会社
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朝7時。
私のケータイに仕掛けた目覚ましが鳴った。
なんか息苦しいと思ったら、お腹の上にネットブックを乗せたまま気を失っていた。
ふと見ると、ミーナがデスクトップの置いてあるテーブルに突っ伏して眠っている。
ミーナはいったい何時まで事後処理をがんばっていたのだろう?
私はのそりと立ちあがり、顔を洗うため洗面所を借りに行った。
鏡に映った自分自身をぼんやり見つめていると、昨日の出来事がついさっきのことのように思い出される。リアルで椎野君に再会できる日はいつやって来るのだろうか。
ああ、思い出してきた。
顔が真っ赤になってきちゃったじゃん。
トニーったらいきなりキスするんだもん。
ヤダ~、みんなきっと見てたよ~
椎野君もう会社には来ないんだろうな。連絡取りたいよぅ。
やっぱりリーマスの中で待つしかないのかな?
時計を見るとすでに30分以上、私は鏡の前で百面相していた。
会社に行くならもうそろそろ準備しなきゃ。
「おはよう。早いね」
ミーナが、被災地から帰ってきたような頭で起きてきた。
「おはようミーナ。会社は?」
「フレックスで遅れて行くから先行っといて。たぶん今夜もきついな~ リーマス」
私は持ってきたカバンから急いで着替えを取り出し、猛スピードで化粧を直して、残っていたおにぎりをレンジにぶちこんだ。
「あちあちあちっ」
レンジで煮えたぎったおにぎりを手の中で転がしながら、私は靴べらを手に取って靴を履いた。
「じゃあ先に行くから。ミーナ、もし昼間時間があったら声かけて。行ってきます」
「いってらっしゃ~い」
ミーナの声はまだ半分寝ていた。
いったい何時に出社するつもりなんだろう?
ミーナのマンションは、他人も羨む某なんちゃらヒルズ。
はるか彼方には現在工事中のなんちゃらツリーが見える。
溶けかかった私の脳みそを朝の光りが黄色く炙る。
うわ~、私も今日一日大丈夫かな? これ。
ミーナのマンションから電車で東へ下ること約20分。
天下の日本BGM本社ビルが見えてきた。
日本のIT産業をこの20年間引っ張ってきたハイテクの雄。
財閥系とまでは行かないが、今やもう立派な老舗企業だ。
派遣とはいえこの前まで引きこもりだった私にはもったいないくらいの会社。
それだけに窓枠システムやルピナの件は残念でならない。
大きな企業を運営してると色々あるんだろうなぁ。清濁併せ呑むってやつ?
でもそんな理屈で契約をないがしろにされたんじゃあ技術提供する中小企業は堪らないよね。それに窓の森株式会社との一件は日本政府の高官が指図してやらせたって話だし。
日本BGMもたかだか一民間企業なわけで、政府から強力な指示があったら逆らえないんじゃないだろうか? それなら楽座部長や鎌切もただの手駒に過ぎなかったってことになるんだろう。こういった大企業じゃあどこまで行っても中間管理職なんだろうから、ある意味気の毒な存在なのかな。
本社ゲートでは何も知らないガードマンが私に敬礼して迎えてくれた。
あの~、一ヶ月前に入った派遣ですよ~。でもまあ気分が良いからいいけど……
出社したときの部内は平常を絵に描いたように普通だった。私が会社を出る前のハッカー騒ぎも実は不審メールが送られてきただけの、ただの噂だったらしい。
意外だ。
あのトニーがその程度で手を引いたとは思えない。おそらくかぎつけられない程度に巧妙に手を加えたのだ。
それよりも部内は楽座部長の入院が主な話題になっていた。
楽座部長は表向き健康診断のための検査入院ということになっていたが、宇賀さんに聞くと昨日の深夜に獅子の門病院に担ぎ込まれてそのまま入院治療と言うことになったらしい。辛くも疼痛性ショックの一歩手前。今のところ暗示による心神喪失だけなので命に別状はないそうだ。良くなったらまたリーマス内部のハントに復帰してくるのだろうか? あれだけ手ひどくトニーにはめ込まれたんだからしばらくはログインがトラウマになるかもしれない。
鎌切次長の席は朝から空席だった。どうやら今朝から自宅待機を命じられているらしい。
午前中、私は眠い目を擦りながら通常どおりの雑務をこなした。
宇賀さんはいつもの時間にしっかり出社しており、私の顔を見るとブラックコーヒーを3杯連続で注文してきた。
午後、私は取締役に直々に呼出され、楽座部長のお見舞いに行くよう命令された。
お見舞いの指示を出したのは王座取締役。トニーが分かれ際に名指しで気をつけろと言ってきた人物だ。午後一番で取締役室まで上がってくるよう言われた私は、そこに着くまでも着いてからも胸の動悸が止まらなかった。悪の気配と言えばいいのだろうか。
生来の悪人はいないというのが引きこもりを脱出しつつあった私の座右の銘だったのだが、ここにきてそんなものはただの願望だと言うことを思い知らされた。
「プロテクト開発部から来ました浅倉ですが、入ってよろしいでしょうか?」
「どうぞ、開いてるよ」
落ち着いて貫禄があり、且つ軽快な声が聞こえてきた。
「失礼します」
20坪以上の取締役室の中には広大なデスクと応接セットが置いてあるだけで広々とした空間が確保されている。その重厚なデスクの向こうに40歳過ぎの若い取締役が一人で座っていた。ネームプレートが置かれている。王座占。
「あの、秘書の方は……」
「わしは専属の秘書をつけていないんでね。そのかわり秘書課から自由に人を徴用できる権限をもらっている」
「今日はご指名でプロテクト開発部からやってきました。ご用はなんでしょうか?」
「何の事情も知らない秘書課の人間を向かわせるより、君に楽座部長のお見舞いに行ってもらおうと思ってね。獅子の門病院5677号室だ。これで花とフルーツでも買っていってやってくれ」
王座取締役はピラリと一万円札を取り出して私に手渡した。
「領収書は頼むよ。大魔法使いミニカくん」
「ひっ……」
受け取ろうとした私の手首を王座は反対側の手ですばやく掴んだ。そして私の手首が折れるかと思われるくらい強力な握力で締め上げてきた。
「痛い、痛いです、取締役」
「ずいぶんとひ弱だな。これじゃあ昨日楽座くんがピンチの時でも助けに飛び出せなくて当然だ。私は君が我が社を裏切ってるんじゃないかと非常に心配してたんだ」
締め上げる力はまったく緩まず、ますます力がこもってくる。私はされるがままになってその場にうずくまった。掴まれた手の先はもう紫色に変色してきている。
監視カメラも何も無い個室で、私は王座にされるがままに翻弄された。
「どうせ、椎野に私の悪口を吹き込まれてるんだろう? 何を言われたのか言ってみろ」
王座の目は、水に溺れる小動物を眺める肉食獣のように残忍で淡々としていた。
「私、椎野さんとは殆ど喋ったことありません。王座取締役のことも何も聞いていません」
「窓枠システムとルピナのことについてはどうだ?」
それを聞くと私の体はびくっと脈打ち、その様子は『何かを知っている』ことを明確に表現してしまった。
「やはり知っているようだな。別にかまわない。すべて合法的に行われたことだしな」
「窓の森社が潰れたのはBGMの所為なんですか? が、ぐはっ!」
ねじ伏せられた私の頭が真上から踏みつけられた。顔と床の間にぬるりとしたものが溢れる。私の鼻血だ。
「面白くないガキだな。知ってるなら知ってると言えよ。クズ」
「あう、あうあう……」
私は姿勢を変えられず、苦痛であえぐことしかできない。くそっ。
「お前なんぞが知ったところでどうにも出来ないだろうが、あれは全部私の手柄でね」
しっかり聞き出さないといけないのに意識が遠のいてきた。まだ、まだだ。
「わしが経産省にいたとき日本経済は長期の踊り場にいた。戦後ずっと向上してきた技術力は徐々に伸び悩みを見せ、逆に賃金水準は全体に上昇して競争力は低下してきた」
「それで、IT系中小企業の発想力に頼ったってわけ?」
私がそう言うと王座は締め上げる手にさらに力を込めた。くそう、また意識が遠のく。
「中小企業振興は日本の重要な国策のひとつだからな」
肉食獣の目は遠くを見ていた。
「当時の日本には、何か強力な燃料が必要だった。低コストで良く燃える燃料がな」
「振興はいくらでもやればいい。あなたがやってきたのはただの強奪でしょう?」
「生意気を言うな! 当時の法はあの出来事を肯定している」
「あんたが無理やり特許法を捻じ曲げたおかげでね。あなたが特許省に出向していた2年間にどういう起案が出てきたか調べれば、興味深い結果になるんじゃなくて?」
「だからどうだと言うんだ? あれは時限立法で今はもう元に戻っている。BGMは当時まだ天下り先にはなっていなかったが、今は立派なパイプもできた。もう十分だ」
「世の中を舐めきってるのはどうやらあんたの方ね。こんなことをやってたら会社がどうなるか考えたこともないんでしょ。経営陣が総入れ替えすればパイプも何も無いわよ」
「だから何で総入れ替えするんだよ。ああ? わしはBGMのみならず日本経済にとっての救世主だ。窓枠システムのシェアを知ってるか? 今はもう国内シェア9割を越えている。わしが、この便利な基本ソフトを超低コストですべての会社に導入できるようレールを敷いたからこそ、日本は競争力を取り戻し、経済は踊り場を脱出できた。今ではどんな優良企業も潰れかけのボロ会社もこの基本ソフトウエアの上にアプリケーションを作っている。わしらは最高の燃料を手に入れたんだ」
「窓の森株式会社を生贄の祭壇にささげることによってね」
「貴様、まだ痛い目を見たいのか?」
「私はお使いに出される予定でここに呼ばれたんでしょ。これ以上痛めつけると外出できなくなりますがいいんですか? それよりもこのまま警察に駆け込んだらどうするつもり?」
ゆるせない、こいつだけは。トニーの言った通りだ。こいつが一番の癌で元凶だ。
「ふふふ、面白いことを言うね。君とはいずれ決着をつけなければならないようだが、お互い野暮は言いっこ無しだ。君はリーマスの世界を極めた大魔法使いなんだろう? それにふさわしい戦場があるんじゃないのかね?」
この男、挑発している。私のもっとも得意とする世界で、とことん私を打ちのめすつもりだ。負けるか、負けるか、このぉ。
「では、仕事に戻ります。失礼します」
束縛を解かれた私は乱れた服装を手早く整え、できるだけ丁寧に挨拶をして取締役室を後にした。ちくしょう、ちくしょうちくしょうちくしょう……
取締役室を出た私は後ろ手にドアを閉めると、配線を切られたロボットのようにそこから一歩も動けなくなった。
そしてそのままその場にペタンと座り込んでしまった。
締め上げを解かれた私の腕はしびれを切らしたようにじんじんと痛んだ。
早く移動しなければ誰かがやってくるかも知れないのに。動けない。
「うえ~、う、う、うえ~ 怖かったよ椎野君。怖かった…… トニー、会いたいよぅ」
私はトニーの名を呼びながら呟くように泣いた。
移動したいのに体が言うことをきかない。涙は次から次へと溢れ出してくる。
こんなに泣いたのはいつぶりだろう。
そのとき私のケータイが鳴った。
私は昂ぶった心を落ち着かせて送信者の名前を見る。
ミーナだ。
コール10回目で私はやっと立ちあがり、涙をぬぐって通話をオンにした。
もう泣き止まなければ……
「はい、もしもし浅倉です。ミーナ?」
「昼過ぎに出社したんだけどあんたがどこにもいないから、心配したよ。いまどこ?」
「ちょっとね。色々あったから、あとで聞いてくれる?」
「いいけど、今夜もうち泊まる?」
「できたらお願い。もう私のことぜんぶバレてるみたいなの。少なくとも王座取締役には」
「マジ? あたしもやばいかな?」
「分からない。そうかも。でも私に対してはゲーム内で決着をつけるみたいなことを言ってた。大魔法使いには大魔法使いにふさわしい舞台があるだろうみたいな」
「一緒にいる分には問題無いと思うけど、ミニカはうちの部の派遣だし。でも不気味だね」
「トニーがどうしたいのかいまいち分からないの。昨日も会ったと思ったらすぐお別れだったし。何か一発逆転の手を考えてくれてるといいんだけど」
「王座がどんな手でくるか分からないけど、あたしと同じようにRULER ONLYをバカスカ連発すればなんでも出来ちゃうからねリーマス内では。まともにやりあったら勝算は薄いよ。もし可能性があるとしたら…… やっぱりカギはトニーのハッキング技術と人望かな」
「ごめんミーナ。もうしばらく協力して」
「もう一蓮托生だよ。それにわたしも王座はいけすかないと思ってたんだ。あいつは寄生虫さ。日本BGMにはふさわしくない。早いとこ駆除しなくちゃ」
私は用事があることをミーナに告げて電話を切った。
ミーナが居てくれるだけで心強い。
宇賀さんもミーナみたいなら良いのにな。
お見舞いはなんだかんだで3時くらいになってしまった。面会時間ギリギリだ。
預かったお金でフルーツの籠盛りを買った私は、電車で15分程度の距離にある獅子の門病院の5677号室に向かった。面会許可はすでに取れており、私は院内正面のインフォメーションから直接5677号室へ向かった。
病室は差額ベッドだけで一日10万円以上するVIPルームだった。
私はこのとき初めて、部長職がこんなに偉いんだと実感した。
ベッドで寝ているのは少し禿げ上がった頭の、小柄な中年男性だった。
ザラクのイメージとは180度違うが、ヴァーチャル世界ではよくあることだ。
私と私のアバターを楽座部長が見くらべたら、やはり似た感想を持つのだろう。
「宝塚が好きでね。昔から憧れていたんだ」
楽座部長は照れながら私に言い訳がましく言った。
王座から、私があの場所に居て誰だったのかを聞いているのだろう。
自分の趣味を若い娘に言い訳したがる楽座部長は、ただのはにかみ屋のおじさんだった。
「このたびは大変でしたね。早くお元気になってください」
私は少しほほえましい気持ちになった。
楽座部長は笑顔のまま、私の心を読んだかのように続けた。
「浅倉くんだったっけ? 君は部長って職をどう思う?」
「単純にすごいなあと、こんな部屋に入院してらっしゃいますし」
それを聞くと部長は遠い目をした。
「兵隊なんだよ、ただの。君達派遣と基本は同じさ。言われた通り動く、それだけ」
「はあ……」
「でもね。俺達には俺達の意地がある。ただ最初の一歩を踏み出す意気地がなかった」
「部長さんはいま、名誉の負傷を負って静養されてるじゃありませんか」
「指示されて動いて、勝手に転んで怪我をしただけさ。少なくとも王座取締役はそう思ってる」
楽座部長は下唇を噛み、泣きそうになった。
「俺たちは見る目が無いんじゃない。流れと違う方向に踏み出す勇気がなかっただけなんだ。分かってくれるかい?」
「あの、部長、それはいったいどういう……」
「俺はもともと技術畑の出身でね」
楽座は私の肩に手を置き、目を潤ませた。
部長の言いたいことはすべて瞳の中に映し出されていた。
立場のある者にしか分からない悲しみと葛藤。私はその片鱗を部長の濡れた瞳の中に見つけた気がした。
「その当時、奴の思想に屈服したからと言って、我々全員が恥知らずの集団だとはけっして思わないでほしい」
もう分かった。
この禿げた小柄な中年男は許して欲しいのだ。当時の不甲斐ない自分を。
自分の娘より若いこの私に、あなたは悪くない、と言って欲しいのだ。
もう懺悔など必要ないくらい自分自身を傷つけていると言うのに、まだ許しの言葉に飢えて牧草の枯れた荒野を独り、さ迷っているのだ。
「私には何をどうこうする権利も力もありません。ただ分かるのは、部長さんはもう十分苦しんだんだと思いますよ。だから泣かないで」
私がそう言ったとたん楽座部長の目からは涙が溢れた。
部長は私の手を取って何度も何度もありがとうとお礼を云った。
私はそのときすべてを悟った。
部長は、私がすべて知っているということを知っている。
だから遠まわしに自分の後悔を伝え、私の理解と許しを請うた。
自分の組した過ちがどれほど人を傷つけたか知っているということを、それを自分が後悔しているということを。
つまり部長は私を見ているんじゃない。
私の向こうに居るトニーを見て、トニーに謝っているんだ。
私は部長の手をぎゅっと握り返し、もういいです、と何度も云い続けた。
私が獅子の門病院を出たとき、もう日は暮れていた。
ここからミーナのマンションまで電車ならすぐだ。
私はコンビニで下着と弁当を買って地下鉄に乗った。このままミーナの家に直行する。
ミーナには悪い話と良い話両方報告しなければならない。
悪い話は、王座取締役に宣戦布告されたこと。良い話は真の敵がずいぶん絞られてきたこと。
楽座部長のように感じている社員は他にもいるはずだ。
生き残りにつながる蜘蛛の糸が薄っすらと見えてきた。
いける。いけるぞ!
あとはトニーの戦略に期待するしかない。なんとか彼と連絡が取れないものか?
ミーナのマンションに向かう途中、私は知らず知らずのうちにスキップになっていた。
最終決戦はもう間近に迫っている。
今夜も兵共との長い夜が始まろうとしていた。




