70話 リミットブレイク②
『――力が欲しいか?』
ドクンッ――。
陽の胸が大きく脈打った。右腕から滲み出した黒い影が、黄金の光を喰らうように這い上がっていく。ウルニス迷宮で一度、陽の意識を呑み込んだものと同じ力だった。
「……っ」
陽の瞳から少しずつ光が失われていく。
『望め。そうすれば――目の前の敵など、消してやる』
頭の中に響く声。それと同時に、身体の奥から今まで感じたことのないほどの力が溢れてくる。
これなら届く。これならゼルファーを倒せる。
そんな確信すら、陽の中に生まれ始めていた。
「陽!」
リーナの声が聞こえる。だが、遠い。まるで深い水の底から聞いているようだった。
黒い影が肩へと達する。その瞬間、地下水路にカイの怒声が響いた。
「陽ッ!! そいつに耳を貸すんじゃねぇ!!」
「……カイ……?」
「力に自分を渡すな! 力を使うのはお前だ! 力に使われるんじゃねぇ!!」
その言葉に陽の身体がピクリと止まった。
自分の右腕を見る。黄金だったはずの光が、黒い何かに塗り潰されようとしている。
『力が欲しいのだろう? ならば受け入れろ』
「…………」
陽は右腕を強く握りしめた。
「……悪いな。俺は、お前の言いなりになるつもりはねぇ!!」
ギュンッ!!
陽の身体から黄金の光が爆発した。右腕、肩、胸元へと広がっていた黒い影が押し返され、黄金の光の中へ消えていく。
ドクンッ――。
最後に一度だけ黒い光が脈打ち、完全に姿を消した。
「はぁ……はぁ……」
陽はその場に膝をつく。
「陽!」
リーナが駆け寄り、その肩を支えた。
「大丈夫!?」
「ああ……なんとかな」
陽は震える右手を見つめる。確かに消えたはずなのに、まだ身体の奥には、あの黒い何かが残っているような感覚があった。
その様子を見つめるカイの表情は険しい。何かを知っている。そんな顔だった。
だが、それを問いただす暇はなかった。
ズズズズズズ――!!
突如、地下水路全体が低く唸り始める。
「話は終わったか?」
ゼルファーがゆっくりと立ち上がった。先ほど陽の拳を受けた腹部を軽く払うと、何事もなかったかのようにこちらを見据える。
「なら――続きを始めよう」
ドォォォォン!!
凄まじい重圧が降りかかり、陽たち全員の身体が地面へ叩きつけられた。
「ぐあっ!?」
「くっ……!」
リーナは剣を地面へ突き立て、どうにか身体を支える。
さっきまでとは違う。明らかに重い。
ゼルファーは、まだ本気ではなかったのだ。
「どうした? 仲間がいるのだろう?」
「……ああ」
陽は震える足に力を込めて立ち上がった。その横にリーナが並び、カイも前へ出る。
「いるさ。だから――全員でぶっ飛ばす!!」
リーナは剣を構え、静かに息を吸った。
「タリア――力を貸して!」
その声に応えるように、リーナの背後で風が巻き起こる。
ゴォォォォォ――!!
地下水路を吹き抜けた風が渦を巻き、ひとつの巨大な姿を形作っていく。
獅子の身体に鋭い鉤爪。そして背中には、黄金色に輝く巨大な翼。
グリフォン――タリア。
「クルルルルル――!!」
タリアが翼を大きく羽ばたかせると、ゼルファーの重力に押し潰されていた空気を切り裂くように、激しい風が地下水路を駆け抜けた。
リーナは剣を構えたまま、その隣に立つタリアを見る。
「行くよ、タリア」
タリアは短く鳴き、ゼルファーへ鋭い視線を向けた。
「へぇ……だったら俺も、寝てるわけにはいかねぇな」
カイが首を鳴らし、一歩前へ出る。
「来い――ネレア!!」
ドンッ――!!
地下水路を流れていた水が、一斉に逆巻いた。大量の水がカイの背後へ集まり、巨大な渦を作り上げていく。
「なっ……!?」
陽が目を見開く。
渦巻く水の中から巨大な影が浮かび上がり、やがて一柱の神獣がその姿を現した。
「ネレア。久しぶりに暴れるぞ」
カイがニッと笑う。
ネレアが咆哮した瞬間、周囲の水がまるで意思を持ったかのように浮かび上がった。地下水路そのものが、ネレアの支配下へ置かれていく。
その姿を見たゼルファーが僅かに目を細める。
「ポセイドンの神獣か」
「そういうこった」
カイはネレアの前に立ち、拳を構えた。
「悪いが、こっからはちょいと面倒になるぜ」
そして、二人の視線が陽へ向く。
「陽!」
「わかってる!」
陽は拳を握りしめ、目を閉じた。意識を自分の内側へ向け、今度は黒い力ではなく、ずっと共に戦ってきた相棒の存在を探す。
「ヘリオス……力を貸してくれ」
ドクンッ――。
心臓が強く脈打った。
次の瞬間、陽の身体から黄金の光が溢れ出す。
ゴォォォォォォ!!
「うっ……おおおおお!!」
筋肉が大きく隆起し、全身の骨格が獣の力に適応するように変化していく。手足には獣の特徴が現れ、指先から鋭い爪が伸びる。瞳は鋭く変わり、全身から放たれる黄金の魔力が地下水路を照らした。
ヘリオスの力を自らの肉体へ宿す――獣化。
「ふぅぅぅ……」
陽はゆっくりと息を吐き、拳を握る。
先ほどまで身体を押し潰していた重力の中で、一歩前へ踏み出した。
「よし……行ける」
右にはリーナとタリア。左にはカイとネレア。そして中央には、獣化した陽。
三人が同時にゼルファーを見据える。
「行くぞ!!」
陽が地面を蹴った。
ドンッ!!
獣化によって爆発的に高められた脚力で、一気にゼルファーとの距離を詰める。
「タリア!」
リーナが剣を振り抜くと、タリアが翼を大きく広げた。巻き起こった風が陽の背中を押し、その速度をさらに引き上げる。
「ネレア!」
カイの声に応え、ネレアが水を操る。地下水路を流れていた大量の水が左右からゼルファーへ襲いかかった。
風と水。
そして、その中央を黄金の光が駆け抜ける。
「うおおおおおお!!」
獣化した陽が正面から拳を振り抜いた。
三方向からの同時攻撃。逃げ場はない。
――はずだった。
「…………」
ゼルファーは静かに片手を上げた。
「重力とは――ただ押し潰すだけの力ではない」
グンッ!!
「ッ!?」
陽の身体が空中で停止した。
全身を見えない何かに掴まれ、どれだけ力を込めても前へ進めない。
「な……んだ、これ……!」
次の瞬間――。
ドォンッ!!
「がはっ!!」
陽は凄まじい勢いで地面へ叩き落とされた。
「陽!! タリア!」
リーナの声に応え、タリアが風を纏ってゼルファーへ襲いかかる。
しかし、ゼルファーはそちらを見ることすらしなかった。
「落ちろ」
ズドォォォン!!
「クァァッ!!」
タリアの巨体が地面へ叩きつけられる。
「タリア!!」
続いてネレアが大量の水を纏い、ゼルファーへ迫った。
だが、ゼルファーは指をわずかに曲げる。
ギギギギギ――!!
空間が歪んだ。
ネレアの巨体が強制的に軌道を変えられ、そのまま壁へ叩きつけられる。
ドガァァァン!!
「ネレア!」
カイが叫ぶ。
陽は地面に手をつき、再び立ち上がろうとする。
だが、顔を上げた時には――ゼルファーは目の前にいた。
「遅い」
「――ッ!」
ズンッ!!
腹部に強烈な衝撃が走る。
「がっ……!」
陽の身体が吹き飛び、水路の床を何度も転がった。
「陽!!」
リーナが振り返る。
その一瞬だった。
「君もだ」
ゼルファーが手を向ける。
ドォン!!
「きゃあっ!!」
リーナの身体が弾き飛ばされ、握っていた剣が床を滑っていく。
「よそ見してんじゃねぇ!!」
カイが一気に距離を詰め、ゼルファーへ拳を振り抜く。
ガシッ――。
「なっ……!」
その拳を、ゼルファーは片手で受け止めていた。
「君は少し違うな」
ゼルファーが初めてカイをじっと見つめる。
「だが――それだけだ」
ドォンッ!!
「ぐああっ!!」
カイまで吹き飛ばされた。
三人が倒れる。
タリアも、ネレアも地に伏している。
そして獣化した陽さえも、ゼルファーには届かなかった。
「……嘘だろ」
陽が呟く。
ゼルファーは息一つ乱していない。
「終わりだ」
その一言とともに、周囲の重力がさらに増していく。
ミシッ――。
床に亀裂が走り、陽の身体がさらに地面へ押しつけられる。
「ぐ……っ……!」
腕に力を込めても身体が持ち上がらない。
リーナも剣へ手を伸ばすことすらできず、タリアとネレアも重力に押さえつけられている。
このままじゃ――本当に負ける。
「……チッ」
カイが舌打ちした。
「やっぱ……こうなるか」
「カイ……?」
カイは両腕を地面につき、強引に身体を起こしていく。
「陽。よく聞け」
その声に、いつもの軽さはなかった。
「リミットブレイクなんてもんはな――使うもんじゃねぇ。俺だって使いたくねぇよ」
「…………!」
「こんなもんに頼るくらいなら、自分の力だけでぶん殴って終わらせてぇ」
カイは重力に抗いながら、ゆっくりと立ち上がった。
ゼルファーが初めて僅かに目を細める。
「だが、このままじゃ勝てねぇ」
カイの身体から、少しずつ光が漏れ始めた。
「だから――俺も少しだけ使う」
ドクンッ――!!
カイの身体から凄まじい力が噴き上がった。同時に、地面へ押さえつけられていたネレアが顔を上げる。
「――リミットブレイク」
ズドォォォォォォン!!
「ッ!?」
陽は目を見開いた。
さっきまでとはまるで違う。カイから溢れ出す力に呼応するように、ネレアの気配まで膨れ上がっている。
「これが……リミットブレイク……」
「陽!!」
カイが叫ぶ。
「お前も来い!!」
「……!」
「ただし、飲まれるなよ!」
その言葉を聞いた瞬間、陽の脳裏に先ほどの黒い影が蘇る。
『――力が欲しいか?』
「どれだけ力が溢れても、自分の意思を保て! 力の主人はお前だ。それだけは絶対に忘れんな!!」
陽は自分の拳を見つめ、ゆっくりと握りしめた。
「……ああ!」
その時だった。
「だったら私も!」
リーナが剣を地面へ突き立て、重力に抗いながら立ち上がった。
「私もリミットブレイクを使う!」
「ダメだ」
カイが即座に止める。
「なんで!? 二人だけで戦ったら――」
「嬢ちゃんのは今使うべきじゃねぇ」
「でも!」
「ダメだ」
いつになく強い声だった。
リーナが言葉を失う。
「あんたのは――本当の最後の切り札だからな。ここで切る札じゃねぇよ」
カイはゼルファーから視線を逸らさない。
「ここは俺と陽に任せな。嬢ちゃんはタリアと援護を頼む」
リーナは何かを言い返そうとした。だが、カイの横顔を見て言葉を呑み込む。
本気だった。
「……絶対に戻ってきて」
「ああ。誰に言ってんだ」
カイがニッと笑う。
その隣で、陽もゆっくりと立ち上がった。
「当たり前だろ」
二人が並ぶ。
その先には、本気のゼルファー。
陽は目を閉じ、自分の奥底にある力へ意識を向けた。
すぐに、あの声が聞こえる。
『――力が欲しいか?』
「…………」
『我を受け入れろ』
陽は静かに目を開いた。
「違う。お前に貰うんじゃない」
拳を強く握りしめる。
「俺が――俺の意思で使うんだ!!」
ドクンッ!!
黄金の光が溢れる。
その奥底から、黒い光が滲み出した。黒い光は陽の右腕へ集まり、黄金のオーラを塗り替えるように広がっていく。さらに、右目の周囲にも黒いオーラが灯り、右目だけが闇を宿したように鋭く輝いた。
右腕と右目を黒いオーラに包まれながら、陽の全身から黄金の力が噴き上がる。黄金と黒、二つの力が混ざり合うように獣化した身体を包み込み、地下水路を激しく震わせた。
「……これが、俺のリミットブレイクだ」
カイはそれを横目で確認すると、僅かに笑った。
「そうだ。それでいい」
カイも拳を構える。
「来い、陽!!」
「おう!!」
二人は同時に地面を蹴った。




