12. 追憶 ⑫
隣で寝ていたロウの大きな声に、エテルナは飛び起きる。どのくらい眠ったのだろうか?しっかり寝た気がするが、まだ寝不足なのか気分が悪い。
エテルナの視界は霧がかったように真っ白だ。
(目が……。という事はもう夜更けは過ぎたのね……)
だがそんな事よりもロウの事が気になる。
「ロウどうしたの!?大丈夫!?」
「な、なんで俺の名前を!?」
「……え?」
ロウの返事の意味が、全く理解出来なかった。
もしや封印の影響で見た目が何か変わってしまったのだろうか?そう思い自分の姿について聞くが、特に昨日とは変わっていない。
しかし話を聞いている内に、ロウの緊迫した態度は自分に対してなのだと嫌でも分かってしまった。
ならば、何らかの原因でロウが記憶喪失になったのかと思ったが、最近やり終えた仕事の話はスラスラと出てくるし、子どもの頃のエピソードも以前聞いたものと同じであった。
理解したくはなかったが、エテルナに関する事だけを何もかも忘れてしまっていた。まるで初めから居なかった事になっているのだ。
「どういう事……?
……あ!」
エテルナはハッとして、ずっと首にかけたまま服の中に入れていたカースライトのペンダントを取り出すと、恐る恐るロウに見せた。
「ロウ……これ、分からない?」
祈る様に声を絞り出す。
「こ、これ……は……、ううっ!!」
ロウが今まで聞いたことも無いうめき声で苦しみ出した。
「ロウ!苦しいの!?」
エテルナは慌てて手探りでロウの身体を擦るが、更に苦しみ出している。
「あ、頭が……!!」
エテルナはペンダントが原因と判断し、急いで服の中に隠す。すると、少ししてやっとロウは落ち着きを取り戻した。
「よかった……。でも何が起きて……うっ!」
あまりのショックのせいだろうか、今度はエテルナの体調がおかしくなる。リレーミアから教わったあらゆる治癒魔法を自身に唱えるが、何故か全く回復しない。
(魔法が効かない……。もしかして何かの呪いなのかな……)
ロウはエテルナがこんな調子なので、とりあえずベッドに寝かせる。そして、そのまま日々を過ごす二人だが、ロウの態度はエテルナを忘れてしまったせいですっかり他人行儀になってしまった。
だがそれでも、目が視えない上に体調がすぐれないエテルナを気遣い、親切にしてくれた。
気付かれないように振る舞っているようだが、エテルナを見るとあのペンダントを思い出し、激しい頭痛が襲うらしく、一緒にいると数分おきにロウのうめき声がエテルナの耳に入る。
その心遣いが、エテルナには何より悲しかった。
「私が居るせいでロウが……」
エテルナの体調は数日経っても、全く快方の兆しが見えない。とうとういたたまれなくなったエテルナは、ロウが仕事に出ている間に、最低限の荷物を持ってそっと家を出た。
あれからずっと寝込んでいた為、外の空気は久しぶりだ。
加護を封印したせいで、上乗せされていた分の魔力も体力も元に戻ってしまったが、それまでに培った経験までは無くなっていなかった。
魔力を使って周囲の状況を大まかに把握できたので、日常の動作に関しては問題ない。これは戦いの最中目眩ましを食らった時に、リレーミアに教えてもらった方法だった。
さて、これから何処に行こうか。
怠さがとれない体に鞭打ち、どこか住める場所を探そうとあてもなく彷徨う。
声と気配から、通りでは人々がたくさん行き交っている事が分かるが、そこでエテルナはすぐに違和感に気づいた。
誰もエテルナに話しかけてこないのだ。
自意識過剰だと思うかもしれないが、世界の為に戦ったエテルナは、この数年で数々の英雄譚や石像が作られるほどの偉人である。街を歩けば、必ず誰かに話しかけられる。
加護が無くなって雰囲気が変わったせいだろうか?いや、例えそうだったとしても、見た目に変化が無い以上、誰かはエテルナだと気付くはずである。
もやもやと考えていると、突然猛烈な吐き気に襲われる。たまらず道の端にしゃがみ込む。
「姉さん大丈夫か?どっか悪いのか?」
下を向いてじっとしていると、やっと声をかけられた。声色と気配で、初老の男性だと思われる。
「ありがとうございます……。少しこうしていたら平気なので」
顔を上げて必死に笑う。だが男はエテルナの顔をハッキリ見ても何の反応も示さない。もしやエテルナの顔を知らないのだろうか。
「……あの……すみません。私、エテルナです……」
「はあ、俺はスミスだ。よろしくな」
そういう事では無い。
「えと……私、広場の像の……モデルなんですけど……」
あまり自分から言いたくないが、この際仕方ない。口をもごもごさせながら歯切れ悪く説明すると、男は大笑いする。
「ハッハッハッ!そうだな、ようく見りゃ姉さんにそっくりだなあ!」
まるで幼い子どもの空想話に付き合っているように言うので、エテルナはつい体調が悪い事を忘れ、勢いよく立ち上がる。
「冗談ではないんです!私は本当に――」
「あの像が何の為にあるのか、誰も知らねえよ。それこそいつ建てられたのかもな。
およそ、どこかの話の主人公か何かだろうよ」
エテルナは男の言う事が理解できない。何故こちらの言いたい事が通じないのだろうか?もどかしさと混乱で次の言葉が出てこない。
「あ、あの……えーと……」
「エ、エテルナさん!?何でこんな所に!?」
それはエテルナにとって最も嬉しく、最も悲しくなる声だった。
ロウが仕事で偶然通りかかったのだ。
「ロウ……」
「何だロウの旦那。この姉さんあんたの知り合いか?随分とおかしな事を言うんだぜ。あの広場の石像は自分だって言ったりよ」
男は助けを乞うようにロウに詰め寄る。エテルナも同じ気持ちでロウの方を見る。
「ああ、ごめん。この子、ちょっとその……記憶がちょっと変になってて……」
それを聞いた瞬間、エテルナの足が勝手に動きだす。
「うお!」
「あ!エテルナさん!」
男とロウを押し退け、その場から一目散に走り出した。「記憶が変なのはそっちの方だ!」とどんなに言いたかっただろうか。だが、それを言った所で何が変わると言うのだろう。
毎日説得すれば戸惑いつつも、ロウは自分を受け入れてくれるかもしれないが、それはロウの感情を無視している事に他ならない。一緒に居れば、どこかで歪みが生じてしまうことは目に見えた。
やはりもう一緒には居られない。だが壁に囲まれた城塞都市、広さなどたかが知れている。別の家に移り住んだ所で、この街にいる限り商売人のロウとは先程のようにいつか出くわしてしまうだろう。
再び聖域に戻り、メガルダンドにどうにかしてもらう方法もあったかもしれない。
だが、今の状況は自分自身で選んだ結果の末に起きていることだ。舞い戻ってメガルダンドやリレーミアに頼る事など、エテルナには出来なかった。
「……行こう、どこか遠くに。とびきり遠くの土地に。そこで最初からやっていこう」
エテルナは行商のキャラバンに紛れ、城塞都市の外へ出ていった。




