25 予兆と銃撃
バイランダー山脈。メリルオトとハルキンの領軍合流地点。
連絡係の報を待ちわびていたメリルオト侯爵とハルキン伯爵家の令息は、彼が持ち帰った要求を聞くなり激怒した。
「覚悟を見せろだと? 我々を誰だと思っている!」
「そうだ! ソルノクートの貴族の誇りを侮るとは!」
似た者同士の血縁者二人は互いに憤りあった後で実務的な打ち合わせに映った。先に多少は冷静になったメリルオト侯爵ウリヤスがどうにか分別くさい声と表情を作った。
「つまり、要は少しばかり示威行動をしてみせればよいのだな」
「……そうですが、上手くいくものでしょうか」
いささか気後れしたようなハルキン家の令息オリヴェルに向けて、侯爵は余裕を滲ませた笑顔を見せた。
「なに、別に我々が前線に出る訳ではない。実働部隊に任せれば良いだけだ。勿論、失敗などすれば、それは実行した者に咎がある訳で」
「そうか、指揮官は奥で構える訳ですね」
「そうとも、勝利の名誉と栄光は上位に位置する者のためにある」
都合の良い理論を正義と信じて疑うことなく、侯爵は言い放った。感心したような若い貴公子の視線が彼に優越感をもたらした。
ことさら尊大に、侯爵は背後に控える護衛に怒鳴った。
「何をしている、さっさと連絡係に伝えろ!」
無言無表情で護衛は天幕の外に出た。
「奴ら、ようやく物見遊山気分から脱却する気になったか」
バイランダー山脈、ザハリアス帝国側。陸軍遊撃隊少佐ニキアス・ゼファーはソロンの報告に皮肉な感想を述べた。
「いや、あの手の連中は自分の血が流れるまで殿様気分でいますよ」
ソロンは更に辛辣だった。ニキアスは天幕越しに『分水嶺』と呼ばれる山脈に目をやった。
「愚かな侯爵も伯爵家の出来損ないも、威嚇射撃程度で済ませるつもりだろう」
「普通ならそれで済んだかも知れませんな。うちの連中が潜り込んでなければ」
口元を歪め、ソロンが笑った。先刻までの飄々とした様子が一変し、彼の表情は残忍さを剥き出しにした。ニキアスの副官が嫌悪に眉をひそめた。
「楽しそうだな」
ゼファー少佐に皮肉な声を浴びせられてもソロンは堂々と語った。
「何しろあの部隊は女が多い。ここのとこ山奥で色々と持て余した奴らには格好の褒美で。ああ、十年前も美味しい思いをさせてもらいましたっけ」
ニキアスの視線が一瞬で鋭くなった。ソロンは如才なくその場を辞去した。
「それでは、準備に取りかかりますよ」
去って行く男の姿が消えると、副官が吐き捨てるように言った。
「あの愚劣な作戦をネタに我々を脅すつもりか」
「民間人の村一つを壊滅させたんだ、正当性など何一つない」
ニキアスの声は苦かった。副官は尚も納得できずにいる。
「作戦を命じた者はさっさと引退したのに、後始末をさせられるのは無関係の者だぞ」
「関係はあるさ、帝国軍に籍を置く限りは」
この任務に就いた時に与えれた極秘資料でミュラッカ村襲撃事件の真相を知った時、彼はしばらく言葉も出なかった。
「不確かな『北風の王』の情報などに惑わされてやったことと言えば、非戦闘員を殺し尽くしただけとはな」
「その『北風の王』とは何だ?」
「約百年前、月の竜の消滅に関わる事らしいが、それについての情報が少なすぎる」
ニキアスと副官は暗い顔を付き合わせて考え込んだが、徒労に終わった。
バイランダー山脈、ソルノクート王国側。
針葉樹の森の中、ひときわ高い木の枝で何かが光った。少しして遠くの木に呼応する光が見える。
それを読み取り、満足げに信号を送った者は木を滑り降りた。用心深く歩いていく先には輸送部隊の宿営場所があった。周囲に気付かれないように隅に潜り込むと、すぐさま眠りに入る。
木の陰に潜み、この不審な行動を一部始終見届けた小柄な姿があった。足音も立てずに女性達の就寝場所に行くと、彼女は自分の寝袋に戻った。ごく小さな声で報告する。
「信号が送られました」
「……そう」
短く答えたのは辺境伯の令嬢オーレイリアだった。胸元のお守りを握り、ちらりと熟睡するキジーを見ると、彼女は目を閉じ身体を休めた。
翌朝、木々の隙間から日光が降り注ぐ前に輸送部隊は出発準備を調えた。女性陣のリーダー格のイエレナがオーレイリアに用意ができたことを告げた。辺境伯の令嬢は頷き、彼女に囁いた。
「昨夜のことは聞いている?」
「はい」
イエレナが緊張感のみなぎる声で答えた。オーレイリアは視線を部隊一小柄で細身の男に向けた。いつも樹上の見張り役を買って出る者だ。部隊を率いるヨーセフが彼女の仕草に応じ、何気なさを装って男の側に行った。
いつものように大山羊の世話をしたキジーは、どことなく部隊の空気が違うのを感じていた。
――何だろう、天気も良いし、怪我や病気の人もいないのに。
自分の主に目をやると、オーレイリアはいつもより神経質な様子で服の胸元を握っている。
怪訝そうな彼女に気付いた辺境伯の令嬢が苦笑気味に言った。
「これはお母様の形見なの」
彼女が胸元から取り出したのは大ぶりな木彫りのペンダントだった。貴族令嬢の持ち物としては意外だとキジーは思った。オーレイリアは皮肉っぽく語った。
「貴金属でないから継母も異母妹も目もくれなかったわ。でも、とても大事なお守りだとお母様はおっしゃっていた。ロイヴァスの館に同じ物があると」
故郷に帰れなくなったトゥーリアがロイヴァスを思い出すよすがにしていたのかも知れない。キジーはそう推察した。
オーレイリアはペンダントの中心部を示した。
「ここが外れると竜笛になるの」
よく見ると笛の部分には数個の穴が空いていた。珍しそうにキジーが言った。
「……これ、村の年寄りが吹いてた笛に似てる」
「そうなの? わざわざ音階がつけられるようになっているのよ」
普通、竜笛は音の強弱長短で指示を伝える。吹き方を変えることはあっても旋律を吹くことはまずない。
これと似た笛を誰が持っていただろうかとキジーは思い出そうとした。だが、記憶が鮮明になる前に出発のかけ声が聞こえた。
「行きましょう」
オーレイリアに言われ、メイドの少女は大山羊を曳いて歩き出した。
そのワゴン部隊を守るように上空で大型翼竜クリオボレアスが静かに旋回した。
輸送部隊の出発と同時に、その後を追う者たちがいた。銃兵からなる小隊で、ハルキン伯爵領軍の兵とメリルオト侯爵領軍の兵がきっちり半数ずつで構成されている。彼らはロイヴァスに向かうワゴンの隊列を追尾した。
「なあ、辺境拍の物資だろ?」
「本当に撃っていいのか?」
兵達の士気は高いとは言えなかった。及び腰の仲間に隊長格の二人が同時に叱責した。
「今更怖じ気づいたのか」
「少し脅すだけだ、さっさと撃って撤退すれば済む」
ハルキンとメリルオト、双方主導権を握りたいが責任を負いたくないという胸算用から導き出した人事だった。今のところ破綻はしていないが命令系統は曖昧というところだ。 彼らは何のために辺境伯の輸送部隊を攻撃するのか知らされていない。ただ、少し脅してこいと目的も具体性もはっきりしない命令を受けただけだ。
「おい、ワゴンに当てるなよ、火薬を摘んでるんだ」
「あんなの誘爆したらこっちも丸焼けだぞ」
かといって勇猛果敢で知られる辺境領の者を傷つければどんな報復を受けるか分からない。彼らは消去法で大山羊を狙うことにした。
「的が大きい分、当たりやすいからな」
言い訳がましく銃を構え、変則的な銃撃部隊は引き金を引いた。
最初の一発が山脈に響いた次の瞬間、怒濤のような銃声が轟いた。
「何だ?」
「援軍? 聞いてないぞ!」
銃撃部隊は恐慌状態に陥った。




