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漆黒の戦機  作者: 夏木裕佑
第五章 「賢帝は旗の色を知る」
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一三三年 三月二十五日~ ②

 腕を組んだまま、ジェームス・エッカートは厳しい眼差しを自分の手元に射込んでいた。空を嵌め込んだ瞳が小刻みに動き、列挙された船のステータスの羅列へと抜け目ない視線を走らせている。同じようにして、リガルもアクトウェイの船体報告に目を通していたが、彼には聞かねばならないことがあった。


「エッカート」


 貴公子が顔をこちらへ向ける。船長席の前に浮かんだホログラフの中で、厳しい眼光が微かに歪むのを、リガルは見た。

 彼は怒っていた。激しいものではなく、外へ出すこともない。内へ向けられた、静かなる憤りだ。冷たい炎、という言葉がリガルの脳裏を掠める。

 ジェームス・エッカートは何かに憤っている。一体、何に?

 問うと、彼はやはり、そのままの仏頂面で答えた。


「助けきれなかったからだ」


 いささかの悔恨も含むことなく、彼は言ってのけた。


「どういうことだ。あなたのピックで、ハンスリッヒは助けられた。あのまま何もしなければ、コンプレクターは宇宙の藻屑となっていた筈だ」


「それについては、否定しない。だが、誇らしく思うことはできん」


「なぜ」


「言っただろう。助けきれなかったからだ。確かに、あの場での最善は尽くした”かもしれない”。だが結果として、コンプレクターは甚大な被害を受けた。ハンスリッヒの矜持プライドもずたずただろう。私は、それが、気に食わない。助けるならば、助け切る。どの様な犠牲を払おうとも、だ」


「俺なら、そうはいかないな。きっと、俺があなたへ言ったように、もっと悪い可能性もあったのだと自分を慰めてしまうだろう」


「それはそうだろう。言っておくが、だからといって、貴様が人間として下衆な思考をしているという事にはならん。なぜか。それは、貴様の言っていることは全て確かな事実だからだ」


 エッカートは真っ直ぐにリガルを指さした。


「これはそうであったかどうかという問題でなく、私がどう感じるかが重大事なんだ。それは貴様の価値観とは相容れないかもしれない、むしろ滑稽な意地とも取れるかもしれんが、私にとっては、譲れないことだ。わかるか?」


「ああ」リガルはしかと頷き返した。「わかるよ、エッカート。誰にでも貫き通したい意志はある。それが常識や、誰かの世界観に沿わないものだったとしても」


 貴公子は唇を歪め、鼻で嗤った。


「だといいがな。いいか、リガル。人間が人間を理解できるなどとは、思わないことだ。たとえ意気投合し、胸のすくまで語らったとしても、言葉は、不完全なものでしか有り得ん。誰かを理解するためには、誰かと同じ存在になるしかない。視点が違うのだ。その場所に立っていられるのは、一人だけだ。それを肝に銘じておけ」


 そう言い残し、ジェームス・エッカートのホログラフは消えた。

 フム、と両腕を組んで、リガルは座席の背もたれに思い切り体重をかけた。

 エッカートが言っているのは、恐ろしく個人的な観念で、それは彼や、グローツラングの乗組員にしか通じない概念だろう。矜持のために生き、矜持のために死ぬというのは、ノーマッドにとって普遍的ともいえる性質ではあるが、それをさらに先鋭化させた様な、エッカートの態度であり、言葉だった。

 彼が言っているのは、相手が助かろうが助からなかろうが、自分が満足できたかどうかが重要なのであって、そこに生命に対する倫理的価値や意味などはあろうがなかろうが関係ない、ということだ。最終的に、自分の行為を評価し、咀嚼するのは自分自身であって、他人ではないのだから、感謝や揶揄は何も意味を為し得ない、ということなのだろう。

 彼との会話を反芻しているリガルの元へ、アキがやって来た。身体を傾けて、後ろから耳元に口を寄せてくる。


「格納庫へ行っていた砲雷長が戻ってきます」


「そうか。何か問題が?」


「はい。あまりこういうのは趣味ではありませんが、イーライはあなたへ大きな不満を抱いているようです」


 それだけで、リガルはイーライの抱く怒りの原因がわかった。溜息をつきたいのを堪えて、リガルは頷いた。そのために、アキが格納庫でイーライの動きを見張っていることも、彼にはショックだった。何故、仲間を監視するような真似をしなければならないのだろう?


「やはり、キャロッサについてだろうか。俺が彼女のコンプレクター乗船を許したから、彼は怒っているんだろう?」


「はい。彼はキャロッサを慕うあまり、あなたにその代償を払わせようというのです」


「私もそう思うわ」


 いつの間にか隣りに立っていたセシルが、大きく肩を回しながら同意した。リガルとアキは揃って彼女を振り返る。少しぼさぼさになったブロンドをポニーテールに束ねながら、彼女は怒りの混じった青い瞳でリガルを見た。


「今回の判断、私はリガルが正しいと思うわ。キャロッサの安全と生命の保証の観点から見れば、確かに批判されて然るべきだと思うけど、その意志を曲げることは船長の特権ではないものね」


「だが、クルーと衝突したり、不満を抱かせてしまうような船長は失格だと思わないか。少なくとも俺は、こういう状況に慣れていないし、どう対処していいかわからない。あくまでキャロッサの乗船については、放浪者ノーマッドとしての見地から適切だと考えたからだ」


「なら、何の問題も無いじゃない。アクトウェイはノーマッドの船だし、それに乗り込んでいる私達も、そうよ。だけど、イーライは違う。あの人は悪くないけれど、どこかまだ軍人気質な所がある」


 確かに、言われてみればそうだ。機関長のフィリップならまだしも、砲雷長のイーライは通常航行時にまで果たすべき仕事はそれほど多くはない。精々、使用する武器兵装を点検し、いつでも使える万全の状態に整えておくだけだ。普通のノーマッドなら、そうした作業は船の中枢AIにまかせっきりで、アクトウェイには高度に自律した人格を備えるアキがいるのだから、雑事は彼女に任せるのが通例と言える。

 しかし、イーライは、そうではない。いつも義務以上の責任を果たそうとする。それは軍人らしい所作だ。プラズマ弾頭ミサイルの誘導パターンを状況に合わせて複数用意する砲雷長など、リガルは知らなかったし、それが軍でのやり方なのだということは容易に想像がついた。何しろ、そうした専門技能は、あくまで民間であるノーマッドの間で身に付くものではないからだ。

 イーライは、アクトウェイが軍艦だと思っているのだろうか。そうだとしたら、それは悲しいことだと、リガルは思う。この船はあらゆる意味で自由なのだ。そうであってほしい。

 リガルは頭を振った。


「一先ず、様子を見よう。だが、アキ。これからはイーライに限らず、クルーを監視するような真似はするな」


「申し訳ありません。しかし、それが最善だと――」


「いいえ、イーライの監視は続行した方がいいわ」


 二人は再びセシルを見た。アキの視線は相変わらず何の感情も籠っていない無機質なものだったが、リガルは信じられないと言わんばかりに目を見張っている。


「俺にクルーを管理する、卑怯者になれと言うのか!」


 両掌をリガルへ向けて、宥めるようにセシルは頭を振った。


「違うわ、そうじゃない。これは私の意見だけど、恋は盲目って言うし、イーライの冷静で客観的な判断力は、今回の一件については期待しないほうがいい、というだけ。事実として、彼は既に怒っている。あなたに八つ当たり――それ以外に言いようがないものね――をしない限りは問題はないでしょうけど、今回の状況から見て、戦闘時にまた再発するわよ。特に、コンプレクターが危険な目に遭うときは」


「それは、確かに、そうだろうが。それでも気が進まないよ。イーライが怒るのはもっともだが――」


「その”もっとも”な話は、私から見て筋が通らないと言っているのよ、リガル。イーライは砲雷長だから離れられないし、ジュリーは行く責任と義務がある。キャロッサに彼女が着いていったのは置いておくとしても、彼は自分がコンプレクターに移乗できない分、リガル、あなたを支持するべきだったわ」


 表情を曇らせて、リガルは唇を真一文字に引き結んだ。よもや、誰かの愛情のためにこの身が批難の的になるとはという悲しい驚きを覚えつつも、現状を安定化させる方向に頭を働かせるだけで大きなストレスを感じる。

 助けを求めるようにアキを振り返るが、彼女はセシルと同意見のようだ。微かに頷きながら真っ直ぐ見つめ返してきた。アキは恐らく、よほどのヘマをしない限りはリガルの味方をするであろうが、それでも今回は、船長である彼が正しいと信じ切っているようだ。

 唐突に、リガルは奇妙な苛立ちを覚えた。どうして俺がこんなに悩まなければならないんだ? おれはキャロッサの意思を尊重して、コンプレクターへの移乗を許した。だが、このまま戦闘状況に突入するかどうかはまだわからないのだし、彼女のことを思えばこそこういう決定を下したのだ。イーライ・ジョンソンがキャロッサ・リーンに恋慕の情を抱いていることは確かで、自分がそこをとやかく言う筋合いもその気もないが、責めたてられるのは納得がいかない。

 リガルは拳で自分の額を叩いた。いくら厳しい状況であるとはいっても、クルーを敵にして己の満足を得るべきではない。エッカートに言わせれば、それは誇りでも名誉でもなんでもない、ただの卑怯者だ。自分の非を認められず、他人に責任転嫁をして心の平安を得るなど言語道断だろう。

 自分を叱咤して、リガルはセシルに向き直った。


「そうすると、やはりイーライとは一度、膝を交えて話したほうがいいだろうか?」


 セシルは航宙服の胸の前で腕を組んだ。豊かな胸を一瞥するが、リガルは慌てて視線を彼女の険しい顔に戻した。


「お互いの気持ちを知っておくというのは、無駄ではないでしょうね。イーライを直接的に監視するのが嫌だというのは、わかるわ。プライバシーにも関わる問題だし、他のクルーへの示しがつかないのも理解できる」


「その分、言葉を交えればその必要もなくなり、お互いの溝が埋まるかもしれない」


「そうね、悪い手じゃないとは思う。けれど、それは一対一でやるべきじゃないわ。クルーたちの目の前で話すべきよ。取っ組み合いの喧嘩になったら止められるし、これはみんなが無視できる問題じゃない。アクトウェイが今まで通りに機能するかどうか微妙なところだわ」


「わかった、その方向でいこう。アキ、君からは何かあるか?」


「ひとつだけ。キャロッサとジュリーをいつアクトウェイに戻らせるおつもりですか。まさかこの星系にいる間、ずっとコンプレクターに乗っているわけにもいかないでしょう?」


「そうだな……救急医療措置が一段落したらこちらへ戻るようにキャロッサに伝えておく」


 静かに首を振ると、アキのこめかみから流れた、やや癖のある白髪が揺れた。


「それはおやめになったほうがよいかと。キャロッサのことです、きっと全員が元通りになるまで離れないでしょう。ハンスリッヒ船長に、リガル船長から状況を聞き、第一次の救命措置が終わったところであなたから帰投命令を出すべきです」


 セシルが大きく頷いた。


「そうね。あの子、意外に頑固なところがあるから、頑として動こうとしないでしょう。それに、あなたの責任で送り出したのだから、あなたの指示で戻してあげなさいな、リガル」


「俺が無理に連れ戻したら、今度はキャロッサが反発しないだろうか」


「するに決まってるじゃない。けれど、それはキャロッサが満足できるかどうかの問題で、私達は慈善活動家じゃない。仲間に順位をつけたくはないけど、あなたがまず義務と責任を果たすべきはアクトウェイのクルーに対してだと、私は思う」


 しばし黙考した末に、再びリガルが何かを言おうと口を開いた時、アキが言った。


「イーライがあと三分ほどで到着します。元に戻りましょう」


「……わかった」


 管制長席にセシルが、後ろのオブザーバー席にアキが座るのを確認して、リガルは船長席の正面に浮かぶホログラフの束へ視線を戻した。イーライとの溝を考えると気が散りそうになるが、自分を叱咤して仕事に集中する。不慣れな出来事が続いているとはいえ、船長としてやるべきことはまだ山のように残っていた。先の戦闘で、アクトウェイの船体外殻にはかなりの負荷がかかり、フィリップとアキが協力して細かな船体耐久度の測定を行っている。アキいわく、今後十年以内に致命的な欠陥となる恐れはないそうだが、彼女のセンサーが及ばない個所は多々あり、やっておくに越したことはないとフィリップが進言したのだ。優先事項ではないにしても自分が許可を出した作業だ。進捗を確認する義務はある。

 ホログラフのひとつを空中で掴んで引き延ばす。進捗度は三割程度で、ほとんどが無人ドロイドが行った点検作業の結果の羅列だが、今のところ問題はない。他、船体各所に設置されている垂直ミサイル発射装置へとプラズマ弾頭ミサイルの装填作業、対空レールガン用の実包分配、そのためのコンデンサーへの電力充電など、細々とした作業が進んでいた。

 その中のひとつが、キャロッサと救援物資、医療器材を満載したシャトルの航行情報だ。ジュリーの操縦だから信用できるが、彼女の腕前だけが事故の原因になるとは限らない。リガルはしばし作業の手を止め、推進装置を吹かして加速するシャトルを見つめた。

 万が一――万が一、このシャトルが爆発したら、イーライは自分を殺すだろうか。不吉で意味の無い想像であることは認める。らしくないことを考えるのは動揺している証拠だ。気を落ち着けて、事態に対処しなければならない。

 重いシャトルはコンプレクターへと近付いていく。軌道を維持した同船への道程の中程まで達すると、シャトルは旋回して船尾をコンプレクターへ向け一気に減速。再び正面に向き直って二次推進装置を吹かし、絶妙なコースでコンプレクターの艦腹に開いた格納庫へと吸い込まれていく。

 無意識の内に止めていた呼吸を再開して、シャトルの映像を消した。少し迷った後で、マルメディ星系の宙域図を呼び出し、中枢コンピュータに指示して同じホログラフへと敵の位置座標を表示させた。


「船長」


 顔を上げると、イーライが立っていた。反射的にセシルへ目配せしそうになるのを堪え、リガルは背筋を伸ばした。


「お帰り、イーライ。キャロッサの様子はどうだった?」


 リガルの見る限り、イーライが怒っているような様子は見られなかった。彼は肩を竦める。


「やる気満々でした。コンプレクターで、彼女は大活躍するでしょう。腕の見せ所だって言っていました」


 黙って頷き返す。他になんと言葉をかけようかと考えたリガルの機先を制して、イーライが言った。


「船長、後でお話があります。よろしいですか」


「それは……もちろんだ。差し迫った危機はないし、今でもいい」


 イーライの青い瞳の奥で、一瞬の迷いが過ったのを、リガルは見逃さなかった。しかしその兆候はすぐに消え去り、彼はゆっくりと首を振る。


「いえ、少し考えをまとめたいので。手が空いた時にでも」


「君がいいなら、そうしよう」話題を変えるべきだ。リガルはアクトウェイに積載されている補給物資の一覧表を呼び出し、イーライに示した。「イーライ、先ほどの戦闘でプラズマ弾頭ミサイルをかなり使った。残ったミサイルを有効活用しなければならない。何か良い案はないか?」


 彼は少し考えた後で答えた。


「ミサイルの誘導パターンを変えるくらいでしょう。弾頭の威力については頭打ちですし、敵の迎撃能力は目に見えて高いものがあります。あれを掻い潜ることができれば、かなり楽になるでしょう」


「頼む。敵の対空迎撃プロセスは高度に自動化されていて、恐らく中枢にいるのはジェイスだ。あいつは生体端末だぞ、イーライ」


 驚愕の余り、イーライは目を丸くした。


「どういうことです? 奴は……そうか、人間じゃない」


「そうだ。アキと同じ、人間とほとんど変わらない高度な人格を備えていると見るべきだろう」


「それがシステムと直結しているというのは厄介ですね」


「ああ。だが、乗り切らねばならない。四隻でここを切り抜けて、アスティミナを助け出すんだ」


 イーライは頷いた。その真剣な面差しは、ともすれば怒りの表情とも取れたかもしれない。

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