2.新たな仲間との合流
美香 (ミカエル):異世界に転生し、性転換した少年。唯一の綱であるエリックを頼る。
エリック:美香の兄として存在していた異世界の男性。無理矢理転生させられた美香に同情し、警戒を促す。
転生してきた森で救助を待ちながらエリックと話していると……。
がさごそと背後から音がした。
いい加減エリックとの沈黙も辛くなってきていた美香は、これ幸いとそちらを振り返った。
「救助が来たのか……な…………?」
嬉々として振り返った美香の目に映ったのは、全身血塗れになった男が木々の隙間からのめり出てくる、およそこの世のものとは思えないグロテスクな光景だった。
「うわああっ!」
思わず仰け反った美香は勢い余ってそのまま後ろにずるずるとあとずさった。
今度こそ殺される……!
そう覚悟して美香は目を瞑った。
しかし聞こえてきたのは男の勇み声でも、斬りかかってくる音でもなかった。
「ーー……ーーーーーー・ーー!」
何事かと思い美香は目を薄ら薄ら開けてみた。
するとエリックが、至極落ち着いだ様子でその男に話しかけていたのだ。
「ーー!ーー・ー……ーーー?」
しかしその言葉は、美香には理解できなかった。
もちろん日本語じゃないし、英語でもなさそうだし……もしかして、異世界言語みたいなやつ?
二人は仲良さげに、美香の方をちらちら見ながら話していた。
たぶん、エリックの言ってた救助の人なんだろう。血塗れに見えたけど、よく見たらこの人から流れているわけじゃない。全部、たぶん返り血だ。白の燕尾服が真っ赤に染まっている。
ふと目が合うと、返り血の男はにこっと快活に微笑んだが、美香はそれに顔を引きつらせながら笑い返すのが精一杯だった。
「麓に降りたらもう一人迎えが来ているらしいので、とりあえず降りましょう」
返り血の男と話がひと段落つき、美香とエリックはその男に連れられて山を下っていた。道無き道を突き進んでいくから、なかなかついていくのが大変だ。無駄に大きなおっぱいも邪魔だ。一々揺れて既に肩が痛い。
女の子って、大変だな……。
「……ねえ」
「はい、何でしょう?」
「さっき喋ってた言葉って……」
「ああ、あれはこちらの世界での標準語ですよ、心配しないでください。翻訳魔術さえかけてもらえれば君も理解できるようになります。残念ながら、私は魔術はできないもので」
「へぇ、そうなんだ」
如何にも魔術士みたいな風貌なのにな、と心の中で皮肉っておく。
「私はもともと魔力自体を有していないのです。彼は魔力は持っているのですが、武術専門でしてね。麓にいる彼女なら可能でしょうから、そこまで辛抱してください」
「うん、わかった」
魔力やら魔術やら言われてもよく分からなかったが、ゲームの知識を照らし合わせて何となく理解した気になっておくことにした。一々質問していては日が暮れてしまう。
三人は下りを急いだ。
美香はてっきり森林の奥地に飛ばされたのだと思っていたが、意外と下山するのに時間はかからなかった。先導する返り血の男の歩みに迷いがなかったのも大きかったのだろう。道無き道を進んだ甲斐もあったのかもしれない。
またもや二人が異世界標準語で喋っているので、美香はぼんやりと辺りを眺めていた。
森を抜けると大きく視界が開け、一面に海が広がっていた。港が近いのか、ちらほらと船も見える。すぐ近くには家が数件あるだけだが、少し離れたところに町らしきものがあり、そこには多くの家が建ち並んでいた。逆に言えばその離れたところまで高い建物が一切ないということでもあり、田舎っぽさは拭えない。
パンゲア大陸東岸にあり、白の国の最東端である港町タクロバンはその立地から他国との貿易によって栄えた町であった。特に水の国との貿易では、それらの国境にあたるプラグ山を超えるよりも船でぐるっと回った方が低コストで済むため、王都ジェネラルサントスから遠い田舎であったにも関わらず、その規模を拡大してきた。今や白の国で王都に次ぐ人口を誇るメトロポリスへと成長していた。
美香たちがタクロバンの近くの山林に転移したのは、不幸中の幸いであったと言えるだろう。ここから王都へは近くはないとはいえ、白の国域内であることに変わりはない。比較的安全に王都に辿り着くことができるだろう。
「こちらです。ついてきてください」
先導する返り血の男とエリックに挟まれた美香は居心地の悪い思いをしながらも後を追う。
町に近づくにつれて人が増えていく。道中すれ違う人々にぎょっした目を向けられたが、それも仕方ない、と美香は思う。全身に返り血を浴びた男と、小綺麗な白衣の男が縦に並んで歩いているのだから、思わず二度見してしまっても無理はない。ただ時々最敬礼する人もいたのが気にはなったが、何でも一々聞くのは憚れた。
それよりも美香が驚いたのが、多くの男性が腰に何かしらの武器を備えていることだった。服装も日本とは全然違う。男は上下ともに身体にピッタリと張り付いた服を着ていて、全身タイツを彷彿させるデザインだ。女は妊婦さんが着るようなゆったりとした服が多いみたいだ。建物も木造の一階建てのものが多く、道は当然舗装なんてされていない。
ひと昔前に戻ったみたいだ、と美香は感じた。
しばらく三人が歩いた先には、一台の車のようなものが目に入った。どうやらそこが目的地だったらしい。
エリックは乗車するときに、美香に先に入るよう促した。
「君が先に入ってください。一応、女性ですし」
「う、うん。失礼します」
女扱いされるのに多大な違和感を感じつつ車に乗り込もうとすると、中に美しい女性が見えた。長い赤髪と褐色を帯びた肌は、彼女の不思議な魅力を引き立てていた。
彼女は美香の存在に気がつくと、目を瞬かせた。信じられないものを見たような表情で目をパチパチとさせている。
「乗らないのか?」
あまりに凝視されるので戸惑い、足を止めていると、後ろで待っているらしいエリックに急かされた。
急かすくらいなら先に乗ればよかったのに、と思う美香だったが、エリックたちが後に乗る真意は緊急時に備えて乗車口近くを陣取るためなのだから、それも少しズレた文句であった。
大人四人が入るには少し狭い空間に、二人ずつ向かい合って座る。椅子は日本のようなクッションは付いていなく、ざらざらの木板がそのまま晒されていて、女になった美香の柔肌には少しだけ辛い。
美香の真正面には赤髪の女が、隣にはエリック、対角線上には返り血の男が席に着いた。
すると向かいの赤髪の女が二言三言話して立ち上がり、椅子の後ろの方を覗き込んだかと思うと、突如彼女の赤髪が輝きだした。
「えっ!?」
美香が目を丸くさせているうちに、彼女が何やらぼそぼそと呟くと、その輝きが嘘だったかのように、すぐに元の髪色に戻る。その後すぐに車が動き出した。
「ね、ねぇエリック」
「何ですか?」
「さっきの、何?」
純粋な一男子としての好奇心だった。
確かに今までもエリックの剣とか、返り血塗れの男とかも見ていたけれど、やはり間近で異世界感を見せつけられると違う。厨二心に響くものがある。テンションも上がらざるを得ない。
「ああ、赤の魔術ですよ。彼女の魔術をこんなに早く見られるなんて、君は幸運ですね」
「そうなの?」
「ええ。彼女は普段あまり魔術を使いたがらないんです。今から君に翻訳魔術も掛けていただくことになりますがね」
エリックは彼女に、またもやよく分からない言葉で話すとーーたぶんさっき言ってた翻訳魔術とやらだろうーー快く了解してもらえたみたいだった。
「緊張しないで力を抜いていて、だそうです」
「わ、わかった」
心臓はドキドキしながらも、出来るだけリラックスしようと深呼吸する。目を開けていると赤髪の彼女が目に入ってしまい、別の意味で緊張するので目も閉じる。
「ーーーーー・ーー…ーーー・ー……………ーーー!」
褐色もいいなーー。
そう感想した直後、美香は意識を失っていた。
「……起きたんじゃない?」
「いやいや、まだ寝てるって。たぶん」
「えー、絶対起きたでしょ。ケビンの目は節穴?ねぇ、ミカエル?」
美香はそんな会話が聞こえ、意識を覚醒させた。が、瞼がなかなか上がらない。美香は寝起きが悪い子のように、うーんうーんと唸る。
「ほら起きてた。ケビン今晩奢りね!」
「あー、まじかー……。あとちょっとだったんだけどな」
「約束だからね」
「しゃーねぇーなぁ」
美香が目を開けると眼前に褐色美人の顔があり、美香は咄嗟に身体を後ろに逸らした。
「いっ!」
するとその勢いのまま背凭れに頭をぶつけた。背凭れも椅子同様木の板が貼り付けられているだけなので、激しい衝撃と痛みが美香の頭を駆け抜ける。
「~~~~!」
「だ、大丈夫、ミカエル?かなり強く打ち付けてたけど」
悶絶する美香を見た女が声を震わせて声をかける。笑いを必死に我慢しているのがばればれである。最も、ミカエルはそんなことに気を使っている場合ではないのだが。
返り血の男は女のその様子を見て、少し仕掛けてみた。
「……エリックだったら爆笑もんだったんだけどな」
赤髪の女はその一言を聞いて、辛抱堪らず吹き出した。
「あはっ!エリックって……!」
「眼鏡飛んだりして」
「あはははっ!あはっ……はぁ」
男の追い討ちも成功し、女の笑いはさらに加速した。予想以上に上手くいった男は上機嫌である。
「ま、お前が顔近づけたのが悪いんだけど」
女はもう一度ぶはっと吹き出した。
「ご、ごめんね……ぷふふっ」
「笑いながら言って誠意の欠片もねぇな」
「けっ、ケビンのせいでしょ!?でも本当にごめんね、ミカエル、そういうつもりじゃなかったんだけど……」
「だ、大丈夫です……」
頭部のダメージから多少復活した美香はやっとのことで顔を上げた。するとそこには、自分を心配そうに見つめる赤髪の女と、隣でしきりにニヤついている返り血の男がいた。
「その様子だと、魔術は成功してるみたいね?」
「あっ、はい!ほんとです、分かります」
「そう、よかった」
女がにこっと笑うと、美香は露骨に赤面した。彼女いない歴十七年の童貞を舐めてはいけない。
ついでに言えば今の美香の肌は驚くほど白く、顔が赤くなるとすぐに分かってしまうのだ。
「あなたは、ミカエルちゃんでいいのよね?」
「は、はい」
「そんなに緊急しないで。私はアイリーン。白の国のメイド長をやっているわ。こいつはケビン。一応執事長ね」
およそメイドさんのイメージとはかけ離れた気品とオーラを持つアイリーンが、丁寧に頭を下げてくる。美香も合わせて頭を下げたが、ケビンは手をゆらゆらと振るだけだった。
「さっそく、ミカエルちゃんとお話したいところなんだけど……」
アイリーンはちらっとケビンに目配せをしつつ、言葉を濁した。ケビンが外の方を見ながら気怠そうに腰を上げる。
「囲まれてんな。止めてくれ」
「わかったわ」
車のスピードがだんだんゆっくりになり、最終的には停止した。ケビンは乱暴に扉を開けて、背中に備えられていた大きな剣を抜いた。
「二人は任せたぞ。すぐ戻る」
「死なないでね。……迷惑だから」
「……当たり前だろ」
そう言うと同時にケビンは駆け出していった。
美香はその一連の様子をぽかーんと眺めていた。いまだに状況が上手く把握できていないのだ。
「囲まれたって……?」
「山賊ね。この辺りは多いの。あ、ケビンなら大丈夫よ。あいつは態度は悪いし性格も軽いけど、強さだけは保証するわ」
「……厄介なことにならなければいいけれど」
アイリーンは既に戦闘を始めているケビンの背中を見つめて、そう呟くのだった。