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27 別離と再会 

 背中に密着する身体の震えが伝わり、オーレイリアは気遣わしげに呼びかけた。

「キジー?」


 小柄な少女は歯の根が合わない様子で呟いた。

「……あの声、村を…、お姉ちゃんを殺した奴の声……」


 ミュラッカ村の虐殺に加担した者がいるのだと、すぐにオーレイリアは理解した。斜面の上方を走る大山羊の乗り手に素早く視線を走らせる。薄水色の目に見覚えがある男だった。


「……ユッカ…」

 クレーモラ峡湾を航行する『オタヴァ』号の水先案内人。それが敵側にいることには驚きより納得の気持ちが強かった。


 ――偶然を装って接近する者に気をつけろ。お母様の遺訓は正しかったわ。

 本来の水先案内人が直前で喧嘩に巻き込まれて負傷し、たまたま乗る船が無かった彼が『オタヴァ』号に採用されたことが思い起こされる。


 だが、彼女は回想よりも背後のキジーの震えが止まらないことの方が気掛かりだった。オーレイリアは囲まれまいと必死で大山羊を走らせた。

 二人が乗る大山羊は若く速力のある種だった。それでも追っ手が身軽なこともあり、次第に距離を詰められていく。


 吹き付ける風で、崖に追いやられたことが分かった。オーレイリアは咄嗟にペンダントの竜笛を吹いた。

 皮膜の翼が崖の下方に出現した。大型翼竜クリオボレアス、カーモスだ。騎乗したサウルがこっちに飛び乗れと合図している。


 カーモスの右翼からは血が流れていた。オーレイリアは素早く計算した。

 ――限界までの重装備の上に負傷、それに三人も乗ったらバランスを崩してしまうかも。


 ただでさえ谷は風を掴むのが難しい。はじき出した結論を彼女は機械的に実行した。背後の少女に優しく言い聞かせる。


「キジー、大きく息を吸って力を抜いて」

 背中に捕まる力が緩むのを感じ、彼女は片手で思いきりキジーを突き飛ばした。崖下の翼竜に向けて叫ぶ。

「この子をお願い!!」


 突然襲ってきた浮遊感にキジーは目を見開いた。大山羊を駆って追っ手から逃れようとするオーレイリアが、彼女の乗る大山羊が足を撃ち抜かれ乗り手ごと倒れる様子がその目に映った。


「オーリー様!」

 叫ぶ少女をサウルが抱き留めた。キジーは叫び続けた。

「そんな! 駄目! オーリー様!!」


 片手で彼女を抱き留めたサウルは逡巡したが、上空を一つの影がよぎったのに気付いた。

「あれは……」


 負傷で飛翔が不安定になっていたカーモスが揺らいだ。サウルは直感に従った。

「降りよう、カーモス。もう少し我慢してくれ」

 二人を乗せた大型翼竜は旋回し、崖から離脱した。

 



 メイドの少女が無事に翼竜の背に降りたのを見て、オーレイリアは安堵した。


 ――あの子は私より軽いから、負傷したカーモスでも逃げられるはず。

 後はこの追跡を振り切れば。そう決意し彼女は大山羊の速度を上げた。崖伝いの岩を飛び上がり、森に駆け込もうとした時だった。


 突然大山羊が苦痛のいななきを上げ、横転した。放り出されたオーレイリアは崖を滑り落ちた。

 反射的に垂れ下がっていた蔓を掴む。勢いでずるずると滑った後にようやく落下は止まった。宙づり状態で崖を見上げ距離を測り、オーレイリアは努めて冷静であろうとした。


 ――蔓は枯れていないから切れる可能性は低い。この高さなら腕の力だけでも上れる。落ち着くのよ。

 無闇に暴れたりすれば墜落死の危険を招くだけだ。侯爵邸での訓練を思い出し、オーレイリアはゆっくりと蔓を掴み直すと登っていった。


 どうにか立てそうな場所が見えてきた時、冷ややかな声が浴びせられた。

「面白い仕掛けを作ってくれたじゃないか、お嬢さん」

 彼女の頭上に一人の男が立っていた。『オタヴァ』号でユッカと呼ばれていた彼に、オーレイリアは答えた。


「水先案内人の目を欺くのは苦労したわ」

 怯える気配のない様子に、今はソロンと呼ばれる工作員は面白くなさそうに崖下を覗き込んだ。


「答えろ、積み荷をどこの分岐湾に隠した?」

「隠してなどいないわ」

「はあ?」


 顔をしかめる彼に愉快そうに辺境伯の令嬢は言い放った。

「ロイヴァスに運んだに決まっているでしょう」

「あそこに続く道は監視してる、そんな報告……」


 唐突に言葉を途切れさせ、ソロンは空を見上げた。彼は歪んだ顔を宙づりになった令嬢に向けた。

「空か? だがロイヴァスの竜騎兵にそんな余力は……、まさか、翼竜使いの運び屋を?」


 オーレイリアは楽しげに微笑んだ。

「夜間空輸の料金って高いのね。ロイヴァスから応援が来てくれたおかげで何とか支払えたわ」


 ソロンは混乱状態を表に出すまいと必死だった。ロイヴァスに充分な補給ができているなら攻勢に移らないのは何故なのか、あれだけの仕掛けは偽装なのか、そもそも本当にクレーモラでのはしけすり替えは行われたのか。


 彼は辺境伯の令嬢が掴む蔓を乱暴に引き上げた。

「上がってくるんだ。本当の答えを聞かせろ」

「私が言うとでも?」


 生殺与奪を握られた状況でもオーレイリアの反抗心は揺らがない。苛立ちのままにソロンは銃を構えた。

「なら死ね!」


 蔓に向けて幾度も弾丸が撃ち込まれ、オーレイリアの身体ががくんと降下した。彼女はさっきから目をつけていた崖のくぼみへと飛び移ろうとした。その直前、崖に生えた木の枝が首を掠め、ペンダントの紐を引きちぎった。


 反射的にオーレイリアは落ちていく母の形見に手を伸ばしたが、指先を掠めた木製の竜笛は谷底へと吸い込まれていく。無理な動きに彼女はバランスを崩し、ソロンはその有様に哄笑した。


 大きな影が彼の目の前に急降下したのはその時だった。

「……クリオボレアス?」

 サウルのカーモスと同じく重装備の翼竜だが、ソロンに向けらられたのは雷槍砲ではなかった。大口径の砲口か彼を捕らえ、轟音と共に発射された。直撃こそ免れたもののソロンは爆風に吹き飛ばされ、森の針葉樹に叩きつけられた。


 衝撃はオーレイリアにも及んだ。身体を支えていた蔓が完全に切断され、急速に落下する。

 そのまま谷底に落ちるのを覚悟した時、彼女の身体は思わぬ着地を遂げた。

「……これ…」


 目を開けるとオーレイリアは翼竜の背中にいた。一瞬カーモスかと思ったがその翼に傷はない。


「あなたは…」

「降下する。掴まれ」

 正体不明の騎手はクリオボレアスに旋回を指示し、大型翼竜は追跡者のいる崖から遠ざかった。


「……くそっ…」

 だらりと垂れ下がり感覚のない左腕を庇い、ソロンはよろめきながら立ち上がった。急速に小さくなる翼竜を追う術はなく、彼は追ってきた仲間に拾われてワゴンの奪取場所に戻った。




 ボロボロになって帰還したソロンは目を瞠った。そこを後にして数時間と経っていないはずなのに、全く違った光景があったのだ。


 ワゴンは解体され、その荷台からは大量の武器が取り出されていた。銃撃部隊はお宝を見つけた山賊よろしく笑いながら銃器類を山積みにしていった。


「ひでえ格好だな」

 直属の部下がソロンを見て笑った。

「ほら、見ろよ。あの臭っせえ魚を捨ててワゴンを蹴飛ばしたらよ、妙な音がしたんだ。それで、バラしてみたら二重底だったってことさ」


 男たちは景気づけとばかりに空に向けて銃を乱射した。

「こら、弾がもったいねえだろ」

 一人が叱るとどっと笑い声が起きた。誰もがソロンの負傷を労ることすらしない。


 辺境伯の令嬢を追いかけて返り討ちに遭ったことが彼の立場を失墜させたことは明らかだった。ザハリアスの工作員はぎりっと奥歯を噛みしめた。

「……どこまでもコケにしやがって…」

 視界が赤くなるほどの怒りは、自分を翻弄した少女へと向けられた。

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