ーーーー 追憶 ーーーー
奴隷。
それは、この世で最も見下される最底辺の存在。人間の、なり損ない。
「はっ、はっ……くぅっ!? はっ、はぁっ……!!」
その薄汚れた少年は、死に物狂いで走っていた。
疲労と栄養失調で視界はぼやけ、足取りは覚束ず、何度も躓き転ぶ。それでも必死に走り続けていた。
「はぁっ、はぁっ、待てぇっ! 奴隷の分際で主人を拒むなど、許されると思っているのか!?」
罵声を吼えながら鬼の形相で少年を追いかけるのは、身なりだけは良い街商人。
じゃらじゃらと下品な成金らしい音を立てながら、鈍重な足取りで少年を追うその姿を、貧民街の住人がせせら笑う。……笑うだけで、誰も少年を助けようとはしない。
「くそっ、くそうっ!?」
殆んどの奴隷は、物心がつく頃には抗う意思など失っている。尊厳など無いに等しく、生きる権利も死ぬ権利も自身では持たない。ただ、奪われ続ける為だけに生まれて来た者達。
少年とて、これまでの短い生の中で、自身の境遇は嫌と言うほど思い知らされて来た。
それでも、彼は幾度も主人の元から逃げ出し、その度に捕まっては再び奴隷として売られる。そんなことを繰り返し続けている。
今回も、労働用の奴隷として買われたにも関わらず、数日も経たぬ内に気の変わった主人に“強姦”されかけ、激しい抵抗の末どうにか逃げ出したのだ。
少年は紛れもなく男児だが、人格が伴わず金だけを手にした人間は、快楽に見境が無くなる。街商人は、性別問わず年端もいかぬ子供を犯すのが趣味の、紛れもない外道であった。
そして、ろくな労働力にもならない子供の奴隷を好んで買うのがその手の外道だと言うのは、暗黙の常識だ。
「なんでっ……なんで俺ばかりっ!?」
奪われなくてはならないのだ。
答えの無い問いを何度も自分にぶつけながら、少年は走る。無様な自身の姿を余興か何かのように見下す貧民街の住人ですら、少年には眩しく見えた。
荒れた石畳でズタズタになった足の裏は既に痛みすら感じず、前に進み続ける力は、もはや気力のみ。
「ちぃっ、このっ!」
なかなか追いつけず業を煮やした街商人が、腕に嵌めていた純金のブレスレットを少年に投げ付ける。
「がっ!? っっ………」
後頭部にそれをまともに喰らってしまった少年は衝撃でその場に倒れ込み、激痛と脳震盪で視界がぼやけた。
「はっ、はっ……手こずらせおってっ!」
街商人は倒れた少年を蹴飛ばし、仰向けになったその小さな身体に馬乗りになって、拳を振り下ろす。
「っ……ぅぁっ……」
流れ落ちる生温かいそれが、自身の血だと言うことすら、少年は意識が朦朧として上手く認識出来ない。
最後に残されていた気力すら、どくどくと溢れる命の雫と共に失って行く。
少年はもう、諦めかけていた。
何度逃げ出しても、どれだけ足掻いても、最後には奪われる。
この世界は、そういう風に出来ている。
それが、短い生の果てで少年が出した、結論 ーーーー
「どけ、豚」
ーーーー 酷く、冷たい声だった。
少年が意識を手放す直前。
最後に耳に残ったその声は、確かに少女の物。
けれど、そこには愛嬌の欠片すら無い。
………ただ、誰一人として逆らうことを許さない“威厳”。それだけがあった。
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