107.明くる日の夕暮れ
明くる日の夕暮れ、
赤い魚は、
きのうと同じ、サンカク岩のところで待っていました。
海の向こうに広がっている空の、きれいなオレンジ色が、
時間とともに、少しずつ黒へと変わっていくのを見上げたまま、
1ぴきで、
静かに待っていました。
間もなく、夜が訪れました。
小さな星たちが、すっかり暗くなった空いっぱいに輝いています。
そして、少しすると、
その美しい星空の、はるか下の方、
まっ黒な海との境目に、
白色の、ぽおっとした明かりが現れました。
月です。
今日は、まん丸ではありません。
きのうより、
ほんのちょっとだけ、ほっそりとしています。
月は、夜空をゆっくりと上がっていきます。
海の底の、赤い魚は、
その、次第に上がっていく月を見ていました。
片時も目を離すことなく、
いっしょうけんめい見ています。
月が、だいぶ高くなってきた頃、
ふいに、夜空の何も無いところで、
一瞬だけ、何かが小さく光りました。
月の、ちょっと下の辺りです。
赤い魚は、頭を低くしました。
じぃっと目をこらします。
思ったとおり、
きのうの、あのヒカリの魚でした。
空をスイスイと泳いで、こちらの方へと向かって来ています。
赤い魚は、
低くしていた頭を、パッと上げました。
口を小さく開けたまま、
その大きな目を、まっすぐヒカリの魚へ向けています。
ヒカリの魚は、
やがて、
月明かりの差しこむ、とう明な海の中に、
そのまま飛びこみました。
海面に近いところを、
あっちこっち、ウロウロと、
機嫌良さそうにして泳いでいます。
そのヒカリの魚の、泳ぎ回っている姿を、
大きな2つの目で、ずうっと追っていた赤い魚は、
ちょっとしてから、
口を大きく開けました。
そうして、
思いきり声を出そうとしたところで、動きをピタッと止め、
しばらくして、
せっかく開けた口を、
また、ゆっくりと閉じていきました。
上の方で元気に泳ぎ回っているヒカリの魚を、
うす暗い海の底から、
ただ、じぃっと見上げています。
ヒカリの魚が、
ふいに、赤い魚の方へ顔を向けました。
気づいたようです。
顔を上げ、左にクルリと回ると、
そのまま海の底へと、急いで下りてきました。
「あ、あの・・・、
は、は、はじめまして」
赤い魚は、自分の目の前に来たヒカリの魚に、
そう、あいさつをしました。
声が少し、裏返っていました。
ヒカリの魚は、
まっ白い、のっぺらぼうの顔で、
じっと、赤い魚の様子をうかがっていましたが、
ちょっとしてから、
顔を横に、小さく傾けました。
「・・・あ!、間違えた。こんばんは、だった。
こ、こんばんは」
赤い魚が、あわてて言い直すと、
ヒカリの魚は、すぐさま顔を上げ、
左にクルリと回りました。
赤い魚は、
それを見て、ホッとしました。
そして、
「あのね、プレゼントがあるの。
ほら、
きのうと、その前の日、
あなたが海草の実を取ってきてくれたでしょ?。
そのお礼よ」
と言って、
横に、ちょこんと移動しました。
赤い魚のいた場所の、サラサラとした砂地の上には、
小さな海草の実が、1つだけ落ちていました。
でも、それは、
ふつうの実とは、ちょっとだけ違っていました。
緑色の、ちっちゃなシッポが1本、
にょきっと生えていました。
「海草の、出たばかりの新芽よ。
ふんわりしてて、とってもおいしいの。
どうぞ、めし上がれ」
その新芽は、
赤い魚が、
朝から、広い海の底を1ぴきで探し続けて、
それで、
夕方近くになって、ようやく見つけたものでした。
ヒカリの魚は、顔を上げ、
左に、
クルリ、クルリ、クルリ・・・と、
勢いよく、3回も輪を描きました。
それから、
海草の新芽の方に顔を向け、口をパクパクと動かすと、
そのまま、
すばやく、サッと後ろに宙返りしました。
新芽が、
たちまち、まぶしい白い明かりに包まれ、
浮き上がっていきます。
ヒカリの魚は、
その、
次第に高くなっていく、まぶしい明かりに合わせて、
顔を、上に向けていきます。
そうして、明かりが、
ちょうど、自分の真上に来たところで、
尾ビレを、スッと軽く振りました。
まぶしい明かりが、
突然、フッ・・・と消え、
中から現れた新芽が、
下で待ち構えているヒカリの魚の方へと、
ゆっくり落ちていきます。
ヒカリの魚は、口を大きく開けました。
・・・、
・・・、
・・・パクッ。
ヒカリの魚は、
まっ白い体を、ちょっとだけ上に長く伸ばして、
勢いよく、食いつきました。
新芽は、
ヒカリの魚の、口の中へと消えました。
「どう?、おいしい?」
感想を聞かれたヒカリの魚は、
顔を、赤い魚の方へ向けました。
そうして、
続けて左にクルリ・・・と、半分だけ回ったところで、
急に、動きを止めてしまいました。
顔を、そうっと下へ向けていきます。
まっ白い砂地に、
食べたはずの海草の新芽が転がっていました。
ヒカリの魚は、
また、口をパクパクと動かし、
サッと後ろに宙返りをしました。
新芽が、まぶしい明かりに包まれ、
高く浮き上がっていきます。
ヒカリの魚は、
ちょっと待ってから、
尾ビレを、スッと軽く振りました。
・・・、
・・・、
・・・パクッ。
海草の新芽は、
しかし、
ヒカリの魚の、ぽおっと明るい体を通り抜け、
ふたたび、砂の上に落ちてしまいました。
ヒカリの魚は、海の底を振り返りました。
自分の真下に転がっている新芽を確認すると、
少ししてから、
そこへ、ゆっくりと顔を近づけていきました。
そのまま、じぃっと動きを止めています。
「ごめんね。
あなたが食べられないこと、知らなかったの・・・」
赤い魚が、
それを見て、申し訳なさそうに言いました。
ヒカリの魚は、新芽に顔を近づけたまま、
まだ、じぃっとしています。
そして、しばらくすると、
口を、またパクパクと動かし始めました。
新芽が、まぶしい明かりに包まれ、
浮き上がり始める・・・と同時に、
ヒカリの魚は、
すばやく体を伸ばし、食いつきました。
パクッ。
・・・、
・・・、
・・・。
新芽に食いついたまま、
その場で、ピタッと動きを止めているヒカリの魚を、
赤い魚は、
黙って見つめています。
大きな2つの目を、ちょっとしてから下へ向け、
すぐに、ヒカリの魚に戻します。
念のため、
様子を、もうしばらく見てみます。
海草の新芽は、
でも、
いくら待っても落ちてきませんでした。
「やったぁ!。
ちゃんと食べれてるー。
やったぁ、やったぁ!」
赤い魚が、
海底を跳ね回って、喜ぶと、
ヒカリの魚は顔を上げ、
うれしそうに、左にクルリと回りました。
そのとき、
「あっ」
赤い魚は、声を上げました。
ヒカリの魚が動いたあとの場所に、
まぶしい明かりに包まれた新芽が、プカプカと浮いていました。
ヒカリの魚は、あわてて新芽の方を振り返ります。
そうして、
また、パクッと食いつくと、
口を閉じたまま、
そうっと、そうっと移動していきました。
少ししてから、
あらためて、後ろを振り返ります。
だいじょうぶでした。
明かりに包まれた新芽は、
今度は、
ヒカリの魚が動くのに合わせて、ちゃんといっしょに動いているようです。
ヒカリの魚は、
ときどき後ろを振り返りつつ、ウロウロと泳ぎ回りました。
そして、問題が無いことを確かめると、
赤い魚のところに、ふたたび戻ってきました。
「海草の新芽、ずうっと持ってるの大変そうだから、
ワタシが食べてあげようか?」
赤い魚が、
いたずらっぽい笑みを浮かべて、そう尋ねると、
ヒカリの魚は、
まっ白い顔を、プイッ・・・と横にそむけました。
「じょうだんよ、じょうだん。
あなたへのお礼の品だもの。
横取りなんてしないわ」
赤い魚は、クスクスと笑いました。
「海草の新芽、喜んでくれた?」
赤い魚が聞いてみると、
ヒカリの魚は、すぐに顔を上げました。
左に、
クルリ、クルリと回ります。
そうして、そのまま、
赤い魚の体の横へと、気分が良さそうに泳いでいき、
欠けた尾ビレに顔を近づけ、
口をパクパクと動かし始めました。
けれども、その途中で、
ヒカリの魚は、口を動かすことをやめてしまいました。
顔を下に向け、
じっと、うなだれています。
「・・・どうしたの?」
赤い魚が尋ねてみると、
ヒカリの魚は、顔を赤い魚の方へ向け、
それから、
次に、上へと向けました。
赤い魚も、顔を上へと向けました。
そちらを見てみます。
月がありました。
海の上に広がる、星いっぱいの夜空の中で、
月が、
ひときわ明るく、ぽおっと輝いています。
赤い魚は、見上げるのをやめて、
ヒカリの魚の方へ向き直しました。
ヒカリの魚は、
まだ、しょんぼりとしています。
「・・・怒られちゃったの?」
尋ねてみると、ヒカリの魚は、
うなだれたまま、
小さく、うなずきました。
「だいじょうぶ。ワタシ、このままでも平気よ。
こうやって、ちゃんと泳げるんだから」
赤い魚は、ヒカリの魚の周りを、
ポンポン・・・と、元気に泳ぎ回りました。
ヒカリの魚は、
いったん、顔を上げましたが、
また、すぐに下を向いてしまいました。
「ほらほら、元気出して。
今からワタシが、おもしろい場所に連れていってあげるから」
赤い魚が、泳ぐのをやめて声をかけると、
ヒカリの魚は、
顔を、パッと上げました。
そのまま、赤い魚の様子を、
じぃっと、うかがっています。
「・・・行きたい?」
ちょっと間を置いてから、赤い魚が尋ねてみると、
ヒカリの魚は、
こくんこくん・・・と、
2回も、うなずきました。
「わかったわ。
じゃあ、さっそく向かいましょ」
赤い魚は、後ろを振り返り、
ポンポン・・・と、
尾ビレで海底をけとばして、砂の上を泳ぎ始めます。
ヒカリの魚は顔を上げると、すばやく左にクルリと回りました。
すぐさま、赤い魚に追いつき、
横に並んで、いっしょに泳いでいきます。
「そこはね、すっごくきれいなところでね、
ワタシだけが知ってる、とっておきの秘密の場所なの。
海底のそこら中に、
サラサラの砂やジャリの代わりに、
とっても小さなガラス玉が、いっぱい積もっていてね、
それで・・・」
そう言って、チラリと横を見たのですが、
ヒカリの魚の姿がありませんでした。
赤い魚は、あわてて後ろを振り返ります。
ヒカリの魚は、
少し離れたところで止まっていました。
口をパクパクと動かしています。
赤い魚が、黙って様子を見ていると、
ヒカリの魚は、
やがて、
サッと、後ろに宙返りをしました。
そのまま、
赤い魚が待っている場所へと、泳ぎ出します。
その、近づいてくるヒカリの魚の顔には、
まっ黒い、2つの大きな目が付いていました。
ヒカリの魚が、赤い魚の前にやって来ました。
しかし、
赤い魚は、泳ぎ出そうとしませんでした。
顔を下に向けたまま、
じぃっとしています。
ヒカリの魚は、顔を横に傾けました。
赤い魚に、少しずつ近づいていきます。
そして、その表情を、
そうっと、のぞきこんだところで、
ヒカリの魚は、
ハッと、顔を上げました。
すぐさま、口をパクパク動かすと、
サッと後ろに宙返りし、
自分の目を、あわてて作り直しました。
ヒカリの魚の顔には、
さっきまでと同じ、
宇宙のような、まっ黒い大きな目。
でも、その大きな目の中に、
今度は、
きれいな星が、またたいていました。
赤い魚は、
下に向けていた顔を、ゆっくりと起こしました。
そうして、
自分のすぐ目の前の、
心配そうにしているヒカリの魚の、キラキラとした大きな目を見て、
何も言わずに、
ただ優しく、ほほ笑みました。




