109.「さっきのオオワライ岩、すごかったね」
「さっきのオオワライ岩、すごかったね」
ニライカナイの浅い海を、ポンポン・・・と泳ぎながら、
赤い魚は、
興奮した様子で、さらに続けます。
「何かの重たい音が、海中に響いたと思ったら、
岩の下から、急にたくさんのあぶくが出てきて、
それで岩の片側が、
パカッパカッて、何度も持ち上がって・・・。
だからあの岩、オオワライ岩って呼ばれてたのね。
ワタシ、ちっとも知らなかったわ」
ヒカリの魚は顔を上げると、
赤い魚のすぐ隣で、左にクルリと回りました。
「次は、どこがいいかしら。
オバケウオのねぐらか、潮のマヨイミチか、
それとも・・・」
そう言って、
ヒカリの魚の方を振り向こうとした赤い魚でしたが、
すぐさま、
顔を、正面に戻してしまいました。
そのまま黙って泳いで、
しばらくしてから、何も言わずに止まります。
その場で、
ゆっくりと顔をうつむけていきます。
「・・・体、すけてきてるよ」
赤い魚が、
少ししてから、
ポツリ・・・と、そう言うと、
横から、
赤い魚の顔を、心配そうにのぞきこんでいたヒカリの魚は、
顔を上げ、
それから、自分の尾ビレを振り返りました。
そうして、次に上を向き、
夜空の月が、
海の向こうに、だんだんと沈んでいっているのを確かめると、
また、赤い魚の方に向き直しました。
小さく、うなずき、
顔を上に向け、
そのまま、空へと泳いでいきます。
「待って!」
赤い魚は急に声を出し、呼び止めました。
ヒカリの魚は、
海を飛び出し、
沈みかけの月の方へと、身をひるがえしたのですが、
すぐに、赤い魚の方へ向き直しました。
じっと見ています。
赤い魚は、
その、空に留まっているヒカリの魚へ目を向けたまま、
口を開きました。
「・・・」
でも、少しすると、
せっかく開けた口を、また閉じてしまいました。
顔を下にうつむけます。
ヒカリの魚は、
浅い海の底の、砂地の上の赤い魚を、
海の上から、じぃっと見ています。
月は、刻々と沈んでいきます。
ヒカリの魚が、
突然、ハッと顔を上げました。
島の方へと向きを変えると、
そのまま、
猛スピードで、空を泳いでいきます。
「・・・あ!、どこ行くのー?。
待ってー」
ちょっと遅れて気づいた赤い魚は、
ヒカリの魚を、あわてて追い始めました。
空を泳ぐヒカリの魚は、マングローブの森に入っていき、
その中を進んでいき、
ひときわ大きなマングローブの手前まで来ると、
そこで、海に飛びこみました。
木の根元にあるくぼみの中へと、もぐっていきます。
おそらく、
いっしょに虹を見た、あのタテ穴に戻るつもりなのでしょう。
ヒカリの魚から、だいぶ遅れて、
くぼみのフチに、たどり着いた赤い魚は、
尾ビレを海底に思いっきり叩きつけ、大きくジャンプしました。
くぼみの中心を目指して、いっきに下りていきます。
(待って。
まだ行かないで。
あなたに言いたいことがあるの。
伝えたいことがあるの。
今度こそ、
ワタシ、がんばってそれを言うの。
だから・・・、だから・・・、
まだ・・・)
すき間の奥の、まっ暗な細い道を、
壁に何度もぶつかりながらも、何とか抜けて、
出口にたどり着きました。
ヘリから顔を出し、下をのぞきこむと、
ヒカリの魚は、
穴底を、
あっちこっち、せわしなくウロウロと動き回っていました。
その体は、
先ほどよりも、
ずいぶんと、すけてきています。
「ねぇ、どうしたのー?」
上から声をかけましたが、
ヒカリの魚は、顔を上げません。
今にも消えそうな体で、
必死に、何かを探しています。
赤い魚が、
もう一度、声をかけてみようと思ったところで、
ヒカリの魚は、
穴底の一点を見つめて、そのまま動きを止めました。
口をパクパクと、すばやく動かし、
サッと、後ろに宙返りします。
穴底から、
うす明かりに包まれた、海草の新芽が、
かすかな虹の輪とともに、浮かび上がりました。
ヒカリの魚は、
すぐさま、顔を上に向けました。
そして、そのまま、
明かりで包んだ海草の新芽を引き連れて、
急いでタテ穴を上り始めます。
「待って!」
猛スピードで上がってくるヒカリの魚に向かって、声をかけると、
ヒカリの魚は、
少し行き過ぎてから動きを止め、赤い魚の方を振り返りました。
赤い魚は、
そのヒカリの魚を見上げたまま、
口を、おそるおそる開いていきました。
「・・・またね」
ヒカリの魚は、
赤い魚の、
その、せいいっぱいの声を聞くと、
すぐさま、左にクルリと回りました。
そうして、あらためて上に向き直し、
海草の新芽とともに、タテ穴を上っていき、
出口の向こうに広がる、きれいな星空へと帰っていきました。
赤い魚は、
その、遠ざかっていく姿を、
タテ穴の途中にあるヘリから、ずうっと見上げていました。
ヒカリの魚の後ろ姿が見えなくなっても、
空が、
やがて、うっすらと明るくなり始めても、
ずうっと、ずうっと、
いつまでも見上げていました。
赤い魚とヒカリの魚は、
それからは、
ほぼ毎日、会うようになりました。
夜、
月が上がり始めるとやって来るヒカリの魚を、
サンカク岩のところで赤い魚が待っていて、落ち合って、
そうして、
月明かりの差す、静かな夜の海を2ひきで泳いで、
ときどき追いかけっこをしたり、海の生き物たちのモノマネをし合ったりして遊んで、
やがて、ヒカリの魚の体がすけてくると、
「またね」
と、名残惜しそうに言って、
月に帰っていくヒカリの魚を、赤い魚は海の底から見送って・・・、
そんな生活を、続けるようになりました。
あるとき、
ヒカリの魚が、だいぶ遅刻した日がありました。
月が傾き始めてから、
ようやく、
赤い魚の待つ、サンカク岩のところに現れたのです。
「今夜は、もう会えないかと思った。
月が沈む前に雲が晴れてくれて、ホッとしたわ」
赤い魚が、ニッコリと笑って声をかけると、
ヒカリの魚も、
うれしそうに、左にクルリと回りました。
ヒカリの魚のやって来る時間は、
徐々に、遅くなっていきました。
月が空に現れる時間が、
日に日に、少しずつ遅くなっていったからです。
そして、
そうやって、
月の出る時間が、だんだんと遅くなっていくと、
ヒカリの魚は、
月が、まだ空高くにあるにも関わらず、
帰ってしまうようになりました。
次第に小さくなっていく、ヒカリの魚を見ていた赤い魚が、
後ろを振り返り、月とは反対側の空を見上げると、
まっ暗だった空が、
下の方から、ちょっとずつ明るくなり始めていました。
ヒカリの魚は、
夜の間しか、こちらにはいられないようでした。
さらに何日か経って、
ふっくらとしていた月が、線のように細くしぼんだ頃、
そして、
その月が、明け方とともに空を上り始め、
夜が訪れるちょっと前の夕方に、海の向こうへ沈むようになると、
ヒカリの魚は、ピタリと来なくなってしまいました。
赤い魚は、
一日中、
岩のカゲに、こもるようになりました。
他の魚たちが、楽しそうに海を泳ぎ回る中、
1ぴきで、
おとなしく待っていました。
月が、また夜空に現れる日を、
ヒカリの魚にふたたび会える日を、
ただ静かに強く想って、待ち続けました。
しかし、
あるとき、ふと気づきました。
よくよく思い出してみると、
これからは、雨の季節です。
月が、またふくらみ始めて、
夜に上るようになっても、
その空が、ぶ厚い雲でおおわれていては、
ヒカリの魚には、会うことができません。
うす暗い岩カゲにこもり、
空が晴れるのを1ぴきで待つ日が、
何日も何日も続くことになります。
赤い魚は、顔を下に向けました。
落ち込んでいるのではありません。
じぃっと考えています。
そうして、
やがて、伏せていた顔をゆっくり起こすと、
まっすぐ前を見て、
岩カゲから抜け出していきました。
海底の、広々とした砂地へと進み出た赤い魚は、
自分の口先を器用に使って、
砂の上に、
次々と、様々な大きさの円を描いていきます。
そして、
しばらくして、いちばん大きな円のところに戻ってくると、
今度は、
その線に沿って、ポンポンと泳ぎ始めました。
赤い魚は、
円から円へと移っていきながら、砂地の上をせっせと泳ぎ回ります。
けれども、
少しすると、止まってしまいました。
顔を真上に向けています。
何かを考えています。
やがて、
赤い魚は、砂の上に寝そべりました。
尾ビレを思いきり叩きつけ、まっすぐ高くジャンプして、
その後、
うずを巻くように小さく回りながら、クルクルと下りていきます。
でも、そのクルクルは、
途中であっちに行ったり、こっちに行ったりして、
ちっともきれいに回れませんでした。
砂地に下りた赤い魚は、
すぐに、上を向きました。
目を動かし、
海の中に、小さな輪を描きます。
何度も何度も描きます。
そうして、しばらくすると、
また、砂の上に寝そべりました。
ふたたび、尾ビレを思いきり叩きつけ、
高くジャンプし、
また、
あっちに行ったり、こっちに行ったりしながら、
クルクルと下りてきました。
赤い魚は、その日、
一日中、そのジャンプをくり返しました。
あくる日の朝、
赤い魚は、
きょうも、たくさんの円が描かれた砂地にいました。
円から円へと移りつつ、
線の上を、ひたすらポンポンと泳いでいます。
あのジャンプは、
結局、1回も成功しませんでした。
尾ビレの痛みが、しばらくして引いたときに、
あらためて挑戦してみよう・・・と、思っていました。
夕方になると、
2ひきの黒い魚たちが、上を通りかかりました。
砂地の上で、
1ぴきで、せっせと動き回っている赤い魚を見て、
黒い魚の片方が、言いました。
「アイツ、
あんなところで何やってんだ?」
すぐに、もう片方が言いました。
「さぁ?。
ダンスでも踊ってるんじゃないの?」
「あれでダンス?。
砂の上をはいつくばって泳いでいるアレが?」
「たぶん」
「まさかアイツ、
次のダンス大会に、あんなカッコ悪い踊りで出るつもりなのか?。
アレで、優勝するつもりなのか?」
「たぶん。
アイツ、オレたちみたいに海を自由に泳げないから、
アレしかできないんだ。
アレが、せいいっぱいなんだ」
「あんなダンスじゃ、だれにも勝てっこないぜ。
生まれたての、オレの子どもにだって勝てないぜ」
黒い魚たちは、
2ひきで、大いに笑いました。
「おっと、早くダンスの練習に行こうぜ。
アイツには負けないが、他のヤツには負けるかもしれない」
「お前、
優勝したときの、海の主さまに叶えてもらう願い、
もう決めたのか?」
「いや、まだだ。
お前は?」
「オレも、まだ。
まぁ、
ダンス大会まで、あと20日以上も残ってるんだ。
ゆっくり決めるさ。
さぁ、早く練習に向かおうぜ」
「おっと、そうだった。
こんな、できの悪いダンスを見ているヒマなんか無かった。
行こう行こう」
黒い魚たちは、そう言って泳ぎ去りました。
赤い魚には、
その、黒い魚たちの会話は聞こえていました。
でも、関係ありませんでした。
ただひたすらに、
いっしょうけんめい、ダンスの練習をし続けました。
数日が経ちました。
月がまたふくらみ始めて、三日月に戻ると、
太陽が沈んだあとの夜空に、月が残るようになりました。
その、空に残った三日月は、
太陽を追って、
すでに、だいぶ傾いてきていました。
あと少しで、沈んでしまいます。
それでも、
サンカク岩のところで、月を見上げて待っていると、
ヒカリの魚は空を泳いで、
赤い魚のところへと、やって来ました。
「ワタシのこと、
ちゃんと覚えていてくれたのね。
良かった・・・。
ひさしぶり。元気だった?」
赤い魚が、そう声をかけると、
ヒカリの魚は、
顔を上げ、左にクルリと回りました。
そして、
口をパクパクさせ、サッと後ろに宙返りし、
自分の顔に、
赤い魚と同じ、大きな目を作りました。
星が、
きれいに、またたいていました。
それからは、
夜の間はヒカリの魚と遊んで、
そのあと、
砂地の上で、
1ぴきでダンスの練習をする生活が始まりました。
ヒカリの魚とは、
始めの1週間くらいは、ほぼ毎日のように会えていましたが、
月が半月を過ぎた頃から、曇りや雨の日が増えていき、
だんだんと会えなくなっていきました。
そんな日は、
赤い魚は、
一日中、ダンスの練習に励みました。
自分が優勝できるとは、少しも思っていませんでした。
それでも赤い魚は、
何かをやらずには、いられませんでした。
動かずには、いられなかったのです。
ダメだったときは、別の方法を考えよう。
今は、
ただ、ひたすらにがんばろう。
悔いのないよう、
今の自分にできる、せいいっぱいのことをしよう。
そう思って、
来る日も来る日も、ダンスの練習を続けました。
そして、
月が太くなっていき、
やがて、まん丸い満月へと変わって、
それから、ふたたび細くなっていき、
また、半月に戻った頃、
ついに、
その日が、やって来ました。
ダンス大会の日が、やって来たのです。




