26 鹵獲と罠
最初の異変は空からの警告だった。
「カーモスのサウル様から信号が」
翼竜の行動に目を配っていたソニヤがそっとオーレイリアに告げた。辺境伯の令嬢がヨーセフとイエレナに視線を向けると、二人とも小さく頷いた。
オーレイリアは大山羊の手綱を引く少女の側に歩いた。
「オーリー様?」
「キジー、何か起きたら私に従ってね」
小声で言われたことは予想外だったが、キジーは小さく頷いた。そこに、最初の銃声が聞こえた。
咄嗟にメイドの少女を抱えるようにして、オーレイリアは地面に伏せた。輸送部隊の全員が同じ行動を取る。
彼女たちの頭上を銃弾が飛び交い、不運な大山羊が苦痛の叫びを上げる。耳を押さえるキジーの手を引き、低い姿勢のままオーレイリアはワゴンの陰に身を潜めた。
「ワゴンの荷物を知っているのね、迂闊に命中させて爆発に巻き込まれたくないんだわ」
彼女の呟きを聞くうちに、キジーは落ち着きを取り戻した。すぐさまワゴンの車体下部に取り付けた金属板を操作する。周囲に目をやればソニヤ達も同様だった。
オーレイリアは仲間の位置を確認した。彼らは一見混乱しているようだが、巧妙にワゴンから距離を置く位置に移動している。
辺境伯の令嬢はペンダントの竜笛を吹いた。
すぐさまクリオボレアスが降下してきた。装備した強力な雷槍砲が火を噴けば形勢は逆転する。そのはずだった。
樹上から別の銃声が聞こえたのは直後だった。カーモスとサウルは上空に向けた銃弾を必死で回避しようとした。
だが、躱しきれなかった一発が翼竜の右翼を貫通した。苦痛の鳴き声が山脈に響く。
空を見上げていたキジーは息を呑んだ。その傍らでオーレイリアは散開の合図を送った。そして、メイドの少女の手を引いて立ち上がらせ、無事な大山羊に跨がる。
「しっかり掴まって!」
少女二人を乗せた大山羊は、興奮のままに駆け出した。
「翼竜が離脱します」
観測班からの報告に、ザハリアス帝国陸軍少佐ニキアス・ゼファーは薄く笑った。
「こちらの銃撃部隊を撤収させろ。鹵獲はソロン達の部隊に任せればいい」
「連中、獲物をくすねたりしないか?」
副官の懸念を彼は笑い飛ばした。
「外国製の武器弾薬を? 足がつきやすい上に簡単に捌けないぞ。それよりロイヴァスの拠点の動きは?」
「どの砦も出撃の報告無し。こちらを警戒しているのか?」
「向こうに分かるように偽装部隊を配置したからな」
国境付近で露骨な軍事行動があれば輸送部隊の警護に回す余裕はなくなる。それを計算しての作戦だった。
「あと少しでロイヴァイス領なのに、さぞ残念だろうよ」
ニキアスの言葉に副官も賛同した。
「希望を目の前で潰した方が効率的に戦意をたたき折れるからな」
「これで、この忌々しい半島から手を引いて、対ロウィニアに戦力を集中できる」
背後に控える大部隊にニキアスは目をやった。ロイヴァスを山脈の国境からおびき出し、越境を大義名分にした最終決戦のために終結させた兵力だ。
辺境伯軍が降伏すればこの国は山脈を放棄するだろう。臆病な国王が自分の最後の盾となる正規軍を動かすとは思えない。
後は文官達に戦後処理を任せて南西部、ロウィニアと対峙している草原地帯に即転戦する予定だ。
「あの草原地帯なら我が陸軍が誇る重装騎兵が活躍できる。ローディンがいかに同盟国に肩入れしようと、国力差を覆すことはできない」
ニキアス・ゼファーは勝利を確信していた。
ソロンが率いる銃撃部隊は放棄されたワゴンを確保した。そこに遅れてやって来たメリルオト・ハルキンの混成部隊は彼らに銃を向けた。
「何者だ?」
「勘違いしなさんな、あんたらの助っ人だよ」
ソロンはいつものおどけた口調で答えた。
「聞いてないぞ!」
「なら確認してみろよ。王都のアンニカ奥様に」
侯爵家当主の母であり、伯爵家暫定当主の伯母の名を出され、混成軍の銃撃兵たちは戸惑った。ためらいは彼らにとって致命的だった。ソロンが片手を上げて部下に合図した。
同時に銃弾が混成軍に浴びせられた。連射音がやみ、硝煙が収まった時、侯爵領と伯爵領の銃撃兵は残らず死体となって地面に転がっていた。ソロンのとぼけた声が束の間の静寂を破った。
「あーあ、同士討ちなんて気の毒だねえ」
その間にも彼の部下たちは黙々とワゴンの積み荷を確認する。
樽の蓋を開けようと金属製の箍に一人が触れた。同時に叫び声が森に響いた。金属に触れたまま全身を痙攣させる様子に、驚いた仲間が彼に駆け寄り触れる。途端に全く同じ状態になるという事が繰り返された。
「何だ?」
「下がれ! そいつに触るな!」
ソロンが厳しく命令すると、部下たちはワゴンから遠ざかった。忌々しそうに舌打ちすると、ザハリアスの工作員は腰が引けた男たちに言った。
「何か細工がしてあるはずだ。調べろ」
彼らはこわごわとワゴンの荷台を観察した。間もなく一人が金属線を発見した。
「線が繋がってるぞ!」
「さっさと切れ!」
安全を確認すると、銃撃部隊はワゴンから樽を蹴り落とし一カ所にまとめた。
「まだ何か仕掛けてやがるかも知れねえぞ」
念のため、ソロンは箍をめがけて銃を撃った。爆発するのではと冷や汗を掻いていた部下たちは、あっさりと樽が壊れたのに拍子抜けした。乾いた笑い声が起き、彼らは次々と樽を破壊していった。あとは樽の中の武器弾薬を回収すればいいだけだった。
だが、突如として妙な液体が噴出した。しかも強烈な悪臭を撒き散らしながら。
鼻と口を押さえながら、ソロンがわめいた。
「何だよ、こいつは」
撃たれていない樽までもが次々と自壊していき、悪臭の噴水は止まることを知らなかった。
目も開けていられない惨状に彼らは這々の体で逃げ出した。ソロンは服に飛び散ったものを見た。小魚の切り身だった。
「……あの魚の樽詰めか……」
ポラリス半島名物の、激臭で知られる発酵食品だと彼は察した。
「奴ら、妙にあっさりと放棄したと思ったが囮かよ」
クレーモラで水先案内人ユッカとして『オタヴァ』号に乗り込んでいたソロンは必死で考えた。
「船に積み込む前の点検の時、確かに銃や弾薬が入ってた。荷揚げもそのままだったはず……」
はしけに変化がないことは毎日彼自身が確認していた。可能性があるとすれば……。
ソロンは不意に顔を上げた。
「霧……、分岐湾ではしけの引き綱がもつれた時か。はしけごとすり替えやがった?」
彼は大山羊に跨がった。
「あのクソアマ、捕まえて吐かせてやる!」
オーレイリアとキジーの大山羊が消えた方へと、彼は全速力で大山羊を走らせた。部下たちの数人が慌ただしく続き、蹄の音が山腹に響いた。
少女二人が乗る大山羊は輸送部隊の集結地に向けて駆けた。手綱を握るオーレイリアは襲撃者の攻撃にばらつきがあったのを感じていた。
――最初の数発は威嚇程度だったのに、急に本格的な銃撃になった。
統制がとれていない部隊を奇襲に使うだろうか。疑惑は膨れていくばかりだった。その間にもワゴン集結場所での騒ぎが微かに聞こえてくる。辺境伯の令嬢は口角を引き上げた。
「罠にかかったようね」
積み荷が武器弾薬類でないと知れば、怒り狂って追跡してくるだろう。そこをサウルのカーモスがまとめて駆逐する予定だった。だが、翼竜は負傷してしまった。
「攻撃できるのは一度が限界かも」
考え込む彼女に必死でしがみつくキジーが、次第に近くなる蹄音を感知した。
「追ってきます!」
オーレイリアは木々の間に大山羊を誘導しようとしたが、その方面からも接近する者がいた。彼女たちを認め、歓喜の声を上げる。ポラリス半島の言語では無い言葉で。
「女だ!」
それが耳に届いた瞬間、キジーは固まった。脳裏に十年前の惨劇が甦る。家に踏み込み、姉を引きずり出した男が発したのと同じ言葉、同じ声だったのだ。




