第5話 アシュフォード牧場の祝宴
コニーとドラ息子との婚約が破棄されたという報せは、たちまちアシュフォード牧場の関係者全員が知ることになり、婚約の約束をした牧場主であるコニーの祖父ウィリアム・アシュフォードも、
「……話を聞く限りあちらの有責であるし、こうして『婚約破棄証明書』もある。先月でコニーも17歳。西部ではもう一人前のレディだ。そのお前が自分の意思で決めたことなら、儂がとやかく言うことではないな。――いや、先に益体もない婚約を結んだことを謝るべきであろう。済まなかった、コニー」
ため息とともに事後承諾するのだった。
しかしながら、その話を聞いた他の皆――料理人兼雑用婦人であるマーサは無論の事――マーサの夫であるジム・ミラー(カウボーイたちのリーダー)も、ベテランカウボーイのビル・ハリスも、馬の管理役のサミュエル・アレンも、平カウボーイのネイト・ブルックスも、そして一番年下で密かにコニーに恋慕していた下積みカウボーイのテッド・ターナーといった牧場の面々が、諸手を挙げて一斉に喝采を放ったのは言うまでもない。
何しろ牧場で育てられたコニーは、彼らにとっては実の娘や妹同様に大切な身内である。それがあんなドラ息子と婚約など、到底看過しがたい……が、しかし、実の祖父にして牧場主であるウィリアムの判断とあって、内心で忸怩たるもの――「お嬢を大切にしないあのバカはいつか殺す!」という爆発寸前の感情――を抱えながらも、ギリギリ耐え忍んでいたところへもたらせられた朗報である。狂喜乱舞・欣喜雀躍とならないわけがない。
また婚約破棄された当の本人も、サッパリしたもので、
「だいたい西部の男が馬にも乗れない、銃も撃てない、帳簿もつけられない、馬の蹄の裏すら覗けない……それどころか、自分の家の土地の境界線すら分かなくて、一雨降れば荒野で遭難するようなデクの坊よ。“カム・ストックの有力者の息子”っていう看板外したら、あんなもの高級な仕立て服着せた畑の『案山子』以下の役立たずじゃない」
歯に衣着せぬ言いざまで、日ごろから溜まっていた鬱憤を吐き出したのだった。
ということで、その日の夕食はささやかながらパーティーとなり、食堂の長テーブルには、普段の無骨な鉄皿だけでなく、少し上等な陶器の大皿が置かれ、そこには自家製のハーブやニンニクと一緒にじっくりオーブンで焼いたローストポークをメインに、カウボーイ風スコッチエッグ。
さらには普段の主食であるパサパサのサワードウではなく、手作りのふっくらしたコーンブレッドが添えられ、具だくさんの厚切りベーコンとジャガイモのチャウダー、新鮮なサラダとピクルスが添えられ、デザートには焼きたてのアップルパイといった、素朴ながらも普段はなかなか食べられないご馳走が所狭しと並べられ、香ばしい肉の焼ける匂いと油の匂い、甘いパイの香りが満ち溢れていた。
「まずは乾杯だ!」
誰からともなく音頭が上がって、カウボーイたちが一斉にラガービールの入ったジョッキを豪快に打ち合わせる。
成り行きで居合わせることになったアレックスも、半ば勢いに押される形で乾杯をしてビールを口に運び……目を見張った。
「冷えて……いる!?」
カウボーイが飲むビールといえば『ぬるくて泡の少ない雑味のあるエール』が普通なのだが、いま口にしたラガービールは、高級レストランやホテルなどで供される『氷室でキンキンに冷やされたビール』そのものであった。
「驚いたかい? ウチはウィリアム様とコニーお嬢の魔術のお陰で、年中、氷室に氷が山ほど積んであるんだ」
誇らしげに胸を張るビルの自慢話に、
「時々町へ氷を売りに行くと、いい副業になるしね」
錫製のカップで冷えた自家製スイート・サイダー(微炭酸のりんご酒)を飲みながら、コニーがさりげなく補足を加える。
「なるほどな」
納得したアレックスへ向け、
「公証人センセー、まずは冷えたビールをじゃんじゃんやってくれ。センセーに乾杯だ!」
「先生のお陰であのドラ息子の鼻を明かせたんだろう? ぜひ俺のとっておきのバーボンを飲んでくれ!!」
「それよか、西部の男なら、ライ・ウイスキーって相場は決まってらあ!」
「いやいや、呑むだけじゃなくて、お嬢の特製ローストも、ソースをたっぷりかけて食ってもらわんと」
と次々に皿やら酒瓶やらが差し出されるのだった。
そのうちに興が乗ったカウボーイ連中が、愛用のギターやハーモニカを持ち出して演奏やら、調子外れの歌を陽気に歌いだしたのを、苦笑いながらグラスを置いて眺めていたアレックスの空いていた隣の席へ、陶器製のジャグを持ったコニーが腰かける。
昼間のキュロットスカート姿から、いまはコットン製のシンプルなフレアスカートに穿き替えていた。
日中は動きやすいよう帽子の下に押し込まれていた、思いがけずに長い天然金髪がランプの明かりを反射して、動くたびにキラキラと幻想的に輝いている。
「……見違えたな。どこのお嬢様――いや、貴族の令嬢がお忍びで市井に混じってると言われても、なんら違和感がないな」
上座で自家製のチェダーチーズをつまみに、マイペースにシェリー酒を飲んでいたコニーの祖父が、「ほう?」と小さく呟いて、さり気なくアレックスに向けコニー同様(というか彼のそれが遺伝したのだろう)特徴的な菫色の瞳を巡らせたのだった。
照れ笑いを浮かべながら、コニーは相変わらず無精ひげまみれのアレックスの顔を覗き込むようにして、気さくに話し掛ける。
「アレックスさん楽しんでる~?」
「ああ、ご馳走も酒も存分に堪能させてもらっている。――しかし、いいのか。部外者の俺が身内のパーティーに参加しても?」
「なに言ってるのよ! アレックスさんがこのパーティーのゲストで主役の一人なんだから、堂々と構えていて問題ないってものよ。てゆーか、騒々しい連中ばかりでごめんね。あのドラ息子には、鬱憤が貯まってたので、皆タガが外れちゃったみたいで」
伴奏に合わせてダンスを踊っているマーサとジム夫妻を眺めながら、バツが悪そうに愛想笑いを浮かべていたコニーだが、アレックスのグラスが空になってるのを見て、
「安酒ばかりじゃ悪酔いしそうだから、ちょっと酒精が強いけど、コレなんてどう?」
ジャグを持ち上げたところで、ふと気が付いて指先に魔力を集中させると、ほどなくして赤ん坊の握りこぶしほどの大きさをした、見事なまでに透明で丸いアイスボールが生成され、グラスの中に落ちた。
「――ほう。便利なものだな」
「まあね。実際いまどきは‟便利な手品”程度の扱いよね、魔術なんて」
肩をすくめながら今度こそグラスにジャグの中身を注ぐ。
その馥郁たる嗅ぎなれた芳醇な香りに、アレックスの視線が黄金色をしたそれに釘付けになった。
「ウチの牧場にあるリンゴを発酵・蒸留させた『アップルジャック』よ。アレックスさん、リンゴが好きみたいだから、どうかと思って」
実際、冗談かと思ったら本当に厩舎に馬を入れて手入れをした後に、コニーが母屋でウィリアムに事の次第を説明している間、雇い人小屋でマーサ特製のアップル・ダンプリングを、猛烈な勢いで完食してお代わりまで要求したと聞いている。
そこからあたりを付けたのだが、案の定これまでの酒とは目の色が違っていた。
「…………」
まずは一口。舌の上で転がして……感極まったかのように、燃えるようにアルコール度数の高い息を吐き出す。
「っ……っっっ、この香り……このコク。しかも最高に冷えて……う、美味いっ!」
いままでの泰然自若とした姿とは打って変わった、感情剥き出しのアレックスの態度に、なんとなくテンションを保留したまま固唾をのんで見守っていたカウボーイ連中が、途端にドッと湧き立つ。
「こりゃいい! おい、テッド。氷室から一番でかい氷とアップルジャックの樽を持ってこい! ビールも冷えてるやつ全部だ!」
「は、はい!」
「樽ごとだぞ! 間違えるなよーっ」
「あちゃーっ、この調子だと今晩は一晩中……それこそ樽が空っぽになるまで飲み明かしそうね。いや、事の発端は私だけど、ここまでウザ絡みされたらアレックスさんも迷惑でしょう?」
「いや、ここのところ一人で硬い乾パンに塩漬け肉と豆を炒めただけの食事だったからな。こうして皆とワイワイやりながら美味い酒と飯が食えるのは……結構楽しんでいる」
まんざらでもなさそうなアレックスに、コニーはほっと安堵の吐息を放った。
「よかった。ここにいる皆は家族みたいなものだし、アレックスさんに嫌われたらどうしようかと思ったわ」
「気のいい連中なのはよくわかる。それと君の事を大事に思っていることもな。――不躾な質問だが、全員が昔からこの牧場で働いているのか?」
問われてコニーは「う~~ん」と首を傾げる。
「昔から……というほどでもないかな? うちのお爺様ってもともとエルドヴェイン王国の貴族だったそうなんだけど、継承者な長男や万一の際の次男でもない三男なので、若い時にヴェルディシア連邦へ移住してきて……なんやかんやで、西部で亡くなったお婆様と牧場を始めたそうなの」
『なにやかんや』の部分を意図的にぼかしたコニーの心情を思いやって(両親の話題に触れない事と合わせてデリケートな話なのだろう)、気が付かないふりをしたアレックスは、合点がいったとばかりに大きく頷いてみせた。
「なるほどな。ただの牧場主としては威厳というか、気品があると思った。君の言葉遣いも訛りのない王国語――それも上流階級のものだし、魔術が使える時点でもしやと思っていたが……。ひょっとしたら、貴族と言っても名ばかりのなんちゃって貴族ではなく、生粋の名門じゃないのか?」
アップルジャックを傾けながら、アレックスがそう推察するのに対して、合わせてスイート・サイダーを飲みながらコニーがあっけらかんと種明かしする。
「確か、‟グレンモア侯爵”……だったかしら?」
確認するようなコニーの視線を受けて、ウィリアムがこれまた事も無げに頷く。
「そうじゃの。現在は儂の長兄が当主として、第15代グレンモア侯爵を継いでおる。他にも従属爵位として伯爵と子爵、男爵位が二つばかりあるがの」
ぶっ――!!!
途端、盛大に吞んでいたアップルジャックを吹き出すアレックス。
「げほっ……げほっげほっ!! 侯爵!? おまけに従属爵位が4つ!!? メチャクチャ王国内でも中枢――上級貴族の中の上級貴族じゃないか!!」
半ば取り乱すアレックスとは対照的に当事者であるウィリアムは、どこ吹く風という風情でシェリー酒を嗜み、コニーは面白そうにその場で胸を張った。
「そーいうこと。だからさっきの『貴族の令嬢がお忍びで市井に混じってると言われても、なんら違和感がない』ってのは半分正解なわけよ。血筋的には一応は貴族令嬢なわけだし。もっとも、私はずっとこの牧場で生まれ育ったから、貴族だお姫様だとか言われても、全然実感はないけどね。てゆーか、人の価値なんて、馬じゃないんだから血統とか関係ないと思うけど」
何の気負いもなく、侯爵家や貴族生活に憧れるでもなく、バッサリと切って捨てるコニー。
竹を割ったようなこの気性は、確かに貴族社会という権謀術数や腹の探り合い、見栄としがらみだけで構成された、人間関係の肥溜めみたいな世界とは到底相容れないだろうな、とアレックスは妙な納得をするのだった。
一方、一人で勝手に狼狽えるアレックスの横で、どんちゃん騒ぎを続けていたカウボーイたちが、酒瓶を片手に呑気に首を傾げ合う。
「なあ、侯爵って伯爵とどっちが偉いんだ?」
「知らん。どっちにしても威張り腐った鼻持ちならない連中だろうさ」
「大旦那やお嬢は全然違うぞ」
「だからこんな西部にいるんだろう」
「あ、そうか!」
「「「「「ガハハハハ!!」」」」」
陽気な集団が奏でるギターと喧騒は最高潮に達し、アシュフォード牧場の祝宴は夜遅くまで続いたのだった。
*********
翌朝。コニーが日課の乳牛と鶏の世話を終えて、手が空いてるマーサと二人がかりで金属製の集乳缶に入れ替えた牛乳を別棟――泥と石・レンガを積んだ厚い壁で熱を遮断し、保温性に優れた『アイスハウス』と呼ばれる半地下構造の保冷庫へ運んでいると、雇い人小屋の屋根の上でトンカチ片手に、軽快な音を立てて作業している後姿が目に飛び込んできた。
「あれって……アレックスさん? 何やってるの、こんな朝早くから?」
目を丸くするコニーの背後から、手押し車で集乳缶を運んでいたマーサが事も無げに答える。
「ああ、『なにか仕事がないか』っていうから、なら最近雨漏りするようになった屋根を直してくれって頼んだら、二つ返事で承諾してくれてね。飲み過ぎで二日酔いになっているウチの男連中とは違って、働き者さね」
「ええええっ! 何それよ。アレックスさんはお客様であって、臨時雇いの従業員じゃないのに」
さすがに厚かまし過ぎるわ、と言いかけた先に。手早く屋根の修繕を終えたアレックスが、ハシゴを伝って降りてきた。
「アレックスさん。そんな気を使わなくてもよかっ……」
抱えていた5ガロン用の集乳缶を地面に置いて、駆け寄ったコニーの勢いが尻つぼみになったのは、振り返ったアレックスが昨夜までと別人のように変貌していたからである。
いかにも西部の男らしく、ボウボウに生えていた無精ひげがきれいに剃られ、彫りの深い精悍な顔立ちにシャープな顎の線。そして夜の闇を思わせる漆黒の髪と、鋭く冷たい光を宿したアイスブルーの切れ長な瞳という、ムービースターもかくやという……どこからどう見ても、正統派で野性味あふれる24歳の『ハンサム』そのものの素顔が剥き出しになっていた。
「…………」
呆然と言葉にならないコニーに代わって、マーサがニコニコと代弁する。
「先生の素顔が素敵すぎて見惚れてるんだよ、お嬢は。それにしても、やっぱりアタシの見立ては間違っちゃいなかったね。相当男前だろうと思って、あさイチであのむさくるしい髭を剃った甲斐があるってもんだよ。――いゃあ、それにしても、惚れ惚れするねえ。あたしが20歳若くて旦那がいなかったら惚れてたところだね!」
褒められてても特に思うところはないらしく、
「お陰で朝から風邪ひきそうだ。で、ハシゴや大工道具は元の作業小屋に戻しておけばいいのか?」
「ああ、頼めるかい?」
スッキリした顎のあたりを撫でつつ、アレックスは「承知した」とばかり片手を振って、荷物を小脇に抱えて作業小屋の方へ向かう――途中でコニーが地面に置いたままだった集乳缶とマーサの手押し車の上の缶を、ついでとばかり片手で抱え上げてから、背中越しに首を巡らせ自然体で尋ねた。
「集乳缶はアイスハウスへ運んでおけばいいんだろう? まだ牛舎に運んでない缶が残っているようだったら、俺が運んでおくので二人とも別な仕事をするといい」
「おや、悪いね。じゃあお言葉に甘えて、アタシは朝食の支度をしてるよ。と言っても野郎どもの大半はまだ潰れているので、今朝は胃に優しいメニューにしとかないとねえ。牛乳と水で煮込んだオートミールと、ベーコンに目玉焼きってところかね」
オートミールはともかく、固形物であるベーコンに目玉焼きは二日酔いの胃にはかなりの罰ゲームだが、そのあたりマーサは容赦がない。
「これから仕事だってのに、大の男が甘ったれたこと言ってるんじゃないよ! 塩と脂を摂らなきゃぶっ倒れるって相場が決まってるのさ」
という西部の伝統と経験に裏打ちされた主婦の知恵であった。
重い荷物を持っているというのに悠々と歩いて行くアレックスを見送り、マーサはいまだに呆然としているコニーに向かって、あながち冗談でもない口調で軽口を叩く。
「男前だし、仕事もできる。気配りだって大したもんさ。コニーの婚約がなくなって、安心したけど、ちょっと心配してたんだけど」
どんな理由があろうと、婚約破棄された女性は傷物扱いされるのは世の常であり、それは西部でも変わらないが実状だった。
「だけど、その日のうちに、あんな有望な旦那候補を拾ってくるんだから、さすがは目の付け所が違うねえ!」
「!!!」
一瞬で真っ赤になったコニーは、「違う!」「そうじゃないわ!」必死に否定をするのだが、否定すればするほどマーサは上機嫌で、カラカラと笑いながら厨房へと向かう。
「う~~~っ!!」
なんか一人だけ空回りしている気がして、コニーは歯噛みして、
「とにかく、アレックスさんが悪いんだから!」
そう結論付けたのだった。
次回は、水曜日20:00更新予定です。
史実のアメリカでは成人年齢は21歳でしたけれど、西部ではだいたい18歳くらいでした。
結婚するのはさらに若い年齢で行うこともあり、結婚した段階で成人と追認する感じでした。
この作品の世界では、西部は17歳で成人としています。
劇中でカウボーイたちがギターやハーモニカを鳴らしていましたが、実はカウボーイにとって楽器演奏は単なる娯楽ではなく「必須の仕事技能」でした。
基本的に夜間の牛は子牛や母牛以外は屋外で放牧したままでしたが、しかし、牛は非常に臆病な生き物なため、夜間に狼やコヨーテなどの肉食獣に襲われたり、雷鳴や銃声などの突発的な音を聞くと、容易にパニックを起こして大暴走を始める危険性があります。
一度スタンピードが起きれば、カウボーイが牛が踏み荒らされて死んだり、牛が散散になったりと、牧場にとって壊滅的な損害となりました。
そのためカウボーイたちは、夜警の際、交代でギターやハーモニカなど携帯できる楽器を奏でたり歌を歌ったりして、「人間が近くで見守っているから大丈夫だ」と牛に聞かせ、安心させていたのです。




