一本で押さえ込めるのは、この世界の創造主であって最強最高のハッカーしかいないじゃないの!
「トニー! 会いたかった!!」
私は浅倉小娘のような情けない震えた声を出して、トニーに抱きついた。私にとってリアルとヴァーチャルが交わった瞬間だった。
「トニー、トニー。謝らなくていい、謝らなくていいよ。ごめんね、気づいてあげられなくて。ありがとう帰って来てくれて」
私は、今度は周りに気づかれないよう耳元に口を寄せ、何度も囁いた。
「さすがに管理部はそろそろ気づく頃だと思うんだ。実はあれが僕じゃないって。もうあんまりここには長居していられない。ミニカの陣営はどう?」
「ミーナが味方になってくれてるの。あなたとルピナや窓枠システムの因縁なんかも全部知った上で…… ガウは微妙だわ。王座取締役は完全に敵、当然次長と部長も……」
「ミーナが味方……か、それと君が……だね?」
トニーが私の目を見ながら念を押す。私はそれを聞いて耳が真っ赤になった。
「やだ、そうだけど……」
それどころじゃないのに最高にハッピー。どうすりゃいいの? もう、こまっちゃう。
「色々心配してくれてありがと。でも、もうしばらく一人で動いてていいかな?」
「じゃあ、今はこれでお別れ?」
いやいやいや、離れるのは絶対いや。分かってトニー。おねがい!
「またすぐ会えるよ。管理部や本社にもいくつか仕掛けしといたから。まかせといて、このゲーム作ったの僕なんだよ」
「だけどトニー、私さびしい……」
わー、私ったらいつのまにこんな甘えた声出せるようになったの? 大発見ったら大発見~~
「仕方ないよ。それかリアルで外国に高飛びでもする?」
するするするする! それってナイスアイディア! それ頂き!
「そう言うわけにもいかないだろ? 今なら僕と違って浅倉さんは会社にも戻れるわけだし……」
え~、冗談だったの? したいしたい、トニーと二人で高飛びしたいぃぃ……
「とりあえず今はミーナとガウの元に帰って。また重要な情報あったら教えてね」
「教える! トニーが有利になる情報たくさん集めとくから。次はいつ……」
気がつくとキュベルトンの影が急激に薄くなっている。トニーがログアウトをはじめたんだ。
「じゃあよろしくね。オーザには気をつけて」
消えないで。まだ消えないで。
「気をつける。私気をつける」
もう時間が無い~
キュベルトンのヴィジョンは溶けるように空中に消えた。
私には彼を抱きしめた時の暖かさと唇のやわらかな感触だけが残った。
あんまり会ってないのに、私とトニーってば実は進展してるよ~
ミーナとガウは偽トニーの救命に必死だった。
偽トニーは、ハッキングによってトニーに印象操作されたザラクだったことが分かった。
カマキリローターは自分の上司を瀕死の状態に追いこんでしまったのだ。
いくらトニーのハッキングが上手でもカマキリの奴が間抜け過ぎ。
ずっとカマキリと一緒にいた部長からしたら、振る舞いかなんかで気づけよって話だろうな。
ヴァーチャル空間での苦痛は、インターフェイスの性能が上がっている昨今、こちらでのダメージが本当に人命を奪う場合もあるといわれている。そう言う意味では部長さん危なかったのかも。
私、お見舞いに行ったほうがいいのかしら?
時間はすでに午前3時を回っていた。
雑用の仕事も、さすがに明日は休むわけにいかないだろう。
チラッとミーナの方を見ると、眠そうに船を漕ぎながら必死でザラクとカマキリが演じた死闘の後始末をやっている。使命を負った正社員さんは大変だ。
私はどうしても眠くなり、通りで野次馬の交通整理をするミーナのところに行って、今日はもう落ちたい、と伝えた。
「ごめんミーナ。もう眠すぎて意識失いそうになってきた。寝るね」
ミーナ自身も眠そうだったが、今はそれどころじゃないと言う風に手で合図を送ると、ガウのところに走って行った。
私はそれを了解の合図と考え、その場でログアウトした。
リアルの私は開いたネットブックを閉じることもできず、ログアウトのタブをクリックすると同時に意識を失っていた。